159-157-Returning Sky 2



 空の旅も4日目になった。
 明日には、神帝都アスティリオに到着する予定である。

 この数日で、僕も、だいぶ回復した。

 まだ身体に痛みはあるけれど、少しは船内を動き回れるようになったんだ。

 そんなわけで、付き添いもなく1人でトイレまで行った帰り、僕はリハビリも兼ねて、少し遠回りで自分たちの客室まで帰ろうと通路を歩いていた。

(ん?)

 その時、キルトさんと将軍さんを見つけた。

 そこは、滅多に人の来ない通路。

 飛行船の船体外縁部に面していて、腰上の高さの手すりがあるだけで、その向こう側は何もない空の空間になっている通路だった。

 その通路の手すりに寄りかかって、銀髪の美女と熊のような大男が、それぞれ盃を手にしている。

 2人の足元には、大きな酒瓶が1本。

(…………)

 こんな場所で酒盛りでしょうか?

(まだ昼間なんだけどな)

 見上げる青空の太陽は眩しい。

 でも2人とも、戦後処理で毎日忙しそうだったし、久しぶりの自由時間なのかもしれない。今回は見なかったことにしてあげよう、うん。

 なんて、ちょっと上から目線で考えて、僕は1人頷き、その場を離れようとした。 

「あれから、マール殿の容体はどうだ?」
「今のところ、問題ないの。レクトアリスの診断でも、大丈夫と言われたが、一応、イルナが付き添っておる」

 …………。

 風の音と共に聞こえてくる話し声。

 自分の名前が出てきて、つい足を止めてしまった。

(え~っと、なんか身体が痛いな。ここで少し休憩していこうかな、うん)

 なんて言い訳して、聞き耳を立てる。

 将軍さんは「そうか」と頷き、盃をあおる。

 口を離して、大きく息を吐いた。

「此度の戦、貴殿らには本当に感謝しておるわい、鬼娘」
「お互い様じゃ、将軍」

 銀髪の鬼娘は、笑った。

「アルン軍の協力がなければ、わらわたちも、とても『刺青の者』たちの凶行を止められなかったであろう」
「ふむ、これも天の神々の采配か」
「かもしれぬ」

 頷き、彼女も盃をあおる。

 熱い吐息。

 銀色の豊かな髪が、吹く風に長くたなびいている。

 その姿を見て、キルトさんは本当に『絵になる人』だと思った。

 将軍さんも、その姿を見つめている。

 やがて、彼は視線を空へと向けて、ゆっくりと口を開いた。

「此度の戦で、神血教団ネークスは大きな損害を被った。これで、しばらくは大人しくなるわい」
「そうか」
「ま、油断はできぬがの。……ただ根絶するには、まだ時間がかかる」

 彼は、重そうに告げた。

 それを受けて、教団の迫害対象となる『魔血の民』の女性は、「そうであろうの」と短く応じた。

 教団は、秘密結社のように、目に見えぬ場所に根付いている。

 それを見つけ出し、全て排除するのは難しい。

(でも、時間をかけても、将軍さんはやってくれると言ったんだ)

 その希望を忘れない。

 キルトさんは大きく息を吐き、盃の酒を、またあおった。

「とりあえず、神血教団ネークスの現状は良い。今はそれより、『飛竜の女』の言葉じゃ。あの者が口にしていた『闇の子』の計画とはなんじゃと思う、将軍?」
「わからんわい」

 彼はあっさり降参した。

「封印の破壊が目的だった。しかし、人類の損にはならない。そのようなことがあると思うか?」
「わからんわい」

 将軍さんは繰り返す。

 銀髪の美女は、唇を尖らせた。

「役立たずの耄碌ジジイめ」

 アルン歴戦の猛将は、大きな肩を竦めた。

「わからんものはわからんのだ、仕方なかろう。そもそも、鬼娘自身とて、わからんのだろうが?」
「……む」
「ま、焦る気持ちはわかるが、落ち着くのだ」

 彼の手は酒瓶を掴み、空になったキルトさんの盃に、お酒を注いでいく。

「あの3人のリーダーであるのなら、決して動じる姿は見せるな。内心はともかくの」
「わかっておるわ」
「なら、良いわい」

 キルトさんの手は、酒瓶をひったくり、今度は将軍さんの盃にお酒を満たしてやる。

「とりあえず、此度の勝利に乾杯するぞ、鬼娘」
「うむ」

 カン

 盃をぶつけ、透明な雫を空にこぼし、2人は熱い液体を喉に流し込む。

『ぷはぁ』と吐息。

 キルトさんは、手すりに背中を預け、白い喉を晒して青い空を見上げた。

「しかし、よく勝てたものじゃ」

 小さな呟き。

 将軍さんも「うむ」と頷いて、手すりに体重を預けながら、地上の景色を眺める。

「マール殿の存在じゃな」

 不意に彼は、僕の名前を出した。

(……僕?)

 戸惑う耳に、声は続ける。

「あの者がいなければ、我らアルンの人間たちは、あの『神牙羅』の2人と和解できなかった。『大迷宮』の踏破もできず、『神武具』の入手も不可能であったかもしれん。結果として、此度の勝利もなかったであろう」
「…………」
「マール殿の存在は、我らを繋ぐ要(かなめ)となった。それが、此度の勝利を呼んだのじゃ」

 …………。
 また過大評価されている。

 なんだかむず痒くなる僕の耳に、彼の笑い声が聞こえた。

「がははっ、マール殿が、あの空に浮かんだ『闇の女』を倒した一投には、年甲斐もなく熱くなったわい」
「ふふっ、そうか」

 キルトさんも微笑んだ。

 将軍さんも、そんな彼女を見つめる。

「あの者のこと、大切にしてやるのだぞ、鬼娘」
「無論じゃ」

 キルトさんは、大きく頷いた。

「このキルト・アマンデスの命に代えても、守ると誓おう」

 強い意志の宿った声。

 将軍さんは「ほう?」と唸った。

「なるほど、本当の母親のようではないか? やはり、鬼娘の母性が目覚めたか」
「……将軍」

 睨まれた彼は、太い首を横に振る。

「いやいや、冗談で言っているのではない。前々から、貴殿にも心を許せる家族が必要ではないかと思っておったのだ。どうだ、いっそのことマール殿を養子に迎えては?」

(僕が……キルトさんの養子?)

 思わぬ言葉に驚いた。

 キルトさんも、金色の瞳を丸くしている。

「マール殿も、そなたのことを慕っておる。悪い話ではないと思うが?」
「…………」

 キルトお母さん。

 もしそうなったら、彼女をそう呼ぶの?

(う、う~ん?)

 困惑していると、キルトさんも自分の感情に戸惑ったような表情を浮かべ、将軍さんの提案にゆっくりと答えた。

「すまぬが、その話は待ってくれ」

(…………)

 やっぱり僕みたいな子供は嫌かな? なんて身勝手に、少し悲しく思った。

 でも、彼女はこう続けた。

「マールが嫌いなわけではない。しかし、その関係はどうも許せぬ」
「ほう?」
「自分でもよくわからぬがの」

 胸の辺りを手で押さえながら、キルトさんは不思議そうに呟いた。

 将軍さんは、珍しいものを見た顔をする。

「そうか。貴殿もまだ女であるな、鬼娘」
「む?」
「親子だけが家族の形でもないわい。ま、己の感情をじっくりと考えてから決断せい」

 キルトさんは怪訝な顔だ。

 将軍さんは愉快そうに「がっはっはっ」と笑った。

「しかし、マール殿は、将来有望そうな若者だ。時間をかけすぎるならば、フィディの婿としてもらうわい」
「何?」
「うむ、それもいい考えかもしれん。そうすれば、マール殿も、このアルン神皇国で暮らすようになる。この国の安寧のため、大いなる力となろう。うむ、フィディにはがんばってもらわねば!」

 ズドンッ

「阿呆」

 笑顔満面の将軍さんの腹筋に、怒れるキルトさんの拳が突き刺さった。

「マールは誰にも渡さぬ」

『金印の魔狩人』の本気の気迫の声。

「その痛みと共に覚えておくが良い、この耄碌ジジイ将軍め」
「ぐふ……」

 将軍さんは、堪らず膝をつく。 

 歴戦の猛将であるダルディオス将軍に膝をつかせるほどの1撃に、もう僕の目は点だ。

「ぐ……はっはっ、自覚なしの馬鹿娘が」

 脂汗を流しながら、苦笑する将軍さん。

 キルトさんは「?」という顔をし、すぐにどうでも良さそうに肩を竦めると、再び手すりに寄りかかった。

 長い銀髪をなびかせながら、盃をあおる。

 その濡れた唇が開き、

「……マール、か」

 どこか切なそうな呟きは、吹きつける風と共に、あっという間に遠くへと流されていった。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 僕は、酒盛りを続けるキルトさんと将軍さんの下をこっそり離れ、改めて、自分の客室を目指して歩きだした。

(……ん?)

 しばらく歩いていると、今度は、金髪碧眼の少年を見つけた。

 ラプトだ。 

 客室の並んだ誰もいない通路で、彼は、1つの部屋の扉を少しだけ開けて、隙間から中を覗き込んでいた。

(はて、何をしてるんだろう?)

 彼はこちらには気づいていないようで、

「ええい、まだ終わらんのかい」

 などと呟いている。

 僕は「ん~?」と首をかしげ、

「ラプト、何やってるの?」
「!?」

 ガンッ

 驚き、慌てて後ずさったラプトは、後頭部を通路の壁にしたたかにぶつけていた。

 ……本当に、何をやってるの?

 唖然とする僕の前で、神族の少年は、ぶつけた頭を押さえながら立ち上がる。

「イタタ……なんや、マールやないか」
「う、うん。なんかごめん」

 思わず謝る僕。

「? なんでマールが謝るんや?」
「…………。なんとなく?」

 僕らは互いに首をかしげてしまった。

 いや、それよりも、ラプトはこんなところで何をしていたんだろう?

 そう訊ねると、

「ん」

 彼は、今まで覗いていた部屋の方を、小さな親指で示した。

(?)

 僕は怪訝に思いながら、まだ開いている扉の隙間から、中を覗く。

「あ」

(ソルティスとレクトアリス?)

 その2人が一緒に、部屋の中にいた。

 紫色の柔らかそうな髪を、頭の後ろで1つに束ね、眼鏡をかけたソルティスが真剣な表情で机に向かい、一生懸命にメモを取っている。

 その椅子の後ろには、まるで家庭教師のようにレクトアリスが立っており、その長く綺麗な髪を片手で押さえながら、少女の手元を覗き込んでいる。

 時折、人間の少女が何かを訊ね、神族の美女が答えていた。

「……ここのエネルギー変換は、どうやって予測するの?」
「さっきの計算式で数値を出すのよ」
「あ~、そっか」
「こっちの計算式と間違えやすいから、気をつけてね」
「ん。りょ~かい」

 そんな会話が聞こえてくる。

 僕は、ゆっくりと扉から離れた。

「どういうこと?」
「見たまんまや」

 ラプトは、重そうにため息をこぼした。

「あのチビ女が毎日、レクトアリスに神術についてを教わりに来ていてなぁ。レクトアリスも満更でもないようで、ワイ、毎回、勉強会が終わるまで邪魔やからって、部屋から追い出されんねん」
「…………」

 そ、そうなんだ。 

 黄昏た表情で、窓の外を眺めるラプトは、僕の目に、とても悲しく見えてしまったよ。

 僕は、もう一度、部屋の扉を見る。

(でも、そっか。最近、ソルティスを見ないと思ったら、ここに通ってたんだ?)

 僕自身は、しばらくベッドから動けなかったので、彼女に会えるのは、朝起きた時とか夜の寝る前ぐらいだった。

 ようやく謎が解けた気分だ。

 でも、ソルティスを見ない時間、ずっとここにいたのだとしたら、

「……レクトアリスも、よく付き合ってくれるよね」

 と思った。

 ラプトは見上げていた空から僕へと視線を移して、小さく苦笑する。

「あのチビちゃん、思った以上に優秀やったからな」
「…………」
「正直、短命な人間なんが惜しいくらいや。もし、長命な種族やったら、神術の深奥にも手が届いたかもしれん。それぐらい教えたことを、真綿が水を吸い込むように吸収してくれるんや。レクトアリスも楽しいんやろ」

 そうなんだ?

(ラプトが、そこまで手放しで褒めるなんて……さすがソルティスだね)

 彼はため息をこぼし、その美しい碧眼で部屋の方を見る。

「それに400年前も、レクトアリスは似たようなこと、しとったしな」

(え?)

「400年前の神魔戦争では、人間たちに多くの戦災孤児が生まれたんや。当時は、ワイらも人間と仲良かったしな。レクトアリスは、集まった孤児たちに、読み書きや計算の仕方など、教師の真似事みたいに教えとったわ」
「…………」

 そんなことがあったんだ……。

 ラプトは笑って、大きく伸びをする。

「ま、もうすぐお別れやしな。2人とも気の済むまでやったらええわ」

 お別れ。 

(うん、そうだったね)

 この飛行船が神帝都アスティリオについたら、僕らは今度こそ、シュムリア王国に帰ることになる。

 アルンで出会った人たちと、そして、アルンに残るこの2人の『神牙羅』ともお別れなんだ。

 僕の視線に、ラプトが気づく。

 彼は穏やかに笑った。

「色々と世話になったな、マール」
「こっちこそ」

 僕は、思いを込めて答えた。

 本当に、2人がいなければ、大迷宮でもコキュード地区の戦いでも、どうにもならなかった。

 何より、こんな不安定な存在の僕も、同じ『神の眷属』として温かく受け入れてくれたことが、本当に嬉しかった。

 ラプトは、ポケットから、直径3センチほどの虹色の球体を取り出す。

『神武具』だ。

 僕も、腰ベルトのポーチから取り出す。

 レクトアリスも持っている、僕ら3人の絆を示すような、3つに分かれた聖なる武具――それを互いに見つめて、笑った。

「大事に借りとくで」
「うん」

 僕は、大きく頷いた。

 彼は摘まんだそれを、太陽にかざして、碧色の瞳を細めた。

「しっかし、『神武具』には色々なタイプがあるんやけど、これは珍しいタイプやな」
「そうなの?」
「あぁ、こいつは万能強化型や。武器だけやのうて、防具や、肉体も強化しよる。あの時、マール自身も強化されとったやろ?」

 あの外骨格みたいな全身鎧のことかな?

(そっか。あれは『妖精の剣』が『虹色の鉈剣』になったみたいに、僕自身が強化された状態だったんだ)

 あの凄まじい戦闘力は、思い出しても頼もしい。

「灰色の女神コールウッド様も、いい『神武具』を残してくれたわ」
「……うん」

 大迷宮の最下層で見た惨劇を思い出すと、複雑な気持ちではあったけれど、その事実は認めるしかない。

 僕の様子に気づいて、ラプトは苦笑した。

 パンパン

 何も言わずに、ただ僕の腕を軽く叩く。

 その気遣いが嬉しくて、僕は笑った。

「ただ、気をつけるんやで、マール」

 ん?

「自分は、確かに強いわ。『神武具』の力もあって、『第3の闇の子』っちゅうんも倒してみせた。けどな、自分の肉体は、もう人間と同じなんやってことは、忘れたらあかんで」
「…………」
「人間の肉体にとって、『神気』は基本、毒なんや」

 彼は、はっきり言った。

「『暴君の亀』みたいに、肉体が変質強化されるなんて、まず有り得へん。体内に流しすぎれば、間違いなく、死んでしまうんや。3分のリミットちゅうんわ、冗談やないんやで」

 真剣な表情。

 僕は、限界を超えて『神気』を使った直後を思い出す。

 酷い痛み。

 そして苦しみ。

(……大迷宮の時は、心臓が止まったりもしたんだよね)

 ラプトの言葉が嘘ではないと、実感できる。

「あまり神気に頼りすぎるなや、マール。あれは、おまけのつもりでええ。ワイらは、自分を殺したくて、神気のことを教えたんとちゃうんやからな」
「……うん」

 僕は、僕を気遣う友人に頷いた。

「ありがとう、ラプト。気をつけるよ」
「おう、絶対やで」

 僕の返事に、彼は笑顔で頷いた。

 そして、『神武具』をポケットにしまうと、そのまま、その右手がこちらに差し出される。

 …………。

「マール。ワイらは、自分に出会えてよかったわ」
「…………」
「感謝しとるよ。ありがとうな」

 その声には、色々な思いが詰まっていた。

 初めて、ダルディオス将軍の屋敷で出会った頃は、人間たちに裏切られたことに傷つき、心を閉ざしていた2人。

 それでも優しい2人は、僕らのために力を貸してくれた。

 そして今、僕らはこうして笑い合い、部屋の中では、人間の少女と神族の美女が共に時間を過ごしている。

(…………)

 明日には、僕らを乗せた飛行船は、神帝都アスティリオに到着する。

 そこで、お別れ。

 僕も、ラプトの手をしっかりと握った。

 熱くて、頼もしい手のひらだった。 

「僕も、ラプトたちに会えて、よかった。ありがとう」
「おう」

 彼は笑った。

 窓から差し込む太陽の光に、白い八重歯がキラリと光っている。

 屈託のない、素敵な笑顔だ。

 カチャ

 その時、部屋の扉が不意に開いた。

「え、マール?」
「あら、2人ともどうしたの?」

 勉強会が終わったのか、ソルティスとレクトアリスが驚いた顔で、そこに立っていた。 

「偶然、マールが通りかかってな。少し話しとったんや」
「うん」

 僕らの言葉に、2人は「ふぅん」と息の合った返事をする。

「そっちも勉強、終わったの?」
「ま、ね」
「ちょうど区切りの良いところまで進んだから」

 2人は頷く。

 ソルティスは新しい知識を得られて満足そうだったけれど、レクトアリスは、まだまだ教えたいことがあったのか、少し名残惜しそうだった。

 でも、時間は有限だ。

 僕は、レクトアリスに言った。

「またソルティスに会えた時は、色々と教えてあげてよ、レクトアリス」

 彼女は驚いた顔をする。

 ゲシッ

 ソルティスが軽く僕の脛を蹴った。
 い、痛い。

「ちょっと? なんで、アンタにそんな風に言われなきゃいけないのよ? 偉そうに」
「いや、そんなつもりは……」

 えぇ……気を利かせたつもりなのに。 

 僕らの様子に、レクトアリスのいつも細い目は、大きく丸くなる。

「ふふっ、わかったわ、マール」

 口元を押さえて笑いながら、そう請け負ってくれた。

(あ、ありがと、レクトアリス)

「ふんっ。ま、いいわ」

 何にせよ、約束を取り付けたことにソルティスの溜飲も下がって、ようやく落ち着いてくれる。

 ラプトは、横を向いて笑いを堪えていた。

 レクトアリスは、真紅の瞳を細めて、僕を見つめる。

「ありがとう、マール」
「ん?」
「私たちの知っている神狗アークインとは、少し違う存在になってしまったけれど、でも、貴方は素敵だったわ」

 その微笑みに、少しドキッとした。

「また会いましょう」
「うん」

 僕とレクトアリスも、熱い握手を交わした。

 ラプトは、そんな僕らを優しい瞳で見守っている。

 ソルティスは、僕ら3人の様子を、少し離れて見ていた。

 と、レクトアリスが教え子に言った。

「またね、ソル。次会う時までに、今日まで教えたこと、しっかり復習しておきなさいよ」
「当たり前でしょ」

 少女は、胸を張って答えた。

「レクトアリスも、次会った時には、もっと色々教えてもらうからね!」
「わかったわ」

 神族の美女は頷いた。

 ラプトは『おぉ、怖い』と、2人の熱意に身を震わせる。

「よし! じゃあ、行きましょ、マール」
「あ、うん」

 ソルティスに促され、一緒に通路を歩きだす。

 彼女の腕には、辞典みたいな厚さのレポート用紙が、大切に抱き締められていた。

「勉強、楽しかった?」
「もちろんよ。レクトアリスって、意外と教え方が上手くてね。こんなに集中して面白く学べたの、初めてだわ」

 ソルティスは、実に愉快そうだった。

 上機嫌の彼女は、通路を歩きながら、僕に色々と話してくれる。

 難しい勉強内容は理解できなかったけれど、ソルティスの嬉しそうな笑顔を見ているだけで、僕も楽しくて、何度も「うん、うん」と相槌を打った。

 そして、ふと振り返る。

「…………」
「…………」

 そこには、立ち去る人間たちの姿を、神族の少年と美女が部屋前の通路に立ったまま、いつまでも優しく見守ってくれている姿があったんだ――。