80-080-The disaster that hit the lion
往路で13日間かかったケラ砂漠から、王都ムーリアまで、復路は7日間で戻ってきた。
(つ、疲れた……)
強行軍である。
走力と持久力のありそうな竜車を選び、それを何度も乗り捨てながら、昼も夜も関係なく走り続けたのだ。
食事も睡眠も、竜車の中だ。
激しい揺れで、正直、あまり眠れなかったよ……。
冒険者ギルドには、報告の手紙を、翼竜便という小さい飛竜の郵便で送った。とてもお高い郵便で、5000リド(50万円)もする。
(でも、緊急だもんね。仕方ないよ)
あの脅威を目にしたら、これでも安い気がした。
帰りの道中、竜車の中では、キルトさんがよく再生した右手を動かしていた。
心配そうに、治療したソルティスが聞く。
「どう?」
「ふむ。少し違和感があるが、その内に、慣れるであろう」
右手をグーパーしながら、答えるキルトさん。
失った右手は、再生した。
うん、接続ではない。
再生だ。
切り離された右手には、『闇の子』の放ったタナトス魔法文字が刺青のように浮かんでいた。それを繋いだら、また浸食が始まるかもしれない。
もしかしたら、そのまま魔物になってしまうかも……そう心配したんだ。
現在、その右手は、液体の入ったガラス瓶に入れられている。
保存のため、魔法的な封印処置がしてあるんだって。
貴重なサンプルとして、ギルドに持ち帰って、『魔学者』たちに頼んで研究する予定なんだ。
でも、それを見た時、
(……なんか、ホルマリン漬けみたい)
そう思った。
ちょっとホラー映画だ。
そういう研究が好きそうなソルティスも、さすがにキルトさんの右手なので、複雑な表情だった。
ちなみにそれは、今、キルトさんのバッグの中だ。
なんか、シュール。
(でも、違和感って……大丈夫なのかな?)
剣の扱いは、繊細なものだ。
『金印の魔狩人』の剣技に、影響はないのか、ちょっと心配になる。
と、僕の表情に気づいて、
「問題ない。今までにも、似たようなことはあったしの」
「そうなの?」
「うむ。最近はともかく、昔は全身、サクサク、斬られまくったものじゃ」
と言って、1人、楽しそうに笑う。
(いや、それはそれで、大丈夫なのかなぁ?)
ずいぶんと、過酷な過去みたいだね。
僕とイルティミナさん、ソルティスの3人は、つい顔を見合わせてしまう。
でも、彼女が『問題ない』というのなら、本当なんだろう。キルトさんは、そういうことで嘘はつかない人だ。
ちょっと安心した。
「心配してくれて、ありがとうの、マール」
そんな僕の頭を、キルトさんの新しい右手は、クシャクシャと撫でた。
◇◇◇◇◇◇◇
遠くに王都が見えた時、それに気づいた。
(なに、この渋滞!?)
馬車や竜車の物凄い行列が、王都に通じるあちこちの街道にできている。
王都名物とはいえ、ちょっと異常だ。いつもの3倍以上の長さがある。
イルティミナさんが気づいた。
「そうか、国王の生誕祭です」
「え?」
「すっかり忘れていましたが、確か来週に、祝いの50周年式典があるのですよ」
あ、そういえば、ムンパさんも言っていたっけ。
(そっか、それで人が集まっているんだ)
ソルティスが「こんな時に~」と、渋滞の列を憎々しげに睨んでいる。
キルトさんは、難しい顔をして、
「仕方がないの」
ん?
キルトさんが御者さんに声をかけると、僕らの竜車は、渋滞の列を離れて、王都の方へと進んでいった。
すぐに交通整理をしていた兵士たちに、呼び止められる。
「おい、そこ! 何をやってる!?」
「緊急じゃ」
顔を出すキルトさん。
その右手には、黄金に輝く魔法の紋章が、神々しい光を放っていた。
気づいた兵士の顔が、すぐに強張る。
「ま、まさか、金印の……鬼姫キルト・アマンデス?」
「うむ」
彼女が頷いた途端、兵士たちは、直立不動で敬礼した。
おぉ?
「すまぬ、王家にも伝えるべき、緊急の案件じゃ。先に通させてくれ」
「もちろんです。――おい、お前ら、道を空けろ!」
兵士たちは怒鳴りながら、他の馬車をどかしていく。
待ちくたびれた人たちから、僕らの竜車は、凄い目で睨まれている。
キルトさんは、竜車の中に戻って、ため息をこぼした。
「こういうやり方は、本来、好かぬのじゃがの」
「うん」
キルトさん、そういうの嫌いそうだ。
「でも、仕方ないよ。それに権力って、むしろ、こういう時に使うべきでしょ?」
「ふむ、そうじゃな」
僕の言葉に、彼女は苦笑した。
隣にいるイルティミナさんが、僕を横から抱きしめる。
「マールの言う通りですね」
「あはは」
「何よ、悟ったようなこと言っちゃって。マールのくせに」
ソルティスが、爪先で僕の足を軽く蹴る。
そんな僕らに、キルトさんはまた苦笑し、そして窓の外にある多くの人々を、それから、そびえる王都ムーリアを見つめた。
その表情が、引き締まっていく。
「例え、ここで人々に恨まれようとも、なんとしても、この平和は守らねばな」
「…………」
「…………」
「…………」
そうして僕らの竜車は、王都の中へと入っていった。
◇◇◇◇◇◇◇
王都は、とても賑やかだった。
通りには、式典のための飾りが施され、多くの出店も建っている。人々の数も、いつもよりも多く、なんだか浮ついた空気で活気に溢れていた。
歩いているだけで、何度も人にぶつかっている。
(ま、迷子になりそう……)
イルティミナさんの白い手が、僕と妹に差し出される。
「マール、ソル」
「う、うん」
「ちぇ……私、もう子供じゃないんだけどな~」
言いながら、3人で手を繋ぐ。
と、キルトさんの手まで、僕の手を握った。え?
「急ぐぞ」
「わっ?」
先頭に立って、キルトさんは人波を強引にかき分けながら、前へ前へと進んでいく。
(おぉ、早い)
さすがキルトさん。
僕らは4人で手を繋いで、一路、冒険者ギルド『月光の風』を目指した。
ギルドに到着した。
白い建物の中に入ると、また、いつもと空気が違う。
でも、ここは王都の活気に満ちたそれとは違って、なんだか落ち着かないような、慌ただしいような空気だ。
「あ、キルトさん!」
そこにいた職員の1人、クオリナさんが、僕らに気づいた。
タッタタッ タッタタッ
ぎこちない走りで、僕らに駆け寄る。
その表情は、まるで迷子の子が親を見つけたようで、なんだか泣きそうな顔だった。
他の人たちも、こちらに気づいた。
全員が同じ表情で、僕らの方に――金印の魔狩人であるキルトさんの元へと、集まってくる。
(なんだ、なんだ?)
ちょっと様子がおかしい。
『闇の子』の報告が届いているにしても、これは少し反応が大げさすぎる。
僕や姉妹だけでなく、キルトさん自身も、驚いた顔をしていた。
クオリナさんが、泣き笑いで言う。
「おかえりなさい、キルトさん! よかった、キルトさんとみんなが無事で」
「なんじゃ、どうした?」
困ったように笑い、キルトさんは、赤毛の獣人さんを落ち着かせるように、その頭をポンポンと軽く叩く。
クオリナさんは小さく笑い、目尻の涙をぬぐった。
そして、表情を正し、唇を引き締める。
「キルトさん、帰還したばかりで、お疲れのところをすみません。ですが、すぐにムンパ様に会ってください」
「ふむ?」
「まだ王都の人々には、伏せられています。でも、重要な報告があるんです」
(……重要な報告?)
僕ら4人は、怪訝な顔になる。
集まった冒険者たち全員が、神妙な眼差しで見つめる中、代表するようにクオリナさんは、静かに口を開く。
「『闇の子』の探索を命じられていた『金印の魔狩人』、烈火の獅子エルドラド・ローグが、5日前、その死亡を確認されました」
…………。
その報告に、僕ら4人は凍りついた。
◇◇◇◇◇◇◇
「キルトちゃん、無事だったのね!」
ギルド長室の中に入った途端、ムンパさんが、キルトさんに抱きついてきた。
ちょっと涙目だ。
(よっぽど、心配してたんだね)
そして、ムンパさんは、僕やイルティミナさん、ソルティスのことを順番に抱きしめる。
「おかえりなさい。みんなも、無事でよかったわ」
「うん」
「はい」
「……はい」
優しく笑うムンパさんは、まるで母親みたいだった。
そんな彼女を、キルトさんが、硬い声で呼ぶ。
「ムンパ」
真っ白な獣人さんは、振り返る。
「エルは、死んだのか?」
「…………。えぇ」
答えるムンパさんの表情は、ギルド長ムンパ・ヴィーナのそれに戻っていた。
僕らは、応接用のソファーに座る。
いつものように秘書さんが飲み物のグラスを置いて、すぐに去っていく。
少しの間があった。
「20日前の話よ」
ムンパさんが語りだす。
「烈火の獅子エルドラド・ローグは、命じられた『闇の子』の探索のために、王都ムーリアを発ちました。まずは手掛かりを求めて、これまでの『闇の子』の目撃地を、順番に巡ることにしたそうよ」
「…………」
「仲間は、『銀印の魔狩人』が4人」
銀印が4人!?
(……す、凄い)
つまり、キルトさん1人に、イルティミナさん4人分の戦力だ。
みんなも、ちょっと驚いている。
「その戦力で、負けたのか?」
「えぇ」
確認するキルトさんに、ムンパさんは、はっきりと頷いた。
彼女は、目を伏せる。
そして、烈火の獅子エルドラド・ローグの戦いと最期を教えてくれた。
20日前に、彼は仲間と共に、王都を発った。
ちなみに仲間は全員、女の人――キルトさんは「エルは、獅子だからの」と笑っていた――だけど、彼と5年以上を共にしている熟練の魔狩人たちだという。
そんな彼らは、まず東にあるシュールの街に向かった。
最新の目撃地だ。
手掛かりは、特になかった。
「……嫌な感じだな」
でも彼は、その現場を眺めた時に、そう呟いたという。
そして彼は、北へ向かった。
理由はわからない。
でも、烈火の獅子エルドラド・ローグは、そちらに『闇の子』がいると判断した。キルトさん曰く、彼には、凄まじい直感力があるらしい。それに従ったのだ。
ダオル山脈。
標高が高く、万年雪さえ残る地で、彼はついに出会った。
――『闇の子』に。
『闇の子』のそばには、刺青のある5人の痩せた男女がいた。
これも『烈火の獅子』の直感か、こちらも最高戦力を揃えた金印と銀印の5人パーティーであった。
そして彼らは、闇の子のそばにいる5人と激突した。
戦いは互角。
闇の男女は、1人1人が『銀印の魔狩人』と互角だった。
『闇の子』は、ただ笑って観戦していたそうだ。
でも、
「むん!」
烈火の獅子エルドラド・ローグが、1人を倒したことで、戦局は一気に変わった。
1ヶ所に、2対1の状況が生まれ、更に、もう1人を倒した。
そして、もう1人も討伐する。
最終的に、5対2の状況になった。
勝利は目前だった。
でも、そこから、事態は急変する。
「報告には、『闇の子』の姿が、突然に消えたとあるわ」
「!」
僕らの表情が、強張る。
(……ケラ砂漠で戦った時と同じだ)
そして、ダオル山脈の白銀の世界で、それは最悪の形で起きたのだ。
銀印の魔狩人2人。
その身体に、突然、タナトス魔法文字の刺青が浮き上がった。
(……きっと触れられたんだ)
姿を消した闇の子に。
その2人の『銀印の魔狩人』は、仲間の1人に襲いかかり、そして殺してしまった。
思わぬ裏切りだ。
これで2対4。
戦況は、烈火の獅子にとって、一気に悪化していた。
彼は、決断する。
ただ1人残った仲間の『銀印の魔狩人』を、王都への伝令として逃がすことにした。
烈火の獅子は、1人で戦った。
かつての自分の仲間である銀印の魔狩人2人、そして、闇の男女2人と。
「報告には、見えない何か(・・)とも戦っているようだった、とあるわ。……きっと『闇の子』だったのね」
ムンパさんは、僕らの翼竜便を見て、初めてそれに気づいたという。
そして――烈火の獅子エルドラド・ローグは、死んだ。
報告を受け、現場に向かったギルド員は、竜巻が荒れ狂ったようなその地で、雪に半分埋もれた彼と、彼の3人の仲間の遺体だけを発見した。かつての仲間の介錯だけは、必死に済ませたのだろうと、キルトさんは言った。
僕らが、ケラ砂漠で見た『闇の子』の仲間は、2人だけだった。
それ以外は、『烈火の獅子』が倒してくれたのだ。
もし、彼がいなかったら、僕らの結果も違っていたかもしれない。
その事実に、心と身体が震えた。
全ての報告は、生き残った『銀印の魔狩人』からだ。
でも、追撃があったのだろう。
王都に戻った彼女も、重傷だった。
冒険者を続けることはもちろん、今後の日常生活にも影響が出るほどの怪我を負ったそうだ。特に、精神面のダメージが大きいようで、自死しないよう監視をしながら、現在もカウンセリングの最中だという。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
話を聞いて、僕らは4人とも声が出なかった。
ムンパさんは、大きく息を吐く。
「『烈火の獅子』の死は、シュムリア王家にも聖シュリアン教会にも、衝撃を与えているわ。すでに国王から、アルン神皇国に親書が送られて、『闇の子』という脅威に対して、国家間でも連携することになっている」
「…………」
「あと王家は、虎の子の『シュムリア竜騎隊』を動かすことにしたわ。完全に、『闇の子』と戦争するぐらいの本気度よ」
……戦争。
僕は、あまりの大事に、息が詰まっている。
でも、それだけ『金印の魔狩人』が負けたという事実は、大きいんだ。
姉妹は、完全に黙っている。
僕は、隣に座っているキルトさんを、恐る恐る見上げた。
「そうか」
彼女は、ようやく頷いた。
「その後、エルの死体は、どうした?」
「冒険者ギルド『黒鉄の指』の本部に、他の仲間の遺体と一緒に、安置されているわ」
「ふむ」
キルトさんは、少し考える。
「公表は、しないのか?」
「国民に与える影響が大きいもの。今は、箝口令が敷かれてるわ。来週の50周年式典の生誕祭で、国王自ら、発表するそうよ。祝いの祭りで、相殺させるつもり」
「なるほどの」
「でも、『闇の子』については、まだ公表しないわ」
……なんで?
疑問が顔に出ていたのか、ムンパさんが優しく笑って、教えてくれる。
「何もわかっていないからよ。教えても、みんな、ただ不安になるだけだわ」
「…………」
「その正体、その目的もそうだけど、何よりも、人を魔物にする力への対処法……これを見つけない限りは、公表できないわ」
そっか。
世界で、人が死ぬ病気が、発生しています。
予防法も、治療法もわかりません。
以上です。
(こんな発表したら、パニックが起きるだけだよね)
頷く僕。
そんな僕を、ムンパさんの紅い瞳が見つめる。
「???」
なんだろう?
見返すけれど、彼女は何も答えず、ただ笑みを深くしてから、キルトさんの方を見た。
「とにかく、キルトちゃんが無事でよかったわ」
「ふむ、そうじゃの」
キルトさんは、再生された右手を見つめて、軽く動かす。
ムンパさんは、その様子を眺め、
「最初に、翼竜便で『闇の子と戦った』って文章を見た時、私、ちょっと気を失いそうになったのよ? まさか、キルトちゃんも!? って」
「そうか」
豊かな胸を押さえるムンパさん。
キルトさんは苦笑して、それから大きく息を吐いた。
「正直、わらわたちは、運が良かったのであろう。何かが違えば、こちらも、エルのようになっていてもおかしくなかった」
「そう」
「うむ。一番の違いは、このマールじゃ」
ポンッ
(え?)
軽く肩を叩かれる。
驚く僕を、みんなが見つめる。
「理由はわからぬが、マールには、姿を消したはずの『闇の子』が見えていた。それがなくば、わらわたちは、ここにおるまい」
そ、そうなの?
(……なんか大袈裟な気もするけど)
でも、隣のイルティミナさんは、大きく頷いている。
ソルティスは、ちょっと不満そうだけど、否定はしなかった。
ムンパさんは、僕を見て笑った。
「そう……翼竜便の報告は、本当だったのね?」
「う、うん」
「マール君自身は、理由がわかる?」
フルフル
僕は、首を横に振った。
ムンパさんは、しばらく僕を見つめたあと、少し考える。
「そうね。記憶がないんだものね」
「…………」
「でも、やっぱり、関係があるのかしらね?」
そう呟くと、ムンパさんは、姿勢を正した。
「マール君」
「はい」
思わず、僕も姿勢を正す。
「君に、また1つ報告があります。実は、一昨日の夜、アルドリア大森林・深層部に行っていた調査隊が戻ってきました」
「!」
「そこで、また色々とわかったことがあるの」
イルティミナさんたち3人も驚き、僕を見る。
その3人を、ムンパさんは、少し迷ったように見回した。
すぐに、その意味に気づく。
「構いません。みんなにも、聞かせてください」
「…………」
「…………」
「…………」
キルトさんが、僕の髪をクシャッと撫でる。
ソルティスも頷く。
イルティミナさんは、膝に乗せた僕の手を、上からキュッと握ってくれた。
僕は、笑う。
3人も、笑った。
ムンパさんは、そんな僕らを見つめて、
「うん、わかったわ」
優しく微笑んだ。
そうして、彼女は、静かに話し始めた――。