24-024 Clash, Red Fang Dragon!
魔狩人キルト・アマンデスは、大きく息を吐くと、その手に握った大剣の柄を、強く握り締める。
グギュッ
皮と擦れる音が鳴り、彼女は、その超重量武器を∞の字を描くように大きく振り回し、その肩へと担いだ。
「行くぞっ、ガド!」
ドンッ
大地を吹き飛ばし、彼女は、弾丸のように走って、赤牙竜ガドへと襲いかかった。
イルティミナさんが、僕の背中を強く押す。
「マール、貴方も走って! 早く、安全な場所へ!」
「う、うん!」
強い声に叩かれたように、僕は慌てて、キルトさんとは反対方向に走りだす。
ソルティスの横を通り抜け様、彼女の唇が小さく「役立たずぅ」と動き、からかうように笑みを作った。
(う……くっそぉ)
でも、本当だったし、反論してる余裕もない。
僕は、離れた場所にある大きな倒木の陰へと、下の隙間から滑り込むようにして隠れた。
すぐに起き上がって、倒木の上から目線だけを覗かせる。
「よっ」
タンッ
と、ソルティスの小さな身体が、高く軽やかに5メートルほど後ろへ跳躍した。
トンッと着地したのは、見晴らしの良い倒木の上……というか、僕の隠れている倒木の上だった。
唖然としている僕に、少女は、前を向いたまま言う。
「アンタ、そこでジッとしてなさいよ」
「……ソルティス?」
もしかして、僕を守ってくれるつもりだろうか?
答えることなく、ソルティスは、手にした大杖を舞うように動かし始めた。
大きな魔法石が光の軌跡を描いて、空中に、魔法の文字が、光の残像として残されていく。
(これは、タナトスの魔法文字!?)
33文字を暗記した僕にはわかる。
けれど、それに驚いている間にも、状況は動いていく。
僕が離れたことを確認したイルティミナさんは、キルトさんとは対照的に、赤牙竜ガドを中心にして円を描くように、一定の距離を保つようにしながら走りだす。
手にした槍は、逆手に持たれて、いつでも投擲可能な体勢だ。
そしてついに、キルトさんは、赤牙竜ガドと接敵する!
『グルォァアアアッ!』
真正面から向かってきた獲物に対して、赤牙竜ガドも、紫の残光を残しながら、その巨大な曲牙を叩きつけるように、10メートルの高さから巨大な頭を落とした。
迎え撃つように、キルトさんは、直前で独楽のように一回転して、
「ぬんっ!」
巨大な大剣を斜め下から、振り上げる。
バギィイイイイイン
その両者が激突した瞬間、大剣の中の稲妻が放電して、世界が青く染まった。
輝きが消えたあとには、大木を容易くへし折る恐ろしい赤牙竜の一撃を、雷の大剣で受け止めている魔狩人キルト・アマンデスの姿があった。
その両足は、地面の中に食い込み、けれど、それ以上は沈まない。
その美貌に、野性的な笑みを浮かべる彼女は、その小柄な体躯でありながら、あの赤牙竜ガドとの力比べで、互角に渡り合ってみせたのだ。
(な、なんて力なの……っ!?)
開いた口が塞がらない。
ギギィィ……ッ
大剣と曲牙の接触面が、軋むような音を響かせる。
と――突然、その大剣が斜めに傾き、キルトさんの身体が横に、フッと動いた。
『!?』
ズズンッ
いなされた赤牙竜の頭部は、そのまま地面に突き刺さる。
「むんっ!」
返す刀で、キルトさんは、雷の大剣を、がら空きとなった赤牙竜ガドの首筋へと振り下ろす。
バチィイイイイン
稲妻が散り、世界が青く染まった。
赤牙竜のたてがみは、弾け飛び、けれど、その下にある赤い外皮は、無傷のままだった。
「ぬっ?」
刃が通らない。
キルトさんの黄金の瞳には、その赤い体表を覆う、紫色の光が映っている。
次の瞬間、赤牙竜ガドの頭部が、至近距離のキルトさん目がけて振り回された。
辛うじて、キルトさんは大剣を盾にして、それを受ける。
けれど、彼女の小柄な体は、10メートル以上も吹き飛ばされた。
空中で、猫のように回転して、彼女はなんとか着地する。
その着地点目がけて、赤牙竜は、突進していき、
「シィッ!」
ギャリィイイン
その側頭部に、イルティミナさんの放った白い槍が、閃光となって直撃した。
激しい火花が散り、赤牙竜は、たたらを踏む。
その赤い鱗には、傷一つなく、けれど、キルトさんへの追撃は中断された。
赤牙竜ガドの濁った黄色い瞳は、今度は、自分を攻撃したイルティミナさんを捉えて、巨体はそちらに向き直った。
「甘いわっ!」
瞬間、視線の外れた赤牙竜へと、キルトさんが漆黒の風となって襲いかかる。
立ち上がった赤牙竜の後ろ脚、その鋭い鉤爪のある指へと、大上段から黒い大剣が振り下ろされる。
バチィイイイン
稲妻が弾けた。
赤牙竜の脚の指は、やはり斬られることはなく、けれど、恐ろしい威力によって、完全に押し潰される。
だが、痛みを感じぬ赤牙竜は、すかさず巨大な前脚を、キルトさんを追い払うように振り回した。
キルトさんは、身体を捩じらせ、しゃがみ込みながら、大剣を振るう。
ガギィン
巨大な前脚は、軌道を逸らされて、キルトさんの銀色の前髪を数本奪って、通り抜けていく。
「シィッ!」
ドパァアアアアン
その横っ腹にタイミング良く、イルティミナさんの白い槍が閃光となってぶち込まれた。
大剣のいなしと白い槍の一撃――それらを同時に受けた赤牙竜ガドは、その巨体のバランスを崩して、仰向けになりながら、近くの大木に激突する。
「今じゃ、ソルっ!」
「わかってるわ! ――怒れ、樹冠の王! あの竜をやっつけるのよ! 『ド・ルアードゥ』!」
ヒィイン
大杖の魔法石が、緑の光を放って、タナトス魔法文字を描き出す。
空中に浮かんだ、緑色の光をした魔法文字は、吸い込まれるように赤牙竜のぶつかった大木へと飛び込んだ。
その大木の表面に、人の顔が浮かんだ。
『オォォオオオオオ……ッ』
その巨大な人面樹は、長い枝を触手のように伸ばして、赤牙竜の巨体へと絡みつける。
もがく赤牙竜を、幹に開いた大きな口へと、飲み込み始めた。
「樹冠の王! そのまま、絞め殺して!」
ソルティスの口が、物騒なことを叫ぶ。
そして、それに応えるように、人面樹は枝を巻きつけながら、その体内に赤牙竜ガドの巨体をめり込ませていく。
どれほどの圧力が加わっているのか、枝が締めつける部分の赤い鱗が、ビシビシと音を立てて、ひび割れ始めた。
そのまま、行くのかと思った瞬間、
『グルァォオオオオオオッ!!!』
紫の光を放ちながら吠えた赤牙竜が、人面樹に噛みついた。
ベキッ バギギッ……ベギィイイン
恐るべき咬殺力は、人面樹の幹をへし折った。
破片が舞い散り、悲鳴のような音を立てて、大木は地面に倒れる。
人面樹の顔は、苦悶の表情を浮かべて、ゆっくりと消えていく。
触手のように動いていた枝は、まるで枯れたような灰色に変わって、その動きを止め、パキパキと壊れていった。
「う、嘘……樹冠の王が、負けた?」
ソルティスが、茫然と呟く。
赤牙竜ガドは、灰色の巨木を破壊しながら、半分飲み込まれた身体を、地面の上に引きずり出していく。
「……闇のオーラか」
キルトさんが、眉間にシワを寄せながら呟いた。
闇のオーラ。
闇の眷属を強化する、悪魔の魔力。
それはきっと、赤牙竜ガドの身体能力だけでなく、魔法耐性も増加させているように思えた。
僕は、少し考える。
そして、目の前の少女に、質問してみた。
「ねぇ、ソルティス? 君は、太陽の光って、魔法で出せない?」
「は?」
いきなり何言ってるの、コイツ?
そんな目をされる。
でも、僕は構わず、続けた。
「深層部にいた時、僕は一度も、昼間に『闇のオーラの魔物』を見たことがないんだ。だから、もしかしたら『闇のオーラ』って、太陽の光に弱いんじゃないかと思って」
「…………」
怪訝だったソルティスの瞳に、段々と理解の色が浮かぶ。
ソルティスは数秒ほど考え込む。
そして、キルトさんと姉に、叫ぶように言った。
「キルト、イルナ姉、もう1発やってみるわ! 成功したら、とどめをお願い!」
「ふむ。よかろう」
「わかりました」
2人の仲間は、ソルティスを信頼しているのか、即答で頷いた。
そうして幼い彼女は、呼吸を整え、
「成功したら、私の手柄。失敗したら、ボロ雑巾のせいよね? うん、それで、いいわ」
「…………」
責任転嫁も甚だしい……でも、彼女の集中を乱さないために、僕はグッと我慢の子だ。
ヒュンヒュン
大杖が、また空中にタナトスの魔法文字を描いていく。
中央の魔法石は、紅い輝きだ。
キルトさんの雷の大剣が、灰色の巨木から抜け出そうとした赤牙竜の横っ面に、ぶち込まれた。
ズガァアアアン
雷が弾けて、世界が青く染まる。
赤牙竜の首が、本来なら折れている角度まで曲がる。
けれど、すでに死んでいる赤牙竜は、ギギィ……とその首を戻して、何事もなかったかのように、灰色の巨木から抜け出していく。
(本当に不死身じゃないか……っ!)
なんという化け物だ。
イルティミナさんが、近くにある何本もの大木に向かって、『白翼の槍』を一閃した。
根元から斬られた木々は、まるで競い合うように、赤牙竜ガドへと倒れ込む。
ドゴゴッ ドゴゴゴォオオン
下敷きになった赤牙竜は、けれど、木々の隙間から紫の光を吹きだして、恐るべき怪力でそれらを払いのけ、また赤い巨体を悪夢のように立ち上がらせた。
弾け飛んだ倒木を、イルティミナさんは空中に跳躍して避け、キルトさんは大剣で弾く。
ズゥン ズゥン……
赤牙竜ガドは、2人の魔狩人に向かって、ゆっくりと前進する。
(ソルティス、まだなの……!?)
「ふぅぅ……」
焦る僕とは裏腹に、ソルティスは、長く息を吐きながら集中を高め、その柔らかそうなウェーブのある紫色の髪が空中へと浮かび上がっていく。
不思議な風のようなものを、ソルティスから感じる。
(もしかして、これが……魔力?)
ふとそんな風に思った。
その瞬間、閉じていたソルティスの真紅の瞳が、大きく見開かれた。
「選ばれし太陽の子らよ! 悪魔の加護を、あの竜ごと焼き尽くせ! ――『ラー・ヴァルフレア』!」
大杖が、大きく横に薙ぎ払われた。
魔法石の描いた紅い光は、7つの魔法文字となり、それは炎の文字に変わる。
炎の7文字は渦を巻き、小さく小さく集束しながら、その光度を高めていく。
やがて、ゴルフボールほどの大きさになった7つの火球は、赤牙竜の上空を回転し、まるで小さな太陽のように、夜の森を眩く照らした。
その輝きに気づいて、赤牙竜ガドが頭上を見上げた。
――その瞬間だった。
凝縮された高エネルギーの7つの火球から、突然、放射状の炎が噴き出し、凄まじい勢いで赤牙竜へと襲いかかった。
『ゴルォア……ッ!?』
太陽フレアのような炎の波に、赤牙竜の全身が飲み込まれる。
森の木々が焼かれ、草木は、一瞬で黒炭になり、世界は昼間のように明るくなった。
そのただ中で、悶える赤牙竜の全身を包み込む闇のオーラが、太陽のような魔法の炎によって浄化されるように消えていく。ジュウジュウと肉の焼ける臭いと音が、森の中に響き渡る。
「よっしゃ!」
ソルティスが、小さなガッツポーズをする。
でも、その額には、尋常ではない汗が出ていて、彼女はガクッと、倒木の上で膝をついた。
「キルトさん、イルティミナさん、今だ!」
僕は、彼女の代わりとばかりに、必死に叫んだ。
もちろん、美しい2人の魔狩人は、この決定的なチャンスを逃さない。
キルトさんは、黒い稲妻のように、赤牙竜の懐に飛び込んだ。
イルティミナさんは、炎の大地を跳躍して、空中から回転しながら襲いかかった。
「鬼剣・雷光連斬!」
「羽幻身・一閃の舞!」
バチチ バチィイイイン
キシュン
雷の大剣による竜巻のような連撃が、雷の爆発と共に、赤牙竜の手足を斬り裂き、その胴体を2つに分断する。
白い槍の魔法石から生まれた巨大な光の女性が、その手の巨大な槍で、赤牙竜ガドの首を刎ね飛ばした。
(あ……)
僕の目の前で、あの巨大な赤牙竜は、五体をバラバラにされていた。
炎に燃えたまま、巨大な手足が、胴体が、その生首が地面に落ちる。
内臓がぶちまけられ、紫色の血液があふれて、炎によって蒸発させられていく。
赤牙竜の散らばった肉体から、紫の光が再び輝くこともない。
一瞬、世界が静寂に包まれたように思えた。
(やった……?)
信じられなかった。
あの悪夢ような不死身の怪獣が、動かない。
本当に、やったのか……?
僕は、確かめるようにソルティスを見た。
気づいたソルティスは、
「……尊敬していいのよ、ボロ雑巾?」
なんて、疲労しまくった顔に、ニヤリと得意げな笑顔を浮かべている。
本当なんだ……本当に、あの赤牙竜ガドを倒したんだ。
「や、やったぁあ!」
何もしていない癖に、僕は両手を突き上げてしまった。
キルトさんは、しばらく大剣を構えて、その黄金の瞳で睨むように赤牙竜の方を見ていたけれど、やがて、大きく息を吐いた。
「ふむ、仕留めたか」
その背に、大剣を背負い直す。
イルティミナさんも同じように、構えていた白い槍を下げると、
「マール、ソル、大丈夫ですか?」
と、僕らの方へ駆け寄ろうとしてくる。
凄かった。
本当に凄かった。
3人の魔狩人の戦いは、本当に恐ろしいほどに、凄かったんだ。
キルトさんは、その優れた筋力と剣技で接近戦を挑み、イルティミナさんは、中間距離からそのサポートに徹して、ソルティスは、遠距離から大威力の魔法でダメージを与える。
そういう役割分担ができていた。
(これが、この3人の戦い方なんだ……)
そう思った。
でも、それが口で言うほど簡単でないのは、よくわかる。
それだけの高い実力と経験、何よりも連携する仲間との信頼がなければ、成り立たない。
そして、それを成り立たせるほどの彼女たちだからこそ、あの『闇のオーラの赤牙竜ガド』を倒してみせたんだ。
(あぁ……まだドキドキが止まらないよ)
僕は、苦笑しながら、胸を押さえた。
まるで、何かに胸の奥を強く押されているような、そんな感覚が続いている。
「…………」
ん?
僕の中に、嫌な記憶が甦った。
この息苦しい感覚を、僕は知っている。
そうだ……これは、塔の見張り台の上や、『トグルの断崖』で感じたモノと同じような気がして……、
(え?)
ちょっと待って。
僕は慌てながら、倒木の上によじ登る。
炎の残った大地には、赤牙竜の五体が散らばっている。
まだ炎を灯したまま、その巨大な手があり、足があり、背骨や肋骨を覗かせる胴体があって、僕やソルティスのすぐ目の前には、長い片牙の頭も転がっている――その頭部を見た瞬間、息が詰まった。
隣のソルティスが、「はふぅ……」と言いながら、疲れから座り込んだ。
(……嘘だ)
僕は、唾を飲む。
気のせいだ。
こんなの、気のせいだ。
そう思い込みたかった……でも、胸の痛みに近いこの感覚は、『嘘をつくな!』と叫んでいる。
「まだ、ガドが生きてるっ!」
僕は、泣きそうな声で叫んだ。
3人の驚いたような視線が、僕に集まる――その瞬間、ガドの濁った黄色い眼球が、グリッと動いた。
その赤牙竜の生首から、紫色の光が吹き上がり、重力から解放されたように空中に浮かび上がる。
まるで、あの骸骨王のように。
「あ……え?」
ソルティスが、間抜けな声を漏らした。
驚く間もなかった。
赤牙竜ガドの生首は、そのまま、一番近くにいた少女を、座り込んでいるソルティスを喰らおうと、巨大な口蓋を開けて襲いかかる。
あまりに突然で、キルトさんも、イルティミナさんも動けなかった。
ソルティスの真紅の瞳に、巨大な生首が大きく映り込み、その幼い美貌は、絶望に染まって強張った。
「ソルティスっ!」
気づいたら、僕の両手は、彼女を突き飛ばしていた。
ゴッ、バギィイイ
僕の身体は、赤牙竜ガドの生首のどこかにぶつかって、大きく弾き飛ばされた。
「マールっ!」
「ボロ雑巾っ!?」
姉妹の声が、耳の奥で木霊する。
僕は、回転しながら空中を飛び、やがて地面に落ちる。
ドサッ
痛みよりも、衝撃が強かった。
息ができなくて、横になった視界には、こちらに駆け寄る姉妹の姿が映る。
その奥では、キルトさんが雷の大剣を引き抜いて、黒い稲妻のように赤牙竜ガドの生首に肉薄していた。
「鬼剣・雷光斬!」
バチィイイイイン
大上段から振り下ろされた一撃は、狙い違わず、ガドの頭部を破壊する。
頭蓋が割れ、脳漿と血液が飛び散り、弾け飛ぶ。
紫の光は、ゆっくりと消えていく。
(……やった)
胸を押されるような感覚が消えて、僕は、安心した。
「マール、しっかりしなさい! マールっ!」
「ち、ちょっと待って! 今、回復魔法を――」
僕を腕に抱えて、イルティミナさんが泣きそうな声を上げる。
ソルティスは、とても疲れているだろうに、その大杖の魔法石を、また緑色に輝かせ始めた。
あぁ、心配しなくても大丈夫だよ?
だって僕には、魔法のペンダントが――『命の輝石』があるんだから。
そう笑って、伝えたかったのに、
(……ぅ、あ)
足元から広がる闇に吸い込まれるように、僕の意識は、そこでプツッと切れてしまったんだ。