135-133. Ludo Village
密集した森を抜け、川の浅瀬を渡り、岩場の狭い隙間を通り抜け、僕らは山を登りながら、村を目指した。
(……大変な道ばっかりだ)
『魔血の民』の隠れ里。
やはり簡単には辿り着けないような場所にあるんだろう。
見れば、空は赤焼けが始まっている。
もう夕方だ。
半日近く移動している計算になる。
幼いソルティスは、父親の腕に抱かれながら、とっくに夢の世界に旅立っていた。
……うん、本当に無垢な寝顔だね。
微笑ましく思っていると、
「この先だ」
イルティミナさんの父様が、短く告げた。
そこは、山の岩壁をくり抜いた洞窟だった。入り口は、茂みに隠されていて、近くに立ってもわからなかった。
ランタンの灯りと共に、中を進む。
狭い暗闇を、100メードほど歩いただろうか? やがて前方に、太陽の光が見えた。
(やっと出口かな?)
そして、外に出て――僕は、驚いた。
そこは、三方を岩壁に囲まれた、広い緑の草原だったんだ。
残りの一方には、真っ赤な夕焼け空が広がっている。どうやら草原の向こう側は、断崖の絶壁になって途切れているようだった。
(あ……家だ)
その草原に、ポツポツと民家が見えた。
山羊のような家畜が柵の中で飼われていて、作物の畑も造られている。その中では、夕日に照らされ、黒い影となった村人たちの働いている姿もあった。
(こんな山奥に、本当に村があった……)
驚いた。
そして、その光景は、本当に牧歌的な普通の村だった。
「ようこそ、ルド村へ」
隣の少女が笑った。
ルド村。
ここが……あのイルティミナさんの生まれ育った場所。
その遠い故郷。
そして――、
「…………」
僕は、少女となったイルティミナさんを見る。
明るい笑顔。
屈託のない、僕の知っているあの人よりも、ずっと光に満ちた笑顔だった。
(……これから、この子は、この景色を失うの?)
そう思ったら、やり切れなかった。
「……マール君?」
僕の表情に、彼女が小首をかしげる。
慌てて僕は、首を左右に振って、「ううん、なんでもない」と誤魔化した。
「2人とも行くぞ?」
「あ、うん」
「ごめんなさい、父様」
イルティミナさんの父親に呼ばれて、僕らは歩きだす。
村に近づくと、気づいた村人たちが、すぐに声をかけてきた。
「イルちゃん、ソルちゃん、無事だったんだね!」
「みんな、心配してたんだよ」
「帰ってきてくれて、よかった」
「うんうん」
みんな、優しそうな人ばかりだった。
少女のイルティミナさんも、心配かけたことは申し訳なさそうだったけれど、ちょっと嬉しそうだった。
でも、そばにいる僕に気づいたら、
「……え? ……誰?」
「……まさか外の……」
「…………」
村人全員の表情が強張った。
視線が痛い。
(……仕方ないんだろうけど、ね)
僕は、この閉鎖された世界の異物だ。
気づいたイルティミナさんが、周りの人に何かを言おうとして、でも、その寸前、
「イルナ、お前はソルを連れて先に家へ戻れ」
「え?」
父親に、眠ったままの妹を渡される。
「彼は、私が村長の所まで連れて行く」
「で、でも……」
「母様も心配していたんだ。早く顔を見せて、安心させてやってくれ」
彼女は、迷ったように僕を見る。
コクッ
僕は頷いた。
「僕は大丈夫だよ」
「…………」
イルティミナさんは、しばらく僕の顔を見つめ、
「はい……わかりました、父様」
やがて頷くと、妹を大切に抱いたまま、村の奥へと消えていった。
その背中を見送って、
「では、行こうか」
「はい」
僕は、イルティミナさんの父様と他4人の狩人と一緒に、村長に会うため、また別の方向へと歩きだした。
◇◇◇◇◇◇◇
草原の丘の上に、周りより少し大きな一軒家があった。
どうやら、ここが村長の家みたいだ。
「装備を預からせてもらえるか?」
「はい」
イルティミナさんの父様が言うので、僕は素直に従う。
口調は頼んでいるけれど、実質は命令に近いかな? ――だって、僕の背後には、弓を手にした4人の男たちがいるのだから。
(ま、逆らう気はないけどね)
警戒する必要もない。
この人たちが僕を殺す気なら、ここまでの道中でも殺せたのだ。
鞘ごと『妖精の剣』を受け取った彼は、それを背後の1人に渡して、
「お前たちはここで待て」
そう命じた。
4人は頷く。
(この人が、5人の狩人のリーダーなのかな?)
そう思った。
そして僕とイルティミナさんの父様は、一緒に村長の家へと入った。
燭台の灯りに照らされる室内。
特に目立ったところのない、普通の民家だった。
そのテーブルの奥に、1人の老婆が座っている。
「おや、オルティマ? どうしたんだい?」
しわがれた声。
村長さんは、70歳以上に見える小柄な老婆さんだった。
多分、僕と同じぐらいの身長で、でも、腰が海老みたいに曲がっているから、もっと小さく見える。
皺だらけの顔は、穏やかだ。
声をかけられたイルティミナさんの父様――名前はオルティマさんなんだね――は、背後に控えていた僕を前に出す。
糸みたいだった老婆さんの瞳が、大きく開く。
「おやおや、その子は『外』の子かい?」
「そのようです」
オルティマさんは頷くと、村までの道中で娘がした話を、この村長さんへも伝えた。
全てを聞き終えた村長さんは、
「そうかい、そうかい」
何度か頷いたあと、僕を見つめる。
「イルナとソルを助けてくれたんだね、ありがとうよ。……ただ申し訳ないけれど、色々と事情があってね。坊や自身のことを、もう少し詳しく、このババに聞かせてもらえるかい?」
「うん、いいよ」
もちろん、素直に応じる。
(要するに、事情聴取と身元確認だね?)
素直な僕に、彼女は「ホッホッ」と嬉しそうに笑って、
「ささ、まずは座っておくれ。お茶でも淹れようさ」
僕を対面の椅子へと座るよう促して、「あんまり美味しくないけどね?」と茶目っ気たっぷりに付け加えた。
◇◇◇◇◇◇◇
「まず坊やの名前は、マールでいいのかね」
「うん」
僕は頷き、お茶をすする。
(……味がしないね?)
あの言葉は謙遜ではなく、お茶は、本当に色がついただけのお湯だった。
ちょっと驚く。
そんな僕に、村長さんは「ホッホッ」と笑いながら、
「それで、マール坊やは、まだ子供なのに、本当に冒険者なのかい?」
と問う。
(まずは身元確認、かな?)
そう思いながら、僕は右手に魔力を流した。
ポウッ
赤い魔法の紋章が、手の甲に浮かび上がり、光り輝く。
それを顔の横に持ち上げ、
「うん。僕は、隣国シュムリアから来た赤印の冒険者マール。所属している冒険者ギルドは、『月光の風』だよ」
そう名乗る。
2人は、少し驚いた顔だ。
「坊やは、隣国の人だったのかい?」
「うん」
僕は頷く。
オルティマさんは、少し思案した顔で、
「『月光の風』といえば、現在、開かれているアルン皇帝と皇后の成婚10周年の式典に、シュムリア王国から招待されている金印の魔狩人キルト・アマンデスという人物が所属していたはずです」
と告げた。
(あ、キルトさんのこと知ってるんだ?)
7年前の隣国でも、もう名前が知られているなんて、さすがキルトさんだ。
同時に、新しい情報も手に入った。
その式典からの帰りに、彼女は、イルティミナさんたち姉妹を見つけたと言っていた。
つまり、
(この村を悲劇が襲うのは、もうすぐなんだ……)
という事実。
そんなことを考えていると、村長さんが僕を見ていることに気づいた。
「……何?」
「いやぁ、何でもないよ」
彼女は、皺を増やして、穏やかに笑う。
それから、
「マール坊やが冒険者なのは、わかったよ」
「うん」
「でも、それじゃあ、尚更どうして、こんな隣国の森の中で迷子になっていたんだい? ……例えば、何か目的が?」
と質問した。
その瞬間、村長さんの柔和な表情は変わらなかった。だけど、皺の奥の細まった瞳には、真剣な光が灯っていた。
彼女の後ろに立っているオルティマさんも、僕の顔を真っ直ぐに見つめている。
(…………)
ここまでの道中で、僕も色々と言い訳を考えてある。
「この国に来たのは、ただの観光だよ」
「ほう?」
老婆の片目だけが、大きく開く。
「キルトさんは、僕らのギルドの象徴なんだ。そんな彼女の行くアルンっていう国に興味が湧いたんだ。だから、この目で見ようと思ったんだよ」
「ふむ、1人でかい?」
「うん」
頷いて、
「まだ『赤印』だけど、これでも剣の腕は、『青印』以上だって言われたこともあるからね」
そう言いながら、オルティマさんを見る。
村長さんも見た。
彼は、静かに口を開く。
「イルナの話では、7頭の『白牙狼』を1人で追い払ったとか」
「ほほう?」
感心したような村長さんの声。
僕は畳みかけるように、嘘の話を重ね続けた。
「この近くには、『大迷宮』があるって聞いた。僕も冒険者だし、世界最大の迷宮を、1度はこの目で見たいと思ったんだ」
「…………」
「でも、そこに向かう途中、街道に近い森で野営しようとして、そのまま食糧を探しに森の奥に入ったら、凄い霧に包まれて方角がわからなくなって……」
そこで肩を竦めて、
「で、気づいたら迷子になってたんだ」
と締め括った。
「…………」
「…………」
村長さんも、イルティミナさんの父様も、しばらく僕の青い目を見つめ続けた。
やがて、
「そのあと、イルナに会ったのかい?」
「うん」
大きく頷く。
村長さんは、「ふぅむ」と大きく唸った。
「話してる内容に、矛盾はなさそうだね」
「…………」
「けど……まぁ、うん……何かできすぎな感じはあるけども、でも、別に悪い子じゃあなさそうだ」
と頷いた。
オルティマさんは、村長さんを見つめ、それから「わかりました」と応じた。
(……どうやら、合格、かな?)
緊張している内心をひた隠しながら、短く安堵の息を吐く。
実は、手とか汗でべったりだよ。
村長さんは「ホッホッ」と笑って、
「そういえば、イルナたちを助ける時に身体を痛めたって聞いたけど、大丈夫なのかい?」
と聞かれた。
「えっと……前の仕事のダメージが身体に残ってて、それが今回、悪化した感じかな?」
「そうかい」
彼女は頷いた。
「なら、2~3日ゆっくりしていきな。そのあとは、3日分の食料とランタン、毛布をやるから、好きに村を出ていくといい。すまないが、貧しい村だから、これぐらいの恩返しが精一杯さね」
「ううん、充分だよ」
僕は笑った。
村長さんも穏やかに笑う。
「オルティマ、このマール坊やを、アンタの家に泊めてやっとくれ」
「…………。はい」
オルティマさんは、一瞬、何か言いたげな表情だったけれど、結局、何も言わずに頷いた。
僕は席を立つ。
と、そんな僕へ、村長さんは悪戯っぽく言った。
「マール坊やが、イルナと結婚して村の一員になったら、ずっとこの村にいてくれてもいいけどね」
…………。
(イルティミナさんと僕が……結婚……?)
思わず想像したら、頬が熱くなった。
オルティマさんが、彼女を睨む。
「村長」
「ホッホッ、冗談だよ」
そして、「おお、怖い怖い」と肩を竦める老婆さん。
僕は、ただ苦笑するしかなかった。
「行くぞ」
ちょっと怖い声で、イルティミナさんの父様が言う。
と、
「最後に1つ」
村長さんが、また僕を引き留める。
でも、その声には、穏やかだけれど、今までにない何か重い響きがあった。
僕は振り返る。
「シュムリアで暮らすマール坊やから見て、このアルンという国は、どう映ったかね?」
「…………」
まぶたの奥の細い瞳は、真剣だった。
僕は、正直に答えた。
「1つの欠点を除いたら、いい国だと思う」
「欠点?」
僕は答えた。
「『魔血の民』への差別」
「…………」
「…………」
2人は無言だった。
促すような視線に、僕は続けた。
「特に辺境では、有り得ない酷さだと思った。シュムリアにも差別はあるけど、そこまでじゃない。逆に神帝都には、差別はないけど……」
村長さんは苦笑した。
「私らのような貧乏人は、あんな所で暮らしたら、3日で素寒貧さ」
「…………」
今度は、僕が苦笑するしかない。
彼女は言った。
「坊やは、気づいてるね?」
「……うん」
僕は、素直に認めた。
――ここに暮らしている村人が、全員、『魔血の民』だということを。
狩人であるオルティマさんの瞳が、鋭く細められる。
それを受け止めながら、
「この村のことは、誰にも言わないよ。他のアルンの人たちに知られたら、あの子たちを助けた意味もなくなりそうだもの」
「ふむ、そうかい」
僕の返答に、彼女は満足そうに何度も頷いた。
姉妹の父親は、なんだか複雑そうな顔をしている。
けど、刺々しい気配は消えた。
「色々聞いて、すまなかったね。答えてくれて、ありがとよ」
「ううん」
村長さんの笑顔に、僕は首を左右に振る。
「ま、何もない村だけど、ゆっくりしていっておくれ」
その声を背中に受けながら、今度こそ、僕はオルティマさんと一緒に村長さんの家をあとにした。
◇◇◇◇◇◇◇
案内されたのは、村の外周側ある一軒の民家だった。
特別な物は何もない、普通の家。
その扉を、家主のオルティマさんが開いて、
「帰ったぞ」
中へと声をかけた。
その背中の奥に見えたのは、テーブルと椅子の並んだ居間である。
(……内装も普通だね)
パッと見た感じ、そんな印象。
そして、
トタトタ
奥から足音がして、彼女が顔を出した。
「おかえりなさい、父様……と、マール君!?」
出迎えてくれた少女のイルティミナさんは、父親の隣に僕を見つけて、驚いた顔をする。
僕は、内心で苦笑しながら、
「こんばんは」
と挨拶した。
真紅の瞳を丸くしている娘に、オルティマさんが、僕の村での滞在中は、この家で預かる旨を伝えた。
「そうなの?」
彼女は、僕を凝視する。
その顔を見て、
(……もしかして、迷惑だったかな?)
少し不安になった。
助けられたとはいえ、僕らは知り合ったばかりだ。しかも、同世代の異性が、突然、同居するとなれば反発があっても可笑しくない。
でも、
「そう! それなら、家(うち)にいる間はゆっくりしていってね、マール君!」
「…………」
と嬉しそうに笑った。
……なんだろう?
受け入れてもらえたら、もらえたで、逆に異性として意識されてないのかと悲しくなった。
(……勝手なもんだね、人の心って)
思わず、自分に苦笑い。
「??? どうかした?」
「ううん」
僕は首を振ると、笑顔を浮かべて「これから、よろしくね」と改めて挨拶した。
彼女も「うん」と笑ってくれる。
オルティマさんは、そんな僕ら2人のやり取りを、複雑そうに見ていた。
と、
「おかえりなさい、あなた」
家の奥から、とても綺麗な女の人がやって来た。
(……え? ソルティス?)
一瞬、そう錯覚するぐらい、あの子にそっくりだった。
「ただいま、フォルン」
オルティマさんが、今までにない柔らかな笑みを浮かべている。
フォルンさん。
きっとオルティマさんの奥さんで、そして、イルティミナさんとソルティスのお母さんだ。
年齢は、20代後半から30代前半ぐらいに見える。
腰まで伸びた紫色の髪は、背中側で1つに縛られ、まとめられている。
その瞳は、金色。
顔立ちは、ソルティスが大きくなったら、こうなるだろう……というぐらい、似通っていた。
どうやら見た目は、
イルティミナさんは父親似。
ソルティスは母親似。
のようである。
ただフォルンさんからは、イルティミナさんにも似た、大人の落ち着きが感じられて、彼女の金色の瞳は、僕を見つめた。
「いらっしゃい、マール君。娘から、貴方の話は聞いていましたよ」
そう穏やかに微笑むと、
「大切な娘たちを助け下さって、本当にありがとうございました」
そのまま、子供の僕へと頭を下げた。
ちょっと驚く。
「い、いえ、別に」
「もうすぐ、夕餉の支度もできます。もう少しだけ待っていてくださいね」
そう言い残して、微笑むフォルンさんは家の奥へと戻っていく。
(…………)
なんか、妙にドキドキしちゃったよ。
「ふぅ」
思わず、息を吐く僕の横で、
「ソルはどうした?」
「部屋で眠ってるわ。夕飯の前には起こすから」
そんな父娘の会話。
そして、少女は僕の手を取って、
「もうすぐできあがるから、マール君はテーブルで待ってて。こっちよ」
笑いながら、僕を引っ張る。
オルティマさんは、何かを言おうとして手を伸ばしかけ、けれど、ため息を一つこぼして、1人で別の部屋へと行ってしまった。
(…………)
案内されたテーブル席で待っていると、幼女ソルティスも起きてきて、
「マァル~!」
と、嬉しそうに笑ってくれた。
うん、僕も嬉しい。
やがて、母と娘が作ってくれたであろう料理たちが出てきた。
「はい、召し上がれ」
笑う、僕と同い年のイルティミナさん。
僕は「いただきます」と手を合わせ、料理を食べさせてもらった。
(うん、美味しい)
ちょっと薄味。
でも、野菜と卵のスープに固めのパン、果実のデザートと、意外としっかりした内容だった。
(隠れ里っていうから、もっと質素かと思ってたけど……)
そうでもなかった。
キルトさんの昔の友人ナルーダさん、彼女の村ほど貧困ではないようだ。
まぁ、考えたら、向こうは荒野で高い税金もあったけど、ここは緑豊かな土地で、税金も払ってないからかもしれない。
ムッチャ ムッチャ
「…………」
ソルティスは、スプーンを鷲掴みにして、スープを口内へとかき込んでいる。
でも、一番小さい身体なのに、料理の量は一番多い。
(……この頃から、大食いだったんだ?)
ちょっと笑ってしまった。
幼女の汚れまくった口元を、「ほら、ソル」とイルティミナさんが布巾で拭ってやる。ソルティスは「ん~」と唇を突きだし、拭き終わるとまたすぐに料理を食べ始めた。
そんな姉妹の姿に、両親は優しく笑っていた。
(……仲のいい家族なんだなぁ)
そう思った。
見ているこっちが幸せになるぐらい、4人とも素敵な笑顔だった。
だから、
「…………」
僕は、この先に待ち受けている未来を思ったら、幸せそうな彼女たちの姿から、思わず目を逸らしてしまったんだ――。
◇◇◇◇◇◇◇
「今夜は、ここを使ってね」
13歳のイルティミナさんに案内されたのは、物置部屋のようだった。
弓や矢などの狩猟道具、農具などが片隅にまとめられている。
そして部屋の中央には、簡素な寝台として、積まれた藁の上に毛皮が敷かれ、一緒に毛布が用意されていた。
彼女は申し訳なさそうに、
「ごめんなさい、急だったから、準備が間に合わなくて」
「ううん」
僕は笑った。
「雨風が凌げるだけで、ありがたいよ。それに、安心して眠れる家の中だもの」
つい先日まで、ダンジョンで野営していたんだ。
あの時は、見張りに立ったりして、常に魔物を警戒していた。それに比べたら、実に快適な場所だと思うんだ。
美しい少女も笑った。
「そう言ってもらえると助かるわ。明日は、もっとちゃんとしておくから」
「ありがとう」
「ううん。――それじゃあ、マール君。おやすみなさい」
「おやすみなさい、イルティミナ」
慣れない呼び捨て。
やっぱり、ちょっと照れる。
そんな僕に、彼女もはにかみ、そして、部屋を出ていった。
パタン
戸が閉まる。
部屋には窓が1つだけ、そこからは紅白の美しい月が覗いていた。
「…………」
何もすることがない僕は、すぐに寝台に横になった。
毛皮が柔らかくて、心地いい。
しばらく撫でてから、仰向けになった。
月光に照らされる、狭い物置部屋の天井を見上げる。
(……なぜ、僕はここにいるんだろう?)
そう思った。
ここは、7年前の世界。
どうして時間遡行が起きたのか、元の世界のみんなは無事なのか、そもそも僕は7年後の世界に戻れるのか?
色々な考えが巡る。
何よりも気になるのは、
(あの13歳のイルティミナさんは……僕の知ってるイルティミナさんが若返った姿なのかな?)
その疑問。
もしそうでも、若返った理由はわからない。
でも、
『……やり直したい』
7年前の世界に来る直前、彼女のこぼした呟きが、頭から離れない。
「僕は……どうしたらいいんだろう?」
そうぼやく。
僕は、何か理由があって、7年前の世界に来たのだろうか?
それなら、何を為したらいいのだろう?
(いや、そもそも、こんな風に干渉していていいのかな?)
7年後の世界に、悪影響があるのではと心配になる。
下手をしたら、僕とイルティミナさんの出会いさえ消えてしまうような……その想像に、ブルッと震えてしまった。
「……眠ろう」
考えても答えは出ない。
身体の炎症のせいで、だるさも残っている。今は何も考えずに、ゆっくりと休みたかった。
まぶたを閉じる。
(……おやすみ、イルティミナさん)
心の中で、僕の知る大人のあの人に声をかける。
彼女は微笑んだ。
それに安心して、でも、抱き枕してくれない寂しさに吐息をこぼして、僕は、ゆっくりと眠りの闇に落ちていった。