131-129 ・Iltimina's disappearance



 野営基地のあった場所には何もなくなり、残されたのは樹海に切り拓かれた空き地のみとなった。

 そこから、僕らの『騎竜車』を含めて、総数20台を超えるアルン軍の黒い竜車たちが一斉に出発する。

 ガラガラ ドガガッ

 樹海の中に造られた道を、激しい振動と共に進んでいく。

(…………)

 窓の外には、遠ざかる崩壊した崖が見えている。

『大迷宮』の入り口があった場所だ。

 ここに来る時は、アルン騎士の精鋭300名に、その道中の護衛であった200名の総勢500名と一緒だった。

 けれど帰る時は、護衛200名と、地上部隊であった先発隊250名が加わった総勢450名となっている。

(……できれば、750名と一緒に帰りたかったな)

 1人の死者も出したくなかった――そう思うのは、傲慢だろうか?

「ふぅ……」

 大きく息を吐く。

 思い悩むのは、それだけではなかった。 

 視線を、窓とは反対側へ向ける。

「…………」
「…………」

 そこには、僕の隣座席に座って、窓の外を眺めるイルティミナさんの姿がある。

 でも、目の焦点があっていない。

 その美しい真紅の瞳には、けれど、目の前の景色とは違う何(・)か(・)が映っているようだった。

 乗車前、キルトさんに言われたことを思い出す。

 これから通るレスティン地方。

 そこは7年前、人狩りの襲撃を受け、イルティミナさんが家族を殺され、村も焼かれて故郷を失った場所だという。そして、その時の深手で、イルティミナさん自身も、子供を産めない身体になったのだ。

『――この道中は、イルナにとって辛い時間となる。頼む、マール。イルナの心を、そなたが支えてやってくれ』

 真剣な眼差しで、キルトさんは僕に頼んだ。

 もちろん、支えるために何でもしたい、そう思った。
 でも、

(……何をしてあげたら、いいんだろう?)

 肝心のそれが、わからない。

 話しかけても生返事ばかり。
 そもそも僕が視界にいるのに、その意識には入っていない様子なんだ。

(……困ったな)

 そんな風に悩んでいると、

「マールさ、本当に『神武具』を分けちゃってよかったの?」

 ふとソルティスに話しかけられた。

(ん?)

 ちなみに彼女は、イルティミナさんを挟んで、僕の反対側に座っている。

 顔を斜め前に出し、紫色の髪を肩からこぼして問う少女に、僕は笑った。

「うん。全然いいよ」

 そもそも、あれは全員の力で手に入れた物だし、僕1人が独占するのも違う気がするんだ。

(あの2人との、大切な絆の証にもなるし)

 分けることで、今後、ラプトとレクトアリスの助けになってくれれば、それでよかった。

 でも、ソルティスの考えは違うようだ。

「だけど、そのせいで『神武具』の性能、3分の1になるんでしょ?」
「あ~、うん」
「それって勿体なくない? そんなに力が減って、もしも『闇の子』と遭遇した時に、ちゃんと戦えるの?」

 そう眉をひそめて言う。

 確かに、彼女の危惧は間違っていない。

(……でも)

 僕は答えた。

「わからない」
「ちょっと……っ?」
「わからないけど、でも、僕には、みんながいるから大丈夫だと思うんだ」

 それが正直な気持ちだ。

 ソルティスは「はぁ?」と怪訝な顔。
 見れば、対面の席に座るキルトさんも、興味深そうにこちらを見ている。

 僕は、話を続けた。

「今の『神武具』では、きっと『暴君の亀(タイラント・タートル)』を倒したような大技は使えないよ。でも、同じ威力の技なら、キルトさんの『鬼神剣・絶斬』でいいと思うんだ」
「…………」

 ああいう大技は、使える状況が限られる。

 そして僕は、その状況を見極められず、あの時、『大迷宮』を崩壊させて、危うくみんなまで殺してしまうところだった。

「同じ力を使うなら、きっとキルトさんの方が正しく使える」
「…………」
「…………」

 今の僕には、その判断は、まだ無理だ。

「正直、3分の1でも持て余すぐらいの性能なんだよ? 下手に大き過ぎる力を持ってたら、僕はきっと、取り返しのつかない間違いを犯す気がするんだ。だから、3分の1になっても、全然、問題ないと思ってるよ」
「ふぅん?」

 ソルティスは、半信半疑と言った顔だ。
 でも、

「まぁ、マール本人がそう思うんなら、これ以上、私からは何も言えないわね」

 と肩を竦める。
 僕は、また笑った。

「心配してくれて、ありがと、ソルティス」
「アンタの心配じゃなくて、世界の心配してるのよ、私は」

 ベーッ

 思いっきり、『あっかんべー』をされました。全くもう……。

 僕は苦笑し、キルトさんを見る。

「僕……間違ってないよね?」
「うむ」

 美しい師匠は頷いた。

「そなたは聡く、勘も鋭い。今は、自身の信じたようにやるが良い」
「うん」

 その笑顔に、僕は大きく頷いた。

 誰にも、未来はわからない。
 この判断も、本当に正しいかどうかは、時が経たないとわからないだろう。
 でも、だからこそ、

(今は、今の自分の感覚を信じよう)

 それしかないと思った。

 そして、そんな僕を僕以上に信じてくれるそ(・)の(・)人(・)のことを、僕の青い瞳は窺うように見る。

「…………」
「…………」

 でも、彼女は、ずっと窓の外を見ていた。

 僕らの会話も聞こえていない。

「……イルナ姉?」
「……ふぅむ」

 ソルティスもさすがに姉の変化に戸惑い、キルトさんも難しい顔になった。

(……イルティミナさん)

 少し迷ったあと、

 ギュッ

 僕は、彼女の白い右手を掴んでみた。

「…………」

 その指が反応して、かすかに、こちらの手を握り返してくれる。
 でも、それだけだった。

 相変わらず、彼女の白い美貌は、樹海の続く窓の外へと向けられ続けている。

 僕は、ため息をこぼした。

 悪路の振動に揺られる僕らを乗せて、20台以上の竜車たちは、青空の下、樹海に拓けた道をレスティン地方へと向けて進んでいった――。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 竜車の旅が始まって、3日が過ぎた。

 イルティミナさんの様子は相変わらずだ。声をかけても生返事で、大抵は、気づいてもらえない。

 1度、キルトさんとこっそり話した。

『今のイルナは、自分の内なる何かと戦っておるのであろう。今はただ、あやつのそばにいてやってくれ』
『…………』

 キルトさんによると、3年前、彼女が自身の妊娠できない身体を知った時は、もっと酷い状態だったそうだ。

 突然、大声を出したり、物を壊したり。

 それと比べたら、今は、反応は乏しくとも大人しいし、安定している状態なんだそうだ。

『きっと、マールがいるおかげであろうの』

 キルトさんは、そう寂しそうに笑った。

 ……きっと当時、彼女も色々と手を尽くしたけど、駄目だったんだろう。

 自覚はないけれど、僕は、今のイルティミナさんの心の支えになっているらしい。だからこそ、キルトさんも僕に頼っている。

(…………)

 でも僕自身は、どうしたらいいのか、皆目見当もつかなかった。

 それと、ソルティスについても、話をした。

 彼女は、姉の変化を心配していた。

 けれど、その原因については、何もわかっていない様子だった。

 前にも聞いたことがあったけれど、どうやら彼女には、人狩りに襲われた記憶はあっても、レスティン地方でキルトさんに拾われたことまでは覚えてはいないようなのだ。

 当時、あまりに幼かったためか。

 それとも、辛い記憶を無意識に封じたのか。

 あるいは両方か。

『何にせよ、無理に伝える必要はあるまい』

 キルトさんは、そう言った。 

 彼女の予想では、レスティン地方を抜けてしまえば、やがてイルティミナさんの様子も元に戻るだろうとのこと。

 ソルティスには悪いけど、下手に話して辛い記憶を甦らせるよりは、ソルティスは何も知らないままで、全てが済むまで待った方がいいだろうという判断だった。

 悩んだけれど、僕もその判断を尊重した。

(ごめんね、ソルティス)

 少女の心のケアについては、キルトさんの方が担当すると約束してくれた。

 そんな風にして、僕らは、ウォン姉妹と旅を続けた。

 そして、4日目。

 20台以上の竜車たちは、行きには通らなかった大きな川沿いの街道を進んでいた。

 やがて、浅瀬を渡る。

「ここから、レスティン地方じゃ」

 キルトさんが、僕にこっそりと耳打ちした。

 通り抜けるまでは、およそ3日――イルティミナさんにとっては、最も辛い3日間になりそうだった。

 ガラガラ

 竜車は、草原を進む。

 緑色の絨毯のような草原の果てには、森林の広がりが見え、更にその先には、青白く霞む山々が見えた。背の高い山は、雲にも届きそうだ。

 見上げる空は青く、太陽は輝いている。 

(……綺麗な景色だね)

 そう思った。

 牧歌的で、穏やかな風景だ。

 でも、それとは裏腹に、イルティミナさんの様子は悪くなった。

 ギュウゥ……

「っっ」

 窓の外を見ていると、ずっと繋いでいたイルティミナさんの指が、万力のように僕の手を握った。

 あまりの痛みに、悲鳴をあげそうだった。

 見上げても、イルティミナさんの表情に変化はない。

(……気づいてないんだ?)

 ただ窓からの景色を眺めながら、けれど、顔色だけが青さを通り越して、白くなっている。

 僕は、黙ったままでいた。

 余計なことを言って、心に負担をかけるよりは、このまま指が折れてもいいと思ったんだ。

 メキッ

(……っっ)

「ちょっとイルナ姉!?」

 でも、顔をしかめた僕にソルティスが気づいて、姉を叩いた。

「あ……」

 イルティミナさんがようやく、こちらに気づく。

 その真紅の瞳が僕を見つめている。

(……久しぶりに見てもらえた気がする……)

 瞳にはすぐに驚愕が浮かび、慌てて、万力のようだった手がパッと離れた。

「ご、ごめんなさい、マールっ」
「ううん、大丈夫」

 僕は笑った。

 さりげなく手を後ろに隠したけれど、キルトさんに怒られて、ソルティスに回復魔法をかけてもらった。ちなみに本当に折れていたそうだ。

「……すみません」

 口元を押さえ、泣きそうな顔のイルティミナさん。

 いくら『大丈夫だよ?』と言っても、彼女は聞いてくれなかった。

 そしてその時から、彼女は『調子が悪い』ということで、『騎竜車』に造られた寝室の寝台で1人、横になっていることが多くなった。

「…………」
「…………」

 僕とキルトさんは、揃ってため息をついた。

 翌日、更に困ったことが起きた。

「……なんだか、気分が悪いわ」

 なんと、ソルティスまで、そんなことを言い出したのだ。

 青い顔で、口元を押さえる。

「竜車に酔ったのかしら? 外の景色を見ていたら、急に胸の辺りが苦しくなって……うぇ」
「ふむ、そうか」

 キルトさんは少女の隣に座ると、優しく抱き寄せながら、その小さな背中を撫でてやる。

 黄金の瞳が、さりげなく僕を見た。
 僕は、小さく頷く。

(……やっぱり、トラウマなんだね)

 表層の記憶にはなくても、潜在意識にはきっと残っていたんだ。

 キルトさんは、母親みたいに微笑み、

「案ずるな、そばにおる」
「……うん」

 ソルティスは、どこか安心したように、彼女にしがみつくようにして、大きく息を吐いていた。 

 1日でも早く、レスティン地方を抜けて欲しい――そう願った。

 だというのに、悪い出来事は重なる。

 草原から、山に近い森林の中にある街道へと、竜車が入ってからだ。

 周囲の景色が白くなった。

(……霧?)

 長雨の影響がここにもあったのか、濃い霧が森全体を包んでいた。

 窓から手を伸ばすと、指先が白く霞む。

 前方、或いは後続の竜車は、もはや黒っぽい影にしか見えず、もしものために車両前後にランタンを灯してぶら下げて、衝突防止の目印とするほどだった。

 おかげで、移動速度が鈍った。

 本来3日でレスティン地方を抜けられる予定だったのが、更に1~2日伸びそうだという。

「…………」
「…………」

 僕とキルトさんは視線を交わす。

『――こんな時に!』

 お互い、そう思っているのがよくわかった。

 あれから、ソルティスは小康状態だった。

 でも、キルトさんのそばを片時も離れない。常に隣に座って、その服を握っていないと安心できない様子だった。

(…………)

 寝台にいるイルティミナさんの方へは、僕も何度か顔を出している。

 でも、指を折った罪悪感か、後悔か、あまり話をしてくれないどころか、視線を合わせてくれないこともあった。それには、地味に傷ついた……。

 顔を出し過ぎても負担になる。

 そう思っていたけれど、

「ちょっと、イルティミナさんの様子を見てくるね」

 先の見えない白い霧に、僕自身が不安になってしまったのか、2人にそう声をかけて座席を立つと、僕はあの人のいる寝台室へと移動した。


 ◇◇◇◇◇◇◇


「イルティミナさん、調子はどう?」

 寝台室に入った僕は、彼女の寝ているベッドの脇に椅子を引いてきて、腰を下ろした。

 返事はない。

 寝台に横になる彼女は、車両の窓から見える外の白い景色ばかりを見つめていた。 

(…………)

 拒絶されている訳ではない、と思う。

 ただ、彼女の心には余裕がないのだと思えた。いや、僕が、自分にそう言い聞かせたいだけかもしれない。

 ガタ ガタタン

 段差に乗り上げたのか、竜車が揺れる。

 長い沈黙の果て、

「……迷惑をかけていますね、マール」

 ポツリ……と、彼女の背中が呟いた。

 僕はハッとする。

「ううん、そんなことないよ!」

 声をかけられたことが嬉しくて、でも、一生懸命に首を振った。

 なるべく穏やかに、

「僕がしてるのは、心配だけ。迷惑だなんて、一度も思ったことないよ?」
「…………」

 本音だった。

 でも、彼女にはどう聞こえたか、わからない。

 10秒以上、また沈黙が流れて、そして彼女は言った。

「……キルトから聞いたのでしょう?」
「――――」

 すぐに返事ができなかった。

 それに構わず、彼女は続けた。

「通り抜けた過去だと、頭ではわかっているのです。……ですが、心が裏切るのです。あの時の痛みを、恐怖を、絶望を……何度も、何度も、頭の中に繰り返し見せてくるのです」

 その声。

 その震える声を耳にした時、僕は初めて、彼女の心の傷の深さを感じた気がした。

 僕は何も言えなかった。

 イルティミナさんは、やつれている気がした。

 ここ数日、まともな食事をしていない。

 艶やかな深緑色の髪をシーツに広げて、まるで病人のように儚げで、でも、だからこそ現実とは思えないほど美しくて、そのまま消えてしまいそうに思えた僕は、彼女の手を握ろうと思った。

 その時、

「……やり直したい」

 そう呟きがこぼれた。

 手が止まった。

 あまりに悲しげで、重くて、泣きそうな声だったから、動けなくなった。

(…………)

 僕は、何かできると思っていた。

 彼女のために、自分が心の支えになれるのだと、傲慢にも勝手に信じていたんだ。

 でも、

「……父様、母様」

 涙を見せず、泣いている姿を見せられて、それが幻想だったと思い知った。

 ――僕は、無力だった。

 震える手を、気づかれないように引っ込める。

 閉じた唇が震えた。

 ヴォン

 涙だけは見せまいと必死に歯を食い縛っていると、小さな物音がした。

(……え?)

 腰ベルトのポーチに入れてある『神武具』だ。

 隙間から、虹色の光が漏れている。

 慌ててポーチから取り出すと、その『虹色の球体』は、クルクルと回転しながら、細かい粒子となって寝台室の中に散っていく。

(え? え?)

 困惑する僕の前で、室内がキラキラと輝いた。

 次の瞬間、

 ガタン

 イルティミナさんが寝台から跳ね起きた。

(わ!?)

 彼女は驚いた表情で、寝台室の窓に張りつき、ガラスに額を押しつけながら外を見ていた。

 その白い霧の世界に何かを見つけたように、一心不乱に凝視する。

 そして彼女は、

 ドンッ

 僕を突き飛ばして寝台を飛び下りると、そのまま、外へと通じる寝台室の扉を、走行中だというのに大きく開いた。

 冷たい外の空気と、白い霧が入り込む。

 バササッ

 彼女の着ているワンピースの裾がはためき、暴れている。

 まさか、

「イルティミナさん!?」

 僕は叫んだ。

 でも、それが合図だったように、彼女は躊躇なく、開いた扉から竜車の外へと跳んだ。

 ビュゴウゥウ……ッ

 強い風と共に、何もない場所だけが残される。

 あまりのことに、一瞬、現実だと受け入れられなかった。でも、1秒ほど遅れて、僕は開いた扉から外を見る。

(イルティミナさん!?)

 白い霧で濁った世界。

 その中で、街道脇の森の中へと、裸足のまま駆けていく背中があった。

 その姿は一瞬で遠ざかり、白い霧に隠される。

「どうした、マール!?」

 僕の叫びと物音を聞きつけて、キルトさんが寝台室に入ってくる。

 遅れて、その背中にくっつくようにソルティスが続く。

 僕は呆然としながら、

「イルティミナさんが……ここから外へ」
「何っ?」

 キルトさんは驚いた顔をし、すぐに僕の頭上から外を窺った。

「……嘘でしょ、イルナ姉?」
「…………」

 ソルティスが呟く。

 キルトさんは顔をしかめると、室内をもう一度見て、誰もいないのを確認し、僕の前に膝をついた。

「何があった?」
「……わからないよ」

 僕は答えた。
 でも、ソルティスは怒ったように言う。

「わかんないって何よ!? イルナ姉と一緒にいたの、アンタなんでしょ!? だったら――」
「本当にわからないんだよっ!」

 その非難の声を吹き飛ばすように、僕は叫んだ。

 ソルティスが息を詰め、黙る。

 キルトさんが表情を強張らせ、それから、ソッと僕の肩に触れた。

 ビクッ

 思わず、身体が震えた。

「そうか」

 呟くキルトさんの表情は、何かの責任を感じている顔だった。

(……違う)

 僕1人に任せたことを、後悔している――そう見えた。

 僕が無力だったから、彼女の心を救えなかった。

 その傷ついた心を、支えられなかった。

 僕のせいだ。

 僕の……。

 嘆いていた時、ハッと我に返った。

 寝台室の中を振り返れば、奥の壁には、イルティミナさんの荷物と一緒に、あの『白翼の槍』も壁に立てかけられていた。

(何の武器もなく、森へ入った……?)

 その事実に、ようやく気づく。

 ゾクッ

 背筋が震えた。

 冗談じゃない。いくら彼女が強くても、素手で魔物がいる可能性のある森へ入るなんて、自殺行為以外の何物でもなかった。

「イルティミナさん……っ」

 僕は、自分の荷物へと走った。

 竜車の中だったので、装備は外している。『妖精の剣』だけを手にした僕は、今度は開いたままの扉に向かって走る。

「おい、マール!?」

 キルトさんの焦った声。

 ソルティスの驚いた顔。

 そして、こちらに伸ばされたキルトさんの手をかわして、タンッと床を蹴ると、僕の小さな身体は、竜車の外へと飛び出した。

 バフッ

 強い風が全身を叩く。

 衝撃と共に地面に着地して、勢いに負けてゴロゴロと転がる。

 土にまみれて起きた僕の横を、凄まじい勢いで、何台もの黒い竜車が走り抜けていく。土煙と振動、そして、跳ねる泥が僕を襲った。

 それらを無視して、

「イルティミナさん!」

 僕は白い霧の中をしばらく逆走すると、彼女が消えていった森の中へと飛び込んだ――。