88-088-Kinin no Mage 2
コロンチュードさんは、近くに落ちていた枝を拾う。
その枝で、広場に描かれていた大きな魔法陣に、何かを描き加えた。
途端、魔法陣が光を放つ。
ガラ ガララン
イルティミナさんに倒された4羽の『炎の鷹』の破片が、その光に包まれると、空中に浮かび上がり、まるで逆再生のように石柱の上へと集まりだした。気がつけば、そこには、元に戻った鷹の石像が存在する。ソルティスが、「嘘……時の魔法?」と呟いた。
コロンチュードさんは、ポイッと枝を捨てた。
「……修理、おわ……り」
ボソボソと呟き、彼女は、長い金髪を地面に引きずりながら、大樹の家へと歩きだす。
と、顔半分でこちらを見て、
「……どぞ?」
唖然とする僕らに、声をかける。
…………。
僕らは顔を見合わせて、そうして、『金印の魔学者』の暮らす大樹の家へと招かれた。
◇◇◇◇◇◇◇
大樹の家の中は、まさにファンタジー世界だった。
(おぉ、すごい)
大樹の中は、空洞になっていて、本当に居住空間になっている。
そこには、大量の本や、難しい文字や数字、図形の描かれた紙が散乱していた。フラスコや顕微鏡みたいな実験道具もある。幹の内側に沿って、螺旋階段もあり、そこには他の部屋に通じる扉もあった。吹き抜けの天井からは、鎖がぶら下がり、その先には、魔物の一部らしい素材が吊られていた。中には、液体が詰まった瓶に詰められた物もある……あれ?
そこには、どこかで見たような、タナトス文字の浮かんだ人の右手があった。
(あれって、ギルド経由で、王立魔法院に届けられたんじゃ?)
僕の視線に気づいて、3人も見つける。
キルトさんが、低い声で呟いた。
「……なぜ、わらわの右手が、ここにある?」
「……アポの、代償」
コロンチュードさんは、眠そうに答える。
実は彼女、王立魔法院の特別顧問という立場らしい。
それを知ってたムンパさんは、僕のアポイントメントを得るために、『鬼姫の右手』をコロンチュードさんに贈与したんだって。いや、もしかしたら、王立魔法院よりも『金印の魔学者』に研究してもらった方が、より良い成果がでると判断したのかな?
頭の中で、真っ白な獣人さんが、なんか楽しそうに笑っていた。
キルトさんは、黙り込んだ。
……微妙な空気だ。
コロンチュードさんは、そんな空気も関係なく、木の根の椅子に座った。
(えっと……)
僕は、彼女に近づいて、紹介状を差し出した。
「あの、これ」
「……ん」
コロンチュードさんは受け取り、だるそうに中の手紙を読む。
まぶたの半分閉じた目は、最初、億劫そうだった。でも、途中から、片方のまぶたが上がった。すぐにもう片方も上がり、真剣な顔で内容を呼んでいる。
やがて、彼女は僕を見た。
「……君……『神狗』な、の?」
「あ、はい」
不完全みたいですが。
一応、頷いた。
コロンチュードさんは、翡翠色の美しい瞳で、僕を見つめた。
そして、
「調べたい。君のこと」
と、はっきり言った。
え?
いやいや、待って欲しい。
(僕は、精霊との交信方法を知るために、ここに来たんだよね?)
部屋の中を見る。
まさに、『研究大好き』さんのための環境だ。了承すると、まずい気がした。
「……君の身体、この私に……調べ……させ、て?」
「…………」
熱い視線で、訴えられる。
でも、断ったら、精霊との交信方法も、教えてもらえなくなりそうだ。ど、どうする?
キルトさんは沈黙中。
イルティミナさんは、なぜか彼女に嫉妬してる顔だ。
そして、ソルティスは、
「コ、コロンチュード様! 私、コイツの身体を調べたレポート、持ってきました!」
突然、背負っていた小さなリュックから、分厚い紙の束を取り出した。
(おぉ?)
思わぬ助け舟を出してくれた少女は、緊張した顔で、それを敬愛する『金印の魔学者』に渡す。
コロンチュードさんは、1枚、ペラとめくった。
「ふぅん?」
少し表情が変わった。
コロンチュードさんは、紙束をテーブルに置いて、じっくり吟味するように読んでいく。自分のレポートを読まれる少女は、興奮したように頬を赤らめ、瞳を輝かせている。紙をめくる音だけが、大樹の家に響いた。
やがて、20分ほどで、レポートは読み終わった。
「……いい内容」
コロンチュードさんは、優しい口調で呟いた。
ソルティスは、昇天しそうな顔だ。
すぐにハッとして、勢いよく、頭を下げる。
「あ、ありがとうございます!」
「……ん。でも、1つ、抜けている部分……ある」
「え?」
ハイエルフさんの細い人差し指が、1本だけ持ち上がった。
「生殖について、書いてない」
「…………」
生殖。
コロンチュード・レスタさんは、大真面目な顔だった。
「この子の精液、調べてない」
「…………」
「神狗……人と子作りできるのか? ……ちゃんと採取して、調べる……べき」
ソルティスは、固まっていた。
神の如き人からの言葉、けれど、乙女の羞恥心は、それを真っ向から拒否したがっている。その狭間に立たされた彼女は、「せ、精液……子作り……」と呟きながら、頭から蒸気を昇らせていた。
ギギィ
錆びた機械のように、僕を見る。
「…………」
「…………」
興奮したような、泣きそうな目だった。いやいや、ソルティスさん?
(ほ、本気じゃないよね?)
ちょっと心配になって、思わず、身を引いてしまった。
と、下がった僕を、イルティミナさんの白い手が受け止める。彼女は、僕を守るように、僕のことを背中側に隠してくれた。そして、真紅の瞳が、静かな怒りを秘めて、コロンチュードさんを睨みつける。
「ふざけないでください。マールは、実験動物ではありません」
「……ふざけて、ない」
コロンチュードさんは、心外そうだ。
「神の眷属、人工的に増やせる……イコール……悪魔と戦う、戦力、増える」
「…………」
「……世界のために、とっても大事」
口ではそう言う。
でも、口ほどに物を言う目は、『知的好奇心を満たしたいの!』と本音を漏らしている。
そして彼女は、僕とソルティスを見て、
「痛く、は……しないから。それに、嫌なら、私……するよ?」
「だ、駄目です!」
イルティミナさんは叫んで、僕を抱く。
豊満な大人の女性の肉体が押しつけられ、柔らかくて綺麗な髪が、僕の頬や首筋を、優しく撫でていく。
(…………)
ハイエルフのお姉さんは、不満そうに唇を尖らせ、金髪をポリポリとかいた。
「……気持ち、いいのに。……自信ある、よ?」
「黙りなさい」
「むぅ」
母猫のように毛を逆立てる銀印の魔狩人に、彼女もようやく諦めたようだ。
ちょっと残念。
でも、やっぱり安心した。
前世も含めて、そういうのは経験ないんですが、やっぱり初めては好きな人といたしたいと思うのです。だからその、僕は、ゆっくりと彼女を見上げた。
「大丈夫ですよ、マール? 貴方の貞操は、私が守ります」
「…………」
僕の視線に気づいて、彼女は、優しく笑った。
(……うん)
僕も、微笑む。
イルティミナさんは、子供の頃に、悪魔狩りの人々に深手を負わされ、子供が産めない身体になった。だから僕も、もう子作りという部分に興味はない。僕自身が、まだ子供だからかもしれない。あるのは、ただ彼女とこうやって笑い合える関係でありたいという欲求だ。
い、いや、もちろん、いたしたい気持ちは、すっごくあるよ?
(でも、まだ早いよね?)
いつか、彼女に相応しい男になったら、僕も。
そんな決意をする僕の顔を、イルティミナさんの真紅の瞳が覗き込む。
そして、少しだけ頬を染めながら、
「いつか……私が、マールの初めてを」
本当に小さな声で、呟いた。
◇◇◇◇◇◇◇
紆余曲折あったけれど、ようやく本題『精霊との交信方法』についてを、僕は、コロンチュードさんに話してみた。
「……む、り」
返ってきた答えは、無情だった。
もちろん、僕が身体を調べるのを断ったから、というわけではない。
彼女は、眠そうな声で、理由を教えてくれる。
「……もともと、人は、そう創られてない」
「…………」
「……人には、翼がない。だから空、飛べない。……人には、鰓(エラ)がない。だから水の中、生きられない。……人には、精霊器官がない。だから、交信できない」
コロンチュードさんは、自分の額に、指を当てる。
「人とエルフ、ここ、違う」
つまり、脳の構造が違う、という意味だ。
人間という存在は、すでに最初から、精霊と交信できない生物だったのだ。少数ながら、交信できる人たちもいる。でもそれは、脳に先天的、あるいは後天的な異常がある人か、ただの勘違いでしかない、と、『金印の魔学者』は断言した。
(……そんな)
衝撃の事実だった。
僕は、左腕に装備されている『白銀の手甲』を見つめる。
(じゃあ、君とは一生、話せないの?)
悲しかった。
信じたくなかった。
今日という日に期待していた分、反動は大きかった。
『白銀の手甲』に触れながら、僕は、うなだれる。
あまりの落ち込みように、イルティミナさんたち3人も、僕にかける言葉がないようだった。きっと僕も、答える気力がない。
コロンチュードさんの翡翠色の瞳は、そんな僕の姿を、どこか眠そうな雰囲気で見つめている。
「……でも、1つ方法、あるよ?」
ポソッと言った。
(……え?)
僕は、顔を上げた。
彼女は、寝癖だらけの金髪を、モシャモシャとかき回しながら、
「普通は、むり。……でも、その装備……精霊が最初から、宿ってる」
「…………」
「……だから、少し変則だけど、交流できるよ?」
…………。
その意味がわかった瞬間、僕は聞いた。
「どうすれば、いいですか?」
「ん」
コロンチュードさんは、椅子から立ち上がり、長い髪を引きずりながら、扉へと向かう。
半分だけ振り向いて、
「そ、と」
「はい」
僕は、勢いよく立ち上がって、彼女の背中を追いかけた。
◇◇◇◇◇◇◇
大樹の家の前の広場――直径30メードの魔法陣の中に、僕は立たされる。
僕以外の3人は、魔法陣の外だ。
コロンチュードさんは、地面に落ちている枝を拾い、靴の裏で魔法陣を消しながら、また新しい文字や記号を描き込んでいく。
「その子……怒ってる」
作業をしながら、彼女は言った。
「前の契約主から……『娘を守れ』って。……でも、君、娘じゃない」
「…………」
娘って、シャクラさん?
(じゃあ、前の契約主は、シャクラさんのお父さんかお母さん、ってこと?)
つまり、大事な娘を心配して、シャクラさんの親エルフさんは、この『白銀の手甲』に宿した精霊と契約した。なのに、シャクラさん本人は、恋人の助けとなった僕に、それを贈ってしまったんだ。
そのことを、シャクラさんは、ちゃんと精霊に話したかもしれない。
でも、精霊の契約主は、シャクラさんの親エルフさんだ。
(きっと君は、納得できなかったんだね?)
僕は、左腕にある『白銀の手甲』を見つめ、その輝く表面に触れる。
「ふぅ」
コロンチュードさんは、作業を終えた。
腰をトントンと叩きながら、僕を見て、
「それ、ここ」
魔法陣の中に描いた、もう1つの小さな魔法陣を示した。
僕は、留め具のベルトを外して、『白銀の手甲』を魔法陣の中央に置いた。「君、そこ」と言われて、10メードほど離れる。彼女は、満足そうに頷いて、3人のいる魔法陣の外に出た。
キルトさんは、隣に来たハイエルフさんを、疑わしそうに見る。
「何をする気じゃ?」
「喧嘩」
短い返事。
意味がわからず、僕と3人は、彼女を見つめる。
気づいて、彼女は、眠そうな声で、もう少し説明してくれた。
「精霊界、人界、重なってる。……でも、ずれてて、接点ない。……この魔法陣の中だけ、ずれ、ない」
「界の位相を、同調させるんですか!?」
ソルティスが驚く。
コロンチュードさんは、嬉しそうに「うん」と頷いた。
でも、2人の大人はわからない。
当事者の僕だって、わからない。
コロンチュードさんは、僕ら3人に『やっぱり』と残念そうな顔をする。そして、あの眠そうな顔に戻って、
「……やれば、わかる」
そう呟くと、魔法陣に最後の1文字を書き加えた。
ジジジ……
あの音がした。
ディオル遺跡で聞いた、精霊の気配の音。
ジジ……ジ、ガガガァッ
『白銀の手甲』が震えて、緑色の魔法石から、白銀の鉱石がメキメキと溢れだしてくる。やがて、それは体長3メードほどの『白銀の獣』へと成長した。
狼のような、美しい獣だった。
太い尾が3本。
その逞しい手足は、かつて骸骨王を砕いたように、竜のような鋭い鉤爪がある。
燃える炎のような紅い双眸が、僕を睨みつけ、その額には、『白銀の手甲』にあった緑の魔法石が、第3の目のように輝いていた。
(……君が『白銀の手甲』に宿っていた精霊?)
その美しさに、魅入られた。
太陽の光を反射して、その『白銀の狼』は、まるで宝石のように煌めいている。
でも、
ガシュッ
『白銀の狼』は、敵意を示すように地面を削った。
鋭い爪の跡が、大地に残る。
「…………」
肌を刺すような殺気が伝わってくる。
キルトさんとイルティミナさんが、慌てたようにこちらへ駆け寄ろうとして、魔法陣の創る光の壁に弾かれた。
「おい、コロン!?」
「こ、これはっ?」
「……この中は、もう別世界。……誰も、入れない」
彼女は、『金印』と『銀印』の魔狩人に、淡々と答える。
そして、『金印の魔学者』は、美しい翡翠色の瞳で僕を見つめながら、こう言った。
「戦って」
「…………」
「……君の力、その子に、認めさせて。……そうすれば、君、新しい主人……なる」
…………。
僕は、『白銀の狼』を見た。
その美しく大きな獣は、誇り高く、闘争心に燃える瞳で、僕を見返した――瞬間、とてつもない『圧』が襲ってくる。
まるで、オーガや赤牙竜クラス。
それを感じて、イルティミナさんも焦った顔をする。
「ふざけないでください! マールが死んだら、どうするのです!?」
「その時は、私が解剖。……楽しみ」
狂ったような研究者の呟き。
さすがのイルティミナさんも、思わず、声を失くした。
そして、金印の魔学者コロンチュード・レスタさんは、甘く笑う。
「――さぁ、始めて?」
直径30メードの魔法陣の中に、その声は、冷たく響き渡った。