45-045, night of magic fire



 人喰鬼(オーガ)が倒されたことで、シャクラさんたちと戦っていた野盗たちも、降伏し始めた。

 次々と、武器が投げ捨てられる。
 クレイさんの仲間は、手早く、生き残った野盗たちを拘束していく。

 それを横目に、僕は、戻ってきたキルトさんに、笑って話しかけた。

「お疲れ様、キルトさん。――でも、もっと早く、本気を出してくれればいいのに」
「はは、すまんな」

 素直な感想に、キルトさんは苦笑し、クシャクシャと僕の頭を撫でてくる。

「じゃが、相手の底を見極めず、全力を出してはいかん。わらわたちは、魔狩人じゃからの」
「???」

 どういうこと?

「魔狩人の仕事は、魔物を狩ることじゃ。しかし、下手に力を見せれば、魔物は逃げる。仕事は失敗になるのじゃ」
「あ」
「確実に狩るためには、全力を出すタイミングも重要なのじゃよ」

 なるほど、そうなんだね? 
 納得する僕だったけれど、イルティミナさんは苦笑しながら、首を横に振る。

「それは、キルトだけですよ」
「え?」
「もちろん魔物の強さを見抜くのは、とても大事なことです。ですが普通は、魔物を相手に、力を隠しておく余裕などありません。ましてオーガを相手に、出し惜しみなど……少なくとも、私には不可能です。他の誰でも、そうでしょう」
「…………」
「キルトの強さは、少々規格外ですので」

 参考にしてはなりません――と、イルティミナさんは警告する。
 キルトさんは、唇を尖らせて、「……そなた、わらわが傷つかぬと思っているのか?」とか呟いている。

 そんなことをやっていると、クレイさんの様子を見ていたソルティスが、こっちに来た。

「お疲れ、キルト。やったわね」
「うむ。そなたもな」

 彼女たちは、軽く手を打ち合わせる。
 僕は、少女に聞いた。

「クレイさん、どう?」
「まだ寝てるわ。でも、容体は安定してるから大丈夫よ。――それより、そろそろ出発しない? キャンプできるところ、見つけないと」

 そう言って、空を見上げる。

 茜色だった空は、東の方から紫色に変わってきていた。西にある山脈の裏へと、太陽が隠れようとしている。
 もうすぐ夜だ。

「ふむ、そうじゃな」

 キルトさんは頷き、

「イルナ、道を塞ぐ倒木をなんとかするぞ。そなたも付き合え」
「わかりました」

 2人は、野盗の爆破によって、街道に倒された大木の方へと歩いていく。
 それを見送って、ふと僕は、振り返った。

 野盗の生き残りは、たったの5人だった。

 クレイさんの仲間が、彼らを後ろ手に縛って、芋虫のように地面に転がしている。シャクラさんは、意識のないクレイさんを膝枕して、でも腕が繋がったことに泣きながら笑って、その髪を撫でていた。

 3台の車両に隠れていた人たちも、顔を出していた。

 御者さんたちは、ハリネズミのように矢の刺さった竜車や馬車を見つけ、それぞれに呆然としていた。でも、馬や竜たちが無事なことには、嬉しそうな顔を見せ、その首を撫でたりする。

 3人連れの親子は、大泣きする子供を母親が抱きしめ、その2人を父親が抱きしめていた。お父さんもお母さんも、生き残ったことに安心し、その目に涙を滲ませていた。

 巡礼者さんの一団は、互いに抱き合って喜んでいた。でも、竜車の周囲にある野盗たちの死骸を見て、吐いてしまったり、その冥福を願って、祈りを捧げている人たちもいた。

 …………。
 見ている背中を、パンッと叩かれた。

「マールもお疲れ」
「ん」

 ソルティスの笑顔に、僕も、小さく笑い返した。
 そして、長く息を吐く。

 ――茜色の空に始まった旧街道での戦いは、こうして、ようやく終わったんだ。


 ◇◇◇◇◇◇◇


「――オーガの正体が、野盗たちの頭(かしら)だった?」

 思いがけない話に、僕は、竜車の中で唖然とする。

 道を塞いでいた大木は、雷の大剣と白い槍によって破壊され、僕らは再び、旧街道を進んでいた。
 その車内で、僕らは、そんなソルティスの報告を受けたんだ。

 イルティミナさんもキルトさんも、驚いた顔をしている。
 竜車の振動で、車内の照明はユラユラと揺れ、その灯りに妖しく照らされるソルティスは、神妙に頷いた。

「そ。――生き残った野盗たちを訊問して、クレイの仲間が聞きだしたの」

 ちなみにその野盗たちは、出発前に近くの木に縛りつけ、放置されている。
 王都からの騎士団によって捕縛されるか、あるいは、その前に魔物に襲われたり、脱水で亡くなるか、全ては神のみぞ知るである。ただ騎士団に捕縛されても、処刑は免れないらしい。

(ちょっと残酷……かな?)

 でも彼らは、それだけの罪を行った。
 自力で助かる道が、ほんの僅かでも残されているのは、キルトさん曰く『慈悲』なのだそうだ。

 そんな彼らの話を、ソルティスは続けてくれる。

「でもね、連中の話を聞くと、その頭も元々は、普通の人間だったらしいわ」
「それが、どうしてオーガになる?」

 そのオーガを狩った本人が、不可解そうに目を細めた。
 ソルティスは、言った。

「ある日、子供を拾ったらしいの」 

 ガタン

 竜車が、大きく揺れた。
 照明の光が、左右に暴れている。

 その光と影の中で、僕は聞いた。

「子供……?」
「そう。私やマールぐらいの男の子。道端に立っていて、売るために捕まえたんだって。その子、抵抗もしなかったらしいわ」
「…………」
「その夜、頭は、味見だって、寝室に連れ込んだの。でも翌朝、男の子の姿は、どこにもなかった。誰も、寝室から出ていった姿を見てないのに。――そして、その日から頭の全身には、刺青のような、あのタナトスの魔法文字があったんだって」
「……もしかして、それから野盗の頭は、オーガに変身できるようになった?」
「らしいわ」

 僕の予想に、ソルティスは頷く。

 誰かが、ゴクッと唾を飲んだ。
 ひょっとしたら、僕だったかもしれない。

「何者ですか、その子供は?」
「わかんない。名前も聞かなかったらしいわ」

 イルティミナさんの質問に、ソルティスは、小さな肩を竦める。

 でも、僕には心当たりがあった。

(きっと……あの子だ)

 野盗たちと一緒に、崖の上にいた男の子。
 他の誰の目にも見えておらず、けれど、その子は僕を見て、三日月のような口で笑っていた。

 正体はわからない。
 でも、オーガの使った『闇のオーラ』もあって、とても危険な存在に思える。

「ふむ……人を魔物に変える子供、か」
「でも、どうやって?」

 ソルティスは、小さな手でこめかみを押さえる。

「そんな禁忌みたいな魔法、存在するの? 私、見たことも、聞いたこともないわ。まさか、古代タナトス魔法王朝の『失われた魔法』……? でも、その子は、どうやってそれを知ったの? ううん、知ってても、どうしてためらいもなく、そんな恐ろしい魔法を、人に使えるの?」
「…………」
「本当にわかんない」

 魔法を使う少女は、唇を噛みしめる。
 そんな妹の頭を、イルティミナさんは、優しく抱きしめた。

 ――沈黙が、車内に落ちる。

 キルトさんは、黄金の瞳を細め、しばらく思案していた。
 でも、すぐに諦めたように、長く息を吐いて、

「現状では、何もわからんな。――王都に戻ったら、異質なオーガと奇妙な子供の存在について、ギルド長のムンパ・ヴィーナに報告しておく。今は、それしかできん」
「ですね」

 イルティミナさんは、頷いた。

 僕は、窓のカーテンを開ける。
 ガラスが砕けた窓からは、風が吹き込んで、外はもう暗くなっていた。

 車内の照明に反射して、窓枠に残ったガラス片に、僕の顔が映る。

(もしかしたら……僕が狙われたのかな?)

 ふと思った。

 誰にも見えない男の子は、けれど、オーガだった野盗の頭にだけは、見えていたのかもしれない。
 そして、その子に命じられて、頭と野盗たちは、僕らの竜車を襲った?

「…………」

 ガラスに反射する子供の顔は、酷く不安そうだった。

「……マール?」

 イルティミナさんの心配そうな声がした。

 僕は、目を閉じる。
 色々な感情を、心の奥に押し込んで、目を開く。

「ううん、なんでもないよ」

 笑って、僕は、闇の世界を覗かせる窓のカーテンを、シャッと閉めた――。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 紅と白の2つの月が、夜空に昇る。

 暗い夜の移動は、危険だ。
 僕らは、見晴らしの良い道の真ん中に、3台の車両を停めて、キャンプをすることにした。幸いなことに、竜車の座席下には、毛布や非常食など、緊急時のキャンプ道具がしまわれていたんだ。

 パチパチ

 焚き火にくべた薪が、音を立てて爆ぜる。
 その炎のそばで、僕らは、もらった非常食を食べていた。

 ガキガキ

(うぅ……このパン、固いなぁ)

 慎重に食べないと、歯が折れそうだ。

「馬鹿ね、ボロ雑巾。乾燥パンは、お湯に浸してから食べるのよ」

 がんばる僕に気づいて、ソルティスが、呆れたように言う。

 あ、そうなの?
 見れば、イルティミナさんもキルトさんも、焚き火で沸かしたお湯の入ったコップに、パンをつけてから食べていた。
 ……世間知らずな自分が、恥ずかしい。

「パンの風味が、お湯にも溶けて、スープになるわ」
「なるほどね」

 さすが食いしん坊少女。
 言われた通りにすると、パンは、ふやけて食べ易くなった。お湯も、パンにまぶしてあった塩が溶けて、ちょっと美味しい。

 ハフハフ ムグムグ

 夢中で食事をしながら、ふと顔を上げる。

「…………」

 少し離れた場所に、僕らとは別の、もう1つの焚き火があった。

 そこには、大勢の人が集まっている。

 3人の親子、巡礼者さんの一団、御者さんたち、そして、彼らを守るようにクレイさんの仲間たちが、周りに立っている。
 僕ら以外の全員が、そこで食事をしていた。

 ――僕らは、敬遠されていた。

 もっとはっきり言うと、怖がられていた。

 ソルティスの恐ろしい魔法を、イルティミナさんの野盗を全滅させる姿を、キルトさんのオーガを狩り殺した姿を、全員が、それぞれの窓から目撃してしまったんだ。

(……みんなを助けるために、がんばったのに)

 だから、それだけで敬遠するなら、僕は、彼らを怒っただろう。

 でも、彼らは違った。
 自分たちを救ってくれた3人に、感謝を持っていた。

 それでも、自分たちでもどうにもならない本能の部分で、恐怖を覚えてしまっていたんだ。

「ありがとう」と感謝しながら、けれど、近づかれると、勝手に身体が震えだす。

 彼らは、自己嫌悪に苦しみ、葛藤していた。
 みんなのその表情を見て、3人は、自分たちから距離を取ったんだ。

(……悔しい)

 ただ、それだけだ。
 歯痒くて、悲しくて、どうにもできない自分が、とにかく悔しい。

 思わず、食事の手が止まり、僕はうつむいていた。

 気づいた3人が、顔を見合わせる。

「気にするな、マール」
「そうよ、ボロ雑巾。こんなの、よくあることよ?」
「えぇ。それに貴方は、そばにいてくれる。――それだけで、私たちの心は救われています」

 みんな、優しかった。
 僕は顔を上げ、今の会話で、ちょっと不安になったことを聞いた。

「よくあるの? こういう理不尽なこと……冒険者をしていると?」
「…………」
「…………」

 美人姉妹は、言葉を詰まらせ、キルトさんは「ふむ」と呟く。

 パチン

 焚き火が爆ぜ、散った火の粉が、夜空へと舞い上がる。

 その輝きの向こうで、キルトさんの黄金の瞳が僕を見つめ、そして、静かに口を開いた。

「マールには、もう話しておいた方が、良いかもしれぬな」
「…………」

 なんのこと?
 キョトンとする僕とは対照的に、イルティミナさんの美貌が、少し強張った。ソルティスは、小さく肩を竦める。

「ま、いいんじゃない?」
「そう、ですね」

 2人は頷き、キルトさんはそれを見届け、また僕を見る。
 なぜか僕は、姿勢を正した。

「マール。これから話すのは、わらわたち自身のことじゃ」
「はい」
「そなたも、オーガの言葉は聞こえていたであろう? ゆえに、察しているかもしれぬが、改めて、わらわの口から伝えよう」
「…………」

 一呼吸、間を置いた。
 それは、僕に覚悟をする時間をくれたのだろう。

 そして、彼女は言った。

「――我らは、人々から『魔血の民』と呼ばれておる。そして『魔血の民』とは、その身に、太古の悪魔の血を宿した『悪魔の子孫』のことじゃ」

 …………。
 驚きは、なかった。

(予想はしてたし、むしろ、彼女たちの強さに納得したかな?)

 ただ『悪魔』という単語に反応して、『マールの肉体』は、少しざわついた。

 ――でも、それだけだ。

 僕の青い瞳にある『落ち着き』を見つけて、キルトさんは、話を続ける。

「今より400年前、神魔戦争の時代、悪魔たちに捕らえられ、孕まされた人々がいた。その者どもの子孫が、わらわたちになる」
「…………」
「同じ『魔血の民』の中でも個体差はあるが、特徴としては、普通の人間に比べて、血中に蓄えられる魔力量が多い。そして、身体能力に優れている。違いは、この2点のみじゃ」

 僕は、頷いた。
 キルトさんは、その黄金の瞳を、かすかに伏せる。

「しかし人々は、悪魔を恐れ、憎むように、その血を宿す我ら『魔血の民』を恐れ、憎むのじゃ。この400年、差別と迫害は、長く続いておった」
「…………」
「今より30年ほど前、神皇国アルンとシュムリア王国の共同声明で、『魔血の民』の人権がようやく認められた。差別をやめるような風潮が広まり始めたのじゃ。しかし、人の意識は、簡単には変わらぬ。表立った迫害はなくなったが、いまだ差別は存在しておる」

 彼女は、大きく息を吐いた。

 やっぱりキルトさんも、多くの差別を経験したのだろうか?

 と――キルトさんの視線が、黙ったままの姉妹に向く。  

「この2人の故郷は、その迫害によって焼かれた」
「……え?」
「そこは、一部の『魔血の民』が住まう隠れ里であった。しかし『悪魔狩り』と称して、正義を謳う人々によって滅ぼされた」

 あ……。
 メディスでの夜、イルティミナさんは、自分たちの村を襲った集団を、『人狩り』と表現した。

 ――その違いに秘められた彼女の感情に、ようやく気づく。

(なんてことだ……)

 僕の胸は、痛くて張り裂けそうになる。

「わらわたちは、確かに『悪魔の子孫』じゃ。しかし、心は、人と変わらぬ」
「…………」
「時代と共に、悪魔の血も薄れた。まして、血に目覚めねば、大した能力もない。人々がどう考えようと、それが今の『魔血の民』の実情じゃ」

 キルトさんは、皮肉そうに笑う。

 そして彼女の黄金の瞳は、真っ直ぐに僕を見た。
 イルティミナさんとソルティスも、真紅の瞳で、僕を強く見つめてくる。

 イルティミナさんの組み合わされた白い指は、力が入り過ぎて、手の甲に血を滲ませている。

 3人の視線は、そのまま、僕の心に突き刺さるようだった。

「わかったか、マール?」
「…………」
「そなたと共にある女たちは、『悪魔の子孫』なのじゃ。この先も、わらわたちに関われば、今と同じような目に……いや、それ以上の辛い目にも、必ず遭おう。――これからも、わらわたちといるには、その覚悟が必要なのじゃ」

 そしてキルトさんの指は、人々の集まる焚き火を示した。

「今ならば、そなたは、戻れる」
「…………」
「それは当たり前の選択じゃ。理解できるし、軽蔑なども断じてせぬ。そなたには感謝があるのみじゃ。イルティミナの命を救った恩は、この先も返していこう。――ゆえに、その心を見つめ、正直に答えて欲しい」

 彼女は、短く息を吸い、聞いた。

「マール。それでも、そなたは、わらわたちと共にあるのか?」

 僕は、目を閉じる。

(…………)

 でも、いくら心に問いかけても、答えは1つだった。

 もしかしたら、想像力が足りないのかもしれない。
 キルトさんの言っている意味を、正しく理解していないのかもしれない。
 だって僕は、迫害されたことがないから。

 だけど、迷いはない。

 僕は、ゆっくりと目を開ける。
 3人の姿を見つめて、ただ正直に思ったことを口にした。

「――僕はこれからも、みんなと一緒にいたい」

 キルトさんは、目を伏せて、どこか安心したように笑った。

「そうか」

 ソルティスが自分の固いパンを、一生懸命に千切った。
 大きい方と小さい方に分かれ、ちょっと悩んでから、大きい方を僕の胸に、ドンッと押しつける。

「あげるわ」

 顔を伏せているから、前髪で表情がわからない。
 僕は、黙って、パンを受け取る。

「マール……」

 名前を呼ばれて、振り返る。
 イルティミナさんが、泣き笑いの顔で、僕を見ていた。

 なぜか僕も、泣きたくなった。

「…………」
「…………」

 白い手が、僕の頭を引き寄せる。そして、声もなく、僕らは抱きしめ合った。

 パチパチン

 焚き火の薪が、爆ぜた。 

 今までで一番大きな火の粉が、夜空へと舞い上がり、その幻想的な輝きは、僕ら4人のことを儚く、そして優しく照らしていた。