161-159. Return to the Royal City of Muria



「――マール、起きてください。そろそろ到着しますよ?」

 柔らかな声と共に、身体が揺すられる。

(ん……)

 目を覚ました僕の目の前には、月のように綺麗なイルティミナさんの白い美貌があった。

 あぁ、本当に美人さんだね。

 寝起きの心が温まり、しばらく見惚れてしまう。

「マール?」

 そんな僕を見つめて、彼女は、不思議そうな声で僕を呼ぶ。

 ……あ。

「ん、大丈夫。起きてるよ。――おはよう、イルティミナさん」

 我に返って、急いで返事。

 イルティミナさんは、そんな僕に目を丸くしてから、クスッと笑い、

「はい、おはようございます、マール」

 と、たおやかに微笑んだ。 

 お互い、小さく笑い合う。 

 それから僕は、彼女の白い手に手伝ってもらって上半身を起こすと、ゆっくりと周囲を見回した。

 ここは、騎竜車の中だ。

 その座席のある客車ではなく、4つの寝台の並んだ寝台室の方だった。

 4つの寝台の1つに、僕は座っていた。

 ふと見れば、隣の寝台にはソルティスも眠っていたようで、ちょうど今、僕と同じようにキルトさんに起こされている。

「ふぁ~あ」

 美少女らしからぬ大欠伸だ。

(あはは……)

 ちょっと苦笑して、僕は寝台から降りた。

 室内は暗く、壁に設置されたランタンの灯りが、竜車の振動に合わせて揺れている。

 窓は黒い――外は、まだ夜だ。

 僕は、その窓に近づくと、透明度の高いガラスを押し上げて、そこから顔を出した。

 ブワッ

(うぷ……っ)

 思ったより強い風が顔に当たる。

 夜の闇を渡ってきた風は、とても冷たくて、肌が少し泡立った。

 風圧に青い瞳を細めながら、目を凝らす。

 星々の煌めく夜空と、黒い海のような草原の景色が広がっている。

 その草原には、『灯りの石塔』と呼ばれる魔法の光を放つ石塔が等間隔に並んだ街道が、どこまでも続いていた。その街道の先、遥か遠方に、光に包まれた巨大都市の姿が見えた。

(……王都ムーリア!)

 その姿に、心が震えた。

 アルン神皇国の首都、神帝都アスティリオを出発して、すでに1ヶ月以上が経過していた。

 国境付近の都市で飛行船を下り、そこから、国境の砦を越えて、シュムリア国内の街道を竜車で2週間近くかけて移動した。

 そしてようやく、ようやく僕らは、シュムリア王国の王都ムーリアへと到着したんだ。

 グッ

 ふと背中に重みがかかる。

 イルティミナさんが僕に寄りかかるようにして、一緒に窓の外へと顔を出したのだ。

 風に暴れる美しい深緑色の髪を、白い手が押さえる。

「……ようやく、帰ってこれましたね」

 感慨深そうな声。

 その真紅の瞳は、懐かしそうに細められ、遠方にある光の都市を映している。

「うん」

 僕も大きく頷いた。

 前に旅立ってから、およそ5ヶ月もの時が流れて、僕らは再び王都ムーリアへの帰還を果たしたのだった。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 城壁が近づくと、夜だというのに、シュムリア各地から集まっただろう馬車や竜車たちが、長蛇の列を作っているのが目に入った。

(うわ、懐かしい)

 王都名物の渋滞だ。

 大きな貨物用の馬車や、2人乗りらしい小さな竜車などなど、街道には、様々な種類や大きさの車両が明かりを灯しながら、停車している。

 僕らも、その最後尾に並ぶのかと思ったけど、

 ガラガラ

 車輪の音を響かせながら、その渋滞の列を横目に、前方へと進んでいく。

(あれ?)

「これでも我らは、シュムリア王家の王命で動いている部隊なのじゃぞ?」

 僕の表情に気づいて、キルトさんが苦笑しながら教えてくれる。

 そっか。

 考えたら僕らは、レクリア王女からの依頼という形で、アルン神皇国まで出向いたんだった。一般の冒険者が依頼を受けたのとは、少し立場が違っているのだと、今更ながらに自覚してしまったよ。

(でも、なんだか申し訳ないな……)

 深夜に並んでいる人たちのことを思うと、そんな気持ちになってしまう。

 そうして、僕らの騎竜車は前方に進んだ。

 やがて城壁に造られた詰め所で、御者でもあるシュムリア騎士さんたちが手続きをしてくれて、僕らは無事、大した時間もかからずに王都ムーリアの中へと入ることができたのだった。

 ゴトゴト

 車内には、車輪と道路の作りだす振動と音が響く。

 窓からは、王都ムーリアの夜景が見えている。

 夜だから少し印象は違って感じるけれど、どこか見覚えのある景色や街並みは、たった5ヶ月だというのにとても懐かしく感じた。

 しばらく大通りを進む。

 すると前方に、大広場が現れ、そこにそびえる巨大な女神シュリアン像が見えてきた。

 その後ろには、シュムリア大聖堂。

 そして更に後方には、長い階段が続き、広大な湖の上に建てられた神聖シュムリア王城のライトアップされた壮麗な姿が目に入った。

(綺麗だな……)

 その美しさと荘厳さは、5ヶ月経っても変わらない。

「さすがに、深夜に訪問はできんな」

 王城を眺めて、キルトさんは呟くと、御者であるシュムリア騎士さんと相談して、竜車の進路を変える。

 ゴトゴト

 竜車は、湖沿いの通りを進んでいく。

 15分ほどして、騎竜車は停車した。

 そこは、湖に面した敷地に造られた、白亜の塔のような建物の前であった。

 冒険者ギルド・月光の風。

 僕らが冒険者として所属する組織の本拠地であり、キルトさんの暮らす自室もある実家のような場所。

「……帰ってきたわね」

 窓の外を眺めて、ソルティスが呟いた。

 イルティミナさんとキルトさんも、しばらく窓の外を見つめていた。

「よし、皆、荷物をまとめよ」

 キルトさんの声に、僕らは装備を整え、リュックに荷物をしまい込む。

 それらを身に着け、降車準備を終える。

「2人とも忘れ物はありませんね?」
「うん」
「大丈夫よ」

 イルティミナさんの問いかけに、年少組の僕とソルティスは、頷いた。

 一応、キルトさんは竜車内を隅々まで点検して、忘れ物がないかを確認していたけど、まるで引率の先生みたいだったよ。

「よし、行くぞ」

 そうして、僕らは竜車を下りる。

 扉を開け、客室を下りたところでは、御者でもある3人のシュムリア騎士さんが待っていてくれた。

 彼らは、僕らに敬礼する。

「皆様、大役を果たされ、本当にお疲れ様でした」

 毅然とした声。

 キルトさんは頷き、彼らに右手を差しだす。

「そなたらには、色々と世話になったの」

 白い歯を見せて、そう笑った。

 そうして、彼ら1人1人と固い握手を交わしていく。

 続いて、僕らも、3人のシュムリア騎士さんたちと手を握り合った。

「旅の間、本当にありがとうございました」

 僕は、頭を下げる。

 彼らは笑った。

「神狗殿と旅ができたこと、その旅の手伝いを少しでもできたこと、末代までの誉れとしますよ」
「お元気で、マール殿」
「また機会があれば、ご一緒しましょう」

 彼らの笑顔は眩しかった。

 使命の旅を終えた達成感、また別れの名残惜しさ、様々な感情のこもった笑顔だった。

 繋いだ硬い手のひら。

 そこには、日々の修練でできた剣ダコがある。
 愚直に、真面目に培われた彼らの人生が感じられる手だと思った。

 イルティミナさんとソルティスの姉妹も、3人としっかり握手をし、別れと感謝の挨拶を交わしている。

(君たちも、ありがとね)

 僕は、今日までの旅で、ずっと竜車を引っ張ってくれた2頭の竜にも、心の中で声をかけた。

 巨大な2頭の四足竜。

 その逞しい巨体の竜たちは、けれど、人間の感慨など気にした様子もなく、縦長の瞳孔をかすかに広げながら、ただ頭上の月夜を見上げていた。

 ガタ ゴトト

 やがて、大きな騎竜車は、僕らの前から動き出す。

「さようならぁ」

 僕は、大きく手を振った。

 シュムリア騎士さんたちも、御者席から横に身を乗り出して、手を振り返してくれる。

 けれど、街灯に照らされるその姿も遠くなり、やがて、闇に紛れるように見えなくなった。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

 僕らは、それが完全に見えなくなるまで見送った。

 パン パン

 不意にキルトさんの手が、僕とソルティスの肩を叩いた。

「よし、それではそろそろ、我らがギルドに帰るとしようかの?」

 そう笑顔で声をかけてくる。

「うん」
「そうね」

 僕らも笑って、頷いた。

 そんな僕ら3人の姿を、イルティミナさんも優しい瞳で眺めている。

 夜の月に照らされる白亜の建物へと、長い旅を終えた僕ら4人は、笑顔を交わしながら入っていった。


 ◇◇◇◇◇◇◇


「あ、おかえりなさい、キルトさん!」

 懐かしき赤毛の獣人、ギルド職員であるクオリナ・ファッセさんの声が、建物内に大きく響いた。

 ギルド1階の広いエントランスには、深夜なので人数は少ないものの、まだ10数人ほどの冒険者たちの姿があった。

 そして、たまたま正面受付の担当だったらしいクオリナさんが、誰よりも先に、入り口から入ってきた僕ら4人の姿を発見したんだ。

「ただいまじゃ、クー」

 白い歯を見せて笑う、このギルド一番の冒険者であるキルトさん。

 クオリナさんは、艶やかな赤毛のポニーテールを揺らして、僕らの下へと駆けてくる。冒険者時代の負傷の後遺症で、右足を軽く引き摺りながらだったけれど、その顔は、満面の笑顔だった。

「キルトさん、今回も無事でよかったです」

 ギュッ

 クオリナさんは、キルトさんと握手を交わす。

 それから僕らの方を見て、

「おかえりなさい、イルナさん、ソルちゃん」

 姉妹とも握手。

 最後に僕を見て、

「マール君もおかえりなさい! ……しばらく見ない間に、なんだか少し、頼もしくなったかな?」

(そう?)

 そんな風に再会を祝してくれるクオリナさんと、僕も「ただいま」と笑って握手をした。

 と、そうして目立っていれば、当然、他の冒険者の人たちも僕らに――特に、金印の魔狩人であるキルト・アマンデスの存在に気づき、

「おぉ、鬼姫じゃねえか」
「おかえり~」
「今回は、アルンまで行ってたんだって? 大変ね~」
「なんだ、ずいぶん遠い所まで出向いたんだな」
「お、お疲れ様でした、キルトさん」

 あっという間に、僕らは他の冒険者さんに囲まれてしまった。

(うわっとっと?)

 知らない冒険者さんなのに、キルトさんのパーティー仲間というだけで、なぜか僕まで気軽に頭を撫でられたりする。

 イタタ。
 撫でるのはいいけど、もっと優しくして欲しいな。

 ちなみに、僕らがシュムリア王家からの依頼で、アルン神皇国まで旅立っていたことは、みんなが知っている。

 ただ『闇の子』の存在については、公にされていない。

 それを隠すために、金印の魔狩人であった故人、烈火の獅子エルドラド・ローグさんが相打ちで倒した大魔獣の情報を、隣国のアルン神皇国まで伝えに行ったというのが、僕らの公式の依頼内容となっていた。

 そして、コキュード地区に出現した大魔獣を、キルト・アマンデス一行は、アルン軍と共に討伐してきたともなっている。

(嘘の中に真実を混ぜて、『闇の子』関連のことを、上手く隠しているんだね)

 大人の世界は、大変だ。

 僕自身も当事者の1人なんだろうけれど、隠蔽とか難しいことは、キルトさんたちが全てやってくれるので、結構、気楽なものだった。
 まぁ、ちょっと申し訳ないけれど……。

 ふと見れば、イルティミナさんとソルティスの姉妹は、いつの間にかキルトさんから離れて、手荒な歓迎からさりげなく逃れていた。

(さ、さすがだね)

 2人とも、キルトさんと付き合いが長いから、こういうのに慣れているみたいだ。

 すでに巻き込まれている僕は、人の輪から抜け出せなくなっている。

 うぅ……。
 撫でられまくって、髪はクシャクシャだし、肩や背中や腕をバンバン叩かれて、色々と大変だよ。

 歓迎の荒波に揉まれていると、キルトさんが大声を出す。

「すまんな、皆! 出迎えてくれるのは嬉しいが、先に依頼の完了手続きをさせてくれ」

 その声で、全員がハッとした。

 同じ冒険者として、依頼完了の手続きの大切さは、誰もがわかっているのだ。 

「そうだね、ごめんなさい、キルトさん。じゃあ、こっちに来て」

 クオリナさんが謝って、一足先に受付カウンターに向かう。

 やれやれ。

「大丈夫か、マール?」
「あ、うん」

 キルトさんに背中を押されながら、僕らは人垣を割って、受付カウンターへと歩きだす。

 気づけば、姉妹もそばに戻っていた。

「ごめんなさいね、マール。置いてきぼりにして」

 イルティミナさんが、小さな声で謝ってくる。

 僕は苦笑した。

 ソルティスが肩を竦めて、

「謝らなくてもいいじゃない。いい経験になったでしょ? キルトと一緒にいると、こういう面倒事もついてくるのよ」

 ヨレヨレになった僕の姿を見ながら、とっても愉快そうに笑った。

 く……っ、確信犯め。

 そんな僕ら3人に、人気者の『金印の魔狩人』は小さく苦笑しながら、カウンターでの手続きを開始する。

 魔法球に手をかざし、手の甲に黄金の冒険者印を光り輝かせながら、依頼完了を口頭入力。

 それから、クオリナさんの用意した何枚もの書類に、署名をしていく。

(相変わらず、大変そう……)

 名前を記入するだけとはいえ、10枚近く繰り返すのは、ちょっと面倒に思えてしまうんだ。

「ふぅ」

 やがて、全てに記入して、キルトさんは手首をプラプラさせた。

 クオリナさんが1枚、1枚、確認する。

「うん、大丈夫だね。これで手続きは完了です。キルトさん、イルナさん、ソルちゃん、マール君、本当にお疲れ様でした!」

 獣耳を寝かせて、彼女は優しく笑う。

 僕らも笑顔を返して、ようやく人心地ついた気持ちになっていた――と、その時、

「キルトちゃん……っ」

 感極まった声が聞こえて、僕らは頭上を見上げた。

 受付カウンター近くの螺旋階段の上に、真っ白な衣装をまとった美しい獣人さんが立っていた。

 キルトさんが「お?」と呟く。

 ムンパ・ヴィーナさん。

 この冒険者ギルド・月光の風のギルド長にして、キルトさんの幼馴染でもあるお姉さんだ。

 もちろん彼女は、今回の僕らの旅の真実を、全て知っている。

「よう、ムンパ。今、帰ったぞ」

 キルトさんは、片手を上げて、気楽に声をかける。

 ムンパさんは息を呑む。

 それから、そのドレスのような衣装と、長いフサフサの尻尾をなびかせながら、突然、螺旋階段の手すりを飛び越えた。

(!?)

 みんな、びっくり。

 キルトさんも驚きながら、慌てて、落ちてきた彼女をしっかり受け止める。

 ガシッ

「お、おい、ムンパ?」
「…………」

 抱き留めても動かぬ友人に、キルトさんは困惑の声を漏らす。

 ギュウッ

 ムンパさんの両腕が、きつくキルトさんの首に回されていた。

 その無事を確かめるように。

 その存在が夢ではないと確信するために。

(……ムンパさん)

 友人の震える身体に気づいて、キルトさんは、困ったように笑いながら、純白の波打つ髪をポンポンと優しく叩いた。

「ただいまじゃ、ムンパ」
「うん……おかえりなさい、キルトちゃん」

 ムンパさんは、目元の涙を指で払いながら、ようやく笑顔をこぼした。

 あぁ、そうか。

 彼女だけは、僕らの旅がどれだけ危険だったか、知っている。

(……ずっと心配してくれたんだね、本当に)

 実際に現場に立つよりも、離れた場所でただ待つという方が、苦しいこともあるのだと、今のムンパさんを見たら余計に思ったよ。

 集まった冒険者の中には、驚いている人もいるけれど、僕は妙に納得してしまった。

(よかったね、キルトさん)

 そうまで心配してくれる友人がいることが、ちょっと羨ましくなった。

 そんな僕の視線に気づいて、キルトさんはムンパさんを抱いたまま、僕だけに少しだけ照れくさそうな顔をして見せたんだ――。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 あれから周囲の目を気にした僕らは、最上階のギルド長室へと移動した。

 植物が植えられ、流れる水路の中心に、円形の人工的な島が造られた空間。

 その島に備えられた来客用ソファーに、僕ら4人は座る。

 深夜なので秘書さんはおらず、ムンパさんが手ずから入れてくれた紅茶が、僕らの前のテーブルに並べられた。

「ごめんなさいね、取り乱しちゃって」

 真っ白な獣人さんは、かすかに赤くなった頬に手を当てて、恥ずかしそうにはにかんだ。

 キルトさんは「全くじゃ」と苦笑し、僕らも小さく笑った。

 やがてムンパさんも対面の席に座り、全員で紅茶のカップを口元へと運ぶ。

(ん……美味しい)

 爽やかな甘みと香ばしさが、長旅で疲れた心身を癒してくれる気がした。

 カチャ

 カップをソーサーに戻して、ムンパさんの紅い瞳が僕らを見つめる。

「翼竜便で、アルンでの情報は、私の下にも届いていました。みんな、本当にお疲れ様」

 心からの労いの声。

 僕らは微笑み、そして、キルトさんが問う。

「シュムリアの方では、何もなかったか?」
「えぇ」

 ムンパさんは頷き、

「『闇の子』が関連していそうな出来事は、特に起きていないわ。コキュード地区の件があって、シュムリア王家が『竜騎隊』を、シュムリア国内にある『封印の地』へと派遣したそうだけど、今のところ、何かがあった様子もないみたい」
「ふむ」
「一応、私も伝手を使って、裏側の情報も集めてみたけれど」
「何もなしか?」
「えぇ」

 そう頷いてから、彼女は頬に指を当て、小首をかしげた。

「ただ最近、ムーリアの貧民街が騒がしいっていうのはあるかしら」

(貧民街が騒がしい?)

 キョトンとなる僕。

 キルトさんやイルティミナさんも、不思議そうな顔をしている。

「なんじゃそれは?」
「4~5日前からなんだけどね、まだ詳しいことはわからないの。情報集め中」

 貧民街っていうと、近くには、知り合いの冒険者アスベルさん、リュタさんたちの育った孤児院があるんだった。

(みんな、大丈夫かな?)

 孤児院にいた子らの顔を思い出して、ちょっと心配になる。

「でも、それは『闇の子』には関係ない話だと思うわ」

 ムンパさんは、そう付け加えた。

 キルトさんは、形の良い顎を手で撫でながら、「ふむ、そうか」と頷いた。

「私からは、そんな感じね」
「うむ」
「さぁ、今度はキルトちゃんたちの番よ? 何があったか把握はしてるけど、その詳細は、キルトちゃんたちの口からちゃんと聞かせて欲しいわ」

 そう笑って、ムンパさんは身を乗り出してくる。

 大きな垂れ耳も、まるで聞き逃すまいというかのように、かすかに持ち上がっている。

 キルトさんは苦笑し、頷こうとして、その直前、ふと何かに気づいた顔をする。

 その美貌が、僕ら3人の方を向いた。

(?)

「ふむ。ちと長話になりそうじゃ。そなたらは先に休むか?」
「え?」

 驚く僕らに、ムンパさんも「そうね」と言った。

「もう日付が変わっているものね。マール君とソルティスちゃんは、まだ子供だし、そうした方がいいわね」

 そう言われると、

(確かに長旅の疲れはあるし、そうした方がいいかなぁ)

 と思った。

 他の2人の顔を見ると、姉妹も納得の表情だった。

「お言葉に甘えましょうか?」
「うん」
「そうね」

 イルティミナさんの確認に、僕らは頷く。

 キルトさんが笑って、

「ならば、今夜は、わらわの部屋に泊まると良い。好きに使え」

 彼女の部屋は、このギルドの宿泊施設に、永続的に借りられているのだ。

 僕らは「うん」と頷き、立ち上がった。

「そうそう。レクリア王女への報告は、明日の午後には行われると思うから、みんな、忘れないでね」

 ムンパさんが思い出したように僕らへと教えてくれる。

(明日の午後か)

 うん、覚えておこう。

「では行きましょう、マール、ソル」
「うん」
「は~い」

 微笑むイルティミナさんに促されて、僕らは、人工的な浮き島から続く短い橋へと歩き出した。
 そのまま部屋の出入り口へと向かう。

「おやすみなさい、みんな」

 ムンパさんの柔らかな声が、背中にかかる。

 振り返って、手を振ると、彼女も優しい笑顔で手を振り返してくれた。 

 カチャ

 扉を開いて、部屋の外へ。

 閉じる直前に見えた室内では、幼馴染の友人2人が、気を許し合った表情で話をしている姿があった。

「――実は、アルンでは、ナルーダにあっての」
「まぁ!? あの赤鬼のナルちゃんに?」

 楽しそうなキルトさん。

 驚き、笑うムンパさん。

(…………)

 その2人の姿に、なんだか心が温かくなりながら、僕はソッと部屋の扉を閉めた――。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 冒険者ギルド・月光の風の3階にある宿泊施設――その一番奥に、キルトさんの借りている部屋はあった。

 ガチャ

「ただいま~」

 なんて言いながら、鍵を開けたソルティスが一番乗りで部屋に入る。

(あぁ、懐かしいなぁ)

 豪華なホテルのスイートルームみたいな感じ。

 1人暮らしには必要ないと思えるぐらい、たくさんの部屋があって、家具や寝台なども立派なものばかりだ。

 そして、ギルド職員さんが留守中の清掃などもしてくれていたのか、それらの家具を含めた室内には、塵一つ落ちていない。

 ポイポイ

 そんな絨毯に、ソルティスは荷物を放り捨てると、寝台へとダイブする。

 ポフン

「あ~、久しぶりのフカフカなベッドよ。幸せだわ~」

 ピンと張っていた白いシーツをシワクチャにしながら、布団に顔を沈ませて、至福の表情を浮かべている。

 姉が呆れた声で叱る。

「こら、ソル。はしたない」
「いいじゃないの、別に~」
「駄目ですよ。そんな汚れた服のまま、せめて、上着だけでも脱ぎなさい」

 ヒョイと摘まみ上げられる。

「ちぇ~」

 唇を尖らせながら、空中に吊り上げられたまま、上着を脱いでいくソルティスさん。

(あはは……)

 笑いながら、僕も自分の荷物を部屋の隅に降ろして、上着を外した。

 カチャ カチャ

 剣や鎧などの装備も外していく。

(……鎧、ボロボロだね)

 コキュード地区の戦いで、『岩人間の女』に殴られ、鎧の胸部はひび割れと穴ができていた。

 結構、いい装備。
 修理代も高そうな気がする。

(ま、命には代えられないけどさ)

 そう自分を納得させる。

「やれやれ、ソルったらもう……」

 ふとイルティミナさんのため息が聞こえて、振り返る。

(うわ?)

 ソルティス、空中で脱いでる途中で、なんと眠ってしまっていた。

 安全な場所にたどり着いた安心感で、張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったのかな?

 イルティミナさんは苦笑しながら、改めて、妹をベッドに寝かせて、その脱ぎかけの上着や靴などを外していく。

「うにゅ~ん」

 ゴロンゴロンと左右に寝返りを打たせられても、起きる気配はない。

 何とも幸せそうな寝顔だ。

 それを見てたら、怒ったり呆れたりするよりも、なんだか微笑ましい気持ちになってしまった。

 イルティミナさんも同じだったのか、ふと視線が合ったら、一緒に笑ってしまった。

「マールも眠いですか?」
「うん」

 正直、ソルティスを見ていたら、羨ましくなってしまったよ。

 イルティミナさんは頷いて、

「では、せっかく帰ってきたのですから、寝る前にお風呂に入って、長旅の疲れを流しておきましょう。その方が翌日の身体も、楽になりますからね」

 そう穏やかに微笑んだ。

(うん、その方がいいかもね)

 素直にそう思った僕は、安易にイルティミナさんの提案に頷いてしまった。

 …………。
 …………。
 …………。

「マール、痒いところはありませんか?」
「だ、大丈夫です」

 なぜでしょうか?

 白い湯気の満たされた浴室では、なぜか裸の僕と一緒に、イルティミナさんもいらっしゃるのです。

 クシュ クシュ

 彼女は、僕の背中側にいて、僕の髪を洗ってくれている。

 白く細い指が、僕の茶色い髪を梳かし、頭皮を優しく揉んでくれる。

(き、気持ちいいけど……)

 緊張して、僕の身体はカチコチだ。

 髪を洗い終わって、最後に、お湯を頭からかけられる。目を閉じて、泡が落ちるのを待っていると、

「ふふっ、そんなに硬くならないでください?」

 耳元で甘く囁かれる。

 その際、彼女の身体が接近して、その大きな2つの弾力が僕の背中に軽くポヨンと当たった。

(っっっ)

 恥ずかしさに、しばらく目が開けられなくなりました。

 やがて、彼女がこちらに背を向けて、その長い髪を洗うのを、僕も手伝わされた。相変わらず、引っ掛かることもなく指通りが良くて、ずっと触っていたくなる不思議な髪だった。

「あぁ……マールは、髪を撫でるのが上手ですね」
「そ、そう?」

 気持ち良さそうな声に、ドキドキしちゃった。

 そうして、身体の汚れを落としたら、一緒に湯船の中へ。

 さすがに正面から向き合うのは恥ずかしいので、横並びになって、浴槽に浸かっている。それでも、僕の心臓は早鐘のようになって、静まらない。

 すぐ隣には、腕も触れ合う距離で、裸身のイルティミナさんがいる。

 白い珠の肌。

 濡れて艶やかに輝く、深緑色のまとめ髪。

 豊かに実った2つの乳房は、水面へと浮かび、白いうなじから肩へと続くラインが艶めかしい。

 長身で肉感的な美女が、すぐそこにいるという事実。

(なんか、別の意味でのぼせそう……)

 クラクラしていると、

「旅の間は、なかなか、こうして2人きりでお風呂に入れませんでしたからね。これから王都にいる間は、一緒に入りましょうね?」

 そんな魅惑の提案をされた。

(お、王都にいる間、ずっと!?)

 驚いたけれど、マールの男の子な心は正直に、「……う、うん」と先に頷いてしまった。
 あ、あぁ……。

 しばらく、湯船には沈黙が落ちる。

 ピチョン

 水滴の水面に跳ねる音。

 ふと、イルティミナさんが囁くように、言葉をこぼした。

「はしたない女と思っていますか?」
「……え?」
「……ですが、2年後、大人になったマールが、ちゃんと私を選んでくれるようにと、それまで、できる手を全て使おうと思ったのです。……卑怯かもしれませんが、どうか、お許しくださいね」

 その声は、少し震えていた。

 思わず、彼女の横顔を見る。

 今まで自分のことばかりで気づかなかったけれど、イルティミナさんの白い美貌は、茹蛸のように耳まで真っ赤になっていた。

(……あ)

 イルティミナさんが、かなりの羞恥を堪えて、僕にサービスしてくれていたことに、ようやく気づいた。

 子供扱いされていた時と違う。

 今日は、僕を1人の男と見た上で、一緒のお風呂に入ってくれたんだ。

 それが嬉しかった。

 誇らしかった。

 そして、そんな風に尽くしてくれるイルティミナさんが、何よりも愛おしかった。

(…………)

 湯船の中で、僕は彼女の手を握った。

 ギュッ

「あ……」
「…………」

 桜色の唇から、小さな呟きが漏れる。

 そのまま僕らは、黙ったまま、しばらく温かなお湯に包まれて、甘やかな心の時間を過ごした。

 やがて、お風呂を出る。

 夜用の服に着替えて、僕らは寝室へと向かった。

「……マール」
「うん」

 ベッドに横になったイルティミナさんが、毛布を片手で持ち上げて、僕を誘う。 

 僕は素直に、その空いた空間に横になった。

 フワッ

 彼女の腕が、毛布と共に優しく僕を包む。

「…………」
「…………」

 旅の間とは違う、本当に安心できる場所での添い寝だった。

 他に気にすることは何もない。

 ただお互いの存在だけを感じながら、ゆっくりと過ごせる時間になる。

 チュッ

 僕を背中側から抱くイルティミナさんが、僕の耳に軽くキスをした。

 ちょっとした悪戯。

 それでも、僕の背筋はブルッと震えた。

 あぁ……心がときめいて、今夜は、上手く眠れない気がするよ。

 きっとイルティミナさんも同じかもしれない。

 そう思った、その時、

「むにゃ……マァル~、チョーシ乗るんじゃないわよぉ? ふにゃ、むにゃ」
「…………」
「…………」

 隣のベッドから、突然の少女の寝言。

 あまりに良いタイミングだったので、僕とイルティミナさんの動きは、ピタッと止まってしまった。

 10秒ほどして、お互い力が抜ける。

「ふふっ……もう眠りましょうね」
「うん」

 暗い室内で、僕らは密かに笑い合う。

「おやすみ、イルティミナさん」

 僕は言う。

「おやすみなさい、私の可愛いマール」

 彼女の声が、甘く応える。

 その心地好さに浸りながら、ゆっくりとまぶたを閉じた。

 温かな闇の中で、触れ合う身体が、互いの存在を感じさせる。

 その安心感。

 僕らは、大きく息を吐いた。

 心の火照りはあったけれど、長旅の疲れはそれを上回っていたようで、僕ら2人の意識はゆっくりと夢の世界に溶けていった――。