85-085-Princess Reklia Greyg Ad Shmuria



 なんで?
 なんで、このシュムリア王国の第3王女様が、僕に会いたがるの?

 困惑する僕。
 キルトさんは、難しい顔で言った。

「恐らく、そなたが『神狗』だからであろうな」
「…………」
「前にイルナから聞いたと思うが、シュムリア王家の方々は、女神シュリアンの子孫と言われておる。第3王女は、特に、その『女神の血』を色濃く引いていると聞く。――ムンパの報告を受けて、神の眷属だというマールに、興味を持たれたのではないかの?」

 えぇ?

(そんなこと言われても、困るよ)

「僕、自分でも『神狗』がなんなのか、よくわかってないんだよ? それでも、いいの?」
「うむ。どうかの?」

 キルトさん、首をかしげている。

(ちょっと、キルトさん!?)

 よくなかったら、僕は、どうなってしまうんだろう?

 前世の僕は、小市民だ。

 そして今も、小心者だ。

 はっきり言って、そんなお偉い人たちに会いたくないし、関わりたくない。
 だって、礼儀作法とかわからないし、もし知らずに失礼なことをしてしまったら、投獄されたり、最悪、処刑されてしまうんではないかと思っている。いや、勝手なイメージだけどね?

 でも、イルティミナさんも、僕のことを心配そうに見ている。

 僕は、正直に告白した。

「……逃げたい」
「駄目じゃ」

 キルトさんは、苦笑する。
 それから、少し真面目な顔になって、

「これは、王家の命じゃ。それを断ると、わらわだけではく、そなたの所属ギルドの長であるムンパや、ギルドそのものの立場が危うくなる。最悪、今のそなたの保護者であるイルナにも、責が及ぶかもしれぬ」

 えっ!?

(そんな馬鹿な!?)

 驚く僕に、キルトさんは言う。

「これは、レクリア王女が望まなくても起きる。――王家のしがらみ、という奴じゃ」

 …………。
 黙り込んだ僕の手に、上からイルティミナさんの白い手が重なった。

「私たちのことは、気にしないで構いませんよ?」
「…………」
「大丈夫、自分たちでなんとかしますから。ですから、マールは、マールのしたいようにしてください」

 優しい微笑み。
 どこまでも、自分よりも僕のことを優先してくれる、慈愛に満ちたお姉さんだ。

(…………)

 その笑顔を見つめて、僕は、覚悟を決めた。

 一度、大きく息を吐き、

「わかった。王女様に会うよ」
「そうか」

 キルトさんは、どこか安心したように頷いた。

「……よろしいのですか、マール?」
「うん」

 イルティミナさんは、驚き、それから心配そうな顔になった。
 僕は、笑う。

(うん、この人に、絶対に迷惑をかけちゃいけないよ)

 そして、そんな彼女を見ていたら、むしろ『がんばらなきゃ』という気持ちになった。
 キルトさんは、僕ら2人を見て、頷く。

「そう心配するな。レクリア王女とは、前に何度か挨拶をする機会があったが、若いが聡明な方であった。悪いことにはならぬであろう」
「うん」
「……ま、無礼を働かなければの」

 最後は、呟くように言う。

 う~ん。
 礼儀作法を知らない僕は、正直、そこが洒落にならないんだけどね?

(ま、がんばって気をつけよう)

 そうして話が決まると、控室の外で待っていてくれた王女の侍女であるフェドアニアさんが、呼ばれた。キルトさんが話をしてくれて、侍女さんの案内で、僕は王女様に会いに行くことになった。
 でも、面会できるのは、僕1人だけだという。

「レクリア王女が呼んだのは、マール様だけですので」
「…………」

 フェドアニアさんは、澄まして言う。

 キルトさんは苦笑し、イルティミナさんはやっぱり心配そうだ。
 まさか2人がついて来てくれないとは思ってなくて、僕も不安になってきた。

 なんか、心が寒いよ。

(……やっぱり、逃げればよかったかな?)

 後悔先に立たず。

 前を歩くフェドアニアさん、後ろを歩く2人の騎士様に囲まれて、僕は連行される囚人のような気分で、長い長い大聖堂の廊下を歩いていった――。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 やがて僕らは、大聖堂の裏口のような扉を抜け、外に出た。
 大広場とは反対側。

 目の前には、長い階段があり、その先には、湖上に建つ、美しく荘厳な神聖シュムリア王城がある。

 第3王女は、王城にいるのだ。

(まさか、僕がお城に行くなんて……)

 いまだ現実感が希薄だった。

 フェドアニアさんと2人の騎士様に連れられて、10分ぐらいかけて、湖の上の階段を登る。うん、疲れた。

 振り返ると、王都ムーリアの街並みが見える。

 白い外壁の向こうには、広がる草原に遠い山々が一望できて、広大な大陸の息吹を感じることができた。
 この異世界は、本当に自然豊かな大地だ。

 眼下には、大聖堂がある。

 王城に行くには、階段の前にある大聖堂を、必ず通らなければならない――上から見ると、それがよくわかる。
 まさに神の子孫を守る、神に仕える門番の詰所だ。

「マール様?」
「あ、すみません」

 フェドアニアさんに声をかけられ、足を止めていた僕は、慌てて追いかける。

 大きな、美しい門がある。

 王女の侍女さんは、そこに立つ門番の騎士様たち3人と話をしている。

 いつも遠くから眺めるだけだったお城は、今、こうして近くで見上げると、威圧されるほどに巨大で、また王城の壁や柱なども、細部に渡るまで、見事な装飾が施されていることがわかった。

 やがて僕らは、大きな門ではなく、その横にある通用門を潜った。

(うわぁ……)

 初めて入ったお城に、ちょっと圧倒される。

 美しい。
 その一言だ。

 壁や柱は、材質のわからない輝く白い素材で造られている。

 天井は高く、空間は広く、長い廊下には、金糸の入った真っ赤な絨毯が敷かれ、頭上には煌びやかなシャンデリアが幾つも続いている。イメージにあったお城よりも、更にもう1段、上の素敵さだ。

 呆気に取られながら、廊下を歩く。

 たまに、騎士様や文官らしい服の人たち、メイドさんみたいな人たちとすれ違う。うん、みんな、変な目で僕を見ている。『なんで、ここに平民の子が?』って感じ。

(……本当、なんでだろうね?)

 僕も、ちょっと遠い目だ。

 やがて、連れてこられたのは、空中庭園のような場所だった。
 綺麗な花々が咲き、噴水もある。

 その中央に、柱と丸い屋根で造られた、真っ白な小さな建物……ガゼボっていうんだっけ? があった。

 庭園の入り口には、2人の騎士様が立っている。
 それも、女性だ。

(…………)

 キルトさんやイルティミナさんが構えた時のように、2人の周囲だけ空気が違う。相当、腕が立つんだと思う。こっちに視線が向けられただけで、『圧』も感じられた。

 王女の侍女であるフェドアニアさんが、2人の女騎士さんと話す。
 そして、

「マール様、あちらでレクリア様がお待ちです。どうぞ、お進みください」

 真っ白なガゼボを示した。

 彼女は、その場から動かない。
 どうやら、ここからは僕1人で行け、ということらしい。

 僕は、深呼吸した。

(よし、行こう)

 緊張を飲み込んで、僕は、震える足を前に押し出していった――。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 甘やかな花の香りの庭園を歩き、真っ白なガゼボに近づく。

 ガゼボには、小さなテーブルと2脚の椅子があった。テーブルの上には、チェス盤のような物が置いてある。そして、それを小さな指で摘まむ、1人の美しい少女がいた。

(……この人が、レクリア王女)

 一目でわかった。

 まとっている空気が違う。
 上品で高貴、気品に満ちたそれは、今まで見てきた人とは、どこか雰囲気が違っていた。

 年齢は、12~3歳。
 僕と同じぐらい。

 肩口で揃えられた、水色の綺麗な髪。白磁のように滑らかで、透き通るような白い肌。その薄紅色のドレスをまとう王女様は、とても美しかった。

 中でも、目を惹いたのは、その瞳。

(……オッドアイだ)

 右の瞳は、深い海のような蒼。左の瞳は、煌めく黄金の輝き。

 王女の指が、駒を置く。

 コトン

 竜を模した駒が、チェス盤で小さな音を響かせる。
 そして、

「――貴方、キュポロはお好き?」

 不意に、紅色の唇が動き、鈴を転がしたような可愛らしい声が、そう訊ねてきた。

 え?
 キュポロ? 

(……もしかして、そのチェス盤のことかな?)

 戸惑う僕に、彼女は小さく笑う。

 対面の椅子を示して、

「まずは、そちらにお座りなさいな」

 人に命令することに慣れた声だな、と、なんとなく思った。でも、嫌な気分じゃなかった。

 僕は、素直に従う。

 そんな僕の全身を、レクリア王女は、ジロジロと見つめた。そして、蒼い右目を閉じて、左の金瞳だけで、僕を見た。
 その左目は、少し不思議な光を放っている。

「ふぅん?」
「…………」
「貴方、何かが混ざっていらっしゃるのね? 何が混ざっているのかまでは、わからないけれど、とても不思議な生命の形ですわ」

 ドキッとした。

(もしかして、不純物である僕(・)に気づいたの?)

 強張る僕に、彼女は可笑しそうに笑う。

「挨拶が遅れましたわね、申し訳ございません。わたくしは、レクリア・グレイグ・アド・シュムリア。ご存知かもしれませんが、このシュムリア王国の第3王女ですわ」

 優雅な一礼。

 僕も、慌てて返事をする。

「あ、えっと……僕は、マールです。王都で、赤印の冒険者をやっています」
「…………」

 レクリア王女は、もう1度、僕を見つめる。

「なるほど。ずいぶんと、変わってしまわれたのですわね?」
「…………」
「それでも、今は、金印の魔狩人キルト・アマンデスのお気に入り。ならば、このまま一緒に行動していただくことが、最善の手なのでしょうか?」

 最善の手?
 いや、まずその前に、

(今、『変わってしまわれた』って言ったよね?)

 その言葉の意味は、つまり、

「……あの、レクリア王女様? 僕には、記憶がありません。でも、その……貴方は、昔の僕を知っているんですか?」
「いいえ」

 彼女は、水色の髪を揺らし、首を振る。
 右目を閉じて、

「わたくしは、知りませんわ。ただ、わたくしの左目にある『シュリアンの瞳』には、時々、女神シュリアン様のお記憶が、流れ込んでくることがありますの。――その時、見えた光景の中には、神魔戦争での貴方の姿もあったのですわ」

 金色の光る瞳で、僕を見つめながら、そう言った。


 ◇◇◇◇◇◇◇


(神魔戦争での僕……つまり、『神狗』のマールのこと?)

 驚く僕の前で、王女は瞳を伏せる。

「正直に申しまして、狩猟の女神ヤーコウルには、大した力がありませんでしたわ」
「…………」

 ピクッ

 心がざわついた。
 敬愛する主神を貶されて、『マールの肉体』が怒っていた。

 彼女は、そんな僕を見る。

「けれど、彼女に仕える7匹の猟犬は、違いましたわ。400年前の神魔戦争において、神に等しい力を持つ悪魔にも、勇敢に立ち向かい、たかが『神狗』でありながら、7匹の力を合わせて、それを噛み殺してしまったこともあるほどに」
「…………」
「その力は、戦の女神シュリアン様も、お認めになるほどでしたわ」

 その声には、畏怖があった。
 彼女の金色に輝く左目は、僕の知らない神魔戦争でのマールの姿を、見たことがあるようだった。

 レクリア王女は、熱っぽい声で言う。

「その『ヤーコウルの神狗』のただ1人の生き残り――それが、貴方なんですのよ?」
「…………」

 その言葉が、胸の奥に刺さる。

 ふと、見たことのない6人の『光の子』の姿が、頭の中に浮かんだ。
 刺さった胸の傷から、色んな感情が、湧いてくる。

(……この子たちが、かつての、マールの仲間なんだね?)

 そう思った。

 彼らと共に、僕は……マールは戦ったんだ。 

 懐かしくて、悲しい。
 でも、それは『マールの肉体』に残る、過去の記憶だった。

「…………」

 僕は、レクリア王女を見た。

 彼女は、何かを待っていた。
 それが目覚めるのを待つように、オッドアイの美しい瞳で、僕のことを見つめていた。

(…………)

 なぜ自分が呼び出されたのか、その理由が、なんとなくわかった気がする。

 僕は、申し訳なく思いながら、伝えた。

「ごめんなさい。今の僕は、もう『ヤーコウルの神狗』ではなくて、ただのマールなんです」
「…………」

 レクリア王女は、表情を変えなかった。

 でも、瞳の奥に、落胆が滲んだのがわかった。
 そのまま、けなげに微笑んで、

「そう、ですの」

 ようやく、少し震える声を漏らした。

 彼女が、『ヤーコウルの神狗』としての僕を求めていたのは、強く感じられた。表情や声から、それを期待しているのが、ずっと伝わってきていたから。
 できるなら、期待に応えたかった。

 でも、

(もう僕は、僕でしかないんだ)

 その真実は、変わらない。

 せめて、それをはっきりさせておくことが、僕がレクリア王女様にできる唯一のことだった。

 王女は、ゆっくりと息を吐く。 

「そうですわね」

 2色の瞳を伏せて、小さな指が、キュポロの駒に触れる。

「報告にもあった不完全な召喚……この目で見ても、わかりましたわ。混ざったことにより、その『神狗』の力の大半を失っていると。――もはや、『ヤーコウルの神狗』は全滅した、と考えるべきなのでしょうね」

 コロン

 1つの駒が、ゆっくりと倒れた。
 盤上に転がったそれは、犬の形をしていた。

(…………)

 レクリア王女は、椅子の背もたれに大きく寄りかかった。
 とても疲れた顔だ。

 きっと、このまま帰っても、何も言われない気がする。
 でも、

「王女様、1つ聞いてもいいですか?」
「……なんですの?」

 目を閉じたまま、彼女は言う。

「もしかして、レクリア王女様は、『闇の子』の正体についても、何か知っているんですか?」
「…………」

 僕の問いに、オッドアイの瞳が開いた。

 少し迷い、それから、彼女は口にする。

「あれは、『悪魔の欠片』ですわ。この大地にある悪魔の肉体から、漏れて、染み出した分裂体――つまり、悪魔の一部なんですの」

 ――――。

(あれが、悪魔の一部……っ)

 胸の奥で、凄まじい怒りの業火が燃え上がった。

 両手を知らず、握りしめる。
 爪で皮膚が裂けて、ポタポタと血がこぼれた。

 庭園の入り口にいた2人の女騎士たちが、僕の怒気に反応して、思わず、こちらを振り向いていた。

 レクリア王女は驚き、そして、嬉しそうに笑った。

「なるほど。……記憶を失おうと、その『神狗』の闘争本能は、健在ですわね?」

 …………。
 僕は、必死に感情を抑え込む。

「……レクリア王女? その悪魔の話、もう少し詳しく教えてもらえますか?」
「もちろんですわ」

 レクリア王女は、その白い指先で、倒れた犬の駒を立たせながら、大きく頷いた。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 ――全ての始まりは、やはり神魔戦争だった。

 今から400年前に起こった神魔戦争は、神々と人の勝利に終わった。

 敗れた悪魔たちは、消滅したか、あるいは、生き残ったものは魔界へと逃げ帰ったとされている。そうして魔界との穴は塞がれて、現在、この人界から、悪魔の存在はいなくなったのだ。

 でも、真実は、少しだけ違った。

 悪魔はいない。
 けれど、存在しないわけではなかった。

「一部の悪魔は、地上に封印されているのですわ」
「封印?」

 そう、神魔戦争において、滅ぼすこと叶わず、封印することでしか対処できなかった悪魔たちも存在したのだ。

 封印された悪魔。

 もしも復活してしまえば、人々は滅んでしまう。

 400年前、神界へと帰還する神々は、それを憂いて、人々に『神界の門』と呼ばれる、神々の使徒を召還する魔法の遺物を造らせたのだ。

 無論、封印が破れるとは思っていなかった。
 だが、万が一の備えだ。

「その神々の慈愛が、結果として、人類を救ったんですの」

 300年前の話だ。
 封印から100年が経ち、ある悪魔の封印の地で、異変があった。

 悪魔の一部が、地上に現れたのだ。

 封印を破ろうとした悪魔は、その凄まじい抵抗の代償として、死んでしまった。けれど、黒い触手のような悪魔の一部は、地上に残された。その悪魔の触手は、生き残ったのだ。

(……まさか)

 僕は、震えた。
 ムンパさんが話してくれた、かつて『ヤーコウルの神狗』が召喚された、その理由は……。

 レクリア王女は、頷く。

「300年前のその時、世界各地に残された神界の門から、多くの『神の子』らが召喚されたそうですわ。『ヤーコウルの神狗』も、その1つ」
「…………」

 神々の使徒は、その『悪魔の欠片』と戦った。

 欠片とはいえ、相手は、神と同等の力を持つ悪魔の分裂体である。

 使徒たちは、多くの命を散らしながら、その恐るべき『悪魔の欠片』をようやく滅ぼしたのだ。

(…………)

 胸が苦しくなり、僕は、服の胸元をギュッと掴んだ。

 僕も……かつてのマールも、7人の仲間たちと共に、その恐ろしい悪魔の一部と戦ったんだ。そして、6人の『ヤーコウルの神狗』が殺され、生き残ったマールは、たった1人になってしまった。

 目を閉じる。
 ポロッと、一粒の涙が頬にこぼれた。

 でも、すぐにそれを拭って、顔を上げる。

 レクリア王女は、そんな僕の様子を、蒼と金の美しい瞳でジッと見つめていた。

「300年前は、多くの『神の子』らの犠牲によって、世界が救われました」
「…………」

 彼女の唇から、短い吐息がこぼれる。

「ですが、残念なことに、また、世界は危機に瀕してしまったのですわ」

 王女は言う。

 300年前の危機を越えたあとも、世界各地にある悪魔の封印された土地では、ずっと監視が行われていた。

 2月ほど前、その内の1つの監視所から、突然、連絡が途絶えた。

 急行したシュムリア竜騎隊が見つけたのは、誰もいなくなり、血だまりだけが残った監視所と、大きな亀裂の生まれた封印の大地だった。大地の底には、見たこともない巨大な生物の死骸が覗いていたという。

 同時に、レクリア王女の『シュリアンの瞳』に、神託の声が視えた(・・・)。

『――再び、災いの種が芽吹いた』

 と。

 同じように、世界各地にいる数名の神職者たちにも、神託が降りていた

 それはシュムリア王国だけでなく、アルン神皇国でも、だ。正義の神アルゼウスと愛の神モアからも神託があり、すぐに箝口令が敷かれて、それらは一部の人だけが知る真実となった。

 その1人であるレクリア王女は、言った。

「今回、封印を破ろうとした悪魔の残した分裂体、それこそが、あの『闇の子』の正体ですわ」
「…………」
「300年前と同じであるならば、恐らく、その『闇の子』の目的は、封印された他の悪魔たちの解放。今はそのための、魔の戦力を集めている最中なのでしょうね」

 魔の戦力という言葉に、ケラ砂漠の夜を思い出す。

(……冗談じゃないっ)

 その魔の戦力によって、人類最強の戦力である『金印の魔狩人』たちは、その1人が殺され、もう1人も右手を失い、辛うじて、相手を撤退させた状況だったんだ。
 もし、このまま更に戦力が増えていったら?

 未来は、恐ろしい闇の中にあった。

「時間の余裕がある、とは言えませんわ」

 王女は言う。

「ですが、こちらも今は、対抗する戦力を集めている最中ですの」
「対抗する戦力?」

 彼女の視線は、僕を見ている。

(あ……)

 レクリア王女は、頷いた。

「300年前と同じように、今、こうして神界から『ヤーコウルの神狗』は召喚されましたわ。同じように、世界中に残された『神界の門』から、この地上には『神の子』たちが召喚されているはずですわ」

 僕のような『神の子』たちが?
 この世界には、『災いの種』に対抗する、『希望の種』も芽吹いている。

 でも、王女の美貌は、まだ険しいままだった。

「ですが、300年前の災禍で、『神の子』たちのほとんどが命を落としました」
「…………」
「現在、確認されている『神の子』は、アルン神皇国に2人。そして、シュムリア王国では、まだ貴方1人だけですの」

 僕を入れても、まだ3人?

(なんで、そんなに少ないんだろう?)

 そう思った時、ふと『闇の子』の笑みが思い浮かんだ。
 まさか、

「……『闇の子』に襲われて、先に『神の子』たちが殺されている?」
「!」

 ただの思いつきだったけれど、レクリア王女は、得心したように目を見開いた。

「ありえますわ。すでにマール様の前に、2度、姿を現しているのも、ひょっとしたら、マール様を殺すために……?」
「…………」

 かもしれない。
 でも、その時の僕には、運良くキルトさんやイルティミナさんがいた。

(もし2人がいなかったら、僕はもう……?)

 背筋が震えた。

 あぁ、僕は本当に、あの人たちに守られている。

 レクリア王女は、しばらく考え込んでいた。
 癖なのか、盤上にあるキュポロの駒たちを、爪でコンコンと叩いている。

(……ん?)

 ふと、その駒の形に気づいた。

 翼を広げた竜。
 聖騎士。
 角の生えた女。
 杖を手にした老婆。
 犬。

 そして、盤の外に倒れているのは、獅子の駒だった。

 なるほど。

 レクリア王女は、ようやく思考を終えた。

「これは、やはり教皇様にもお願いして、神殿騎士も動かさなければなりませんわね」

 コツン

 小さな指が弾いたのは、聖騎士の駒だ。

「頼るべきは、やはり『神の子』ですけれど、今は、現状の戦力を総動員して、対処していくしかありませんわ。その上で、『神の子』らを集めていかなければ、後手後手になってしまう。全く、関係各所への根回しが、大変ですわね」

 王女様は、ため息と共に苦笑する。
 そんな彼女に、聞いた。

「僕は、何をしたらいいですか?」
「マール様は、このまま、すぐにアルン神皇国に向かってくださいませ」

 即答される。

(アルン神皇国に?)

「そこにいる2人の『神の子』らに、会っていただきたいのですわ。可能ならば、『神狗』としての力を取り戻し、不可能であったとしても、アルン神皇国にある『神武具』の1つを拝領し、少しでも戦闘力を上げておいてくださいまし」
「……神武具?」
「神力によって力を発動する、神々の武具ですわ」

 へぇ、そんなものがあるんだ?

「アルン皇帝には、わたくしとお父様の連名で、その旨の書状を用意いたしますわ」
「…………」

 うん、あっさり言ってるけど、お父様ってシュムリア国王だ。

(なんか、雲の上の話だよね)

 でも、悪いけど、呆けている場合じゃない。
 僕は頷いた。

「わかりました。そうします」
「よしなに」

 レクリア王女は、満足そうに微笑んだ。

「護衛として、金印の魔狩人キルト・アマンデスのパーティーをつけますわ。その方が、マール様もよろしいでしょう?」
「はい」

 気遣いに感謝して、

「でも、レクリア王女? 護衛ではなくて、彼女たちはもう、僕の大切な仲間です」
「…………」

 彼女は、少し驚いた顔をする。
 でも、すぐに頷いて、

「そうですわね。では、マール様とお仲間の皆様に、改めて、冒険者ギルドの方へ依頼を出させていただきますわ」
「はい、お願いします」

 僕の小さなこだわりに、彼女は微笑み、そう配慮をしてくれた。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 それにしても、アルン神皇国か。

 ようやくシュムリア王国での生活に慣れてきたところだったのに、今度は、まさかの国外だ。
 また違う文化や、考え方に触れるのかもしれない。

(どんな所なんだろう?)

 楽しみでもあり、不安でもある。

 何よりも、僕以外の神の眷属が、そのアルン神皇国にはいるという。自分が不完全な存在であるのもあって、その2人の『神の子』らに会うのは、若干の恐怖もあった。

(……知らない土地に行くんだもんね、色々と考えるよ)

 その時、ふと『知らない土地』で思い出した。

「あのレクリア王女? 1つ、聞いてもいいですか?」
「あら、なんですの?」

 キュポロの駒を見ていた彼女は、こちらを向く。
 僕は、訊ねた。

「こんな時なのに、シュムリア王国は、なぜ『暗黒大陸への開拓団』を派遣することにしたんですか?」

 今は、戦力を集める時期なのに、これでは戦力の分散だ。
 レクリア王女は「あぁ」と納得し、

「それは、暗黒大陸にも、悪魔が封印されている可能性があるからですわ」
「え?」

 暗黒大陸に悪魔が?

 驚く僕に、レクリア王女は教えてくれた。

 伝承や『シュリアンの瞳』で視えた神託では、400年前に封印された悪魔の数は、9体だという。けれど、現在までに世界中を探して、見つかった封印の地は、8ヶ所だった。もう1ヶ所が、どうしても見つからない。

 そんな折、40年前に暗黒大陸が発見された。

「つまり、その未開の大地に、最後の封印があると推測されるのですわ」

 そうして、開拓団は派遣された。

 けれど、結果は全滅。

 4度の派遣にも拘わらず、何の成果もなく、開拓団は全滅を繰り返し、封印の地である根拠も推測以外にないという事実によって、この10年間の派遣は、取り止められていた。

 だが、『闇の子』の出現によって、状況は変わった。

 もしも、暗黒大陸に、悪魔が封印されており、それを『闇の子』が先に発見した場合には、その封印が破壊される可能性は、非常に高い。それを阻止するためには、開拓団を派遣して、何としても先に封印を発見し、それを防衛する必要が出てきたのだ。

(なるほど、それで)

 納得する僕に、

「そうお父様に無理をお願いしたのは、わたくしですの」

 レクリア王女は、可愛らしく笑った。

 うん、この第3王女様は、本当に先を見据えて、それを行動に移す実行力がある。
 凄い子だ。

「とはいえ、どう急いでも、出発準備に1年はかかってしまいますの。――どうか、マール様? それまでに力をつけて、アルン神皇国から帰ってきてくださいましね?」
「う……ど、努力します」

 期待されると、ちょっと困る。

 もちろん、努力を怠るつもりはない。
 でも、あの『闇の子』に対抗するには、キルトさんやイルティミナさんぐらいに強くなる必要があるんだ。

 1年で、あの領域まで到達しろと言われても、

(……正直、自信ないかな?)

 さすがに不安は隠せない。

 世界の命運を担い、目の前に立ち塞がる壁たちの巨大さを思うと、自分の未来は、酷く暗くて息苦しいものになった気がした。

 そんな僕を、レクリア王女の美しい2色の瞳が見つめる。

「……少し肩の荷が下りましたわ」
「え?」

 突然、そんなことを呟いた。

 彼女は、少し恥ずかしそうに微笑んで、

「2ヶ月前からずっと、わたくし1人で戦っていましたから」
「…………」
「もちろん、手伝ってくれる皆はいましたわ。けれど、王家の中でも『シュリアンの瞳』を持つのは、わたくしだけ。神々の代理として、多くの決断を下し、人々の未来を背負っていくのは、辛くもありましたの」

 その瞬間、『王族の仮面』が剥がれて、そこには年齢相応の少女だけがいた。

(…………)

 その少女は、僕を見つめて、優しく笑う。

「だから、同じ神の力を宿したマール様に出会えて、わたくし、とても嬉しくて、少し安心してしまいましたわ」
「…………」
「フフッ、他の人には内緒ですわよ?」

 小さな指を、唇に当てる。

(……レクリア王女)

 なんだか、自分が恥ずかしくなった。

 僕は、突然やってきた、あまりの責任の重さに、押し潰されそうだった。

 でも、目の前にいる少女は、今まで、この重圧を、たった1人で背負っていたんだ。

 同じ神の重責を負う者として、彼女は、できることを必死にがんばっていた。
 その重さに耐えながら、足を前に踏み出し続けていた。

(うん、そうだよね)

 望む結果が得られるとは、限らない。
 それでも、やれるだけのことを精一杯やることは、できるのだ。

 もし、それで結果が悪かったとしても、あとは甘んじて受け入れるしかない。
 それだけだ。

 僕も笑った。

「僕も、レクリア王女に出会えて、嬉しかったですよ」
「まぁ、本当ですの?」

 ひょっとしたら、僕を励ます演技かもしれないけれど、彼女も嬉しそうに笑ってくれた。

 そうして、神聖シュムリア王城で行われた、僕と第3王女レクリア・グレイグ・アド・シュムリアの会談は、無事に終わったんだ――。