35-035 Departure to the royal capital



 日付が変わる頃、僕は、キルトさんと一緒に、酒場から3階の部屋へと戻ってきた。

「マール」
「ん?」

 部屋に入ったところで、彼女に呼ばれる。

 窓からの月光に照らされながら、キルトさんは、僕を振り返って、

「明日の朝、王都に発つからの」

 と、唐突に言った。

 え……?

(王都へ……明日の朝!?)

 急展開に唖然となる。
 そんな僕の前で、キルトさんは、「ふぁ~あ」と大きな欠伸を一つ。
 それから、豊かな銀髪を手でかいて、

「依頼には、期日もある。イルナの遭難で、日数がかかったからの。――明日の朝も早いゆえ、今宵は、しっかりと寝るんじゃぞ」

 そう笑うと、自分のベッドに横になった。

 すぐに、規則正しい寝息が聞こえてくる。ね、寝つきいいね……お酒のせいかな?

 あっさりしたキルトさんに、呆然としながら、僕も、自分のベッドに横になった。

(明日……かぁ)

 まさか、こんな急になるとは思わなかった。
 でも、いつかは行くつもりだった。それが、明日になっただけのことなんだ。

(うん、それだけだよね)

 布団の中で、そう自分に言い聞かせる。

 でも、今夜は、興奮して眠れないかもしれない……なんて、不安に思ったけれど、前に、イルティミナさんに言われたことを思い出して、『眠れないなら、それでいいや』と開き直ってみる。
 うん、少しだけ心が軽くなった気がした。

(布団、柔らかいなぁ)

 まるで雲に包まれているみたいだ。
 そうして、まぶたを閉じていると、不思議と眠くなってきた。

(よし、僕は明日、王都へ行くぞ)

 心の中で決意して、いつの間にか、眠りの世界に落ちていく。

 ――そうして僕は、旅立ちの朝を迎えた。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 カチャカチャ ガチャリ

(ん……?)

 金属のこすれる音で、僕は目を覚ました。

 重い身体をベッドの上に起こして、まぶたを開ける。そうして見えてきたのは、まだ薄暗い部屋の中で、旅立ちの準備をしている3人の姿だった。

「あら、ようやく起きたの、ボロ雑巾?」
「…………」

 振り返ったソルティスが、呆れたように声をかけてくる。

 でも、その格好は、もう眼鏡少女ではない。
 あの夜の森で見たのと同じ、皮鎧に、身長よりも長い大杖を手にした『冒険者』としての姿だった。
 そのギャップに、ちょっとドキッとしてしまう。

 彼女の奥には、自分たちの鎧を着こんでいるキルトさんとイルティミナさんの姿もある。

「ふむ、起きたか」
「おはようございます、マール」

 2人の笑顔が向けられる。

 彼女たちの近くの壁には、あの雷の大剣や白い槍が立てかけられている。床には、赤牙竜の牙の積まれた大型リュックと、サンドバッグみたいな大きな皮袋があった。皮袋は、多分、キルトさんの荷物だろう。
 すでに旅立ちの準備は、万端といった感じだった。

(そっか。今日、王都に行くんだったね)

 窓から見える空は、まだ白い。
 本当に、太陽が東の空に顔を覗かせただけの早朝の時間だった。

 コツッ

(イテッ?)

 大杖の先端が、僕の額を叩いていた。

「ほら、ボーっとしてないで、ボロ雑巾も準備する!」
「あ、うん」

 ソルティスに怒られて、僕は、慌ててベッドから飛び降りた。

 とはいえ、僕の準備なんて、イルティミナさんに買ってもらった旅服に着替えるだけである。
 でも、旅慣れた3人に比べると、僕の格好は、まだ『着せられている感』が強いかな?

(その内、しっくりしてくると思うけど……)

 そんなことを思っていると、イルティミナさんが近づいてきた。
 僕の前に、膝をついて、

「ここ、少し曲がっていますよ?」

 その白い手が、襟元を直してくれる。

「あ、ありがと」
「いいえ。――フフッ、とてもよく似合っていますよ、マール」

 優しく、甘い微笑みで褒めてくれる。

 その笑顔を見て、ふと思った。 

(イルティミナさん……少し、雰囲気、変わった?)

 どこが? と言われると、返事に困るんだけど、表情がすっきりしたように明るく見えた。あの夜の告白で、心境に何か変化があったのかな?

 その優しい微笑みは、より美しく澄んでいて、

(なんだか、もっと綺麗になったよね?)

 ちょっと見惚れてしまう。

「? マール?」
「あ、ううん。なんでもない」

 キョトンとする彼女に、我に返った僕は、慌てて、誤魔化し笑いを浮かべた。

 そんな僕らに向けて、キルトさんの声が言う。

「マールの準備も終わったか? ならば、そろそろ発つとしよう」
「あ、うん」
「はい」

 僕らは頷き、イルティミナさんも立ち上がる。

 キルトさんは、赤い布に包まれた大剣を背負い、大きな皮袋の紐を肩に担いで、持ち上げる。ソルティスが「ほい、イルナ姉」と白い槍を姉に投げ、イルティミナさんは片手でそれを受け止める。そして、彼女も大型リュックを背負った。

 一同を見回して、

「では、行くぞ」 

 キルトさんの声が告げると、彼女は、先頭に立って歩きだした。
 ソルティスが、それに続く。
 そして、イルティミナさんの左手が僕の右手を、いつものように握って、

「行きましょう、マール」
「うん」

 僕らは笑い合い、2人のあとを追いかけて、部屋を出た。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 早朝だからか、1階の酒場には、他の冒険者の姿は1人もなかった。

 でも、1人だけ、冒険者ではない人物の姿もあったんだ。そのふっくらした体格は、一目でわかる。

(アルセンさん?)

 そう、宿屋の店主アルセン・ポークさんだ。

 階段を下りてくる僕らを見つけて、彼は、穏やかに声をかけてくる。

「ご出立ですね、皆さん」
「アルセンさん、こんな朝早くに、どうしたの?」

 僕が聞くと、彼はニコッと笑う。

「おはよう、マール君。――いえ、皆さんのお見送りをさせていただこうかと」

 えぇ?

「そのために、早起きしてくれたの?」
「朝食の仕込みもありますから、この時間には、いつも起きているんですよ」

 そうなの?
 驚く僕の代わりに、キルトさんがお礼を言った。

「わざわざ、すまんな、店主。滞在中も、色々と世話になった」
「いえいえ、こちらこそ、大したお構いもできませんで。――またメディスによることがあれば、ぜひ、ウチの宿をご利用ください」
「もちろんよ。私、ここの料理、気に入ったもの!」

 ソルティスが、元気よく請け合う。
 うん、それは僕も賛成。

 アルセンさんは、嬉しそうに笑う。

 と、そんな彼の前に、イルティミナさんが進み出て、頭を下げた。

「昨日は、すみませんでした」

 酒場で暴れた件だろう。
 でも、アルセンさんは、穏やかに首を横に振る。

「いいえ。貴方にとって、それだけマール君が大切だったのでしょう?」
「…………」
「大切な人を思う気持ちは、私もわかるつもりです。何、あの時は慌ててしまいましたが、こういう店を経営していれば、荒事の一つや二つは、あるものですよ? どうか、もうお気になさらずに」

 そして彼は、僕とイルティミナさんを見つめて、

「お2人がいつまでも一緒にいられるよう、女神シュリアン様に、私も祈っておきますよ」
「アルセンさん……」
「…………」

 イルティミナさんは、美しい髪を肩からこぼして、深く、深く頭を下げる。
 僕だって、その隣で、頭を下げた。

 人の良い店主は、僕らの姿に、ちょっと困ったように笑っていた。

 ――そうして僕らは、宿を出た。

 通りを歩き始めて、ふと振り返る。
 宿の前まで出てきたアルセンさんが、手を振ってくれていた。僕も、大きく手を振り返す。

(いい店主さんだったなぁ)

 僕が、異世界で初めて泊まった宿屋――冒険者の宿『アルセンの美味い飯』。
 この宿と名前のことを、僕は、ずっと忘れないだろう。

 早朝の空を見上げて、僕は、そんなことを思いながら、青い瞳を細めていた。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 早朝のメディス大通りは、昼間とは違って、観光客の姿はまばらだった。

 代わりに、大通りに並んだ店の前には、商品を運んできた馬車や竜車が何台も停まっていて、積み荷を抱えた人たちが、店と荷車の間を何往復もしている。

(なんか働いてる人、獣人さんが多い気がする)

 きっと彼らの方が、人間より力持ちだから、こういう仕事で雇われるのかな?
 他にも、露店の人たちが、店を組み立てたり、開店準備をしたりと大忙しだ。

 僕らは、その人たちを横目に、城壁にある大門の方へと、大通りの中を歩いていく。

(このまま門を出て、街道を歩いていくのかな?)

 そんな風に思っていると、

「もう少し行くと、乗合馬車の乗降場があります」

 まるで心を読んだように、隣を歩くイルティミナさんが教えてくれた。

「乗合馬車の乗降場?」
「はい。そこから王都ムーリアまで、馬車が出ているんですよ。私たちも、それを利用するつもりです」

 馬車なんだ?

(うわっ、前世も含めて、馬車に乗るのは初めてかも!)

 ちょっとワクワクする。
 僕の様子に、イルティミナさんは優しく笑った。

「王都までは、3日で到着の予定です。遅くとも、5日はかかりません」
「ふんふん?」
「夜は、途中の村に停留して、宿に泊まることになります。とはいえ、メディスのような立派な宿ではありませんので、あまり期待はしないでくださいね」

 あ、それは大丈夫。

「僕、『葉っぱ布団』で平気な子だよ?」
「フフッ、そうでしたね」

 思い出したのか、彼女は苦笑する。

 そうして会話をしながら歩いていくと、やがて、城壁の近くに、円形の大きな広場が見えてきた。

 そこには、何十台という馬車たちが、整然と停まっている。
 小さい物は、2人乗りの馬車から、大きい物は、20人ぐらい乗れそうな竜車まで、色や形、大きさもそれぞれだ。

(まるで前世のタクシー乗り場や、バス乗り場みたいだね?)

 僕ら4人は、その乗降場へと入っていく。

 多くの馬車や竜車がある中で、キルトさんが声をかけたのは、6人乗りの竜車の御者さんだった。『4人なのに、なんで6人乗り?』と思ったけど、考えたら、こっちには大型リュックや皮袋という荷物があった。きっと、その辺も考慮しての6人乗りなんだろう。

 そして、その客車を引く竜は、3メートルぐらいの四足竜だ。

(うわ、おっきいな)

 一見すると、巨大なトカゲみたいだ。

 全身が、灰色の鱗で覆われている。
 鋭い牙の生えた口には、金属製の拘束具が填められていて、四肢の先からは、鋭い爪が生えている。

(……ちょっと生臭いね?)

 でも、強靭そうな肉体からは、『竜』らしい強い生命力を感じる。

 御者さんは、2人いた。
 年配の男の人と、まだ若そうな男の人だ。多分、旅の間、交代で竜を操るんだろう。

(竜さん? これから3日間、よろしくね?)

 心の中で声をかけ、僕は、灰色竜のクリッとした目を覗き込む。

「おい、坊主! 不用意に、竜に近づくな! 危ないぞ!」

 若い御者さんが、大声で警告する。

(え、危ないの?)

 思った瞬間、イルティミナさんの白い手が僕の襟をつかんで、グイッと後ろに引いた。

 ブォン

 顔の前を、灰色の長い尾が通り抜ける。

「…………」

 硬直する僕に、イルティミナさんが困ったように笑って、教えてくれる。

「マール? 竜車の竜は、口輪をしていますが、あの爪でやられたり、尻尾で殴られる事故はたまにあるんです。しつけられてはいますが、相手は『竜』です。ペットとは違いますから、気をつけてくださいね」
「馬鹿ねぇ、ボロ雑巾?」

 ソルティスにも、呆れた顔をされてしまった。
 僕は、魂が抜けたような顔で、コクンと頷くしかなかった……。

 さて、そんな僕の情けない一幕の間、キルトさんは、年配の御者さんとずっと話していた。

 どうやら、料金についてらしい。
 竜車の料金は、人数ではなく、重量で決まるみたいだ。僕らは、かなり重い荷物なので、相当の金額になるらしく、支払いの際、キルトさんの手には、銀色の1千リド硬貨が何枚か見えていた。うわぁ……。

 やがて、話を終えて、キルトさんが戻ってくる。

「待たせたな。出発は、20分後に決まった」

 20分後?
 不思議そうな僕に、キルトさんは教えてくれる。

「他にも、王都に向かう馬車や竜車がある。それらと共に行くためじゃ。その方が馬車ギルドとしても、護衛の人数を少なくできるし、料金も安くなる」

 あ、そうなんだ。

「それまで、各々、トイレなどは済ませておけ。あとは、好きにして構わぬ」
「うん」
「わかりました」
「了解よ」
「ただし、出発の5分前には、ここに戻れよ? ――よし、では、自由にしろ」

 キルトさん、引率の先生みたい。

(でも初めての団体行動だから、僕には、ありがたいかな)

 心の中で、感謝する。

 まぁ何はともあれ、そうして僕らは、15分ほどの自由時間を手に入れたんだ。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 広場の公衆トイレで用を足すと、もうやることがなくなった。

(ま、のんびり待つかな?)

 気楽に構えて、僕は、乗降場に作られたベンチに腰かける。

「あら、ボロ雑巾?」

 すると、ちょうど同じタイミングで、ソルティスもそこに座った。その手には、近くの露店で買ったらしい揚げ菓子の袋がある。
 さすが、食いしん坊少女。

「やぁ、ソルティス」
「アンタも、ここで出発まで待つ気?」
「うん」
「ふ~ん? ま、15分じゃ、できることなんてないもんね」

 ヒョイ パクッ ムグムグ……

 彼女は、そう言うと、サーターアンダギーみたいな揚げ菓子を、1つ、口の中に放り込む。

(美味しそうに食べるなぁ)

 見惚れていると、彼女が、こちらを見た。

「食べたいなら、1つあげようか?」
「え? いいの?」

 ちょっとびっくり。
 彼女は、独占するタイプかと思ってた。

「いいわよ。その分、あとで塔での話、色々と聞かせてよね?」

 あ、そういうこと。
 笑っている彼女に、納得する。

「うん、わかった。――じゃあ、1つもらうね?」
「どーぞ」

 というわけで、1つもらう。

 モグモグ

「美味い」
「でしょ?」

 ソルティスは、なぜか嬉しそうだ。
 そうして彼女は、また揚げ菓子を摘まんで、自分の口の中に放り込んでいく。

 なんだか穏やかな時間だった。

 僕は、ふと視線を巡らせて、他の2人の冒険者の様子を見る。

 イルティミナさんは、御者さん2人を手伝って、あの大型リュックを竜車の荷台に載せているところだった。かなり重量があるので、御者さんたちだけに任せては、大変だと思ったのだろう。

(うんうん、イルティミナさん、優しいよね?)

 ちなみに、僕も手伝おうとしたら、「マールには無理ですよ?」と、笑顔で断られました。しくしく。

 そして、もう1人のキルトさん。
 彼女は、今、10人ぐらいの冒険者の人に囲まれていた。

 最高ランク『金印』の魔狩人キルト・アマンデスだと気づかれて、彼らに声をかけられてしまったんだ。

 でも彼女は、嫌な顔一つせず、声をかけてくる1人1人に丁寧に応対している。お酒の邪魔をしなければ、昨夜のように、冷たくあしらわれることもないらしい。そして、その方が、色々と情報収集にもなるのだと、さっきイルティミナさんに教わった。

(だけど、10人も相手にするのは、大変そうだね)

 と、そんな僕の視線に、ソルティスが気づいて、

「ま、仕方ないわよ。キルトは、『金印』だもん」

 と、笑った。 

 うん……。
 それにしても、『金印』かぁ。

(そういえば、前にイルティミナさんは、ドワーフおじさんに、自分を『銀印』の冒険者だって言っていたっけ)

「ねぇ、ソルティス? 冒険者のランクって、いくつあるの?」
「ん? 5つよ」

 砂糖にまみれた指を舐め、彼女は、それを一つずつ折り曲げる。

「上から、金、銀、白、青、赤ね」

 あれ?

「それって、リド硬貨と同じ色?」
「そうそう」

 ソルティスは、大きく頷く。

(なるほど、わかりやすいね)

『ふむふむ』と学習する僕に、彼女は、ちょっと呆れた顔をする。

「ボロ雑巾ってさ。本っ当~に、世間知らずなのね?」
「……面目ない」

 ズバッと言われて、ちょっと落ち込む。

「でも、面目ないついでに、もう1つ……じゃあ、ソルティスは何印なの?」
「ん? 『白印』よ」

 そう言って、彼女は右手の甲を、こちらに向ける。

 ポウッ

 そこに白い光を放つ、魔法の紋章が浮かび上がった。

(え……?)

「な、何それ!?」
「だから、『冒険者印』よ。冒険者ギルドに登録すると、こういう魔法の紋章が与えられるの。まぁ、冒険者の身分証みたいなものよ」

 へ~、格好いい!

 白い光が消え、魔法の紋章も消えると、あとには白い肌だけが残る。

「ランクが上がると、光の色も変わるわ」
「そうなんだ。じゃあ、ソルティスは、次に、銀の光になるんだね?」
「そうね」

 頷いて、彼女は肩を竦める。

「でも、きっと、ずいぶん先よ? 私が『白印』になったのも、先月の話だし」
「そうなの?」
「ま、自分で言うのもなんだけど、冒険者としてまだ3年で、しかも13歳で『白印』の私は、かなり早い方だもの。――うん、尊敬していいのよ、ボロ雑巾?」

 と、ソルティスは、からかうように笑った。

 あはは。
 でも、彼女はやっぱり優秀だったんだね。

 僕に色々と教えてくれたソルティスは、また揚げ菓子を、美味しそうに口に放り込む。

(う~ん、僕からも、何かお礼をしたいな) 

 僕は少し考えて、首にかけていた魔法石のペンダント――ただし、灰色になった魔法石の方を、取り出した。

「ソルティス、これあげる」
「え?」

 突然、首にかけられて、彼女は、キョトンとする。

 灰色の魔法石を、砂糖まみれの手で摘まんで、怪訝そうに見つめる。すぐに、その正体に気づいて、真紅の瞳がギョッと見開かれた。

「ちょ……アンタ、これ!? 命の……っ!?」

 うん、でも使用済みだけどね?

「前に、僕が死んだ時に、使っちゃった奴なんだ。もう魔法の力はないんだけど、研究資料とかにならないかな?」
「なるなる! え……でも、いいの?」
「うん」

 僕が持ってても、役に立たないし、むしろ、ソルティスなら活用してくれそうだ。

(それに、もう1つ、使ってない方も、僕にはあるんだしね)

 僕は、人差し指を口に当てた。

「他の人には、内緒だよ?」
「わ、わかったわ」

 コクコクと頷いて、そしてソルティスは、不思議そうに僕を見る。

「ボロ雑巾ってさ……もしかして、すっごくいい人?」
「さぁ?」

 僕は、苦笑する。

 彼女は、そんな僕の顔と、手にある灰色の魔法石を、交互に見比べる。
 そして、笑った。

「ありがと、マール! 私、すっごく嬉しいわ」

 …………。
 弾けるような、輝く笑顔だった。

(ちょっと反則だ……)

 ソルティスって、幼いけど、凄く美人なんだ。
 それが無防備に笑って、しかも、突然の名前呼び――恥ずかしながら、僕は正直、ドキドキしてしまった。

 でも彼女は、そんな僕のことは、もう眼中になくて、今は、手の中にある灰色の魔法石を太陽に透かしたり、うっとり夢中で眺めている。

「あら、2人とも楽しそうですね? どうかしたのですか?」

 そこに、荷積みが終わったイルティミナさんが、やって来た。

 ソルティスは、慌てて、灰色の魔法石をシャツの下に隠し、僕は、そんな彼女を背中に隠して、イルティミナさんに笑いかける。

「あ、うん。えっと、ソルティスが僕に、お菓子を分けてくれたんだ。美味しかったよ」
「まぁ、それは珍しいですね?」
「あはは。――イルティミナさんも、荷積み、お疲れ様。大変だったでしょ?」
「フフッ、大丈夫ですよ。心配してくれてありがとう、マール」

 イルティミナさんは微笑み、そして、竜車の方を見る。

「そろそろ、出発ですね」
「うん」
「今回は、私たちの竜車も含めて、3台で王都を目指すことになりそうです。それと護衛の冒険者も、5名つくそうですよ?」
「そうなんだ」

 ソルティスが、軽く肩を竦める。

「別に、私らには護衛、要らないけどね~」

 まぁ、3人とも強いもんね。

 イルティミナさんは、妹に苦笑する。

「他の馬車には、一般人もいますから。無事な旅には、大事なことですよ?」
「はいはい」

 そんな風に話していると、今度はキルトさんが戻ってきた。

「ふむ。皆、集まっているな?」
「うん」
「はい」
「もちろん」

 答える3人を見て、彼女は、大きく頷く。

「よし。では、皆、竜車に乗れ。王都に向けて出発するぞ」

 言われて、僕らは立ち上がる。
 ソルティスは、残った揚げ菓子をザラザラと、全部、口の中に流し込んで、強引に咀嚼する。膨らんだほっぺは、まるでリスみたいだ。

 僕とイルティミナさんは、苦笑する。

 でも、キルトさんは、笑いもせず――というか、ソルティスの様子に気づいてもいなくて、ただ、これから僕らが向かう大門の方を見ていた。

(?)

「キルトさん、どうかした?」
「あ、いや……」

 珍しく歯切れが悪い。
 彼女は、短く息を吐いて、

「先ほど話していた他の冒険者から、少し気になる噂を聞いての」
「噂?」

 聞き返す僕の顔を、キルトさんは見つめる。

 そして、小さく笑うと、誤魔化すように僕の頭をクシャクシャと撫でた。わっ?

「いや、なんでもない。――もはや、出発の時間じゃ。まずは、竜車に乗り込むぞ」
「……う、うん」

 乱れ髪を手で押さえる僕の前で、キルトさんは、竜車の中に入っていく。

 残された3人は、顔を見合わせる。
 もちろん答えは、出てこない。

「とにかく、行きましょう」

 イルティミナさんに促されて、僕らも、竜車の中に乗り込んだ。

 ガラン ガラン

 乗降場にある鐘の音が響き渡って、僕らを乗せた竜車は動きだし、他の2台の馬車と共に、ここメディスの街を出発していった――。