74-074-Survival and farewell



「あぁ……マールっ! 無事でよかった……っ」

 涙を滲ませたイルティミナさんに、僕は、きつく抱きしめられる。

 あれから半日。
 僕らは無事に、ディオル遺跡から救出された。

 懸命に瓦礫をどかしてくれたイルティミナさんは、その白い美貌も服も、泥だらけだった。向こうで、ソルティスや、アスベルさんたち3人を労うキルトさんも、全身が汚れている。

「ご苦労だったの、ソル」
「……ほんと、疲れたわ」

 ため息をこぼす少女に、キルトさんは苦笑する。

 そして、そんな僕らの周りには、10人ほどのドワーフさんたちがいた。その手には、シャベルやツルハシなどを装備して、みんな、泥に汚れていたけれど、笑顔を浮かべて、僕らに拍手をしてくれていた。

「よかったな」
「よう、がんばった!」
「偉いぞ、ボウズ」
「よく生き残ったわい!」

 見知らぬ人々からの祝福の声に、僕らはびっくりだ。

「瓦礫撤去が半日で済んだのは、皆、彼らのおかげでの」

 キルトさんが笑う。

 実は、彼らは『月光の風』の冒険者たちだった。

 ゴブリン討伐クエストが終わった頃、近くの街道に、僕らを迎えに馬車が戻ってくる予定だった。その馬車に、王都までの伝令を頼んだのだ。
 ギルド長のムンパさんは、すぐに応援は派遣してくれた。

 それが彼ら、土や建設に詳しい種族のドワーフさんたちだ。

 彼らは、瓦礫を撤去した空間に、天井を支える支柱を設置し、その素晴らしい怪力と体力で、たったの半日で脱出口を造ってくれたのだ。

「あ、ありがとうございます、皆さん」

 たくさんの人たちに助けられたのだと知って、恐縮する僕。

「なぁに、気にすんな」
「ギルドの若い風を、こんなところで、死なせるわけにはいかんわい」
「まったくだ」

『ガハハハッ』と、ドワーフさんたちは全員、豪快に笑ってくれる。

(……なんか、僕、泣きそうだよ)

 人の善意や優しさって、こんなに心に染みるんだ?

 イルティミナさんに支えられながら、僕は、もう一度、ドワーフさんたちに深く頭を下げた――。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 救出までは、半日だった。
 といっても、それまでの時間は、やはり長く感じた。

 骸骨王を倒したあとの話を、少ししよう。

 あのあと、僕らは、救出を待つために、第1階層に戻ることにした。
 でも、

(イタタタ……ッ?)

 緊張が収まった僕は、両手両肩の痛みと激しい疲労で、動けなくなってしまった。
 ソルティスも、魔力切れで、

「動きたくないわ~」

 と座り込んでいる有り様だった。

「ちっ……しゃーねえな!」

 そんな僕らを、ガリオンさんが荷物のように、広い両肩に担いでくれる。
 ありがたいけど、姿勢がきつい。

「も、もっと丁寧に扱いなさいよ!」
「うるせ。落とすぞ、チビ女?」
「はぁ!?」

 お願い、横で喧嘩しないで……。
 耳、痛いです。  

 そんな僕らに、アスベルさんが忠告する。

「お前ら、静かにしろ。ここは、まだ安全とは限らないんだぞ?」

 え?
 リュタさんも頷く。

「骸骨王が自然発生したなら、スケルトンも自然発生しても、可笑しくないもの」
「…………」
「警戒しながら、戻りましょ?」

 僕らは、黙った。

(……もう戦う力、ないよ)

 左腕の『白銀の手甲』の精霊も、すでに沈黙している。
 リュタさんの声に、応える気配もなかった。

 これ以上、状況が悪化しないことを願いながら、僕らは移動を開始する。

 この頃には、周囲を照らしていた魔法の光鳥は、消えていた。
 ソルティスの魔力がなくなったからだ。

 僕らの視界は、小さなランタンだけが支えていた。闇に染まった遺跡の中を、僕らは、身を寄せ合いながら、進んでいく。

 道中、やはりスケルトンの気配はあった。

 コツ……コツ……

「…………」
「…………」

 そのたびに、僕らは息を殺して、なんとか戦闘を回避する。

 無事に、第1階層の瓦礫前に戻れた時は、本当に安堵してしまった。

 そこからは、交代で見張りをしながら、休憩を取った。

(……きつい)

 でも、泣き言は言えない。
 疲れているのも、怪我をしているのも、みんな一緒だった。

 2時間交代で、がんばった。

 そうそう、一度、外にいるイルティミナさんとキルトさんに報告するため、リュタさんが瓦礫の穴を通っていった。

 1000体のスケルトン。
 そして、骸骨王。

 2人は、とても驚いたそうだ。

「マ、マール、今、行きます!」
「やめい!」

 蒼白になったイルティミナさんが、後先考えず、白い槍で瓦礫を吹き飛ばそうとして、キルトさんとリュタさんに、必死に止められるという一幕があったらしい。

(あはは……)

 心配かけておいて、笑っちゃいけないけれど、彼女らしいと思ってしまった。
 そして、嬉しかった。

 12時間、仮眠と見張りをしながら、ランタンのみの暗闇の世界で、僕ら5人は必死に耐えた。

 やがて、瓦礫が動く。

(……あぁ、イルティミナさんだ……)

 そこに彼女の顔を見つけた時、たった半日、離れていただけなのに、とても懐かしく思えた。

「あぁ……マールっ! 無事でよかった……っ」

 そうして、抱きしめられる。
 …………。 

 ギュウ

 僕も、手首の痛みも忘れて、彼女を抱きしめ返した。

 これが、僕らの12時間――ディオル遺跡から、救出されるまでの出来事だった。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 見上げる空には、星々が輝いている。
 もう夜だ。

 街道には、帰還のための4台の馬車が並んでいる。

 僕とソルティスは、その1台の馬車の車輪に、2人で寄りかかるようにして座っていた。大人の2人は、お世話になったドワーフさんたちが、馬車に乗り込むので、お礼を言いに行っている。

 夜空を見上げて、僕は呟く。

「真っ暗な遺跡から、ようやく出れたと思ったのに……結局、外も夜で、真っ暗だね……」
「そーね……」

 ソルティスは、ぼんやり頷く。

「太陽が恋しいわ」
「うん」

 僕も頷く。

 そして、しばらく沈黙が落ちた。
 草の中にいる虫の音だけが、リーリーと、静かな夜に響いている。

 前を見たまま、僕は言った。

「ありがとね、ソルティス」
「…………」
「君がいなかったら、僕の心は、途中で折れてた。だから、ありがと」

 ソルティスは、10秒ほどしてから答えた。

「私もね、アンタがいたから、意地を張れたわ」
「…………」
「じゃなきゃ、アスベルたち見捨てて、きっと1人で逃げてた。……一応、礼を言うわ」
「……うん」

 僕らは、また沈黙した。

 でも、なんだか心地好かった。

 今回のクエストは、とても大変だったけれど、ソルティスの心に近づけた気がしたんだ。きっと彼女も、同じ気持ちなんだろう。

(……ん?)

 ふと見たら、ソルティスは小さく笑っていた。
 きっと僕も、笑っている。

 夜風に吹かれながら、僕らは、いつまでも笑っていた。

 しばらくして、

「――マール、ソル」

 そんな僕らに、声がかけられた。

 顔を向けると、アスベルさんたち3人が、隣の馬車から、こっちに歩いてきていた。
 僕らは、立ち上がる。

「今日は助かった、マール、ソル。2人がいなかったら、俺たちは全滅していたよ。――本当にありがとう」

 アスベルさんは、僕とソルティスに握手をする。
 僕は笑った。

「借り1つだよ?」
「あぁ。必ず、返すさ。約束だ」
「うん」

 ソルティスは、小さな肩を竦めた。

「期待しないで、待ってるわ」
「あはは」
「一応、期待しとけよ……」

 僕は笑い、アスベルさんは苦笑する。

 と、ガリオンさんが首筋を撫でながら、ちょっと言い難そうに口を開いた。

「ガキ、お前、赤印なんだってな?」
「え? あ、うん」
「……その、なんだ……あの戦いっぷりは、青印か、それ以上だったぜ」

 …………。
 僕とソルティスは、目を丸くする。

(えっと……今、褒められたんだよね?)

 戸惑いながら、礼を言う。

「えっと、ありがと」
「あぁ」
「ふぅ~ん? アンタが、そんなこと言うなんてね~?」

 ソルティス、ニヤニヤだ。

「うるっせ、チビ女。――言いたいことは、それだけだ。じゃあな」

 ガリオンさんは、荒々しく背を向けて、自分たちの馬車の方へと戻っていってしまった。
 アスベルさんとリュタさんは、苦笑する。

 そして、リュタさんが僕の前に来た。

「マール君。今日は、ありがとう」
「ううん」
「……最初は、色々と嫌なことを言って、ごめんなさい。反省してるわ」

 僕は、首を振る。

「大丈夫。僕は、リュタさんのこと、嫌いじゃないよ?」
「フフッ、そう? ありがと」

 リュタさんは、僕の頭を、褐色の手で撫でた。

「何かあったら、いつでも言ってね。その時は、私もがんばって、マール君の力になるわ」

 そして、笑う。
 その水色の瞳には、最初にあった時とは違う、優しさが溢れていた。

「ソルティスちゃんも、ありがと。2人とも、いつまでも仲良くね?」
「善処はするわ」

 澄まして答えるソルティスに、ダークエルフの少女は笑った。

 ふと、奥の方から、イルティミナさんとキルトさんが、こちらに戻ってくる姿が見えた。
 もう馬車の出発なのだろう。

 アスベルさんたちも、気づいた。

「それじゃあな、マール、ソル。また王都で会おう!」
「またね、2人とも!」

 2人は、手を振りながら、去っていく。
 途中で、年上の魔狩人2人にも挨拶をしてから、自分たちの馬車に乗り込んだ。

 それを見送って、

「さて……私たちも、ようやく帰れるわね」
「うん」

 僕らは、互いの顔を見て、笑った。

「すまん、待たせたの」
「2人とも、ごめんなさいね。さぁ、王都に帰りましょう」

 戻ってきた2人に促され、馬車に乗り込んだ。

(……長かったなぁ、今日1日は) 

 窓から、真っ暗な外を見て、そう思った。

 ゴト ゴトン

 そうして、車輪が回り、僕らを乗せた馬車が動きだす。

 月夜の下で、草原に伸びた街道を、4台の馬車たちは次々と、王都に向けて出発していった――。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 王都までは、3時間の道行きだ。

 ソルティスは、馬車が動きだして早々、すぐに眠ってしまった。

(……疲れてたんだね)

 今は、対面の席で、キルトさんの膝を枕にしながら、安らかな寝息を立てている。
 キルトさんの指は、少女の髪を、優しく弄ぶ。

 眺めていると、

「マールも眠っていいのですよ?」

 ポンポン

 イルティミナさんが、自分の太ももを叩いて、微笑んでいた。

 嬉しい申し出だ。

 でも、

(その前に、言わないと……)

 僕は、彼女に向き直った。

「イルティミナさん、ごめんなさい」
「え?」

 驚く彼女に、僕は、頭を下げた。
 そして、腰ベルトから『マールの牙』を鞘ごと外した。

 怪訝そうなイルティミナさんの前で、その短剣を鞘から抜く。

「……あ」

 その唇から、小さな声が漏れた。

 ――美しい刃は、根元付近から折れていた。

 僕は、謝る。

「骸骨王との戦いで、折れちゃったんだ。……ごめんなさい、イルティミナさんの大切な短剣なのに」
「……そう、ですか」

 受け取り、彼女は頷いた。

 前に言っていた。
 この片刃の短剣は、イルティミナさんが初めて冒険者になった時から、使っているのだと。だから、お守りとして、7年間、ずっと持っていたのだと。

 そんな大切な剣を、彼女は、僕に貸してくれていたのだ。

 そして僕は、

(それを……折ってしまったんだ)

 その事実に、心が凍る。

 怒られるのか、叱られるのか、失望されるのか……僕は、どんな結果でも受け入れなければ、ならなかった。

 でも、イルティミナさんは、

「……よかった」

 折れた短剣を撫でて、そう呟いた。

 ……え?

 驚く僕に、彼女は言う。

「この剣は、ちゃんとマールを守ってくれたのですね」
「…………」
「その結果として、折れてしまったのなら、構いません。この剣は、ちゃんと役目を果たしたのです」

 凛とした声で、彼女は言った。

 …………。

 言葉の出ない僕の前で、彼女は、短剣を鞘にしまう。

 チィン

 小さな金属音。

「ありがとう……お疲れ様でしたね」

 静かな、一言。

 それを聞いた瞬間、僕の目から、ポロッと涙がこぼれた。

 心が痛い。

「ごめんなさい……イルティミナさん、ごめんなさい。……僕は、どうして……」
「マール?」

 イルティミナさんは、驚いた顔だ。

 でも、涙は止まらなかった。

(どうして僕は、この剣を、折ってしまったんだろう……?)

 取り返しのつかないことを、してしまった。

 悲しかった。
 申し訳なかった。

 イルティミナさんに対して。

 そして、この『マールの牙』と名付けた、片刃の短剣に対して。

「うぅぅ……」

 泣きながら短剣を受け取り、胸に抱きしめる。

 覚えている。

 初めて手にしたのは、アルドリア大森林にある塔で、眠れぬ夜を過ごした時だ。
 この剣を抱いて、一緒に眠った。

 恐怖に襲われた時、いつも、この剣の柄を握った。
 それだけで、心に勇気が湧いた。

(……いつだって、弱い僕を、この剣が支えてくれたんだ)

 魔物を。
 時には、人間を。

 その鋭く、美しい刃は、それらを斬り裂いて、ずっと僕を守ってくれたのだ。

「それなのに……僕は……」

 その剣を、死なせてしまった。

 なんで?
 なんで、あの時、僕は……っ! 

 後悔する僕の濡れた頬を、イルティミナさんの白い両手が押さえる。

「マール、自分を責めないでください」
「……うぅ」
「この剣は、己を犠牲にして、マールを守ったのです。貴方は、そんな自分を、誇りなさい」

 優しく、凛々しい声だ。

 まるで『マールの牙』が語っているような、美しい声だった。

 僕は、顔を上げる。

「貴方がするべきは、後悔ではありません」
「…………」
「これからも、その命で、きちんと生きること。それこそが、この剣に命を守られた、貴方のすべき行いですよ?」

 真紅の瞳は、僕を見つめる。

(…………)

 僕は、涙をぬぐった。

「うん」
「よろしい」

 頬の濡れた跡を、彼女の白い指は、優しくこすった。
 そして、短剣を見て、

「この子は、幸せでしたね。こんなに、マールに思われて」

 少し切なそうに笑った。

 そんな僕らのやり取りの間、キルトさんは、ソルティスの髪を撫でたまま、何も言わずにいてくれた。ただ僕らの会話に耳を傾け、静かに微笑んでいてくれた。

(君にもらった勇気の牙を、僕は、絶対に忘れないよ?)

 この手にある『マールの牙』に、心の中で語りかける。

 窓の外には、紅白の美しい月が輝いていた。

 その月光に照らされる、王都に向かう馬車の中で、僕は、折れてしまった『マールの牙』に、こうして別れを告げたのだ――。