127-125. Rainbow miracle



 長い階段の果て、僕らは、神殿入り口に辿り着く。

(……大きいな)

 屋根の尖塔部分は、洞窟の天井まで届く高さ。
 見上げるだけで首が痛い……。

 ゴゴォン

 入り口にあった巨大な門を、重い音と共にみんなで押し開けて、中に入る。

 そうして僕ら8人を出迎えたのは、広い礼拝堂とその中央にそびえる巨大な女神像だった。

 巨大な女神像は、遺跡の地上入り口にあったのと同じ姿――でも、風雨に晒されていなかったためか、こちらの方が細部までしっかりしている。

 僕らを見下ろすその表情は、とても清楚で、優しそうな顔立ちをしていた。

(……でも、2千人の人間を見殺しにした女神様)

 何とも複雑な気持ちだった。

 と、イルティミナさんが礼拝堂内を見回しながら、言う。

「上と下に向かって、階段がありますね」

 確かに、部屋の左右の角に上へと続いている螺旋階段、突き当たりの壁に下へと続いている階段があった。

「下ね」

 第3の目を開いたレクトアリスが、確信を込めて答える。

 もちろん、それを疑うことなく、僕らは、階下へと向かった。

 50メードぐらい降りただろうか?

 やがて、階段を降り切った僕らの前には、進路を塞ぐ、複雑な幾何学模様の刻まれた金属製の壁が現れた。

 神殿の他の壁とは材質が違う、光沢のある美しい壁だ。

 よく見れば、その中央付近に小さな窪みがある。

「マール」
「うん」

 キルトさんに促され、僕は、司祭様の遺体から借りた『首飾りの鍵』を、窪みに填め込んだ。

 カチリッ

 形がピタリと一致する。

 瞬間、鍵の中にあった魔法石が輝いて、その光は、壁の幾何学模様全体に広がっていった。

 カチッ ガチャン キキィン

 壁の表面に亀裂が生まれ、複雑に動きだす。

 一部は歯車のように回転し、一部は重なり合って、一部は閂の様な物を外していく。やがて壁は四方へと展開し、その先のある宝物庫の全容を、僕らの目に見せてくれた。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 室内には、青白い光が満ちていた。

 直径30メードほどの半球状のドーム型の空間――その床一面には、青白く発光する水が満たされていて、その深さは20センチほどと、まるで浅いプールみたいになっていた。

(ここが……宝物庫?)

 僕は唖然とする。

 青白く光る水以外、ここには他に何もなかった。 

「ち、ちょっと『神武具』は?」
「…………」
「…………」

 焦ったようなソルティスの声に、けれど、誰も答えられない。

(――――)

 ここまで苦労して訪れて、これだけの犠牲を払っておいて、何もありませんでしたでは済まされない。

 ジャボッ

 僕は思わず、水の中に足を踏み入れる。

(?)

 瞬間、靴底が沈んだ。

 ……水底が柔らかい?

「マール?」

 ジッと水面を見つめる僕に、イルティミナさんが怪訝そうに声をかけてくる。

 それに答えることなく、僕は、水の中に手を入れた。

 水底を触る。

(……砂?)

 水面上に引き上げた僕の手には、キラキラと虹色に光る細かい粒子の集まりが残っていた。

 どうやらプールの底全体に、この砂が敷かれているようだ。

 レクトアリスがハッとする。

「そういうこと?」
「あん? そういうことって、どういうこっちゃ?」

 ラプトが眉をひそめて問う。

 その質問を手で制して、レクトアリスは床に膝をつき、青白く光る水を手のひらにすくい上げる。第3の目を開くと、その放射される紅い光線の中に、その水をこぼれさせた。

 やがて、彼女は大きく頷いた。

「やっぱり……この水には、大量の『神気』が含有されているわ」
「神気が?」

 全員、驚く。
 彼女は立ち上がると、水面下の砂を見つめながら、はっきりと告げた。

「この水底に敷かれている砂こそ、私たちの探し求めていた『神武具』そのものなのよ」


 ◇◇◇◇◇◇◇


(これが……『神武具』?)

 僕は、手のひらに残る虹色の粒子たちを、思わず凝視する。

 みんなも茫然と水面下にある砂の広がりを見つめ、

「ワイも、今まで色んな『神武具』は見てきたが、こんな形状なんは初めてや……」
「私もよ」

『神牙羅』の2人も、呟きをこぼす。

 400年の長きに渡り保管されてきた『神の眷属』のための神聖なる武具――その生きた本物が、今、僕らの目の前に存在していた。

「……で、これをどうするの?」

 少女がポツリと呟いた。

「まさか、この『神武具』だっていう砂、全部かき集めて、地上まで持って帰らなきゃいけないわけ?」
「…………」
「…………」

 思わず、全員、黙り込んだ。

 みんなの視線が、青白く光る水底に向けられる。

『神武具』である砂は、このプールの底一面に広がっているんだ。

 こんな大量の砂を持ち帰るための袋なんて、さすがに用意していない。なら、ここで全員の荷物の中身を捨てて、代わりに砂を詰めていく……?

 食糧や薬、野営道具もなしに地上まで戻る……?

(……いや、それは無理だよ)

 現実的でない方法に、ちょっと困った。

 人間たちの不安を余所に、2人の『神の眷属』は笑った。

「それは大丈夫や」
「そうよ。『神武具』が所有者を認めたなら、その意思に反応して、勝手についてきてくれるものだから」

(あ、そうなの?)

 よかった、安心した。

 大きく息を吐く僕の隣で、キルトさんが「ふむ」と頷き、

「では、その所有者と認めさせる方法とは、なんじゃ?」

 と問う。

 皆の視線を受けて、ラプトが言った。

「ワイら3人が『神武具』に触れて、『神気』を流すだけや。あとは勝手に『神武具』が、好きな所有者を選んでくれるはずや」
「へ~、そうなんだ?」

 意外と簡単だった。

 と、レクトアリスが僕を見て、

「その前に、マールは装備を外しておいて」
「え?」
「これから接する相手は『神武具』だもの。性格の違いにもよるけれど、やっぱり他の武具の存在を嫌うわ」

 そ、そうなんだ。

(嫉妬深いのかな?)

 でも、『神武具』にも心があるんだと、よくわかる理由だった。

「少なくとも、所有者に選ばれるまでは、そうしてあげて」
「うん、わかった」

 頷き、僕は、自分の装備を外していく。

 まずは『妖精の剣』。
 次に『白銀の手甲』、『妖精鉄の鎧』。
 最後に『旅服』。

「手伝います」
「あ。ありがと」

 途中、イルティミナさんがベルトや金具を外すのに協力してくれて、そのまま僕の装備を預かってもらう。
 僕自身は、シャツとズボンのみで裸足という格好となった。

 ピョンピョン

 色々と装備がなくなって、身体が軽い。

 軽くジャンプする僕の様子に、なぜか、みんなが小さく笑った。
 ……な、なんで?

 やがて気を取り直したように、ラプトが表情を戻した。

「それじゃあ、始めようや」
「うん」
「えぇ」

 頷き、僕ら3人の『神の眷属』は、青白い光を放つプールの中へと入っていく。

 ジャボッ ジャボン

 ちょうど三角形の頂点の位置関係に、僕らは立つ。

 素足の裏に触れる、細かい粒子の感触が、少しこそばゆい。

 イルティミナさんたちが見つめる中、僕ら3人は、青白く照らされる互いの顔を見つめ合い、頷き合う。

(誰が選ばれても、恨みっこなし……だね)

 小さく笑うと、足元を見つめ、

 ギュォオオオ

 僕らは一斉に、足元に広がる『神武具』へと、自身の『神気』を送り込み始めた。

 変化は、すぐに訪れた。

「む?」
「砂が……っ」

『神気』を流し込んだ途端、その部分の粒子が、強い虹色の輝きを灯して、僕らの身体へと吸い寄せられるように集まって来たんだ。

 ザザザザザ……ッ

 足首、ふくらはぎ、膝、太もも、腰――少しずつ、虹色の砂が渦を巻きながら、僕らを包み込んでいく。

 ザザザ……ッ

「大丈夫やで、マール。そのままや」
「うん」

 ラプトの気遣いに、僕は笑って頷く。

 不思議と怖さはなかった。

 やがて、イルティミナさんたち人間の視線を受けながら、僕ら3人の全身が頭まで、渦を巻く粒子によって完全に包まれる。

(まるで繭みたいだね)

 虹色の繭。

 その中で、僕の肌を撫でるように『神武具』の粒子が動いている――僕のことを把握しようとしていると、そう感じた。


 ◇◇◇◇◇◇◇


(……あれ?)

 完全に『神武具』の砂に包まれる僕――その一面虹色に染まった僕の視界に、なぜか周囲の景色が映った。

 青白く光るプール。

 その中にある、キラキラと虹色に光る、3つの紡錘形をした砂の渦。

 それを見守る5人の姿。

 触れている『神武具』を通じて、周囲の情報が、視神経に流れ込んでいるのだと何となくわかった。

 と、その時、

『……ねぇ? 全然出てこないけど、大丈夫なの、マールたち?』

 ソルティスの声が聞こえた。

(へぇ、音まで聞こえるんだ?)

 ちょっと驚く。

『わからぬ。しかし、待つしかあるまい』
『……マール』

 腕組みするキルトさんはそう答え、イルティミナさんは心配そうに、豊かな胸の前で両手を組み合わせる。

 と、

『心配、要らへん』

 ラプトの声が、宝物庫内に反響した。
 わ?

 驚いたのは僕だけでなく、5人の人間も同様だ。

『今は、〈神武具〉がワイらのことを調べて、誰を選ぶか悩んどるだけや。そのあと、使い手に合わせて調整が入る。そこそこ時間がかかるもんなんや』

(へぇ、そうだったんだ?)

 納得する僕。

 キルトさんが頷いて、確認する。

『そうか。では、何も問題はないのじゃな?』
『あぁ、大丈夫や』

 自信に満ちたラプトの声が答える。

 イルティミナさんの真紅の瞳が、僕の包まれている繭を真っ直ぐに見つめているのが、こちらからも認識できる。

『……マール』

 心配そうな声。
 僕は、

「大丈夫だよ、イルティミナさん」

 と声を出した。

『――大丈夫だよ、イルティミナさん』

 少し遅れて、僕とよく似た声が周囲に響く。

(……僕って、こんな声だっけ?)

 なんだか違和感を感じるのは、体内からではなく、体外から聞こえる声だからかな? 前世の世界で、動画に撮った自分の声に違和感を覚えるのに似ていた。

 でも、イルティミナさんは安心したようだ。

『あぁ、無事なのですね、マール』

 優しい微笑みがこぼれる。

 ソルティスが笑って、その背中をポンポンと叩いていた。

 ダルディオス将軍とフレデリカさんの身体からも、警戒の気配が緩められ、少し肩から力が抜けたのがわかった。

 ――あとは、誰かが選ばれるのを待つだけ。

 みんなが、そう思った時だ。

 ゴ、ゴゴォオン

(!?)

 突然、世界が揺れた。

 宝物庫全体が振動し、プールに満ちた青白い光の水が、大きく波立っている。

『な、何? 地震!?』

 慌てて足を踏ん張るソルティス。 

 パラパラと、天井から砂埃が落ちてくる。

 揺れは収まった。

『いや、今のは……』

 キルトさんの表情が険しさを帯びている。

 ゴ、ゴォオン

 もう一度、揺れが来た。

 さっきよりも振幅が大きかった。

 今度は、ソルティスもバランスを崩しかけ、イルティミナさんが素早く手を取り、支えてやる。

(いったい、何が――)

 思った瞬間、視界が切り替わった。

 え?

 見えたのは、神殿の外――廃墟と化した都市を、神殿の上空から見下ろす視点だった。

 そして、その映像の一角。

 29階層に通じる街の門があった場所で、激しい土煙が舞っている。その煙の中で、巨大な影が動いているのがわかった。

 ズズゥン

 街に通じる階段を踏み砕き、その頭部が煙から現れる。

(――――)

 瞬間、その正体に、僕は絶句した。

 2人の『神牙羅』たちのいる虹色に煌めく繭からも、驚愕の気配が伝わってくる。

 粒子の中で、僕は呟いた。

『……〈暴君の亀(タイラント・タートル)〉』

 思わず漏れた震える声は、思ったよりも大きく宝物庫内に反響して聞こえた。

 5人の表情が強張った。

 29階層に取り残されたはずの『暴君の亀』が、道を塞いでいた瓦礫とあの狭い通路を破壊しながら、僕らを追いかけてここまでやって来たのだ。

 拡大された頭部の映像。

 そこにある眼球には、ただ強い食欲の光が灯されて、その巨大な口元からは大量の涎が絶え間なくこぼれている。

 食欲の権化である魔物は、数年ぶりに見つけた獲物である僕たちを、何としても喰らうために、その凄まじい本能に従ってここに姿を現したのだ。

 その狂気に満たされた鋭い眼光には、もはや理性など欠片も残されていない。

(ま、まずい! なんとか迎撃しないと!)

 僕は、慌てて繭の中から出ようとする。
 でも、

(!? 出られない!?)

 手足にどんなに力を込めても、僕を包み込む虹色の粒子たちは、まるで金属製の囲いであるかのようにビクともせず、僕を内側に閉じ込め続ける。
 な、なんで!?

 慌てる僕の耳に、レクトアリスの声が届く。

『駄目よ、マール! 今、私たちの肉体は、〈神武具〉と接続されてるの。全てが終わるまで解放されないわ』

 そ、そんな!?

(でも、このままじゃ、あの『暴君の亀』がここに!)

 奴は間違いなく、僕らの残り香を追いかけ、ここまでやって来る。
 そうなったら、この神殿も宝物庫も破壊されて、『神武具』の回収どころではなくなってしまうのだ。

 その可能性に、皆が青ざめる。

 けれど、立ち直るのが一番早かったのは、やはり、あの『金印の魔狩人』だった。

『――我ら5人のみで、あれと戦うぞ』

 覚悟のこもった声。

(キ、キルトさん!?)

 彼女は、他の4人を見回しながら、言葉を続ける。

『マールたちが動けぬ以上、奴をここに近づかせてはならぬ。全てが終わるまで、奴を引きつけ、わらわたちが囮となるのじゃ』

『…………』

 皆、険しい表情だった。
 でも、誰も反対や文句も言わず、やがて、4人ともが頷きを返していた。

『ま、待ってよ、みんな!』

 僕は慌てる。

 いくら何でも無理だ。

 今までラプトは、致命的な攻撃から、何回もキルトさんのこと守ってくれていた。そして、レクトアリスの強力な『神術』が、僕らをサポートしてくれていた。 

 その2人がいなくなる。

 脆弱な人間たちを守ってくれていた『神界の盾』たちがいなくなるのだ。

(……もし『暴君の亀』の攻撃がかすりでもしたら、みんな、終わりなんだよ!?)

 5人だけで戦うなんて、あまりに無謀すぎる。

 でも、

『案ずるな、マール。そなたの剣の師匠である、わらわを信じよ』

 キルトさんは笑った。

 ダルディオス将軍は、大きく右肩を回して、

『ふむ。こうして、あの化け物亀を相手に、もう一戦できるとは腕が鳴るわい』
『お供しますよ、父上』

 その横で、フレデリカさんも笑って頷いている。

 ソルティスが大きく息を吐き、

『は~、やれやれだわ。でもま~、先輩冒険者としちゃ、新米を助けてやらなきゃだもんね~』

 と、わざとらしいほど大げさに肩を竦める。

 そして、

『マール』

 イルティミナさんの白い手が、僕のいる虹色に輝く繭に触れた。

『大丈夫、貴方は私が守ります。……あのような魔物には、指一本触れさせません。どうか安心して、待っていてくださいね?』

 そう優しく告げて、微笑んだ。

 澄み切った美しい笑み――だからこそ、僕は背筋が震えた。

 その美しさは、逆に、彼女が死ぬ覚悟さえ決めているようで恐ろしかった。

『…………』
『…………』 

 ラプトもレクトアリスも、何も言わない。

 いや、言えないのだ。

 僕も、喉の奥に何かが詰まっているように、声が出ない。

『よし、皆、行くぞ』

 キルトさんの鋭い号令で、5人が宝物庫から出ようと動き出す。

 あ……。

 遠ざかる背中に、僕は必死に喉を震わせた。

『……イ、イルティミナさんっ』

 彼女が止まった。

 ゆっくりとこちらを振り返り、

『行ってきます、マール』

 何でもないことだというように、いつもの優しい笑顔を浮かべて、そう言った。

 そのまま背を向けると、彼女は、宝物庫の外の階段を、他の4人と一緒に登っていってしまう。

 僕らは……僕は、ただ、それを見送ることしかできなかった。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 虹色に染まった僕の視界に、神殿の外の景色が映る。

 5人は、散開しながら『暴君の亀』に接近していた。

 背の高い民家の屋根に登ったダルディオス将軍とフレデリカさんは、それぞれに黒い弓を装備し、通りを挟んだ反対側の民家の屋根で、大杖を構えたソルティスが待機をしている。

 タンッ タタンッ

 キルトさんとイルティミナさんは、屋根を蹴りながら魔物に近づき、

『そなたは右じゃ』
『はい』

 途中で二手に分かれた。

『暴君の亀』の左目は潰れている。

 イルティミナさんはその死角側へと移動し、逆にキルトさんは、その視界に入る側へと移動していた。

 ズズゥゥン

 石造りの街を破壊して、『暴君の亀』が動いている。

 まるで積み木の家であるかのように、建物が吹き飛ばされ、崩壊していく光景は、まるで怪獣映画を見ているみたいだ。

(みんな……っ!)

 でも、これは現実だ。

 あの凄まじい破壊力と、生身の人間である彼女たちは、正面から立ち向かわなければならない。

 ズゥン ズゥン

 キルトさんに気づいたのか、『暴君の亀』の動きが速くなった。

 瓦礫を蹴散らし、家々を破壊しながら、最短距離で小さな『金印の魔狩人』へと襲いかかると、その首を長く伸ばして噛みつきにかかった。

 ズガガァアン

 キルトさんのいた民家が吹き飛ぶ。

(キルトさん……っ!?)

 けれど彼女は、宙を舞う瓦礫と一緒に跳躍していた。

『――鬼剣・雷光斬!』

 伸ばされた亀の首へと、側面から『雷の大剣』を叩き込む。

 バヂィイン

 青い雷光が世界を染める。

 けれど、やはり『暴君の亀』は無傷――『神気』を宿した肉体は、『金印の魔狩人』の攻撃さえ通じない。

(……まるでラプトみたいだ)

 あの『神牙羅』のような防御力。

『暴君の亀』は、爪のある右前足を、キルトさんめがけて振るった。

 タンッ

 キルトさんは巨大な首を蹴り、それを回避すると離脱する。

『むんっ!』

 ガガァン

 大剣で民家の屋根を弾き飛ばし、その瓦礫に隠れて、一気に距離を離す。

 同じ轍は踏まない。

 正面から戦うことを好む『金印の魔狩人』は、けれど今、一撃離脱の戦法へと切り替えて『暴君の亀』と相対していた。

 キルトさんを見失い、『暴君の亀』の動きが鈍る。

 その瞬間、

 ドパァン ドパパァン

 遠距離から、白い閃光と化した槍が連続で撃ち込まれた。

 イルティミナさんの砲撃だ。

 巨大な魔物の死角側から、凄まじい勢いで攻撃を当て続けている。

 ズズゥウン

『暴君の亀』にとっては、大した攻撃ではないだろう。

 でも、その煩わしさは変わらない。

 そして、そちらに獲物がいると認識した巨体は、すぐに遠い民家の屋根にいるイルティミナさんに向かって接近していった。

 ドパァン ドパァン

 でも『銀印の魔狩人』は、逃げずに攻撃を続けている。

(イ、イルティミナさん?)

 心配する僕の視界の中で、『暴君の亀』は、民家を蹴散らし、彼女に襲いかかろうとする。

 瞬間、

『――鬼剣・雷光斬!』

 バヂィインン

 いつの間に移動していたのか、その足元の民家の陰にいたキルトさんが、巨大な足が着地する寸前を見計らい、その足を払うように大剣を叩きつけた。

 傷は与えられなくとも、衝撃は伝わる。

『暴君の亀』はバランスを崩し、イルティミナさんの横の民家へと頭から突っ込んだ。

『今じゃ!』

 キルトさんの叫び。

 同時に、離れた位置にいたダルディオス家の父娘が黒い弓を引き絞り、あの『炎の矢』を洞窟の天井めがけて射出した。

 数秒の間、そして、

 ドパァアアンン

 盛大な爆発の炎が、廃墟と化した都市の上空で見事に咲いた。

 天井部分にあった岩盤の一部が剥がれ落ち、炎をまとう巨大な岩石となって、動きの止まった『暴君の亀』へと落下する。
 その岩石の大きさは、魔物の巨体の2倍以上だ。

 ズガガァアアアン

(直撃だ!)

 心の中で、僕は喝采を上げる。

 落下の衝撃で、炎に包まれた岩石は砕ける。

 そして、その超重量と高熱の瓦礫の中から、黒い巨体が炎を散らして、のそりと起き上がった。

 これでも、無傷!

 驚愕する僕の視界に、今度は、大杖を振り上げる魔法使いの少女の姿が映った。

『水将の蛇たちよ、あの大亀を絡めなさい! ――カルナバ・ウロ・ボゥルーズ!』

 次の瞬間、都市を包む地下水の川が、何箇所か盛り上がった。

 それは、3匹の巨大な水の大蛇と化して、『暴君の亀』へと殺到する。

 気づいた魔物は、

 ガシュッ

 その1匹を簡単に噛み殺した。

 けれど、残り2匹の水の大蛇たちは、その隙に『暴君の亀』の黒い巨体へと絡みつき、締め上げようとする。
 でも、

(効果なさそう……っ)

 悔しいけど、『金印の魔狩人』の攻撃も通用しない相手には、そんな攻撃は無意味だと思った。

 ガシュッ ガシュッ

 予想通り、『暴君の亀』の2度の噛みつきで、2匹の水の大蛇も殺される。

 ソルティスのせっかくの魔法も、けれど、最後は大量の水と化して、黒い魔物を濡らしただけに終わった。

(?)

 でも、ソルティスの表情に悔しさはない。

 いや、むしろ、やり切った顔のような……?

 そう気づいた時には、彼(・)女(・)は空中を跳躍して、『暴君の亀』の右眼の真横に姿を現していた。

(――あ)

 なびく銀髪。

 その巨大な眼球に映るのは、『雷の大剣』を構える『金印の魔狩人』の姿。

 ドチュン

 突きだされた黒き刃は、唯一の弱点と思われた『暴君の亀』の眼球へあっさりと、根元付近まで突き刺さる。
 そして、

『――鬼剣・雷光斬』

 告げられる魔法の言葉。

 バヂィイインン

 発動した青い雷は、黒い刀身から溢れだし、眼球からその体内を伝わり、また濡れた全身から体外を伝わり、その巨体を内外から焼き尽くした。

 眩い青い閃光が、死の充満した都市を覆う。

 十数秒の輝き。

 それが消えると、あとに残されたのは、白煙を上げ、黒焦げとなった巨体が、破壊された死の街の中で立ち尽くす光景のみ。

(……や、やった?)

 震えが止まらない。

 あの恐ろしい『暴君の亀』を、本当にたった5人で倒してしまった。

 有り得ないと思った奇跡が、目の前に起きていた。

 ラプトとレクトアリスの繭からも、驚きの気配が伝わってくる。

 映像の中で、ソルティスが両腕を突き上げ、ダルディオス家の父娘は、拳を打ち合わせる。近くの民家の屋根にいたイルティミナさんは、長い髪をなびかせながら、大きく息を吐いていた。

 ゴンッ

 繭の内側に、僕は額を押しつける。

(あぁ……みんな、凄い)

 キルトさんが挑み、イルティミナさんが所定の位置まで誘き寄せ、キルトさんが足止めし、ダルディオス家の父娘が岩石を落として、その隙にソルティスが魔法を仕掛け、止めをまたキルトさんが刺した。

 全てが計算された、凄い戦いだった。

 なんだか泣きそうだ。

 そして勝利の立役者であったキルトさんは、巨大な眼球から大剣を引き抜くと、地上に着地する。

『くっ……』

 そのまま片膝をつき、口の端から血をこぼした。

(え?)

 負傷していた肋骨の状態が悪化したのだろう、とても苦しそうに脇腹を押さえている。

 気づいたイルティミナさんが、すぐに駆け寄ろうとして、

『――――』

 その足が止まった。

 ソルティスが、ダルディオス将軍が、フレデリカさんが、驚愕の表情を浮かべていた。

 最後に気づいたキルトさんも、呆然と頭上を見上げた。

 ズズゥ……

 その視線の先で、黒焦げとなった巨体が動いている。

 眼球を失った巨大な頭部が、その真下にいる『金印の魔狩人』を見下ろしている。

(……あ)

 呆然となった僕の視界の中で、

 ゴガァン

 巨大な頭部が襲いかかり、それを必死にかわそうとしたキルトさんは、けれどかわし切れずに、破壊された地面と一緒に空中高くへと弾き飛ばされた。

『キルトさん!?』

 思わず、僕は叫ぶ。

 彼女は、近くの民家の屋根に墜落し、すぐに屋根を渡って、ダルディオス将軍とフレデリカさん、ソルティスの3人が駆け寄った。

 拡大された映像。

 口から血の泡を吐き、苦しそうな彼女の姿があった。

『しっかりして、キルト!』

 ソルティスが残り少ない魔力で、必死に回復魔法をかけ始める。 

 ズズゥン

 その混乱の中で、イルティミナさんはただ1人、黒焦げとなった巨大な魔物を見つめていた。

『暴君の亀』は、ゆっくりと移動を始めていた――この神殿へと向かって。

(……あ)

 そう、僕らの元に向かって。

 5人の頑張りで、その魔物は視覚を失い、恐らく嗅覚も失ったのだろう。

 けれど、その食欲の権化である『暴君の亀』は、本能的に、膨大なエネルギーを秘めた『神気』を求めて、僕らのいるこの神殿を目指し始めたのだと思われた。

(くそっ……まだ? まだなの!?)

 ガンッ

 僕は、内側から虹色の繭を叩く。

 使い手を選び、その使い手のために調整が行われる――それはいったい、いつまでかかるのか?

『こりゃ……あかんか?』

 ラプトの苦そうな声が、宝物庫に響く。

 レクトアリスも辛そうに、

『もう少し、かかりそうね……残念だけど』

 そう呟かれた声には、諦めが滲んでいた。

(そんな……っ)

 せっかく、せっかくみんなで力を合わせて、ここまで来たのに!

 ギュッ

 僕は虹色の表面に、両手のひらを押しつける。

(頼むよ、お願いだ……早く、早くっ!)

『神武具』へと必死に語りかけ、そう願う。

 と――そんな僕の視界に映る映像の中で、彼女が動いていた。

 タン タタン

 屋根を蹴り、跳躍を繰り返しながら、『暴君の亀』へと白い槍を投擲する。

 ドパァン

『こちらを見なさい、化け物!』

 ドパァン ドパァン

 イルティミナさんだった。

 彼女はたった1人、懸命に白い槍で攻撃を続けていた。

 けれど、『暴君の亀』は意に介さない。

 ただ『神気』に満ち溢れた神殿だけを目指して、歩みを続けている。

『……くっ』

 それに気づいた彼女は、小さく舌打ちすると、なんと『暴君の亀』の前方へと回り込み、接近戦をしかけ始めた。

『やぁああ!』

 ガィン ギィン

 白い槍の連撃を、前足に叩き込む。

 当然、刃は通らない。

 ズガァン

 逆に、前進する足に弾かれて、イルティミナさんの方が吹き飛ばされた。

(イルティミナさん!)

 地面に転がった彼女は、けれど、すぐに跳ね起きると、また無謀にも『暴君の亀』へと挑みかかっていく。

 なんで?

 勝ち目なんてない。
 なのに、

(逃げて……逃げてよ、イルティミナさん!)

 心で叫ぶ僕の視界の中、また彼女は弾かれる。

 ズガァン ゴロゴロ

 土煙が上がり、地面を転がる。
 美しかった深緑色の髪も、泥だらけになっている。

 それでも、彼女は白い槍を支えに立ち上がり、また構える。 

『行かせない!』

 もう一度、突進。

 ギャリン ガィン

 黒焦げの皮膚と、白い槍の刃の間で火花が散る。
 それでも、

 ズガァン

『くは……っ!』

 魔物に攻撃は通じず、吹き飛ばされた彼女は、大地に背中から落ちた。

 痛みに悶え、

『まだ……っ』

 それでも歯を食い縛り、その美貌に血を流しながら、真紅の瞳に消えぬ闘志を宿して立ち上がった。

 なんで……?

 なんで、そこまでして戦うの?

 どう考えても、勝ち目なんてないのに……。

 ――それでも、彼女は走る。

 吼えるように、

『あの子の元には、決して行かせない! マールは、私が必ず守る!』

 折れぬ心の源を吐きだして。

 その言葉に、僕は落雷に撃たれたようだった。

(あ……あぁ)

 涙が、こぼれた。

 彼女は僕のために、こんな僕なんかを守るためだけに、がんばっていたんだ。

 必死に。

 懸命に。

 それこそ、自分の命と引き換えにしても、と。

(イルティミナさん……っ)

 僕は、泣いた。

 泣きながら、覚悟を決めた。

 ギュッ

 虹色に輝く表面に、両手を当てて、自身の体内へと『神気』を大量に流し込む。

 ギュオオオ

 荒れ狂うマグマのようなエネルギーが注入され、全身が焼けるように熱くなる。

 耳と尻尾が生えてくる。

『!? おい、マール! お前、何しとるんや!?』
『貴方、今日、2度目でしょ!?』

 気づいた2人の声がする。

 わかってる。
 神体モードが使えるのは、1日1回、3分だけだ。

 それ以上は、僕の肉体が耐え切れない。
 でも、

(だから、どうした?)

 メキッ

『神狗』の腕力が、内側から『神武具』の表面へと、この五指を食い込ませる。

 僕は、ここから出る。

 そして、イルティミナさんを助けるんだ。

(そのためなら……っ)

 例え、僕が壊れようと、『神武具』を破壊しようと構わない。

 世界のことも知らない。

『闇の子』もどうでもいい。

 メキメキッ

 触れている箇所で、虹色の明滅が激しくなる。

 うるさい。

(僕の全身だって痛いんだ)

 パンッ

 その時、腕の皮膚が弾け、明滅する虹色に赤い色が混じった。

 パパンッ

 腕が、足が、あちこちが弾け、血が流れる。

 痛い。
 痛くて堪らない。

 でも、

(それより、心が痛いんだ)

 だから、僕の行動は、止まらなかった。

『~~~~』
『~~~~』

 ラプトとレクトアリスが何かを言っている……でも、もう内容がわからない。
 上手く聞こえない。

 メキメキメキ……ッ

 血と共にひしゃげていく虹色。

 悲鳴のように、明滅が激しくなっている――うるさい、邪魔だ。

 今も、イルティミナさんは戦っている。

 傷ついている。

 命を削っている。

「文句があるなら、僕を選べ、『神武具』! そして、今すぐその力を、僕に貸せええっ!」

 何も考えず、ただ絶叫する。

 その瞬間、

 ザザザザザザァアア……ッッ 

 明滅していた虹色の粒子たちは、突然、僕の両腕へと絡みついた。

(!?)

 バチッ バチチッ

 体内に溢れる僕の『神気』が、そこから吸い取られる。

 耳と尻尾が消える。

 そのまま、僕を閉じ込めていた虹色の粒子たちは突然、形を失って、僕の周囲で渦を巻き始めた。

 ザザザ……ッ

 両腕には粒子が残って、まだ虹色に光っている。 

「……マール」
「……貴方」

 ふと見たら、ラプトとレクトアリスを包んでいた繭もなくなり、2人の『神牙羅』も解放されていた。

 2人は驚いたように、血まみれの僕を見つめていた。

 あぁ、そうか。

 その時、なぜか自分が『神武具』に選ばれたことを理解した。

「そうなんだ?」

 周囲で渦を巻く虹色の輝きを見つめて、僕は呟く。

 目を閉じる。

 不思議と『神武具』の使い方がわかる気がした。

(わかった、よろしく頼むよ?)

 ゆっくりと、青い瞳を開く。

 そのまま2人を方を見て、笑いながら謝った。

「ごめんね、ちょっと行ってくる」

 2人は苦笑した。

「おう、行って来い」
「あの亀に、『神狗』の力を見せつけてあげて」
「――うん」

 僕は頷いた。

 床に落ちていた『妖精の剣』だけを拾い、前を向く。

 ザザザ……ッ

 すると虹色の粒子は、僕の背中に煌めく金属製の翼を形成する。
 それは僕の意志に反応して、大きく広がった。

 ヴォン

『神気』を流し込むと、虹色の輝きが強くなる。

 身体が宙に浮かんだ。

「イルティミナさん、今、行くよ!」

 大きく叫んだ僕は、宝物庫の壁を破壊しながら一直線に、神殿の外へと飛翔していった。