31-031 · Persuasion and negotiation



 階段を下りた僕らを待っていたのは、思いもよらぬ光景だった。

(え? 何、これ?)

 まず目に入ったのは、1階の酒場にある木製テーブルが1つ、ひっくり返っている姿だ。
 そばには、椅子が2つも倒れ、その近くには、木製のジョッキが転がって、中身の液体を床に広げている。

 そして、その惨状の中心にいるのは、あの2人――イルティミナさんとキルトさんだった。

(え? ちょっと2人とも何やってるのっ!?)

 驚くことに、あのイルティミナさんが、なぜか怒りの表情で、キルトさんのシャツの襟を締め上げるように掴んでいた。

「キルト……っ、貴方は、自分が何を言ったか、わかっているのですかっ? そのような話、私は到底、受け入れられません!」
「頭を冷やせ、イルナ。そなたも、本当は、わかっているはずじゃ」

 キルトさんは、抵抗もせず、その黄金の瞳で、ただ目前の仲間の怒りを見つめている。

 え、えぇ!?

(もしかして、あの2人、喧嘩してるっ?)

 思わず、隣のソルティスを見る。
 でも、彼女も2人の喧嘩を初めて見たのか、ただ驚きの表情で、今の2人には声をかけることもできない様子だった。

 酒場にいた他の冒険者の人たちは、すでに2人の魔狩人たちの暴風圏から離れた場所にいた。
 こういう荒事には慣れているようで、静観している人、無視している人、酒の肴にして楽しんでいる人などなど、反応は様々だ。
 でも、喧嘩を止めようという人は、1人もいない。

(まぁ……そうじゃなかったら、アルセンさんが僕らを呼びに来ないよね?)

 そのアルセンさんは、「あぁ……」とひっくり返ったテーブルなどの惨状に、嘆きの声をこぼしている。

「わかるわけがないでしょう!」

 ブォン

 怒りの声と共に、イルティミナさんが大きく腕を振って、キルトさんを投げ飛ばした。

(うわ、危ないっ!?)

 けれど、キルトさんは空中で猫のように回転して、近くのテーブルの上に着地する。
 その場でゆっくりと立ち上がり、黄金の瞳で、静かにイルティミナさんを見つめ返した。
 その紅い唇から、低く、決して譲らぬ声が漏れる。

「ならば、わかるまで何度でも告げよう。――あの坊主は、このメディスの街に置いていく。ここで、お別れじゃ」

 …………。
 え?

(あの坊主……って、僕だよね?)

 その意味が浸透した瞬間、胸の中の何かが凍りついた。

「キルト……っ!」

 イルティミナさんが、白い歯をむき出しにして、怒りの表情を見せる。
 その手にあった白い槍が反応して、翼飾りがカチャカチャと羽根を広げていく。

 それを見た瞬間、たまらずにソルティスが叫んだ。

「イルナ姉! キルト! ちょっとやめてよ! さっきから、何やってるのっ!?」

 必死の叫びに、2人はハッとこちらを見た。

 そこには、呆然と立ち尽くす僕の姿もあって――イルティミナさんの白い美貌が、一瞬で強張った。白い槍の翼飾りは、ガチンと閉じる。

「あ、ち、違う……違うのです、マール。今の話は、何かの間違いで……っ」
「何も違わぬ」

 鉄の声が、彼女の言い訳を断ち切った。

 キルトさんは、テーブルの上から降りると、硬い表情で、僕へと言う。

「マール。そなたには、このメディスに残ってもらう。これ以上、わらわたちと共にあることはできぬ」
「…………」
「キルト、貴方はまだ……っ!」

 イルティミナさんの怒りの声は、なぜか遠く聞こえた。

 僕は、目を閉じる。

(あぁ……そっか)

 そうだった。
 あまりに優しい時間だったから、僕はついつい、自分の立場を忘れてしまっていたんだ。

(馬鹿だなぁ、僕は……)

 自嘲しながら、深呼吸する。

 うん、大丈夫。
 こんな心の痛みなんて、問題ない。僕は、大丈夫なんだ。

 言い聞かせ、思い込ませる。

 そして、まぶたを開けた。

「…………」

 僕はその場にしゃがんで、ひっくり返ったテーブルに手をかけた。重かったけれど、ドスンと音がして、なんとか元に戻すことができた。
 次は、椅子。
 倒れたそれを起こして、テーブルに並べていく。

「マ、マール……?」

 思いがけない僕の行動に、イルティミナさんが不安そうな声を出す。
 キルトさんも、何も言わずに、それを見ている。

 コン コン

 転がっていた木製のジョッキを、テーブルに置いた。中身は、全部、床に呑ませてしまったみたいだけれど、これはもうどうしようもないよね?

 僕は「ふぅ」と息を吐いて、アルセンさんや、他の冒険者の人たちを振り返る。

「ごめんなさい、お騒がせをしました」

 ペコッと、頭を下げる。
 冒険者の人たちは、目を丸くして、互いの顔を見合わせる。アルセンさんは、「マール君……」と痛ましげな顔をした。

 ソルティスは、なんとも言えない表情で、僕を見ていた。

 僕は、困ったように笑って、そして、あの2人を振り返る。 

「イルティミナさん、キルトさん、事情はなんとなくわかりました。でも、この話の続きは、僕たちの部屋でしよう?」 
「マール……」
「そうじゃな。そうしよう」

 イルティミナさんは恥じ入るように顔を伏せ、キルトさんは、生真面目な表情で頷いた。
 僕も、できる限り笑って、2人に頷いたんだ。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 部屋に戻った僕らは、それぞれの場所に、自分たちの腰を落ち着けた。

 キルトさんは、机に備えられていた、この部屋で一つだけの椅子へ。

 僕は、自分のベッドの上へ。

 イルティミナさんは、当たり前のように僕の隣に座って、僕の手を握ってきた。その指からは、絶対に離さないという意思が伝わってくる。

(ありがとう、イルティミナさん……)

 その優しさは、いつも僕の心を温かくしてくれる。

 そしてソルティスは、どちらの味方もできないためか、姉とキルトさんと同じだけ離れた位置の、自分のベッドへと座った。

 重苦しい沈黙が、室内には落ちている。

(ん……やっぱり、元凶の僕から、言いださないと駄目だよね?)

 大きく深呼吸して、僕は、会話の口火を開いた。

「キルトさん」
「うむ?」
「さっき、イルティミナさんにした話を、僕にも教えてもらえますか?」

 ギュッ

 痛い。
 イルティミナさんの指に、急に強い力が加わった。

 ――でも、それは嬉しい痛みだ。

 それに力づけられるから、僕は、目を逸らさずにキルトさんを見ることができる。

 キルトさんの黄金の瞳は、ジッと僕を見つめる。
 そして、大きく頷いた。

「わらわは、話す相手の順番を、間違えたかもしれぬな」
「え?」
「いや、なんでもない。――イルナに話した内容は、先ほど、そなたも聞いた話と変わらぬ。『マールは、メディスの街に置いていく』――それだけじゃ」

 ズキッと胸が痛んだ。

 一度、深呼吸して、心を整える。

 その時、イルティミナさんが、キルトさんに対して、何かを言おうとした。

 ギュッ

 僕は、繋いだ手を強く握り返した。
 驚いたように、彼女は僕を見る。
 そして彼女は、吐き出しかけていた言葉を、無理に喉の奥へと戻してくれる。

(ごめんなさい。ありがとう、イルティミナさん)

 僕は、キルトさんに、できる限り落ち着かせた声で訊ねた。

「理由を聞いても?」 
「無論じゃ。その権利が、そなたにはある」

 頷いて、彼女は言った。

「そして、理由は単純じゃ。――そなたが、わらわたちと共にあれば、誰かが死ぬ」
「……誰かが、死ぬ?」

 意味が分からない。
 納得できぬ僕に、彼女は、銀の髪を揺らして、前屈みになった。黄金の視線が、近くから僕の瞳を射抜く。

「わらわたちは、魔狩人じゃ。そして、そなたは、ただの子供であろう?」
「…………」
「魔狩人の仕事は、魔物を殺すことじゃ。じゃが、それは、わらわたち自身も、魔物に殺される危険を背負った上でのことなのじゃ。そこに、足手まといとなる『ただの子供』を同行させる余裕はない」

 イルティミナさんが、反射的に口を挟んだ。

「マールは、私とソルティスの命を助けました! 足手まといではありません!」
「そこは、大いに感謝しておる。――じゃが、それはたまたまじゃ。違うか?」

 キルトさんの声は、僕に向いている。

 ……わかってる。
 イルティミナさんが何を言おうと、僕自身が、一番わかっているから誤魔化せない。

 キルトさんは、そこまで承知なのだ。

「……その通りです」
「運の強さは、褒められるべきものじゃ。じゃが、頼るには足りぬ。この先も共にあれば、どうなるか、わかるの?」
「…………」
「そうじゃ。弱いそなたは、死ぬ。或いは、そなたを庇って、わらわたちの誰かが死ぬ。……すぐではないかもしれぬ。しかし、いつか必ずその時は訪れよう? その約束された不幸を、わらわは、こやつらのリーダーとして看過はできぬ」
「…………」
「無論、仲間の恩人である、そなた自身の命も、案じてのことじゃ」

 鉄のように硬いのに、その声は、妙に温かい。
 きっとこの人は、本当に強くて優しい人なのだろう。だからこそ、その正しさは、とても厳しいのだ。 

 うなだれる僕を見て、イルティミナさんが焦ったように声をあげた。

「私は、納得できません!」
「そうか?」
「私は、約束をしたのです。マールは、私の命を救ってくれた。ならば、その恩を絶対に忘れない、決して一人にはしないと!」
「ふむ、ならばどうする?」
「ど、どう……?」

 突然言われて、イルティミナさんは戸惑った。

「わらわたちは、赤牙竜ガドの討伐を報告しに、王都ムーリアまで行かねばならぬ。まさか王都まで連れていく気か?」
「当然です」
「ならば、その先は?」
「それは、ずっと一緒に……」
「魔物を殺す戦場に、この幼い坊主を、毎回、連れていくのか?」
「……い、いえ。……それなら、私の自宅に」
「留守番させるか? 1年のほとんどを、旅暮らしとなる魔狩人のそなたの家で? それが、そなたのいう約束を果たすことになるのか?」
「…………」
「仮にそうしたとして、そなたが魔物に殺されたら、残されたマールはどうなる? まさか、今回、死にかけたというそなたが、『私は、絶対に死なない』などと言い出しはすまいな?」

 イルティミナさんは、何も言えなくなってしまった。

 納得はしていない。
 でも、感情がついていかないだけで、きっと理解はしてるのだ。

 ――キルトさんは、正しいと。

 キルトさんは、僕を見る。

「そなたの身は、メディスの聖シュリアン教会に預けるつもりじゃ。そなたには恩があるゆえ、その分の寄付もしよう。無碍には扱われぬはずじゃ。無論、そなた自身にも幾ばくかの金銭を渡してやる。……俗な話ですまぬがの」
「いえ……」

 僕を安心させる、とても優しい声だった。

 ずっと黙っているソルティスは、何かを言いたそうな気配もあったけれど、やっぱり何も口にはしなかった。
 うん、彼女はそれでいいと思う。

「たまには、わらわたちもメディスに顔を出そう。何も、今生の別れではないのじゃ。のぅ?」
「はい……そうですね」

 僕は……頷いた。

 イルティミナさんが驚いたように僕を見る。
 僕の手を握る力は、痛くて堪らない……でも、キルトさんは、あまりに正しかった。

「すまぬな」

 物わかりが良い僕に、キルトさんは安心したように、でも、申し訳なさそうに謝った。

「いいえ」

 僕は、笑って、首を横に振った。

 だって――僕は、そんなに物わかりが良くなかったから。

「話の内容はわかりました。――でも、僕は、聖シュリアン教会のお世話になる気はありません」
「……何?」

 キルトさんの美貌が、固まった。

 イルティミナさんが、「マ、マール?」と真紅の瞳を丸くする。
 ソルティスも、意外そうな顔で僕を見つめる。

 少し怖い声で、キルトさんが問いただしてくる。

「それは、どういう意味じゃ? わらわたちに、無理矢理にでも、ついて行くということか?」
「ううん」

 僕は首を振った。

「キルトさんたちと別れるのは、承知です。でも、そのあと僕は、1人でも勝手に王都に行く」
「……は?」

 キルトさんの呆けた顔は、ちょっと見物だった。

(なんだか、可愛いかも)

 小さく笑ってしまう。

「マ、マール? それはいったい、どういうことです?」
「いや、言葉通りだよ」

 そう隣のイルティミナさんに答えて、僕は、ソルティスを見る。

「だって、ソルティスが教えてくれたから」
「へ? 私?」

 キルトさんとイルティミナさんの視線が、彼女に向く。
 傍観者の立場にいるつもりだった彼女は、突然、矢面に立たされて、焦った顔だ。

 僕は頷いた。

「うん。王都に行ったら、タナトスの魔法文字とか、魔法陣のこととか、調べられるんでしょ?」
「そ、それは……うん、できるわよ?」
「じゃあ、僕は行くよ、王都に」

 いや、違うな。
 自分の小さくなった手のひらを、ジッと見つめる。

「というか、自分のためにも、絶対に王都に行かないと駄目なんだ。例え、1人になっても」

 ギュッと握って、断言した。

 イルティミナさんと別れるのは辛いし、悲しいし、きっと泣くだろう。でも、それでも僕は、知らなければいけないんだ。

 神魔戦争のことも、タナトスのことも、マールの肉体のことも、石の台座のことも、悪魔のことも――全部、そう全部だ。

(そのために僕は、この世界に転生させられたんだろう?)

 見えない運命の手に、僕は問う。

 そして、そんな僕の宣言に、彼女たちは呆然としてしまっていた。

 やがて、キルトさんが額を押さえて、

「待て、マール」
「ん?」
「今の発言は、本気か?」

 うん。

「キルトさんたちとは関係なく、僕は王都に行くつもり。それは、絶対だよ?」
「…………」
「マール、それはなぜ?」

 イルティミナさんも聞いてくる。

「ん~?」

 どうしてと言われても、自分はともかく、他人を納得させるような上手い説明は、できない気がする。

「強いて言うなら、僕は、失った記憶を取り戻したいんだ。それを探す手がかりが、王都にあるから」
「……記憶、ですか」
「ふむ」

 イルティミナさんは、困ったように呟き、キルトさんは難しい顔で、あごに手を当てる。

 僕は、姿勢を正して、キルトさんに向き直った。

「なので、キルトさん。1つだけお願いがあるんだけど……」
「む? なんじゃ?」
「王都まで行くにもお金が必要だし、もしよかったら、これを買い取ってもらえないかな?」

 僕は、シャツの下から、青い魔法石のペンダント――『命の輝石』を引きずり出した。

 イルティミナさんが「それはっ」と焦ったように言い、キルトさんとソルティスが、怪訝そうに、僕の手元を覗き込む。

 次の瞬間、気づいたソルティスが、座っていたベッドからガバッと跳ねて、僕の手に飛びついた。

「ちょっ……これ、『命の輝石』じゃないっ!?」
「何っ!?」

 キルトさんの黄金の瞳も、丸くなる。
 ソルティスの小さな手のひらが向けられると、魔法石の青い文字が反応して、フォンフォンと強い光を放つ。

「間違いないわ……本物よ……」

 彼女は、力なく、その場にへたり込んだ。

 キルトさんが、怒ったように僕を見る。

「……マール? そなた、これをどこで?」
「いや、えっと……僕の暮らしてた塔にあったものだけど?」

 あれ?

「イルティミナさん、話してないの? イルティミナさんにも、これを使った話とか」
「すみません。詳細までは、まだ……」

 イルティミナさん、申し訳なさそうな顔だ。

 キルトさんが、「待て待て待て!」と慌てたように言う。

「ちょっと待て! まさかと思うが、イルナ? そなた、命を救われたというのは、この『命の輝石』を使われたということかっ!?」
「それではありませんが……」

 言いながら、彼女も自分の首から、魔法石が灰色になった『命の輝石』を取り出す。

「あ、まだ持ってたんだ?」
「えぇ、マールに助けられた証ですからね」

 驚く僕に、彼女は、うっとりと灰色の宝石を見ながら言う。

 キルトさんは、大きな間違いに気づいたような顔で、口元を押さえている。
 ソルティスは、「それちょうだい!」と姉に飛びつき、「駄目ですよ」と手刀でベシンと叩き落される。

 ……何、この反応?

 天を仰ぎ、それから、キルトさんは僕を見る。

「すまぬ、マール」
「え?」
「わらわは、の。イルナの命を救ったという話は、単に『癒しの霊水』で、深手を癒された程度の話と思っておった。じゃが、違ったのじゃな? イルナは本当に、落とした命を、そなたに拾い上げられたのじゃな?」

 いや、僕じゃなくて、命の輝石がなんだけど……。

 僕の沈黙を、彼女は『肯定』と受け取ったようだ。

「そうか……。それでは、割に合わぬな」
「えっと、キルトさん?」
「すまぬな、マール。これは買い取れぬ。……というか、これは値段がつけられぬ品なのじゃ」
「え?」

 どういうこと?
 唖然とする僕の手から、パッと青い魔法石を取り上げたソルティスが、うっとりしたようにそれを眺めて言う。

「あのね、ボロ雑巾? この『命の輝石』って、市場で取り引きされてないの」
「え? なんで?」
「価値があり過ぎるのじゃ」

 そう言って、キルトさんは銀髪を揺らして、ため息をつく。

「これは本来、各国の王家しか持っておらぬ、古代の宝物(ほうもつ)なのじゃ」
「王家の宝物……?」
「うむ。王家の者が、暗殺から逃れるため、あるいは、生まれた幼い後継ぎが病で旅立たぬため、その身代わりの命として身に着けるのが、これじゃ。一般の者が目にする機会は、まずないし、わらわも、この生涯で見るのは2度目じゃ。それも前は、使用済みの物じゃったがの」
「私なんて、どっちも初めてよぉ?」

 うっとりソルティスは、眼鏡の奥で、その紅い瞳を細めている。
 でも、キルトさんは難しい顔をして、

「毎年、多額の報酬の依頼を受けて、何百、あるいは千人以上の冒険者が、古代の遺跡に送り込まれ、そして命を散らす。このたった1つの『命の輝石』を見つけるために、どれほどの犠牲が払われているか」
「…………」
「わかるか、マール? 『命の輝石』とは、それほどの宝物なのじゃよ」

 ごめんなさい……あまりに大きな話すぎて、実感がないです。

(え? だって、これ、最初は3つもあったんだよ?)

 転生した僕は、実は、最初からとんでもないお宝を手にしていたようだ……。

 と、イルティミナさんが妹の手から、ヒョイと『命の輝石』を取り上げる。
「あ~っ!」と悲鳴をあげる妹を無視して、彼女は、それを手ずから僕の首にかけ直してくれた。

「マールは、それほどの宝を、一介の魔狩人でしかない私のために使ってくれたんです」
「……そ、そうだったんだ」

 知らなかった。
 でも、だからこそ、イルティミナさんは、命を助けられたことに大袈裟なほど感謝してくれて、ずっと僕に良くしてくれてたんだ。

「もし、その価値を知っていたら、私のために使いませんでしたか?」
「え?」

 まるで心を読んだように、聞いてくる。
 僕は、想像してみた。

 もし僕が、その価値を知っていて、目の前に死にそうなイルティミナさんがいたら……? 

 当たり前だけど、答えはすぐに出た。

「使うよ、絶対に」
「…………。フフッ、そうですか」

 イルティミナさんは、瞳を伏せて、嬉しそうに微笑んだ。
 繋いでいる彼女の手が、なんだか、とても熱くなった気がする。……気のせいかな? 

 そんなことを思っていると、キルトさんが、パンッと自分の膝を叩いた。

「あい、わかった」
「?」
「マール、そなたのことは、わらわたちが王都まで連れていく」
「……え?」

 なんで急に?
 と、ソルティスもその手を大きくシュバッと上げて、

「賛成っ! 私も、もう少しボロ雑巾から、詳しい話を聞きたいわ。あと、使われてない『命の輝石』なんて、滅多にお目にかかれないもの! 色々と調べたいっ!」
「えっと……本当にいいの?」
「仕方あるまい。仲間が『命の輝石』で救われた……その対価を、どう支払えばいいのか、正直、わらわも見当がつかぬ」
「いや……別に、対価なんていらないんだけど」

 というか、僕の方こそ、イルティミナさんに助けられっぱなしで、どうお礼をすればいいのか、わからないぐらいだったんだ。

「もし欲しいなら、命の輝石、タダであげてもいいし」
「阿呆っ」

 ゴツッ

 イテッ?
 キルトさんの拳骨が、脳天に落ちた。
 イルティミナさんが、慌てて、「だ、大丈夫ですか、マール?」と叩かれた部分を撫でてくれる。
 い、いや、大丈夫。

 そして涙目で見上げる僕を、キルトさんはジッと見つめ、やがて困ったように嘆息した。

「年齢の割に、頭の回転も良い。度胸もある。……じゃが、人の良さが致命的か?」
「…………」
「まぁ、良い。イルナではないが、育て甲斐のありそうな子であろう。――先払いの報酬は受け取っておるのじゃ。まずは王都までの護衛の依頼、このキルト・アマンデスの名において承る。よろしく頼むぞ、マール?」

 ズイッと僕の前に、手が差し出される。

 僕はポカンとしながら、それを見つめ、それから、キルトさんを見上げた。

 その黄金に煌めく瞳に、今までに何度か見た、あの悲しげな光はなかった。ただ力強く、頼もしい輝きだけが満ちている。
 まるで、みんなを照らす太陽みたいな笑顔だった。

(あはは……この人、本当に凄い人だね?)

 僕は、彼女の手を握る。

 こうして僕、マールは、この3人の美しい冒険者たちと一緒に、王都ムーリアまで旅立つことが決定したのである――。