26-026 · City of Medis



 青い空の下、僕らは森を抜けた丘から下って、眼下の街道へと合流する。

「イルティミナさん。僕、そろそろ、降りてもいい?」
「あ、はい」

 初めての街を自分の足で歩きたくなった僕は、そうお願いして、イルティミナさんの腕から降ろされる。

「ここまで、ありがとう、イルティミナさん。本当に助かりました」
「いいえ」

 ペコッと頭を下げてお礼を言うと、彼女は、小さくはにかんでくれた。

 そうして、僕らは街道を歩いていく。

 よく均され、固められた土で造られた街道で、とても広くて、日本の三車線の道路ぐらいの幅があった。
 履いている皮の靴で、パンパンと地面を叩く。

(あぁ、森の中とは違う、ちゃんとした平らな地面だ……) 

 そんな些細なことに、ちょっと感動する。
 馬車が通った跡なのか、やはり轍もあるけれど、自然の生み出す起伏に比べたら、やっぱり大したこともなかった。

 そうして進んでいくと、メディスの街が近づいてくる。

(おぉ……。城壁、思ったより高いね?)

 20メートルはありそうな、丁寧に石を積み重ねた城壁だった。
 石と石の間には、ほとんど隙間もなくて、かなりの精度で積まれている。ふと見れば、城壁の上には、見張りなのか、弓矢を持った兵士たちがウロチョロしているのが、遠目にもわかった。

 そして城壁には、街道と繋がる部分に、巨大な門が設置されていた。

(き、巨人用かな?)

 そう思うぐらい、大きくて、それは今、完全に解放されている。
 門の手前には、多くの馬車が止まっていた。
 中には、二本足の恐竜みたいな生き物が、口に拘束具を填めて馬車に繋がれていたりする。地球にいたダチョウみたいな大きさだけど、その褐色の鱗の肌に、鋭い眼光を放つ瞳と発達した鉤爪のある脚は、やはり『竜』という言葉がよく似合う。

(あぁ、異世界の風景っぽいよぉ)

 思わず、心を震わせ、凝視していると、

「あそこは、商隊などの馬車が、メディス入街の手続きの間、停まっている場所なんです。もう少し行くと、他の街に向かう乗合馬車の乗降場もありますよ?」

 と、隣の美人なイルティミナ先生が教えてくれた。
 そうなんだ。

 馬車の近くには、色んな人たちが集まっていた。
 西洋風の人たちが多いけれど、中には、フカフカした毛に覆われた人々――獣人らしい姿も見られる。

(うわ、うわ……本物だ! 耳、動いてる、尻尾、ウネウネしてるっ)

 猫耳をした女の人もいるし、犬みたいな男の人もいる。
 中には、牛みたいな角を生やして、下半身が四つ足のケンタウロスのような人たちもいた。

 獣の特徴を色濃くする彼ら、もしくは彼女たちは、他の人たちに混じって、大きな木箱を馬車の荷台から下ろしたり、積み上げたりと作業に忙しそうだった。
 見た感じ、他の人たちと比べて、差別されているようには見えない。この世界では、獣人の彼らにも、ちゃんとした人権が認められ、異人種でも公平に扱われる価値観があるみたいだった。

「ほら、あまりジロジロ見てはいけません。失礼ですよ?」
「あ、ごめんなさい」

 あんまり見てたら、美人先生に注意されてしまった。

 そうして、色んな形の馬車たちを、横目に見ながら、僕らはメディスの大門を潜っていく。

 馬車の人たちは、入口詰所の兵士たちに書類を渡したり、何らかの手続きがあるみたいだけど、僕らは関係ないのかな? と思ったら、先頭のキルトさんが、別の詰所で兵士さんと何か話していた。
 単に、手続きの場所が違うだけ見たい。

「ほれ、滞在証じゃ」
「ふむ。しかし、人数は3人となっているが?」
「あの坊主は、迷子のようでな。これも何かの縁じゃ、聖シュリアン教会に連れていく」
「なるほど。ならば、貴公らの冒険者印の確認を――」

 そんな感じで、3分ぐらい。
 待っている間に、他の兵士と、冒険者らしい人たちが同じような話をしているのが、チラホラと見受けられた。 

「待たせたな。――行くぞ」

 ソルティスを抱えたまま、彼女は、前を歩きだす。
 僕とイルティミナさんも、あとに続いて、頭上を覆う巨大な門と城壁を抜けて、奥へと進んでいった――。


  ◇◇◇◇◇◇◇


「う、わぁ……っ!」

 そこに広がる活気溢れる街の風景を見て、僕は、感嘆の声を上げてしまった。

 人だ。
 溢れんばかりの人が、そこには存在した。

(本当に僕は、異世界に……異世界の人たちが暮らしている街に、来たんだ!)

 その実感が身体中を駆け巡り、興奮が抑えられない。

 目の前には、メディスの街の大通りが広がっている。
 メディスの道は、なんと全てが石畳で舗装されているようで、一見、広場みたいな幅の大通りは、遥か前方まで続き、その左右には、街路樹や街灯が整然と並んでいた。そして、そこには、この街の住人らしき人、旅人や冒険者らしい人、商人らしい人、色んな人が、いっぱい、いっぱいいる。

 人間がいる。
 フカフカ、フワフワの獣人もいる。
 そして、耳の長い、端正な顔立ちの人たちも――エ、エルフだ! 本物、本当のエルフさんだぁ!

「うわぁ、うわぁ、ど、どうしよう、どうしよう、イルティミナさん! 僕、本当にエルフさんを、この目で見ちゃったよ~」
「お、落ち着いてください、マール、落ち着いて」

 思わず、彼女の腕に抱きついて、ガクガクと揺すってしまう。
 イルティミナさんは、困った顔で、必死に、僕を宥めようとしてくれていた。

 大通りに面して、左右には、西洋風の建物が並んでいる。
 ここでは、多分、商店が多そうだ。 

 視線を遠くに向ければ、大通りのずっと奥、遥か先の前方には、美しい教会のような建物が見えている。キラキラしていて、真っ白な外壁で、ちょっとしたお城みたいに見えて、とても綺麗だった。

「あれは、聖シュリアン教会です」
「シュリアン?」
「はい。聖シュリアン教は、ここ、シュムリア王国で一番、信仰されている教義です。国教としても、扱われています。そして、このメディスの街は、あの教会を中心にして道を通し、家々が造られているのですよ」
「へぇ~?」

 色々と、知らないことを教えられる。

 通りには、色んな店があって、色んな人がいて、僕の好奇心に満ちた目は、忙しくて仕方がない。
 イルティミナさんは、そんな僕の様子に、優しく瞳を細めている。

「2人とも、観光はあとにして、まずは宿に行くぞ。――早く、ソルを休ませたいのじゃ」

 先に歩くキルトさんが、少し苛立ったように告げる。

(……あ)

 見つめる黄金の瞳に、冷水を浴びせられ、僕は我に返った。
 彼女の腕には、僕のために魔力切れを起こした少女が、今も抱かれている。

「ご、ごめんなさい」
「すみません、キルト。――行きましょう、マール」

 イルティミナさんの白い手に引かれながら、僕らは、キルトさんを追いかけた。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 大通りから、一本脇道に入った先に、キルトさんたちの取っている宿屋はあった。

 三階建ての、意外と立派な建物だ。
 ソルティスを抱えたまま、キルトさんは中に入っていき、僕らも続く。

 宿屋の一階は、椅子やテーブルが並んで、食事もできる酒場みたいになっている。今はそこに、数人ほどの武器や鎧を身にまとった、冒険者らしい男女が座っていた。

 左奥の壁には、大きな木製ボードがあって、そこには十枚ほどの紙が貼りつけられている。
 どうやら、クエストの依頼書のようだ。
 今も、そこに店員らしい太った中年男性が、新たなクエスト依頼の紙を画鋲で貼りつけている最中だった。

(ほわぁ……なんか、冒険者の宿らしい宿だねぇ?)

 ラノベやゲームの知識そのままの光景に、ちょっと驚きと感動があった。

 僕らが店内に入ると、クエスト依頼書を貼りつけていた男性が気づいて、こちらを振り返った。

「いらっしゃい。――おや、キルトさん? おかえりなさい」
「うむ。ただいまじゃ、店主」

 キルトさんは鷹揚に頷き、店員ではなく店主だった男性は、僕らのことを見回して、それから人懐っこく笑った。

「どうやら、無事、探していた仲間の人は、見つかったようですね」
「うむ」
「ご心配をおかけしました」

 隣のイルティミナさんは、静かに頭を下げる。
 店主さんは「いやいや」と手を振って、それから、キルトさんの腕の中の少女を見つけ、少し心配そうな顔をする。

「ソルティスちゃんは、どうかなさったんですか?」
「ただの魔力切れじゃ。問題ない」
「あぁ、そうでしたか。……大変だったようですね。――あとで、魔力回復用に、キュレネ花の蜜をお部屋にお持ちしますよ」
「すまぬな。頼もう」

 店主は、にこやかに笑い、そして最後に、イルティミナさんに手を繋がれた子供――つまり僕を見る。

「で、こちらのお子さんは?」
「森で拾うた」
「私とソルティスの命を救ってくれた、大切な恩人です」
「……はい?」

 店主さん、少し困惑した顔だ。
 僕は、行儀正しく、そんな彼に頭を下げる。

「初めまして、僕は、マールと言います。よろしくお願いします」
「おや? これはこれは、お若いのに、ご丁寧に。――私は、この冒険者の宿『アルセンの美味い飯』を経営しています、アルセン・ポークと言います。どうか、お見知りおきを」

 うん、前世は、日本人だから。
 僕のお辞儀に、アルセンさんは、にこやかな笑顔になった。

 イルティミナさんは、なぜか誇らしげである。
 一方のキルトさんは、そんな仲間に嘆息をこぼし、それから顔を上げて、アルセンさんに話しかける。

「そういうわけだ、店主。しばし、この坊主も宿に泊める」
「おや、左様ですか?」
「追加料金は、支払おう。あとで、わらわたちの部屋に、もう一つ、寝床の用意を頼む」
「かしこまりました」

 頷くアルセンさん。 

 でも僕は、

「あ! 僕、お金、持ってない……」

 今更ながらの事実に気づいて、つい叫んでしまった。
 そんな僕に、アルセンさんとイルティミナさんは、驚いた顔をする。

 でも、僕は、それを気にする余裕もなくて、真っ青になっていた。

(ど、どうしよう……?)

 当たり前のように、キルトさんについて来ちゃったけど、本来、僕は部外者なんだ……その事実を、すっかり忘れていた。 

(今夜は、どこか街外れで、久しぶりに葉っぱ布団かなぁ……)

 なんて、遠い目で思っていたら、

「構わぬ。支払いは、こちらで持つ」
「え?」

 思わず、キルトさんの横顔を凝視してしまった。
 彼女は、僕の顔を見返して、

「坊主には、イルナとソルのことで借りがある。ゆえに、構わぬ」
「で、でも」
「そうですよ、マール? 余計な気遣いは、無用です」

 イルティミナさんは、生真面目な表情で「うんうん」と大きく頷いている。

(でも……本当に、そこまで甘えていいのかな?)

 このままズルズルと自分が堕落しそうで、ちょっと怖かった。

 まだ迷っていると、キルトさんが大きく嘆息する。

「ならば、こうしよう。――赤牙竜ガドの討伐に協力したそなたには、わらわたちから、報酬を支払わねばならぬ。その一部から、今回の宿代を使わせてもらう」
「……協力、したっけ?」
「坊主がおらねば、イルナの居場所は、わからなかった。あそこで間に合わねば、イルナも殺されていたかもしれぬ」
「でも、それ以上に、僕は、イルティミナさんには助けられているし」

 彼女がいなければ、僕は、あの塔と森から出られなかった。

 イルティミナさんが怒ったように、僕の前にしゃがんで、その両肩を掴んだ。

「何を馬鹿なことを! 何の損も得もなく、一番最初に私を助けたのは、マールではありませんか? ……それとも、あの時の貴方は、打算で私を助けたのですか?」
「そんなことないよ? でも――」
「ならば、私たちが今、損得を抜きにして、貴方に助力をして問題ありますまい」
「…………」

 いいのかな? 本当に。
 僕なんかのために……。

「ふむ……確かに、坊主の価値は、イルナよりも低い」
「え?」
「キルトっ!?」
「じゃが、だからこそ、イルナが坊主を助けたことよりも、坊主がイルナを助けたことに価値の差が生まれる。それを支払うだけのことじゃ」

 キルトさんの声は、もはや決定事項だ、と言わんばかりだった。

 ポカンとしていると、アルセンさんが苦笑しながら、太ったお腹をたわませて、僕に目線を合わせてしゃがむ。

「難しく考えない方がいいですよ、マール君? 元来、大人は子供を助けるもの、子供は大人に助けられるものです。素直に甘えて、いいんですよ?」
「…………」
「ね?」

 悩みながらも、その優しい笑顔に、僕は頷いた。

「……じゃあ、お言葉に甘えます。なので、どうか割安料金でお願いできますか?」

 素直に甘えた途端、皆の目が点になった。

 そして、大爆笑が起こった。

 イルティミナさんは目尻に涙をためて、お腹を押さえ、アルセンさんは「こいつは、一本取られた」と、自分の額をペシッと叩く。一階で食事をしていた冒険者たちも、話が聞こえていたらしくて、料理を吹き出し、テーブルをバシバシ叩いて、笑い転げている。

 な、なんで?

「見事な交渉……というべきか? そなたは、将来、大物になるやもしれぬのぉ」
「???」

 キルトさんも、珍しく苦笑しながら、そう言った。

 そうして僕は、本当に割安料金で、冒険者の宿『アルセンの美味い飯』に泊まることが決まったんだ――。