9-009: White Spear and Toggle Devil



 イルティミナさんに抱かれたまま、崩落した『トグルの断崖』まで到着する。

 相変わらずの酷い惨状だ。

 ようやく地面に下ろされた僕は、「あっちだよ」と彼女を先導して、散乱した岩や倒木の中を歩いていく。

 やがて、嫌な臭いがしてきて、その先に、体長10メートルほどの赤い怪物の死体が現れた。

「ガド……」

 イルティミナさんの口から、呟きが漏れる。

 今朝まで、死闘を繰り広げた相手だ。

 紫の血の海に沈み、物言わぬ肉塊と化した赤牙竜を見つめる瞳には、色々な感情が流れているように思えた。

 でも、彼女はその真紅の瞳を閉じて、すぐに気持ちを切り替えたように顔を上げる。

「まずは、私の槍を探しましょう」
「うん」

 とはいえ、見える範囲に、槍らしい物はない。

(もしかして、土砂に埋まっているのかな?)

 もし、そうなら大変だ。

 これだけの土砂を掘り返して、見つけるまでに何時間……いや、何日かかるのかな?

 ちょっと想像がつかない。

 途方に暮れる僕だったけれど、隣の美人冒険者さんは、違うようだ。

「マール、少し下がってもらえますか?」
「? うん」

 言われるままに、彼女の後ろまで戻る。

 イルティミナさんは、一面の崩落現場を見回しながら、その右手を高く掲げた。

 真紅の双眸に、不可思議な光が輝いて、桜色の唇から、凛とした声が響いた。

「――白き翼よ、我が手に戻れ!」

 ドガァッ

 突如、赤牙竜の死体近くの土砂の中から、白い何かが飛び出した。

(な、なんだっ!?)

 空中に浮かぶそれは、真っ白な槍だ。

 装飾の美しい刃には、大きな翼の飾りが広がっていて、中央には紅い魔法石が光を放ち、輝いている。

 その精巧な翼が羽ばたくと、槍は霞むような恐ろしい速度で、こちらへと飛んでくる。

 ぶつかるっ!?

 驚く僕の直前で、白い手が槍を掴んだ。

 バヒュッ

 凄まじい風圧が、僕を襲う。

 そして、硬直している僕の目の前で、槍の大きな翼はカシャンと折り畳まれ、先端の美しい刃と紅い魔法石を包み込む。

 あとに残されるのは、まるで白い杖みたいな槍だ。

 イルティミナさんの白い指は、慈しむように翼飾りをなぞる。

「――おかえりなさい、私の『白翼(はくよく)の槍』」

 それから、僕を振り返って、

「見つかりました」
「う、うん。よかったね」
「はい」

 白い槍を手にした彼女の立ち姿は、とても自然だった。

 戦士として、その槍を長く使い込んできたんだろう、ということは、素人の僕でも感じられる。そして、嬉しそうな笑顔は、きっと大切にしてきたんだろうな、とも。

(……不思議な光沢のある金属だね?)

 その美しさは、まるで実用品というより美術品みたいだ。

「これ、やっぱり凄い槍?」
「そうですね。400年ほど前、古代タナトス魔法王朝の時代に創られた『魔法の槍』ですので」
「魔法の槍……それって、珍しいの?」
「はい、とても」

 イルティミナさんは、なぜか困ったように笑っていた。

 それから彼女は、周囲を見回して、

「槍は見つかりました。では次は、私の荷物を探しましょう」

 僕の背中を、ポンと軽く叩いた。


 ◇◇◇◇◇◇◇


「呼んだら、荷物も飛んでこない?」
「残念ながら」

 彼女は苦笑いして、美しい髪を揺らしながら、首を横に振った。

「私のリュックは『魔道具』でもなく、『魔血の契約』も交わしておりませんので」

(ふぅん?)

 よくわからないけれど、無理ということはわかった。

 となると、本当に地道に、土砂を掘って探していくしかないんだね。

 でも、赤牙竜ガドの死体の近くに、槍も埋まっていたし、きっとこの近辺にあるのは、間違いないと思う。

 うん、大丈夫!

「きっと、すぐに見つかるよ」
「はい」

 僕の励ましに、彼女は嬉しそうに笑う。

 そうして僕らは、一緒になって、黙々と土砂を掘り返し始めた。

 …………。
 …………。
 …………。

「あった!」

 1時間ほどして、僕は叫んでいた。

 泥に汚れた小さな指の先に、革製のリュックの一部が見えている。

 イルティミナさんがすぐに駆けつけて、「お手柄ですね」と笑ってくれた。

 場所を交代すると、彼女は力も強いのか、大きな岩なども簡単にどかして、すぐにリュックを引きずり出すことに成功した。

 革の生地に金属の装甲が貼りつけられた、頑丈そうな大型リュックだ。

 彼女は、すぐに中身を確認する。

 ランタン、毛布、ロープ、乾燥した肉や木の実、金属製の食器具、皮袋の水筒、片刃の短剣、組み立て式の弓と短い矢、色とりどりの透明な石たち、数枚の着替え、10センチほどの細い金属筒、繊維の荒い紙と毛筆にインク瓶、軟膏の入った貝殻、包帯――などなど、色々な物が出てくる。

 空になったリュックには、僕の身体が丸ごと入れてしまいそうだ。

(へ~?)

 思わず、興味深く見つめてしまう。

 その目の前で、イルティミナさんは、取り出した道具を1つ1つ、丁寧に確認していく。

 やがて息を吐いて、

「中に入っていた物は、皆、無事だったようですね」

 安心したように笑った。

 それから、また丁寧にリュックの中にしまっていく。

「…………」

 その背中を見ていて、ふと思った。

(……イルティミナさんも、ずっと不安だったのかな?)

 彼女は、仲間とはぐれて、1人きりだった。

 巨大な竜に襲われ、死にかけて、恐ろしい深層部にも落ちてしまった。

 僕の前では、平気な顔を見せてくれている。

 でも、内心は違ったのかもしれない。

(僕も、しっかりしないと)

 リュックを背負い、立ち上がる背中を見つめて、そう思った。

 彼女は、その視線に気づいて、

「どうかしましたか、マール?」
「ううん」

 僕は、左右に首を振った。

 イルティミナさんは、不思議そうに首をかしげて、でも、やっぱり僕には、優しい笑顔だけを見せている。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 そのまま塔に帰るのかと思ったら、イルティミナさんは、もう一度、赤牙竜ガドの死体のある場所へと立ち寄りたいと言い出した。

「どうして?」
「魔狩人として、やらねばならない最後の仕事があるのです。すみません、マール」

(最後の仕事……?)

 少し離れた場所に僕を残して、彼女は、赤牙竜の頭の方へと近づいていく。

 下顎から伸びる長く曲がった牙だけで、彼女の身長と同じぐらいの大きさだ。

 カシャン

 帰って来たばかりの白い槍を構えると、先端の翼飾りが大きく開いて解放され、中から美しい刃と魔法石が現れる。

「シィッ!」

 鋭い呼気と共に、剣閃が煌めく。

 ガギィイイイン

 白い槍と長い曲牙が激突し、激しい火花が散った。

 槍の刃は、太い牙の半ばまで食い込んで、イルティミナさんの足がその根元にかけられる。白い槍が大きな弧を描いてしなり、それを支える両手が震えて、白い美貌が歯を食いしばる。

 恐ろしいほどの力がかかっているのが、ここからでもわかった。

 ギギギ……ギギギッギッッ バキィンッ

 突然、赤牙竜ガドの巨大な牙が、鈍い音と共に折れた。

 落下した牙によって、土煙が上がる。

 勢い余って、たたらを踏んだイルティミナさんは、

「ふぅぅ」

 と、とても熱そうな息を吐いた。

 それから、折られた牙は、ロープで手早く縛られて、リュックの上に固定される。当たり前のようにそれを背負って、彼女は、こちらに戻ってきた。

「お待たせしました、マール」
「えっと……その牙、持っていくの?」
「はい。私たち魔狩人は、『討伐の証』を依頼人に示さなければなりません。赤牙竜の場合は、この牙になります」
「……重くない?」

 見上げるそれは、まるで短めの電柱みたいだ。

 よく見れば、彼女の足は、くるぶし辺りまで土砂の中に沈んでいる。

 なのに、彼女は小さく笑って、

「軽くはないですが、これぐらいの重さならば、大丈夫ですよ」
「そう……」

 冒険者って、凄いんだなぁ。

 驚き半分、呆れ半分で見上げていると、僕の腰に、槍を持つのと反対の手が添えられた――え?

「なので、あとマール1人分も平気です」

 ヒョイ

 気づいたら、片手で抱っこされている。

「あ? ち、ちょっと!?」
「こら、暴れると危ないですよ? バランスを崩したら、さすがに私も転倒しますから」
「うぅぅ……なら降ろしてよ?」

 涙目の僕。

 イルティミナさんは困ったように笑って、

「貴方の足が消耗しているのは、私を塔まで運んだからなのですよね?」
「…………」
「ならば、今度は私に任せてください。どうか、今だけでもお願いします。これ以上、マールの足に負担をかけて、もしも何かあったなら……私は、自分が許せなくなってしまいます」

 ずるい。

(そういう言い方をされたら、大人しくするしかないじゃないか)

 ちょっと悔しい。

 だけど意地を張って、また足手まといになるのも嫌だった。

 抵抗を諦めると、彼女は嬉しそうに笑って、

「ありがとう、マール。貴方はいい子ですね」
「…………」

 前世も含めたら、僕の方がイルティミナさんより年上だと思うんですけどね……。


 ◇◇◇◇◇◇◇


(あ、そうだ)

 ふと思いついた僕は、すぐ目の前にある白い美貌へと声をかける。

「ね、イルティミナさん? 少しだけ遠回りをしてもらっても大丈夫?」
「?」

 不思議そうに首をかしげ、美しい髪を揺らすと、彼女は「はい」と頷いてくれた。

 その健脚は、3分ほどで僕らを目的の場所へと運んでくれた。

「これは……壁画?」

 イルティミナさんの口から驚きの声が漏れる。

 そう、僕らがやって来たのは、あの朱い絵の具で描かれた壁画のある崖だった。

 人と怪物の戦いの絵。

 僕は、冒険者のお姉さんに問いかける。

「これ、何の絵だかわかる?」
「そうですね。……私も考古学に詳しいわけではありませんが、恐らく『神魔戦争』の絵ではないかと」

 神魔戦争?

 僕の反応に、彼女は気づいた。

「マールは、神魔戦争のことを誰かに聞いたことはありませんか?」
「ううん、ないよ」
「…………。そうですか」

 彼女は、少し考え込んだ。

(?)

 やがて顔を上げて、壁画を見ながら教えてくれる。

「神魔戦争とは、大昔にあった『神様』と『悪魔』の戦いのことです」

 ふむふむ?

「古代タナトス魔法王朝の時代、人類は、魔法文明の最盛期にありました。しかし、その優れた魔法技術が災いし、彼らは、魔界との境に、穴を開けてしまったのです」
「……穴?」
「魔界と通じる穴からは、大量の悪魔たちが、侵入してきました。そして人類は、悪魔に対抗するために、神界から神様を召還して、悪魔たちを魔界へと追い返し、その穴を塞ぐことに成功した、と云われています。ですが、古代タナトス魔法王朝は、その消耗によって崩壊し、魔法文明も衰退しました。――そして、神と人が悪魔と戦った大戦のことを、神魔戦争というのですよ」
「へぇ」

 この世界では、そんな歴史があったんだ。

 イルティミナさんは、手にした槍の石突部分を、壁画に描かれた異形の怪物に向ける。

「恐らく、これは、その悪魔なのでしょう」
「ふぅん?」
「ちなみに、私の『白翼の槍』も、神魔戦争の時代に、悪魔に対抗するために創られた武具だと云われていますね」
「そうなの?」

 まじまじと、間近にある白い槍を見てしまう。

(言われてみると、なんだか神々しいような……?)

 そういえば、壁画にある小人たちも、爪楊枝みたいな何かを持っている。それらは皆、こういう魔法の武具だったのかもしれない。

 そして、たった1匹の悪魔が、そんな小人たちを一蹴しているわけだ。

(…………)

「今はもう、悪魔って、この世界にはいない?」
「いませんよ。――ただ、悪魔の血を引く人々は、少ないですが、暮らしておりますが」
「そうなんだ」
「マールは、その人々のことを、怖いと思いますか?」

 ん?

「そんなの、会ってみなきゃ、わからないよ」

 何を当たり前のことを。

 呆れる僕だったけれど、イルティミナさんは、驚いた顔をする。

 そして、大きく頷いた。

「そうですね。その通りです」
「???」

 なぜ、笑ってるの?

 困惑する僕に、もう一度、笑いかけて、彼女は「さぁ、帰りましょう」と回れ右をする。
 おっとっと?

 慌てて、彼女の首に抱きついてしまう。

(や、柔らかくて、いい匂い……)

 でも、揺れるので手が離せない。

 気がついたら、もう遠くの空が赤くなり始めていた。

 首だけを振り向かせると、壁画も夕日に照らされ、血のように真っ赤に染まっている。

 そこに描かれた異形の悪魔は、僕らを見つめて、なんだか笑っているようだった。

「…………」

 イルティミナさんの首に回した僕の手に、少しだけ力が入っていた。