60-060, 5 days of training



 ――それから、僕の修行の日々が始まった。

 午前中は、ソルティスの部屋にいる。

 紙の匂いのする本だらけの部屋で、僕は、呼吸を整えながら、右手に意識を集中する。
 赤い魔法の紋章を輝かせるために、自分の魔力を集めていく。

(ゆっくりと……お湯が流れる感じで)

 ソルティスは、机に頬杖をついたまま、眼鏡の奥の真紅の瞳で、僕のことを見守っている。

 昨日は、10回に1回は成功した。
 今日は、もっと成功する回数を増やしたい。

 でも……、

(なんか、お湯が集まらないね?)

 指の隙間から、こぼれていく感じだ。
 5分ぐらい粘ったけど、どうにもならなくて、僕は、額に汗を光らせながら、大きく息を吐いた。

「駄目だぁ、集まらないよ」
「はぁ」

 眼鏡少女も、ため息だ。
 僕は、申し訳なさそうに彼女を見る。

「ごめん。またお願いしていい?」
「しょーがないわね」

 言いながら、ソルティスの2つの小さな手が、僕の両手を掴む。
 途端、手のひらが熱くなる。

(あ、この感じだ!)

 顔を近づけ、呼吸を合わせると、身体を流れる魔力が、より鮮明に感じられる。
 こぼすな、こぼすな。

 ポゥ

 右手の甲に、真っ赤な冒険者印が輝いた。

「やった!」

 喜びに、僕は笑う。
 そんな僕を見つめて、それからソルティスは、自分たちの繋いだ手を見る。そして、少し悩んだように聞いてくる。

「アンタさぁ、わざと失敗してないわよね?」
「え? なんで?」
「な、なんでって……」

 キョトンと見返すと、ソルティスは、なぜか言い淀んだ。
 そっぽを向いて、

「なんでもないわよ、ボロ雑巾!」
「わっ!?」

 勢いよく手を離された。
 ……なんか、ソルティスの頬、ちょっと赤い気がする。気のせいかな?

 そうして僕は、魔力のコントロールを練習する。
 やがて、今日の練習はもう終わりという頃に、ふと思った僕は、右手を赤く輝かせながら、ちょっと聞いてみた。

「そういえば、イルティミナさんやキルトさんも、魔法って使えるの?」
「ん?」

 本を読んでいたソルティスは、顔を上げる。

「そうね。初級魔法なら、使えるはずよ」
「……初級だけ?」

 2人とも、凄そうなのに。
 表情に出ていたのか、彼女は笑った。

「あの2人はね、タナトス魔法よりも、自分の魔法具に魔力を使う魔法戦士タイプだからね」

 魔法具って……、

「あの白い槍や、雷の大剣のこと?」
「そ。ああいう魔法の武器は、契約者の魔力を使って、内蔵された魔法が発動するようになってるのよ。タナトス魔法を使うよりも、簡単に発動できるしね」
「ふぅん?」
「もちろん、タナトス魔法の方が、色んなことができるわよ?」

 魔法使いの少女は、そう言って、

「でも、タナトス魔法は、高位になればなるほど、発動が難しくなるのよね」
「そうなんだ?」
「そうよ。……ちょっと早いけど、マールにも教えておくか」

 彼女はそう言って、本を机に置き、僕へと向き直って説明する。

「まず魔法に必要なのは、タナトス魔法文字。これの組み合わせで、できることが決まるの。ようは、詠唱文ね」
「ふむふむ?」
「詠唱文を詠唱すれば、魔法は発動する。でも、それが大変なの」

 詠唱が大変?

「まず、発音。そして、詠唱の速度。少しもミスしたら駄目」
「うん」
「次は、魔法の発動体で描く特異点、ようはタナトス魔法文字」

 ソルティスが、魔法を使う時に、あの大きな魔法石のついた杖で、いつも空中に書いてる奴だね。

「文字を間違えるのは、論外。そして一番難しいのは、そこに込める魔力の量」
「魔力の量?」
「そう。文字1つ1つに対して、適切な魔力を注がないといけないの。多すぎても、少なすぎても駄目、文字が歪んでしまうから。そして高位になればなるほど、その注ぐ魔力の許容誤差の範囲が狭くなるわ」

 そして彼女は、突然、言葉を切る。
 真紅の瞳で僕を見つめ、声を潜めて告げた。

「もし失敗すると、魔力は自分に逆流するの。過剰な魔力を注がれて、肉体が……特に、脳がやられるわ。最悪、死ぬわよ」
「…………」

 ちょっと待って。
 魔法って、そんなにリスク高いモノなの!?

 唖然とする僕に、ソルティスは笑った。

「ま、そうならないように、私の杖みたいな魔法の発動体には、大抵、安全装置が付いてるんだけどね」
「安全装置?」
「逆流を感知したら、杖の中で、魔力を断線させるの。使い手まで、届かないように」
「……つまり、ヒューズみたいなもの?」
「ひゅーず? 何それ?」

 あ……。

「ごめん、何でもない。――でも、そうなんだ?」
「……ま、いいわ。――そうよ。だけど、たま~に、安物だと安全装置がなかったりするの。だから、マールも、魔法、使いたいんなら、発動体を買う時は、ちゃんと確認しなさいよね?」
「うん、絶対そうする」

 僕は、大きく頷いた。
 でも、自分1人だと心配だから、

「その時は、ソルティスも、一緒に選んでくれない?」
「…………。ま、いいけど」
「やった!」

 これで安心。
 ホクホク顔の僕を、ソルティスは頬杖しながら見つめて、やがて、ため息をこぼした。

「じゃ、今日はこれで終わりよ」
「あ、うん。ありがと、ソルティス。また明日、よろしくね?」
「はいはい」

 立ち上がって、部屋を出ようとする。
 その背中に、

「……マールって、私がそばにいないと、駄目なのかしらね?」

 独り言のような、小さな呟きがぶつかる。

(???)

 不思議に思って、振り返る。
 でも、彼女は『バイバイ』と手を振っているので、僕は仕方なく、首をかしげながら部屋を出た。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 午後は、キルトさんと一緒に、庭にいる。

「今日は、マールの戦い方について、指南しよう」

 芝生に座る僕に、正面に立つ美しき師匠は言った。

(……僕の戦い方?)

 キョトンとする僕に、

「マール、そなたの短剣を貸せ」
「あ、はい」 

 僕は、腰ベルトから、鞘ごと『マールの牙』を外す。
 受け取ったキルトさんは、すぐに短剣を引き抜いた。

 太陽の光に、刃が輝きを反射する。

 それを見つめ、キルトさんは、ポニーテールにされた銀髪を揺らして、満足そうに頷いた。

「ふむ。いい剣じゃ」

 褒められて、イルティミナさんに借りてるだけだけど、僕は嬉しくなる。

 でも、次の瞬間

 ギュッ

(……え?)

 彼女の左手は、その刃を握りしめた。

「あ、ああ、あの、キルトさん!?」
「騒ぐな」

 騒ぐなって、言われても!
 刃は短いけれど、これまでに多くの魔物や人間さえも斬ってきた、とても鋭い刃だ。

(キルトさんの手が、斬れちゃうよ!)

 その想像に、目を閉じて、顔を背けたくなる。

 ……でも、

(あれ? ……血が出ない?)

 キルトさんの白い手は、皮膚が食い込むほど、刃を握りしめている。
 それなのに、指が斬れるどころか、血の一滴も出てこない。

(え? 手品?)

 気づいた僕に、キルトさんは、ゆっくりと笑う。

「わかったか、マール?」
「え?」
「刃はの、押しただけでは、そう簡単に斬れぬのじゃ」

 ギュウウ

 さらに力を込めるキルトさん。
 でも、血が出ない。

「そ、そうなの?」
「うむ。しかしの――」

 言いながら、彼女は、握っていた左手を開く。
 その人差し指を、刃に触れさせ、ほんの1センチほど横に動かした。

 プッ

「あ」

 血が出た。
 赤い筋が、白い指に走っている。そこに血の玉ができていた。

「刃を引けば、このように、あっさりと斬れてしまう」
「う、うん」

 僕は頷き、ポケットを漁った。

(あった、ハンカチ)

「キルトさん、これ!」

 差し出すと、彼女の端正な白い美貌は驚き、それから嬉しそうに笑った。

「すまんな」
「ううん」

 指に結びつける。
 そのハンカチを黄金の瞳で見つめ、すぐに師匠の顔になって僕を見る。

「要はな、マール。何かを斬る時に、それほど力は要らぬということじゃ」
「う、うん」
「刃を相手に触れさせ、その瞬間に動かせば、例え非力な子供であっても、それで斬ることができる。ただ撫でてやれば良い。力を込めて、刃を押し込もうとする必要などないのじゃ」

 ……なるほど。
 変に、相手の肉を骨まで断(た)ってやろうとか、余計なことを考えて押し込むと、逆に斬れなくなるんだ。

 ――ただ刃で撫でるだけ。

(うん、か弱い子供でも、できる戦い方だ)

 キルトさんは、『マールの牙』の刃についた、自分の血を拭きながら言う。

「狙うならば、首や手首など、太い血管のある場所が良いぞ。出血させれば、体力を奪える。そのまま、失血死もあろう。その恐怖が、相手の焦りも生んでくれる」
「はい」

 僕は、頷いた。
 でも、少し疑問に思っていることもある。

「でも、キルトさん? 人相手は、それでいいとして、魔物はどうしたらいいの?」

 僕は、赤牙竜を思い出す。
 あの岩みたいな外皮は、撫でただけでは、絶対に斬れない気がする。

 キルトさんは、笑った。

「そうじゃな。しかし、『マールが非力』だという現実は変えられぬ」
「…………」
「ならば、そのまま相手の力を借りようぞ?」

 え?

 驚く僕の前で、キルトさんは、庭の片隅に積まれていた薪の山から、1本を拾った。
 ポーンと、真上に投げる。

 やがて、落下する薪。

 その真下で、キルトさんは『マールの牙』の刃を上に向けた。

 ガシュッ

 動かぬ刃の半ばまで、薪が刺さった。

 気づいた僕は、呟いた。

「……カウンター?」
「そうじゃ」

 出来の良い生徒を褒めるように、キルトさんは頷き、笑う。

「相手の進路上に、刃を置いておけ。それだけで、大抵の魔物は、勝手に刺さってくれよう」

 なるほど。
 正直、赤牙竜相手には、無理かもしれない。でも、もう少し弱い魔物ならば、充分に通用するだろう。

(非力な子供に、ピッタリだ)

 僕の青い目にある光を見つけて、キルトさんは、満足そうに頷いた。

「うむ。『撫でる剣』と『カウンター』、この2つがマール、そなたのすべき戦い方じゃ。――わかったの?」
「はい、師匠!」

 僕は、元気よく返事をした。

「師匠?」と、キルトさんは、金色の目を丸くする。

(あ……つい言っちゃった)

 彼女は驚いたあと、慌てる僕に「まぁ、よい」と苦笑してくれる。

「よし、これで座学は終わりじゃ。次は、肉体作りじゃ。始めるぞ!」
「はい!」

 やる気と共に、立ち上がる。

 ――そして、地道な筋トレ地獄が始まった。

(き、きついぃぃ)

 キルトさんは、師匠ではなく、鬼軍曹にクラスチェンジしていた。

『大人でも無理だろ!?』というようなメニューを、僕に淡々と課してくる。
 でも、拒否した瞬間、彼女はもう2度と稽古してくれなくなる気がしたので、がんばるしかなかった。

(か、身体、壊れそう……)

 でも、そうなる直前に、金印の魔狩人はきちんと見極めて、別の部位への課題に切り替えてくる。

「なぁに、万が一、壊れても、ここにはソルがいるからの」
「お、鬼……」
「うむ。わらわは、鬼姫キルトじゃぞ?」

 なんて清々しい笑顔だ。

(し、死ぬぅ……)

 前世も含めて、こんな限界まで肉体を酷使したのは、初めてかもしれない。

 やがて、夕日が王都の西の空に消えようという頃、ようやく全メニューを終えて、僕は芝生に倒れた。

「ふむ。ようやったの」

 クシャクシャ

 嬉しそうな笑顔で、汗にまみれた僕の髪を撫でられる。

(うぅ……)

 返事もできない僕の耳に、彼女の優しい声がした。

「あとは、わらわの動きを見ておれ」
「……?」

 気怠く顔を上げる。
 キルトさんは、木剣を手にしていた。

 それを構える。
 そして、静かに剣を振る。

 縦に、横に。
 上に、下に。

 音もなく、舞うように。

(――――)

 綺麗だった。
 朦朧とした意識の中で、金印の魔狩人の美しい剣舞だけが、網膜に飛び込み、心の奥まで焼きついていく。

 ただ吸い込まれるように、魅入る。

(あぁ……いつか)

 いつか、あの剣に追いつきたい――そう思った。

 美しい銀髪をなびかせ、彼女は舞う。

 夕日に染まった世界で、僕の青い瞳は、いつまでもその姿を見つめ続けた――。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 夜の時間は、イルティミナさんの部屋にいた。

 いつものようにアルバック大陸の共通語の勉強会……ではない。
 実は、もう読み書きを覚えてしまったので、今夜からは、彼女とは別の行為をするようになってしまった。

「フフッ、マール」
「や、優しくしてね、イルティミナさん?」

 ベッドに横になる僕。
 そんな僕の上に、イルティミナさんは、馬乗りになっている。

 彼女のむっちりした太ももが、僕の両足を挟み込み、大きな弾力のあるお尻がその上に、重く乗っている。
 肩からこぼれた深緑の美しい髪が、僕の頬や首をくすぐる。
 彼女は、艶っぽく笑った。

「もちろんですよ、マール。気持ちよくしてあげますからね?」
「う、うん」

 僕らの身体からは、石けんの香りがする。
 2人とも、お風呂から出たばかりだ。

 ドキドキと、心臓が高鳴る。
 服を脱いだ僕の素肌へと、彼女の白い指が優しく触れた。

 電気が流れたみたいに、僕は震える。

「んっ……ぅ」

 必死に漏れる声を押さえると、彼女は、愉しそうに笑った。

「大丈夫……私を信じて。声を出してもいい……でも、ほら、力を抜いて?」
「う、うん……」
「あぁ、いい子ですよ、マール」

 甘い吐息をこぼして、

「さぁ、気持ちよくなりましょう、マール」
「お、お願いします!」

 覚悟を決めて、目を閉じる僕。
 イルティミナさんの笑ったような声がして、そして、白い指が妖しく動き始めた。

 ――僕の背中を、マッサージするために。

 はい、そうです。
 キルトさんとの筋トレで、疲れ切った僕の身体を、心配したイルティミナさんがマッサージしてくれることになったんです。

(うん、それだけだよ?)

 僕は、紳士だからね。
 でも、イルティミナさんは、声が色っぽいので勘違いしそうになる。

 ――罪な女性だ。

 そのイルティミナさんは、僕の背筋を触りながら、驚いた顔だった。 

「あらあら、本当に凝っていますね? 筋肉がパンパンです」
「やっぱり?」
「はい。……これは、毎日しないと駄目ですね」

 と言いながら、なんだか嬉しそうだ。

(まぁ、僕も嬉しいけど……)

 毎晩、綺麗なお姉さんに、マッサージしてもらえるなんて、最高じゃないか。

 グッ グッ

 白い指が、僕の背中を指圧する。

(あぁ、気持ちいい)

 悪くなっていた血行が回復して、筋肉が柔らかくなっていく。
 とろけそうな僕の横顔に、イルティミナさんは、真紅の瞳を細めて、優しく笑いながら、こんな質問をしてくる。

「ソルとの勉強はどうですか? ちゃんと魔法のことを、マールに教えてくれますか?」
「うん」

 僕は、頷いた。

「ソルティスって、本当に凄いんだ。僕、驚いたよ」

 そうして、ついつい話してしまう。

 他人に物を教えるというのは、実は、大変なことだ。だって、本当に理解していなければ、できないことだから。
 漠然とわかっているだけでは、駄目なんだ。
 きちんと理由や理屈を把握していなければ、文章に変換できないし、人にも伝えられない。

 でも、ソルティスはそれができる。

 あの年齢で、あれだけのことを理解している天才だ。
 それも、努力でなった天才なんだ。

「本当に尊敬するよ、ソルティスのこと」
「そうですか」

 僕の正直な言葉に、その姉は、嬉しそうに笑った。

 そして彼女は、僕の腕や肩を揉む。
 疲れと痛みで動きの悪かった部分が、ずいぶんと楽に動くようになった。

(イルティミナさんって、マッサージも上手なんだね?)

 本当に、何でもできる人だ。
 そのなんでもできる女の人は、マッサージを続けながら、今度は、こんなことを質問してくる。

「キルトとの稽古は、どうですか? 大変ではありませんか?」
「大変だよ」

 本心から、答えた。

「でも大変だけど、大変じゃないんだ」

 と、こちらも本心から笑って、付け加えた。

 イルティミナさんは、「おや?」と面白そうな顔だ。
 視線と表情が、続きを促している。

 そうして僕は、またまた話してしまう。

 キルトさんは毎日、宿泊しているギルドからこの家まで、僕のために通ってくれる。
 しかも、キルトさんの稽古は、『戦い方』を教えてくれるものじゃなくて、『マールの戦い方』を教えてくれるものだった。
 それが嬉しかった。

 僕のことを、ちゃんと見ている。考えてくれている。

 それだけで、やる気が出る。
 大変なのも、大変じゃなくなるんだ。

「だから、キルトさんを信じて、必死にがんばれば、必ず僕は強くなれる――そう思えるんだ」
「そうですか」

 イルティミナさんは『うんうん』と頷いた。

 彼女のマッサージは、身体の中心から末端へと向かった。
 上腕やふくらはぎ、やがて、手足の指先まで揉まれる。

 その間、彼女は、色んな質問をする。
 ご飯のこと、お風呂のこと、楽しかったこと、悲しかったこと……今日あった出来事を、穏やかに聞いてくる。

 つられて僕は、いっぱい喋ってしまった。

 その時に感じたことを。

 不満だったり、喜びだったり、感動だったり、不安だったり、全部、口にしてしまった。

 そして彼女は、必ず、

「そうですか」

 と、その全ての話を穏やかに聞いて、ただ受け入れてくれた。 

(……あれ?)

 その内に、気づく。
 全てを口にすることで、いつの間にか、心の中まで軽くなっていた。

(まさか……もしかして、イルティミナさん? そのために?)

 驚き、そして、胸がいっぱいになる。

 彼女は、マッサージで疲れた僕の肉体を癒しながら、今日の出来事を口にさせることで、僕の心まで癒してくれていた。

 僕の心も身体も、守ろうとしてくれていたのだ。

(あぁ、なんて人だ……)

 彼女は、白い美貌に、美しい笑みを浮かべ、その真紅の瞳で、僕を見つめている。

「どうしました、マール?」
「…………。ううん」

 胸がいっぱいで、答えられない。
 何を言っても、この気持ちは、伝えきれない気がしたんだ。

 あぁ、僕の周りにいる3人は、本当に凄い人たちばかりだよ。彼女たちと一緒にいるためには、僕は、もっともっとがんばらないと!

 小さな拳を、彼女から見えないようにギュッと握る。

 やがて、マッサージは終わった。

「ありがとう、イルティミナさん」

 僕は、万感の想いを込めて、口にする。
 それを聞いた彼女は、珍しく少女みたいに楽しそうに笑って、こちらの顔を見つめ、

「フフッ、どういたしまして」

 その白い手が、僕の髪を優しく撫でた――。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 ――修行の日々は、あっという間に流れた。

 あれから、5日。
 魔狩人の仕事のオフの日は、明日で最後になる。

 それまで毎日、僕は、午前中はソルティスと、午後はキルトさんと、夜はイルティミナさんと過ごした。

 そして、今夜の夕食時、

「ま、2回に1回は成功するわね。とりあえず、魔力のコントロールに関しては順調よ?」 
「そうですか」

 妹の報告に、姉は頷く。

「ただ、タナトス文字の発音は、まだちょ~っと駄目ね」

 眼鏡少女は、食事をしながら、そう付け加える。

 うん、魔法文字の発音は難しかった。
 日本語はもちろん、アルバック共通語とも、違うんだ。

 そして、日本人特有の『L』と『R』の発音みたいに、上手く違いを出せない文字もあった。

(魔法を使える日は、遠そうだね……)

 先は長い。

 そして、今度はキルトさんの報告。

「肉体に関しては、下地ができてきたの」
「ほう?」
「さすが成長期というべきか、変化が早い。本人のやる気の成果でもあるじゃろうの」

 師匠は、満足そうだ。

 よかった。
 弟子としても嬉しく思う。

(でも確かに、最初に比べて、疲れにくくなったんだよね)

 筋肉がついた証拠かな?

 それも、きっとイルティミナさんの毎晩のマッサージのおかげだ。
 おかげで、代謝が良くなってるんだ。

 それに、色んな話を聞いてもらって、毎日すっきりしてるから、翌日の集中力が高くなっている。
 稽古の効果が、もっと増えてると思う。

(あと、キルトさんの剣も、いっぱい見せてもらってるんだよね)

 今の僕は、剣を使えないけれど、イメージトレーニングは、ずっとしてた。
 あぁ、早く試してみたいなぁ。

 そんな3人の話を聞きながら、当の僕はというと、なぜか自分の食事の手を止められなかった。

 パクパク ムシャムシャ

 食べる量が、多分、5日前と比べて倍になっている。

「う~む。しかし、よく食うの」
「ムグムグ……なんだか最近、凄くお腹が空いちゃって」

 成長期と稽古のダブルパンチかな?

 キルトさんは苦笑して、

「まるで、ソルがもう1人増えたみたいじゃな?」
「うわ、キルトさん、それは酷いよ!」
「……アンタの方が、酷いわよ……」

 あれ?
 ソルティスの睨みに、僕は、「あはは~」と乾いた笑いで誤魔化した。

 年上の2人は、クスクスと笑う。
 そして、イルティミナさんは笑いを納めて、改めて、自分の2人の仲間を見る。

「では、ソルもキルトも、よろしいですね?」
「ふん。……ま、いいんじゃないの」
「うむ、よかろう」

 ん?
 何の話?

 思わず、食事の手を止める僕を、3人が見つめてきた。
 その瞳にあるのは、真剣な光だ。

 思わず、姿勢を正す。

 そして、イルティミナさんが代表するように、口を開いた。

「マール」
「はい」
「明日で、休みは終わります。明後日からは、私たちは、新たな依頼のために、また王都から旅立たねばなりません」

(!)

 彼女たちが、行ってしまう。
 でも、僕は……?

 1人残される恐怖が、脳裏を掠めた。 

 不安な僕の顔を見ながら、彼女は、落ち着いた口調を変えずに言う。

「私たちは、マール、貴方をそのクエストに同行させるか、迷っています」
「…………」
「そこで明日、試験を行います」

 試験?

「明日、初心者向けの討伐クエストを、また受注します」

 ドクンッ

 心臓が、大きく跳ねた。

「そこで、今日までの成果を見せなさい。その結果によって、判断します」
「……わかった」

 僕は、頷いた。

 やるしかない。
 彼女たちだって、意地悪をしてるんじゃない。僕の命を心配してるから、そう言ってくれているんだ。

(でも……)

 僕は、3人を見る。

『――マールを信じている』

 その瞳が、表情が、雄弁に語っていた。 

(これに応えなきゃ、男じゃないぞ?)

 僕は、言う。

「しっかり見ててね、みんな」
「はい」
「わかってるわ」
「うむ」

 イルティミナさんも、ソルティスも、キルトさんも、笑って頷いた。
 僕も笑った。

 そして笑ったまま、料理に手を伸ばし、ステーキ肉を喰い千切る。

(たくさんエネルギーを貯めて、明日に備えないと!)

 ムシャムシャ ムグムグ

 みんな、驚いた顔をする。

 そんな僕を、しばらく見つめて、

「がんばってください、マール」

 イルティミナさんが、優しく笑う。

 ソルティスもキルトさんも、大きく頷き、そして3人も、また自分たちの料理を食べ始めた。

 ――星々の煌めく夜空には、紅白の月が輝いている。

 窓から差し込む、その月光に照らされながら、僕ら4人は、運命の明日のため、ただひたすらに英気を養っていった――。