51-051 Marl and her sister's new life 1



 街灯に照らされる夜の道を、イルティミナさんに手を引かれながら、僕は歩いていく。
 僕らの少し先では、

「……ったく、なんで、ボロ雑巾と一緒に暮らさなきゃいけないのよ?」

 ブツブツと文句を垂らす紫髪の少女がいる。

 いや、気持ちはわかるよ。
 僕は、隣にいる美しい冒険者さんを見上げる。

「あの、本当にいいの?」
「もちろんですよ。マールのことは、一生、私が面倒見てあげます。だから、何も心配しなくていいですからね?」

 真紅の瞳を細め、優しく笑うイルティミナさん。

 い、一生って……。

 大袈裟な彼女に、ちょっと驚き、少し照れる。

 ちなみに、キルトさんは、ここにいない。
 彼女は今、冒険者ギルド『月光の風』のレストランで、1人だけ取り損ねていた夕食を食べている。きっと、そのまま酒盛りタイムに突入する気だろう。そして今夜からは、ギルドの宿泊施設に泊まるって、言っていた。

 なので僕らは3人だけで、夜の王都ムーリアを歩いていく。

 石畳の道を、何本もの街灯が照らしている。
 夜の闇と街灯の光の中を、僕らは何度も潜り抜けていく。王都の中心部から遠ざかっているようで、周囲から人気は、段々となくなっていた。

(1人で歩いたら、ちょっと怖いかな?)

 湖から流れる水路の橋を、2回ほど渡り、緩い坂道を登る。
 建物も少なく、この辺は、少し閑散としている。

 と――先を歩くソルティスの足が、1軒の家の前で止まった。

「ここ?」
「はい」

 頷くイルティミナさん。
 そこは、小さな庭のある2階建ての家だった。

(うん、普通の家だね?)

『銀印の魔狩人』の自宅といっても、別に豪邸ってわけでもないみたいだ。

 2人と一緒に、敷地内に入る。
 ソルティスが「ただいま~」と言いながら、玄関の鍵を開けていた。

 その間、ちょっと庭を見る。
 うん、雑草が凄い。
 しばらく、家に帰ってなかったのかな?

 真っ暗な玄関に、ソルティスは入っていき、トトトッと軽い足音だけを響かせながら、家の中の灯りを点けていく。
 夜に慣れた僕の目には、少し眩しかった。

「さぁ、マール」
「ん……お邪魔します」

 促されて、ちょっと緊張しながら、僕はイルティミナさんたちの自宅に入ってみる。

(お~?)

 入ってすぐは、リビングになっていた。
 3つほど、他の部屋に通じる扉があって、右側に階段がある。

 室内は、とても整頓されているように見えた。
 でも、すぐに気づく。

(なんか、家財道具が少ない気がする……?)

 テーブルや椅子など、必要最低限の品があるだけだ。
 そして、なんだか生活感に乏しかった。まるでモデルルームみたいだ。

 僕は、玄関から、更に中に入ってみる。

(靴のままで、いいんだよね?)

 前世が日本人なので、西洋風のスタイルには、まだちょっと慣れない。
 そして、1歩目でポフッと埃が舞った。

(おぉ?)

 うん、ちょっとびっくり。
 イルティミナさんは、申し訳なさそうに言う。

「すみません。クエストが重なって、1月ほど家を空けていたものですから」
「そうなんだ?」

 魔狩人って、やっぱり大変なんだ。

 ソルティスは、テテテッと走りながら家中の窓を開けていき、室内の空気を換気している。
 涼やかな夜の風が、肌を撫でて、ちょっと気持ちがいい。

 空気が落ち着いたところで、イルティミナさんに家の中を案内される。

「1階には、リビングや台所、トイレやお風呂などがあります。奥には、私たちの部屋もありますね」
「ふんふん?」
「2階は、客間です。今は、ただの物置になっていますが……明日、片づけて、マールの部屋にしようと思っています。なので今夜は、すみませんが、私の部屋で寝てくださいね?」
「…………」

 なぜだろう?
 一緒に眠ったこともあるのに、『同じ部屋で』と言われると、ドキッとしてしまう。

「ソル。私たちは、もう部屋に行きますね」
「はいよー」

 窓辺で風を浴びていたソルティスは、こちらを振り返った。

「今回のクエストもお疲れ様でした、ソル。あとの戸締りを頼みます」
「わかってるわ、任せて。――おやすみ、イルナ姉。ついでに、ボロ雑巾もね?」
「おやすみ、ソルティス。また明日ね」

 小さな手を振る少女に見送られながら、僕らは、廊下の奥へと進んだ。
 その突き当り右の扉を、イルティミナさんは開ける。

(ここが……イルティミナさんの部屋?) 

 ベッド以外、何もなかった。
 ポカンとする僕の横を抜けて、彼女は、窓を開け、部屋の隅に荷物を下ろす。白い槍は、壁の金具にかけて、ベッドに腰かけると鎧の留め具を外していく。

「何もなくて、驚いたでしょう?」
「う、うん」

 僕は、正直に頷く。
 イルティミナさんは、苦笑しながら教えてくれた。

「ここは、私にとっては、ただ身体を休めるためだけの場所なんです」
「…………」
「特に、自分が子供が産めないことを知ってから、自棄になっていたのもあります。いつ死んでもいいように、荷物は処分してしまったんですよ」

 鎧を脱ぐと、彼女は手招きした。
 近づくと、彼女は、僕の旅服の上着に触れて、手ずからそれを脱がしてくれる。

「でも、もう死にたくはありません」
「…………」
「フフッ……マールのためにも、私も、もう少し女らしくしないといけませんね?」

 そう笑う。
 そうやって笑ってくれることが、僕も嬉しかった。 

(僕の存在も、少しは、イルティミナさんの役に立ってるんだ……)

 知らない世界に、たった1人で放り出された僕にとって、彼女は、本当に闇の世界にある光だった。

 その僕の光であるお姉さんは、

「マール……」

 ギュッ

 僕を抱きしめ、そのままベッドに横になった。

 ちょっと埃っぽい室内で、でも、イルティミナさんの優しい匂いと温もりは、変わらない。 
 その柔らかな胸の谷間に挟まれて、僕は、まぶたを閉じる。

「……これからも、一緒にいてくださいね、マール?」
「……うん」

 嬉しそうな笑い声が、鼓膜をくすぐる。

 そうして、お互いの温もりを感じながら、王都ムーリアでの初めての夜は過ぎていった――。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 翌朝、目を覚ますと、ベッドの上にイルティミナさんの姿がなかった。

(……うん、このパターンにも慣れたよ)

 慌てない、慌てない。
 身体を起こして、僕は、伸びをしながら欠伸を1つ。

 窓からは、朝日が差し込み、チュンチュンという小鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。一晩、換気したので、空気も爽やかだ。

 そして、そこに食欲をそそる香ばしい匂いが、どこからか流れてくる。

「いい匂い……」

 成長期の空腹を抱えた僕は、その匂いに誘われて、イルティミナさんの部屋を出た。

 フラフラと辿り着いたのは、リビングだった。
 そのテーブルに、目玉焼きのベーコンエッグやコーンスープ、焼かれたパンが広げられている。おぉ、美味しそう!

 完全に、目が覚めた。
 その耳に、

「あら、起きたのですね? おはようございます、マール」

 柔らかな、耳通りの良い声。

 振り返った先に、白シャツと黒いスラックス姿のイルティミナさんがいた。
 美しい森のような色の髪は、うなじの辺りで紐でまとめられ、首からは白いエプロンがかけられている。たおやかな両手は、サラダのお皿を器用に3つ持っている。

 ――キャリアウーマンの美しい若奥様。

 頭の中に、そんな単語が浮かぶ。

 思わず見惚れる僕に、その若奥様は、柔らかく微笑みかけてくれた。

「フフッ、よかった。たった今、起こしに行こうと思っていたのですよ?」
「そ、そうなんだ」
「もうすぐ、朝食の準備も終わります。……ですが、まだソルが起きてこなくて。すみませんが、マール。あの子を、起こしてきてもらえませんか?」
「うん、いいよ」
「ありがとう、マール。お願いしますね?」

 嬉しそうにはにかむイルティミナさん。
 うん。
 この人、本当に美人だよ。

(眼福、眼福……)

 先に心の栄養をもらった僕は、ソルティスの部屋は、イルティミナさんの向かいの部屋だというので、今来た廊下を戻っていった。

 やがて、少女の部屋に、辿り着く。 

 コンコン

 僕は、扉をノックする。
 ……けど、反応がない。

「ソルティスー?」

 長旅から帰ったばかりだから、疲れて寝込んでるのかな?

 首をかしげながら、ドアノブを握る。

 カチャ……   

 開いた。
 鍵は、かかってなかったみたい。

 少し迷ったけど、空腹に負けた僕は、それを押し開ける。

「入るよ、ソルティスー?」

 暗い室内に、僕は足を踏み入れる。

 ゴツッ

(イタッ?)

 爪先が、何かにぶつかった。
 拾い上げると、それは辞典みたいな分厚い本だった。
 アルバック共通語で書かれているタイトルは、『たいきちゅうのまそのけっちゅうまりょくへのこうりつてきへんかんほう』とある……えっと『大気中の魔素の血中魔力への効率的変換法』かな?

 うん、どっちにしても難しいタイトルだ。
 それを、跨いで中に入り、

「うわぁぁ……」

 僕は、室内の光景に唖然となった。

 本だ。
 大量の本が、室内を埋め尽くしている。

 壁には、天井まで届く本棚が2つ並び、その全てに隙間なく本の背表紙が詰まっている。床にも足の踏み場もないほど、数えきれない本が積み上げられ、崩れてしまった本の山もあった。中には、古そうな巻物なんかも転がっている。机の上には、たくさんのメモが残った紙が何枚も散らばり、横には、付箋の貼られた本たちが積まれていた。

『古代タナトス魔法の失われた魔法式』
『魔欠症候群の治療法』
『セイゲル博士の上級魔法』
『アルバック大陸の歴史における疑問と考察』
『神魔戦争の真実』
『ドル大陸・7つ国との貿易文化論』

 などなど……本のタイトルは難しいものばかりで、とても13歳の少女が読むとは思えない。

(これが、ソルティスの努力の結晶……知識の源なんだ?)

 その凄まじさに、圧倒される。

「……う、にゅう?」

 と、奥から奇妙な声がした。
 本の海原の中に漂流したようなベッドがあった。その上に、軟体動物のように伸びている物体が見える。

(いたいた) 

 僕は、本の隙間に足を置きながら、ベッドに近づき、その肩を揺する。

「おはよー、ソルティス。もう朝だよ?」
「んん……?」

 寝癖の残った紫色の髪をこぼして、彼女は、のっそりと身体を起こす。

「うにゃ……マール?」
「うん」

 寝ぼけた瞳が、笑う僕を見つける。
 その時、彼女にかかっていた毛布が、パサッと床に落ちた。

(……あ)

 少女の上半身は、Tシャツを着ていた。
 でも、少女の下半身は、シンプルな水色のショーツ1枚だけだった。

 幼くも白い太ももが、目に眩しい。

 寝ぼけた真紅の瞳が、僕の視線を追いかける。
 それがゆっくりと開いていき、そこに理解の光が灯っていく。

 次の瞬間、

「うにゃああああああああああっ!」

 真っ赤になった少女の凄まじい悲鳴が、この家中に響き渡った――。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 頬に小さな紅葉を作った僕は、姉妹と一緒に、イルティミナさんの手作り朝食を食べ始める。

「……許さん、ボロ雑巾……いつか絶対、ズタボロ雑巾にしてやるわ……」
「…………」

 テーブルの対面に座る少女は、今も涙目で僕を睨んでいる。

 お、恐ろしい……。

 怒れるソルティスは、それでも食いしん坊少女らしく、僕らの3倍の量の朝食をバクバクと平らげていく。
 と、そのフォークが、こちらのお皿に向いた。

 ザシュッ ヒョイ パクッ

(うあ!?)

 ぼ、僕のベーコンエッグが、一瞬で取られた!

「モグモグ……何よ?」
「…………。いや、何も?」

 凄まじい眼力に、文句を飲み込む。

 うぅ、しょうがないか。
 今朝は僕も悪かったし、今後の友好的生活のためにも、今は我慢しよう……しくしく。

 イルティミナさんは、僕らの様子に苦笑して、

「マール」
「ん?」

 自分のお皿のベーコンエッグを半分、僕のお皿に移動させた。え?
 驚く僕に、彼女は優しく笑う。

「もしよかったら、どうぞ?」
「……いいの?」
「はい。ソルを起こすよう、マールに頼んだのは私ですから」

 イ、イルティミナさ~ん!

 さすがのソルティスも、姉の分までは奪えないようだ。フォークを悔しそうに咥えて、僕を睨むしかない。

 僕は、人生で一番美味しいベーコンエッグを頂く。
 あぁ、幸せ……。

 そうして朝食を進めていくと、イルティミナさんが食事の手を止めて、僕らに言った。

「さて、今日の予定なのですが、このあと、私は買い物に出ようと思います」
「買い物?」
「はい」

 頷き、彼女はテーブルの料理を見る。

「今朝は、保存食を利用して作りましたが、しばらく留守にしていたこの家には、もう食材がありません。買ってこなければ、お昼も食べれなくなります」
「あ、そうなんだ?」
「大変だわ! 買い出しは最優先ね!」

 こういう時のソルティスは、とっても真剣な顔になる。
 そして、イルティミナさんは、僕を見た。

「マールは、私のその買い物に付き合ってください」
「あ、うん」
「これから王都で暮らすなら、マールも、少しは街のことを覚えておいた方がいいでしょう。今日は、色々と案内してあげます」

 そっか。
 まずは、街のことを知らないとね。

 彼女の気遣いに、感謝する。

「ありがとう、イルティミナさん。よろしくお願いします」
「いいえ」

 大人の笑みで応じるイルティミナさん。
 ソルティスは、自分を指差す。

「私は留守番?」
「はい。それともう1つ、2階の物置部屋から荷物を移動させて、マールの部屋を作っておいてください」
「はぁ!? この私が、ボロ雑巾の部屋を!?」

 ソルティス、愕然だ。
 そんな妹に、イルティミナさんは、大きく頷いて、

「当然です。そもそも、物置の荷物は全て、貴方の私物でしょう? ……嫌なら、ソルだけお昼抜きにしますが」
「……ぬぐぐっ」

 ……ソルティス、どうして僕を睨むの?

(さすがに、これは僕のせいじゃないよ……)

 やがて彼女は、血涙をこぼしそうな顔で「……わかったわ」と答え、それに美人の姉は満足そうに頷いた。

「帰ったら、私たちも手伝います。それと今日中に、家の大掃除も終わらせてしまいましょうね」
「うん」
「ちぇ~」

 僕は頷き、ソルティスは唇を尖らせながら、両手を頭の後ろで組んだ。
 イルティミナさんは、そんな僕らを優しく見つめ、それから、中断していた食事を再開する。

 上品に食べながら、

「フフッ、これから毎日、忙しくなりそうですね」

 と、ちょっと楽しそうに呟いた。