82-082-In peaceful days



 ケラ砂漠から帰ってから、僕らには、日常が戻ってきた。

 ギルドからの待機命令もあり、クエストが終わった直後でもあって、僕らはのんびりと休暇を過ごしている。
 平穏な日々だ。

 そんな毎日の午前中、

「じゃあ、やってみて」
「うん」

 僕は、いつものように、ソルティスの部屋にいた。

 そして今、僕の両手には、彼女から借りた魔法の大杖が握られている。

(落ち着いて……ゆっくりと魔力を込めて……)

 温かいお湯のような感覚を、指先から大杖へと流し込み、それに反応して先端の魔法石が、白いLEDライトのように輝きだす。手にある大杖の内部で、僕の魔力が増幅されていくのが、なんとなく感じられる。

 見つめる魔法の天才少女が、頷いた。

「いいわよ。そのまま詠唱して、文字を書いて」

(うん)

 集中していて、返事ができないので、心の中で答える。
 そして、大杖を動かす。

 空中に、何度も練習したタナトス魔法文字を描いた。魔法石の光の軌跡が、文字として空中に残っていく。
 そして、

「僕の頭上で、光り輝け。――ライトゥム・ヴァードゥ!」

 しっかりテンポを保って、詠唱する。

 同時に、タナトス文字を書くのも完了した。
 魔力は、正しい量を込めた。

(――はずだ)

 大きく大杖を持ち上げ、前に――振る。

 ピィイン

「お?」
「あ」

 瞬間、光り輝く大杖の魔法石から、光でできた小さな鳥が飛び出した。

(お、おぉおお……!)

 パタパタ

 魔法の光でできた鳥は、僕らの頭上をクルクルと回り、暗かったソルティスの部屋を明るく照らしている。
 やがて、僕の頭の上にチョコンと乗った。

 僕は、ソルティスを見た。
 少女は、大きく頷く。

「おめでとう、マール。――成功よ」

 や、やった~!
 僕は思わず、ガッツポーズ。

 前世も含めて、初めての魔法である。
 こうして僕は……マールは、ついに魔法を覚えたのだ!


 ◇◇◇◇◇◇◇

 
 いや~、長かった。

 まずは『ライトゥム・ヴァードゥ』のタナトス魔法文字を覚えた。
 杖で、地面に何度も文字を書いて、練習した。

(でも、支えがなくなるから、空中に書くのって難しいんだよね)

 ソルティスに駄目出しされながら、がんばった。

 発声練習もした。
 音痴だから、大変だった。

 毎晩、イルティミナさんと一緒に歌って、発声のやり方やリズムを覚えた。

 実践しては、文字に込める魔力量に失敗して、何度も、逆流する魔力から大杖のヒューズ機能によって助けられた。
 僕自身の魔力が少ないので、練習も1日1回だった。

 本当に、本当に大変だった。

 だから、嬉しい!
 本当に嬉しい!

「うぅ、やったよ~」
「はいはい、がんばった、がんばった」

 ポムポム

 光鳥を頭に乗っけて泣く僕の肩を、苦笑するソルティスの小さな手が叩く。
 その光の鳥は、首をかしげて、

 ピィイン

 綺麗な声を、小さな部屋に響かせた。


 ◇◇◇◇◇◇◇


「じゃ、次からは『ヒーリオ』の魔法ね」
「うん」

 実践が終わったら、座学だ。

 でも、魔法を使った直後で、なんだか、ちょっとボーッとする。
 血の中の魔力が減ったせいかな?

 気づいたソルティスは、机の引き出しから、小さな小瓶を取り出した。
 それを差し出してくる。

 中には、蜂蜜みたいな液体。

「ほら、これ飲んで」
「これは?」
「キュレネ花の蜜。血中に魔力を取り入れやすくなるから」

 へ~?

「ありがと」

 受け取って、飲んでみる。うん、甘い。

 ゴクゴク

「基本的に、魔力は、呼吸でしか回復しないから。明日の朝まで、無茶しちゃ駄目よ?」
「ん、わかった」

 そして、ご馳走様。

 それからは、2人で仲良くお勉強の時間だ。

 次に覚えるのは、ヒーリオ。
 微回復の魔法だ。

「じゃ、一度やって見せるわね」

 そう言うと、彼女は突然、自分の小さな指の先を、ナイフでちょっぴり切った。

(わっ?)

 赤い血が流れる。

 驚く僕の前で、

「治れ。――ヒーリオ」

 ソルティスは、緑の光を放った大杖を手のひらに当てる。
 傷口は、すぐに消えた。

 消える前に、光の触手みたいなのが、傷口で動いていた。

 彼女曰く、この『回復の光』の長さと本数が、回復魔法の回復率に繋がっているんだって。要するに、よりたくさんの光の触手を生み出せるほど、上位の魔法なんだ。

 初歩の微回復は、5センチほどの1本の光だ。

 ソルティスは、傷の消えた小さな指を、僕へと向けて、

「ま、これぐらいの傷なら治せるわ」
「うん」
「あとは、打撲とか、捻挫とかね。でも、大した力はないわ。過信しないで。気休め程度に考えて」
「わかった」

 僕は、頷いた。

(でも、ないよりはマシだよね?)

 そして僕は、『ヒーリオ』のタナトス魔法文字と、詠唱の発音を教えられていく。

 ちなみに詠唱は、『ライトゥム・ヴァードゥ』や『ヒーリオ』の部分が重要で、その前に口にする部分は、好きに喋っていいんだって。

「魔法で大事なのは、イメージよ」

 と、天才少女ソルティス様は言う。 

 魔法に、どれだけの強度を持たせるかは、そのイメージで決まる。
 そのイメージが強くなるように、前口上をするのだ。

(なるほどね)

 いつも魔法を使う時に、ソルティスの口上が違うわけだ。

 ちなみに、アルドリア大森林の塔にいた頃、イルティミナさんが読み方を教えてくれた3文字のタナトス魔法文字――『ラー』、『ティッド』、『ムーダ』についても、実は、あれから、ちょっと調べてみた。

 タナトス魔法文字は、1文字で100以上の意味がある。

 でも、その中でも、よく使われる主要なものもあるわけで、3文字のそれを覚えたんだ。

『ラー』は、光の、聖なる、大いなる、などの意味。

『ティッド』は、小さくする、凝縮、圧縮、などの意味。

『ムーダ』は、空間、領域、閉じ込める、などの意味。

 それを知った僕は、天才少女に訊ねた。

「この3文字でできる魔法って、何かある?」
「ないわよ」

 即答だった。
 初めてイルティミナさんに教わったタナトス魔法文字だったので、僕は、ちょっと落ち込んだ。

 でも、ソルティスは続ける。

「今は、だけどね」

 ……ん?

「今は?」
「そう。ん~、なんていうかさ。タナトス魔法文字って、つまり『世界の鍵』なのよ」

 そして説明されたのは、こんな内容。

 そもそも、魔法とは、異世界の法則をこちらの世界で、具現させる行為である。その魔法を引き起こすタナトス魔法文字は、つまり、世界と世界を通じさせる扉を開くための鍵なのだ。
 それも、組み合わせ式の鍵だという。

 具体的には、こうだ。

 3つのタナトス魔法文字がある。

 まずは、並び方。
 3文字なので、6通りの種類がある。

 そして、文字に注ぐ魔力。
 これが重要だ。

 1文字ずつに、注ぐ魔力を決めなければいけない。例えば、魔力が100あるなら、3文字に3等分するか、50・30・20にするか、あるいは1・1・98にするかは、術者の自由だ。

 そして、『文字の並び』と『1文字に注ぐ魔力量』が、全てピタリと合うと、世界の鍵が開き、魔法が発動する。
 合わなければ、何も起きない。

 まるで、金庫のダイヤル鍵だ。 

(……組み合わせが、多すぎるよ)

 しかも、注ぐ魔力は、決して100単位でなく、1000、あるいは1億、それ以上に細分化して考えることも有り得るのだ。

 ソルティスは、言う。

「だからさ? 今は、まだ見つかってないだけで、その3文字で発動する魔法は、本当はあるかもしれないのよ」
「……見つかる気がしないよ」

 遠い目をする僕。
 ソルティスは、肩を竦める。

「そうね。でも、新しい魔法ってのは、偶然でも地道な努力でも、そうやって発見されてるのよ?」
「…………」

 そういえば、思い出した。

 前にソルティスは、自分のオリジナル魔法を使っていると言っていた。
 それはつまり、そういうことだ。

(……ソルティスって、本当に天才だ)

 あるいは、努力の天才かな?

 改めて、この眼鏡少女への尊敬の念を覚える僕であった。

 そのソルティスは、

「さて」

 パタン

 机の上の教本を閉じて、眼鏡の奥の、真紅の瞳で僕を見る。

「マールも無事、魔法が使えるようになったし、近い内に、魔法の発動体を買いに行きましょ?」
「え?」

 魔法の発動体って……杖のこと?

「いつまでも、私の大杖を使ってるわけにいかないでしょ? これだって、セキュリティ機能を解除してるだけで、本来は、登録者以外は使えない物なのよ?」
「あ、そうだったんだ?」

 知らなかった。

(ヒューズみたいな安全装置や、セキュリティ機能もあるなんて、魔法の杖って、結構、ハイテクなんだね)

 感心している僕に、少女は笑う。

「ま、安いのでも2千リド(20万円)はするから、ちゃんと、お金、用意しときなさいよね?」
「…………」

 そ、そんなにするんだ。

(う~ん、また出費がかさんでいくね)

 時間を作って、王立銀行からお金を下ろさないといけないな、と思う僕だった。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 午後は、キルトさんと稽古の時間だ。

 ケラ砂漠から帰ってきてから毎日、彼女は、ギルドからイルティミナさんの家まで通ってきてくれている。

「よし、始めるぞ」
「はい!」

 いつものように庭で、師匠と向き合う。

 僕は、『妖精の剣』を正眼に構える。
 対してキルトさんは、木剣を右手だけで持ち、左手は背中の方に回していた。これは、右手しか使わないためで、ここ数日のキルトさんは、ずっとその構えだ。

「やっ!」
「ふむ、まだまだ甘い」

 カンッ ギギィン ガッ

 何度も、剣を交わす。

 キルトさんは、前みたいに僕の剣をかわさないで、木剣で受けるようになった。
 別に、僕の腕が上がったわけじゃない。

 これは、キルトさんの右手のリハビリでもあるんだ。

 ガギィン

「うわっ!」

 幾度目かの剣戟の内、『妖精の剣』が弾かれ、僕の稽古は終了した。

(相変わらず、強いなぁ)

 そして、

「ほら、どきなさいよ、ボロ雑巾」

 ゲシ

「イテッ」

 僕のお尻を蹴って、今度は、木剣を持ったソルティスが前に出る。
 彼女は珍しく動き易いシャツとズボン姿で、その紫色の柔らかそうなウェーブがかった髪も、首のあたりで縛っている。

 そう。
 最近、彼女も、剣の稽古を始めたのだ。

「行くわよ!」
「来い」

 ガツン バキィン ガガン

 凄い音がする。

 剣の扱いは、まだ下手だけれど、パワーは凄まじい。
 さすが『魔血の民』だ。

「はい、マール」
「あ、ありがと、イルティミナさん」

 木陰に座って眺めていると、タオルと水の入ったコップを持ったイルティミナさんがやって来る。
 彼女は、妹の稽古を眺めて、

「前は、こういう剣の稽古などは、嫌がったんですけどね」
「…………」
「マールと出会ったことで、ソルの心境にも変化があったのでしょう。フフッ」

 なんだか、微笑ましそうな顔だった。

(ふぅん?)

 水を飲みながら、僕は、ソルティスを見る。

 あ。
 やっぱり負けた。

「く、くっそ~」
「そなたは、まず素振りをもっとせよ? 助言をするにも、それからじゃ」

 悔しそうなソルティスに、キルトさんは苦笑する。

 こちらに戻ってくるソルティスは、なぜか僕を睨んでいる。
 え、なんで?

 小さく笑うイルティミナさん。
 と、

「イルナ、そなたも相手をせい。やはり子供らでは、リハビリには足らぬ」
「はい、わかりました」

 指名されて、彼女は立ち上がった。

 仏頂面のソルティスから、木剣を受け取り、

「仇、討ってね?」
「はい」

 妹に頷き、美しい姉は、最強の『金印の魔狩人』に向き合った。

 空気が変わる。

 引き締まった静謐な世界で、2人の魔狩人の剣がぶつかり合う。

 カッ ヒュカカッ シュッ

 もう音が違う。
 2人の剣は、あまりに速くて、見えないものも多い。

「……次元、違うわ」
「だね」

 呆れるソルティスに、頷く僕。

(でも、いつか追いつかなきゃ)

 僕は、必死に、2人の動きを見つめ続けた。

 やがて、竜巻のような2人の戦いは、キルトさんの勝利で終わった。
 キルトさんの表情は、ちょっと満足そうだ。

「うむ。良い稽古になった」
「残念です」

 イルティミナさんは、ため息をこぼしている。
 今回は、前より善戦したみたい。

 キルトさんは、右手の小指を揉みながら、

「ふむ……まだ小指の反応が悪いが、これは後遺症にはなるまい。このまま動かし続ければ、よくなろうて」

 そうなんだ。
 やっぱり、治療するソルティスの腕が優秀だったからかな?

(うん、よかった)

 一安心して、僕は、立ち上がった。

「よし。じゃあ、次は僕の番だよ」
「うむ」

 キルトさんは疲れも見せず、僕ら3人と順番に戦っていく。

 やがて、日が暮れ始めたところで、稽古は終わった。

(あぁ、疲れた)

 ちょっと腕が痺れている。
 握力も弱くなっているし、さすがに、疲労が溜まっているみたいだ。

 そんな僕の様子を見て、

「ふむ、頃合か?」

 キルトさんは大きく頷く。

「よし。――最後は、マールとソル、そなたら2人で戦ってみよ」
「え?」
「私とマール?」

 僕らは、思わず、お互いの顔を見合わせた。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 手にする武器を木剣に持ち替えて、僕は、ソルティスの前に立った。

(お、重い)

 妖精の剣の軽さに慣れていたのもあって、今の疲れた腕には、この木剣の重さは、かなりきついものがあった。

 一方のソルティスは、

「フフッ、ぶっ潰してやるわ」
「…………」

 ブォン ブォン

 何度も素振りして、殺る気満々である。

 う、う~ん?

 キルトさんは、そんな僕らを見つめて、 

「2人とも気を抜くな? 最後まで、集中してやれ」
「はい」
「あったり前よ!」

 僕らは頷く。

 そして僕は、呼吸を整えると、いつものように、正眼に木剣を構えた。

 イルティミナさんは、ちょっと心配そうだ。
 僕と妹、どちらのことも応援できなくて、ただ祈るように両手を合わせながら、僕ら2人を見守っている。

(大丈夫だよ、イルティミナさん)

 心の中で、呼びかける。
 そして、

「始めい!」

 師匠の声で、僕らの稽古が始まった。

 声と同時に、

「でやぁああ!」

 ソルティスが木剣を振り被って、襲いかかってきた。

(うわ、速い!)

 慌てて、剣で受けていなす。

 ガチィン

 凄まじい衝撃が伝わってくる。

(おいおい!?)

 この子、本気で僕を殺す気なのかな?

「やぁ! とぅ!」
「……くっ!」

 ガキッ ゴキィン

 必死に受ける。
 1本でも受け損なったら、本当に死んでしまう。

(なんか、丸太で殴られてるみたいだ)

 それほどの威力。

 しかも、厄介なのは、僕の動きが『疲労』と『木剣の重さ』で、自分でも驚くほど遅いことだ。
 単純な『速さ』と『力』で、上回られている。

 こっちが勝っているのは、『技』だけだ。

(落ち着け、マール) 

 集中して、捌くんだ。

 攻勢を強めているのに、一向に当たらない少女は、苛立ったように叫ぶ。

「このっ! いい加減に、やられなさいよ!」
「…………」

 無茶言うな。

 ガキ ガガッ ギギィン

 下がりながら、捌いて、いなして、

「ええいっ!」

 焦(じ)れたソルティスの剣が、今までよりも大振りになった。
 今だ。

「やっ!」

 シュッ カツン

 僕の突きだした木剣の先が、狙い通り、振りかぶったソルティスの木剣の柄頭に当たった。小さな両手の中から、押された木剣がスポッと抜ける。

「へ?」

 武器をなくしたソルティスの首に、僕は、軽く木剣を触れさせる。

「はい、僕の勝ち」
「え? えぇえええっ!?」

 少女は、愕然としていた。

 ごめんね、ソルティス。
 でも、さすがに、あんな隙だらけの君の剣には、負ける気がしなかったよ。

 こんなに疲れてなくて、重い木剣でなかったら、もっと早く決着はつけられた。
 その自信がある。

 イルティミナさんは、安心したように大きく息を吐いた。
 キルトさんは、満足そうに頷く。

「うむ、そこまでじゃ」

 僕らの前に、木剣を拾ったキルトさんがやって来る。

 唇を引き結ぶ少女に、言う。

「わかったの、ソル? 力任せの剣では、すぐに限界が来る。これからは、嫌がらずに剣技も磨け」
「うぅ、わかったわよ」

 木剣を受け取り、彼女は頷いた。

 そしてキルトさんは、今度は、僕を見る。

「マールも、今日の戦いを覚えておけ。これからは、同じようなことが続く」
「え?」

 どういう意味?
 困惑する僕に、師匠は言う。

「剣士として、そなたは、生まれながらのハンディを背負っておる。それは『魔血の民』ではない、ということじゃ」
「…………」
「素人のソルティスでさえ、あの力と速さがある。それほど『魔血の民』の身体能力は高く、そなたとは雲泥の差があるのじゃ。そして、その差は、この先も決して埋まらぬ」

 その言葉に、心が冷えた。

(それは……僕が、剣士に向かないってこと?)

 僕の青い目の中にある『恐怖』を見つけて、美しい師匠は、首を振る。

「違う」
「…………」
「己の短所を知れ、ということじゃ。『力』や『速さ』に劣るそなたは、何よりも『技』を磨け」

 キルトさんの黄金の瞳は、強い力で、僕を見つめている。

「高みに近づくにつれて、そなたは、今日のような戦いを、何度も経験するであろう。それに勝利できるように、一心に『技』を磨き続けよ」
「…………。うん」

 僕は、頷いた。
 キルトさんは、頼もしく笑う。

「大丈夫じゃ。そのための『剣技』を、この鬼姫が授けてやろうぞ」

 クシャクシャ

 そう言うと、彼女は、白い手で僕の髪をかき回した。
 わわ?

 慌てる僕に、キルトさんは、楽しそうに笑った。

 ソルティスは唇を尖らせながら、なんだか複雑そうに僕を見ている。イルティミナさんは、いつものように優しく笑って、僕らのことを見守っている。

(そっか。僕には、『剣技』しかないんだ)

 今更、気づいた。
 正直、ちょっとショックはあったけれど、でも、早めに知ることができてよかった。

 キルトさんも、それを教えるのは、師匠としてやっぱり辛かったのかな?

 でも、ちゃんと教えてくれた。
 なら僕は、それに応えられるようにしないといけない。

(うん、がんばろう!)

 小さく拳を握る。

 そうして、夕暮れの庭での僕らの稽古は、終わったのだ。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 そんな風に、日々は流れて、あっという間に1週間が過ぎた。

 明日は、シュムリア国王の生誕50周年式典である。

 僕とソルティスは、イルティミナさんの家のリビングで、彼(・)女(・)が出てくるのを待っていた。

「――待たせたの」

 お?

 振り返ると、ドレス姿の美女が階段を下りてくる。

 淡い黄色のドレスを身にまとい、豊かな銀色の髪は結い上げられている。肩と胸元は剥き出しで、その白い肌の上に、煌びやかな宝石の首飾りが輝いている。動くたびに、耳飾りが揺れ、額飾りの宝石もキラキラと煌めいた。

 それは、美しいドレスに着飾った、あのキルトさんだった。

(うわぁ、まるで、本物のお姫様みたいだ)

 呆ける僕。
 ソルティスは、女の子らしく、そのドレス姿に魅入られた顔だ。

 そのお姫様の後ろでは、着付けを手伝ったイルティミナさんが、彼女のドレスの裾を持ってあげながら、満足そうな顔をしている。

「あまり見るな。似合わんのは、わかっとる」

 お姫様は、頬を染めて、そんなことを言う。

 ブンブン

 僕は、全力で首を横に振った。

「ううん。キルトさん、凄い綺麗だよ」
「……ぬ、そうか?」

 彼女は、少し照れた顔をする。
 イルティミナさんが、楽しそうに笑う。

「だから、大丈夫と言ったでしょう? とても似合っていますよ」
「……世辞にしか、聞こえぬ」
「本当ですよ」

 うん、本当だ。

 こういう格好は、慣れていないのか、キルトさんは居心地悪そうである。
 でも、しょうがない。

 彼女はこれから、お城に行くのだ。

 今夜、お城の大広間で、式典前夜の晩餐会が行われる。
 王様や貴族様の集まる場だ。

『金印の魔狩人』である彼女も、そこにシュムリア王家から直々に招待されているのだ。

 大変だなぁ、と思う。

 でも、今のキルトさんは、本当にお姫様みたいで、そこにいる貴族の淑女たちにも絶対に負けていないと思うのだ。

「いいなぁ」

 少女が、憧れの眼差しで呟く。
 キルトさんは苦笑し、コルセットが苦しいのか、大きく息を吐く。

「正直、このような服は、性に合わぬよ」
「我慢なさい」

 イルティミナさんが笑って、最後にドレスの乱れを整えた。

 コンコン

 と、家の扉がノックされる。
 扉を開けると、そこに格好いい鎧の騎士様たちが立っていた。彼らの後ろ――家の前の道には、豪華な馬車が停まっている。

 彼らは、厳かな声で言った。

「キルト・アマンデス様、そろそろお時間です」
「うむ」

 キルトさんは、頷く。
 そして、僕らを振り返って、

「ま、仕方ないの。では、晩餐会で、高そうな酒でも飲んでくる」
「うん」
「粗相のないように」
「いってらっしゃい、キルト」

 鬼の姫様は、小さく笑って、騎士様たちにエスコートされながら、馬車に乗り込んだ。

 ガラガラ

 音を立て、豪華な馬車は動きだす。

 道の左右には、何事かと集まっている人たちが大勢いた。ドレス姿のキルトさんを見た時、みんな、「おぉ……」と歓声を上げていた。
 ちょっと誇らしい。

 そして、馬車は坂道を下り、曲がり角を曲がって見えなくなる。

「…………」
「…………」
「…………」

 僕らは、それを見送った。

 なんとなく僕は、姉妹の方を見た。
 2人とも、今は普段着だ。

 イルティミナさんは、ワンピース姿で、長く美しい深緑色の髪を、緩やかな三つ編みにしている。

 ソルティスは、いつもの眼鏡に、シャツと膝丈ぐらいのスカートだ。柔らかそうな紫の髪は、首の後ろで左右に分けて、縛っている。

(う~ん?)

 僕は、正直に言う。

「2人のドレス姿も、見たかったな」
「おや?」
「何、言ってんのよ」

 イルティミナさんは、嬉しそうに笑い、ソルティスは、僕の足をペシッと軽く蹴って、家に戻ってしまった。でも、その頬は、ちょっと赤かった。

 妹の背中に苦笑し、そして、イルティミナさんは、坂の下に広がる街の方を見る。

 今日は、そちらからずっと、賑やかな音が聞こえていた。
 時折、花火も上がったりする。

 明日の式典を迎えて、王都ムーリア中が、前日祭で盛り上がっているのだ。

(なんか、空気が明るいな)

 その熱気に誘われて、こっちの気分まで高揚してくる。

 僕に気づいて、イルティミナさんが笑う。

「あとで、3人で、街の方まで行ってみましょうか?」
「え、いいの!?」

 やった。
 喜ぶ僕に、真紅の瞳を細めて、イルティミナさんは笑みを深くする。

「では、外出準備をしましょうね?」
「うん」

 僕らは、手を繋いで、玄関へと歩いていく。

(やっぱり、お祭りっていいよね)

 前世が日本人だからかな?
 うん、とても楽しみだ。

 そうして、その日の午後、僕らは、お祭り騒ぎの王都の中心部へと、出向くことになったのであった――。