212-210. Goodbye



 あれから3時間後、僕らは無事に『魔獣の渓谷』を抜けた。

 幸いなことに、キメラに遭遇したのは、あの1回だけだった。

『魔獣の渓谷』自体が、前世の県ぐらいの広さがあるそうだから、遭遇率はそこまで高くなかったみたいなんだ。

 でも、素直に良かったと思う。

(アイツら、本当に強かったもん……)

 正直、また戦いたいとは思わない。

 もし、こちらに『金印の冒険者』が3人いなかったら?

 もし、あの時、3体以上のキメラが出現していたら?

 想像するだけで嫌になる。

 だから、岩だらけの渓谷を走り続け、草原の大地へと侵入した時、

「よし、『魔獣の渓谷』を抜けたぞ! ここまで来れば、もう大丈夫だ」

 アーノルドさんの言葉に、僕は心底、安心した。

(はぁ……よかったぁ)

 ソルティスも、大きく息を吐いている。

 イルティミナさんも手にした白い槍の翼飾りを、カシャンと閉じて、戦闘態勢を解除した。

 コロンチュードさんは眠そうな目を、ポーちゃんはぼんやりした目を、遠ざかっていく渓谷へと向けていた。 

 キルトさんも、大剣の柄から手を離し、

「ふむ。今日は、この辺で休むとするかの」

 そう呟いた。

 気がつけば、西の空は、夕日に赤く染まっている。

 僕らは、ある程度、『魔獣の渓谷』から離れた見晴らしの良い草原で、ポツンと生えていた1本の木の根元で野宿をすることにした。


 ◇◇◇◇◇◇◇


「お前たち、本当に強かったんだな。俺は驚いたぞ!」

 夜、夕食を食べている時に、アーノルドさんは、そう僕らを称賛した。

 焚火に照らされた彼の獅子の瞳は、子供のように煌めている。

 モグモグ

 僕は、イルティミナさんの作ってくれた肉と野菜のシチューを食べながら、彼を見返した。

 彼は言う。

「正直、キメラが2体も現れた時は、どうしようかと思った」
「…………」
「だが、お前たちは、それを無傷で倒してしまった。まさかこれほどの強さとは、想像の範囲外だった!」

 興奮した声だ。

 ソルティスが小さな肩を竦める。

「私たち、悪魔を倒しに来てるのよ? キメラなんかに負けるわけないじゃない」

 そう言って、本日7杯目のシチューのおかわりを食べる。

「そうだな」

 アーノルドさんは頷いた。

「頭では、わかっていたつもりだった。だが、実際にこの目で見ると驚くものだ」
「そう」
「あぁ……本当に大したものだ」

 しみじみと言う。

 ソルティスは嬉しそうだったけれど、あまりに素直に称賛されたからか、それを隠して無表情を装っている。

(あはは、でも頬がピクピクしてるよ?)

 僕も、必死に笑いをかみ殺した。

 と、

「そなたも大したものであったぞ、アーノルド」

 今度はキルトさんが、そう彼を称賛した。

 彼はキョトンと見返す。

 キルトさんは、30センチはある木製の盃を傾けて、お酒を飲みながら、

「キメラに襲われながらも、よくぞ獣車の足を止めなかった。その度胸、その操車術、実に見事であった」

(あ……)

 言われてみれば、確かに。

 あれだけキメラに接近され、襲いかかられて、けれど一度も減速すらしなかった。

(驚いたり、怖がったりしても可笑しくない状況だったのにね)

 僕らの視線が、彼に集まる。

 アーノルドさんは、獣の手で獅子の頭をかいた。

「まぁ、お前たちを信じていたからな」

 と言った。

 彼の瞳は、僕ら6人を見つめ返して、

「俺は、お前たちを信じると決めた。ならば、命をかけて、最後まで信じるべきだろう?」

 …………。

 なんだろう? ちょっと胸にジーンと来た。

 他のみんなも、同じように感じたみたいで、

「……アノちゃん、……いい人だね」

 コロンチュードさんが、アーノルドさんを妙な呼び方をしながら、そう評価した。

 彼は、獅子の牙を見せながら、苦笑する。

「いい人、か」

 そして、星々の煌めく夜空を見上げながら、

「これでも若い時は、手の付けられない悪童だったんだがなぁ」 

 とぼやいた。

(悪童……? アーノルドさんが?)

 思わず、まじまじと見つめてしまう。

 自分に向けられた、僕の青い瞳に気づいて、アーノルドさんは笑いながら教えてくれた。

 彼は、ヴェガ国の王子だ。

 生まれながらに、この国を背負うことを義務付けられた人生だった。

 そのため、幼少期から英才教育が施され、

「だが、それが窮屈でな」

 その反動からか、15歳の頃には、王宮殿を抜け出し、夜な夜な悪い仲間たちと遊び歩いていたそうだ。

 トン

 彼は毛に覆われた拳を、僕の胸に軽く当てる。

「お前たちほどではないが、これでも、俺も強い方だったんでな」

 と笑う。

 英才教育の中には、戦闘技術も含まれていたそうだ。

 そのためか、彼を止められる者はいなくて、いつの間にか、悪童たちの大将のような存在になっていたんだって。

 ソルティスが、8杯目のシチューを食べながら、訊ねた。

「その不良王子が、どうして王宮殿に戻ったの?」

 彼は答えた。

「母上が死んだ」

 …………。

 みんな、言葉に詰まった。

「もともと病弱な人だったんだがな。俺が心労をかけたせいか、病で亡くなった。看取る時に、この国を守る立派な王になると誓ったんだ」
「…………」
「今も、その誓いを果たすために、日々、努力している最中だ」

 星空を見つめながら、彼はそう言った。

 それから、僕らの視線に気づいて、

「いや、まぁ、下らない理由だよな」

 と、誤魔化すように笑った。

 僕は彼を見つめながら、

「ううん、下らなくないよ」
「…………」
「大切な理由だよ。アーノルドさんは、立派にがんばってると思う」

 彼は驚いた顔をする。

「アーノルドさんのお母さんも、今のアーノルドさんを見守りながら、きっと喜んでいると思うよ」

 僕は、はっきりと告げてから、微笑んだ。

 他のみんなも頷いた。

 アーノルドさんは、僕らを驚いたように見返して、

「……そうか。そうだといいな」 

 噛み締めるように呟いた。

 キルトさんは、空になった大盃を、アーノルドさんに押しつける。

 トクトクッ

 そこに酒瓶を傾けた。

「飲め」
「…………。あぁ、すまないな」

 彼は、白い牙を見せて笑った。

 グイッ

 豪快に一気飲み。

 熱い息をプハァと吐き出して、

「お前たちとこうして旅ができて、俺は幸せ者だな」

 と、また笑った。

 その目尻には、小さな雫が浮かんでいる。

 涼やかな夜風が、草原を渡り、夜空へと吹いていく。

 その夜の僕ら6人とアーノルドさんは、焚火を囲みながら、楽しい夕食の時間を過ごした。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 そうして危険な近道を抜けた僕らは、その2日後、目的の地へと到着した。

「着いたぞ、あれが『聖神樹』だ」

 アーノルドさんが告げ、獣車が停まる。

(あれが……)

 僕ら6人の瞳は、その美しい姿へと釘付けになった。

 そこは、森の中に生まれたすり鉢状の窪地だった。

 その中央に、虹のように煌めく結晶で造られた、高さ500メードはある巨木が生えている。

 幹の太さも、直径200~300メードはありそうだ。

 根のように広がった部分が大地に突き刺さり、上方は、結晶でできた美しい枝たちが大きく横方向に張り出している。

「綺麗……」

 思わず、ソルティスが呟いた。

 確かにとても綺麗だ。

 でも……僕は、同時に恐怖も感じていた。

(あの中に……何か恐ろしいモノがいるっ)

 そう強く感じる。

 見えない闇に佇む巨大な悪意のようなものが、あの美しさの奥に隠れているように思えたんだ。

「マール?」

 気づいたイルティミナさんが問いかけてくる。

「……ポー?」

 コロンチュードさんも、不思議そうな声をあげた。

 神龍の幼女も、僕と同じように『聖神樹』を睨むように見つめながら、その小さな拳を握り締めていたんだ。

 僕ら2人は、感じていた。

「……間違いない。あの中に悪魔がいるよ」

 僕は呟いた。

 皆、息を呑んだ。

 やがてキルトさんが、もう一度、『聖神樹』を見つめて、

「そうか」

 と、鉄のような声で短く答えた。

 しばらく、僕らはみんな、その窪地の底にある美しい『封印の結晶』を見つめてしまった。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 美しい虹色の巨木の周囲には、たくさんの足場が造られていた。

 たぶん、切削の現場だ。

 まるで前世のビル工事の現場みたいで、それは『聖神樹』の7割ぐらいの高さまで造られている。

 根元には、たくさんのトロッコと線路があった。

 その線路の先にあったのは、小さな町だ。

 削った『聖神樹』の結晶を、魔法石に加工する作業場の建物みたいだった。

 あとは、作業員やその家族の住居かな?

 そして今、『聖神樹』の周りには、立ち入り禁止のための金網が設置されている。

 その前には、たくさんのデモを行う人たちがいた。

(…………)

 まだ避難が終わってなかったんだ?

 あのデモの人たちは、たぶん、この町の人たちなんだと思う。

 金網の前に集まって、大声を上げながら、制止する兵士さんたちと睨み合っていた。

 唖然となる僕ら。

「……ちっ、馬鹿どもが」

 アーノルドさんが舌打ちする。

 そして僕らの獣車は、窪地を下って、その現場へと向かった。


 ◇◇◇◇◇◇◇


「ダラガ!」
「バオ!」
「デーラ、ガッカ、ダオーラ!」

 プラカードや横断幕を手にした人々が叫んでいる。

 すぐ目の前には、巨大な美しい結晶の巨木。

 僕らの獣車は、そのデモの人たちと制止する兵士さんたちの間へと滑り込んでいった。

「デッガ、バモース!」

 アーノルドさんが獣車の屋根に登って叫んだ。

 一瞬、静寂が落ちた。

 突然のヴェガ国王子の登場に、デモの人たちも驚いたみたいだった。

 アーノルドさんは、彼らを説得するように語りかける。

 ドル大陸の公用語はわからない。

 でも、懸命に危険を伝えようとしているのが、言葉のわからない僕にも伝わってくる。

 なのに、

「バゴ!」
「トルティア、ガバン!」

 デモの人たちは、聞く耳を持っていなかった。

 怒ったような声をあげ、石を投げつけてくる。

(わ?)

 ガンッ ゴッ ゴン

 獣車の壁が大きな音を立てる。

 ガッ

(あ……!)

 石の1つがアーノルドさんに当たった。

 彼の額から、血が流れ、その獅子の毛を濡らしていく。

 ア、アーノルドさん!

 思わず飛び出そうとした僕を、イルティミナさんが慌てて押さえた。

 デモの人たちも、王子が血を流して、ちょっとびっくりしていた。本当に当てる気はなかったのかもしれない。

 でも、今度は、兵士さんたちが気色ばんだ。

 アーノルドさんは彼らを制止する。

 けれど、興奮した空気は、デモの人たちも兵士さんたちも一触即発の状態にしてしまっていた。

 何かあれば、すぐ暴動に発展する――そんな危うい気配だ。

 その時だ。

「あははははは! 人間ってのは、本当に愚かだねぇ」

 その場の空気を粉砕するような子供の笑い声が、その空間へと高らかに響き笑った。

 ゾクッ

 背筋が震えた。

 愕然と顔を上げた先に、ア(・)イ(・)ツ(・)がいた。

 立ち入り禁止の金網のそばにある見張り塔の屋根の上、そこに1人の子供が座っている。

 黒い髪。

 黒い肌。

 三日月のように笑う赤い口。

 僕の青い瞳は、限界まで見開かれている。

「やぁ、待っていたよ、マール」

 あの『闇の子』が、僕へと妖しく笑いかけてきた――。


 ◇◇◇◇◇◇◇


「お前……っ」

 僕ら6人は、獣車を飛び出した。

 ――目の前に、あの『闇の子』がいる。

(……っっ)

 僕は、湧きあがる敵意を抑え込みながら、奴を睨む。

 そばにいた神龍のポーちゃんも、思わず姿勢を低くして、いつでも飛びかかれる体勢になっていた。

 ザザッ

 すぐにイルティミナさんとキルトさんが、僕を庇う位置に立つ。

『闇の子』は、クスッと笑った。

 そんな彼の左右には、2人の獣人が立っていた。

 1人は、大柄な男性だ。

 筋骨隆々で、山羊のような巻角が、短い髪の中から生えている。

 瞳は濁り、表情は無のままだ。

 もう1人は女性だった。

 柔らかそうな白い髪をしていて、その中から兎のような耳が長く生えている。

 赤い瞳には虚無が宿り、やはり無表情。

 2人とも、ボロボロの外套を羽織っただけのみすぼらしい格好だ。

 けれど、見えているその顔には、紛れもないタナトス魔法文字の刺青が刻まれている。

(魔の眷属……)

 力なく立っているだけに見えるのに、大きな力を感じる。

 あの2人は、只者じゃないと思えた。

 と、

「クワイガ? ウォーナック?」

 アーノルドさんが、自身の負傷を忘れたように、2人を見つめたまま呆然と呟いた。

 いや、彼だけじゃない。

 デモの人たちも兵士たちも、全てを忘れたように2人を見ていた。

 ザワザワ

 ざわめきが聞こえる。

「……なんじゃと」
「まさか」
「嘘でしょ?」

 ドル大陸の言語がわかるキルトさん、イルティミナさん、ソルティスが驚いた顔をした。

 え? え?

 戸惑う僕に、イルティミナさんが迷ったように教えてくれる。

「あの2人は……どうやら、行方不明になっていたヴェガ国の『金印の冒険者』だそうです」

 …………。

(は?)

 え? あの2人の獣人さんが?

 冒険者の最高峰である『金印』の称号を持つ2人が、『闇の子』の仲間になっているってこと!?

 その意味の恐ろしさに、眩暈がした。

 キルトさんも、酷く殺気立った視線で彼らを睨み、警戒をしていた。

 そんな中、

「人間というのは本当に愚かだね」

 闇の子供が、そう笑った。

「自分たちを守ってくれた神々の恩恵を忘れて、自分たちの欲望のままに破滅へと向かっていく」
「…………」
「ねぇ、マール?」

 彼の黒一色に染まった瞳が、僕を見る。

「こんな存在に、本当に君が命をかけてまで守る価値があるの?」

 …………。

 悍ましい声だった。

 まるで心臓に虫が這い回っているような気分になる。

 奴は、集まったデモの人たちを見下ろして、

「いくら知らぬこととはいえ、この無知は、万死に値するよ」

 冷たい声で告げた。

 それと同時に、2人の『金印』の獣人が動こうとする。

「やめろ!」

 僕は叫んだ。

 ピタッ

 動きが止まり、『闇の子』の瞳が僕を見る。

 僕は言った。

「約束だろう?」
「…………」
「僕らと共に戦うなら、ここにいる人たちを傷つけるな」

 もし否と答えたなら……。

 チャッ

 僕の右手は、『妖精の剣』の柄に添えられる。

「……わかったよ」

 奴は、大袈裟な身振りで肩を竦めた。

 2人の『金印』の獣人は、解き放とうとしていた殺意を静めていく。

 ザワザワ

 デモの人たちは混乱していた。

 素人であっても、相手は『金印の冒険者』、そこから向けられた明確な殺意はわかったんだろう。

「でもね?」

『闇の子』は苦笑した。

「ボクはよくても、向(・)こ(・)う(・)は容赦してくれないよ?」

 そう言いながら、黒く幼い指が向けられる。

 その先にあるのは、『聖神樹』。

『闇の子』のカリスマか、僕らだけでなく、デモの人々やアーノルドさん、兵士の人たちの視線までがそちらに向いた。

 その瞬間、

 ズルリ

 美しい結晶の中で、巨大な黒い『何(・)か(・)』が蠢くのが見えた。

(――――)

 僕は硬直した。

 手足が勝手に震えだす。

 虹色の煌めきの奥だったので、はっきりと視認できたわけじゃない。

 けれど、間違いなく『聖神樹』の結晶の中にいた。

 それを、その場の全員が目撃した。

 空気が凍りついていた。

(――悪魔)

 その封じられた姿が見えるほど、封印の結晶が薄くなってしまっているんだ。

 そう理解した。

 そして、理解したのは僕だけじゃない。

 デモの人たちも、生物の本能で何らかを理解したみたいだった。

 自分たちが何をしてきたのかを。

 あの中に、何(・)か(・)がいるということを。

 それが、とても善(よ)くない存在だということも。

 そして、

「ウ、ウォアアア!」
「ヒィイ!」
「ダ、ダウーロォオ!」

 恐ろしい勢いで逃げだした。

 目の前の相手を突き飛ばし、転んだ相手を踏みつけて、蜘蛛の子を散らすような様相で走っていく。

 ガッ グシャッ

 恐慌。

 あまりの有り様に、僕は言葉を失った。

「あははは!」

 闇色の笑い声だけが響く。

 血の流れる額を押さえながら、アーノルドさんが立ち上がった。

「あれが……悪魔か」

 震える声。

 けれど、闘志は失われていない。

 それが僕の理性を呼び覚ます。

「アーノルドさん、大丈夫?」

 慌てて駆け寄る。

 彼は笑い、それを手で制して、僕ら6人を見返した。

「すまないが、俺の役目はここまでだ」

 ……え?

「あれを見て、よくわかった。俺が残っていてもどうにもならん。俺は足手まといだ」
「…………」
「あとは、お前たちに託す」

 その声には悔しさと、そして決意が滲んでいた。

 …………。

「うん。託された」

 僕は頷いた。

 僕は、小さな拳を突きだした。

 気づいた彼は、少し驚き、それから笑って、獅子の毛に包まれた拳を伸ばしてくる。

 コツッ

 互いの拳を、軽く合わせた。

「アーノルドさんは、ここの兵士さんたちと一緒に、あの人たちの避難誘導をしてあげて」
「あぁ、わかってる」

 彼は頷いた。

 兵士さんが、素早く彼の額の傷に包帯を巻く。

 アーノルドさんは獣車に戻った。

 ガラン ガラン

「戦いが終わったら、迎えに来る」
「うん」
「勇気と優しさを兼ね備えたお前たちに、聖なる獣神たちの加護があらんことを!」

 力強い声で告げて、敬礼する。

 兵士さんたちもそれに倣った。

 僕らも視線と頷きで、それに応える。

 そうして、アーノルドさんと兵士さんたちは、逃げていったデモの人たちと同じ方向へと向かい、この場から去っていった。

 残されたのは、僕ら6人と『闇の子』と獣人2人のみ。

(いや……あと1つ)

 聖なる樹を見上げる。

 ズル……ズルリ

 蠢く何かが、美しい結晶の奥に見えている。

「やれやれ、ボクの気配を感じて、自分が解放されると喜んでいるのかな?」

『闇の子』が苦笑した。

 そして、

「馬鹿だね。これから自(・)分(・)が(・)殺(・)さ(・)れ(・)る(・)っていうのに」

 そう冷酷な笑みに変わる。

 …………。

 僕の青い瞳は、そんな奴の左右にいる『金印の冒険者』だった2人の獣人へと向けられる。

 刺青に染まった肉体。

 それに気づいて、『闇の子』は言った。

「言っておくけれど、停戦の約束は破ってないよ。彼らをボクの同胞(かぞく)にしたのは、あの白い雪の大地で君と会う前だ」
「…………」

 確かに、行方不明になったのは3ヶ月以上前だと聞いてる。

 でも、

(…………)

 ソルティスが魔法の大杖を、いつでも使えるように備えていた。

「やめておきなよ」

 小さな殺意を込めて、彼は少女を牽制した。

 ビクッ

 ソルティスが震える。

「これから本格的な戦いが始まるんだ。その前に、貴重な戦力を潰さないで欲しいな」
「…………」

『闇の子』の小さな手が、左右の獣人の腕に触れる。

「ずいぶんと強いんだよ」
「…………」
「『金印の冒険者』というのかい? 大した戦力だった。そこに魔物の力を加えたんだ。ボクの同胞(かぞく)の中でも、一、二を争う実力さ」

 と、玩具を自慢する子供のように、嬉しそうに笑う。

 …………。

 僕は、唇を噛み締める。

(今は耐えるんだ、マール)

 第一の目的は、ここの復活しそうな悪魔をどうにかすることだ。

 彼らを取り戻すのは、そのあとでもいい。

 ギュウ……ッ

 必死に拳を握って、感情を抑え込んだ。

「前にシュムリアで見つけた赤毛の男は、手に入れる前に殺しちゃったんだよね。もったいなかったなぁ」

(――――)

 赤毛の男。

 それは、あの烈火の獅子エルドラド・ローグさんのことか?

 キルトさんの殺意が膨らむ。

 僕の握った手からも、爪で皮膚が裂けたのか、血が滲んだ。

「本当は、君も欲しかったんだよ?」

 奴は、いやらしい笑みと視線を、『金印の魔狩人』である銀髪の美女に向ける。

 キルトさんは短く言った。

「わらわは、すでにマールの家族での」
「そっか」

 奴は「残念」と笑った。

 と、今度はその闇色の視線が、金髪の幼女へと向けられて、

「あれれ? そこにいるのは、その赤毛の男を囮にして逃げた『神の眷属』じゃないか」

 …………。

「驚いたなぁ。人間を見捨てて逃げた君が、また人間を守るために戦うのかい?」
「…………」

 ポーちゃんは答えない。

 けれど、ぼんやりした水色の瞳は、瞬きもせずに目の前の闇の存在を見つめている。

「マールも凄いね」
「…………」
「君の守ろうしていた人々を見捨てた彼女を、仲間にしているなんてさ」

 あぁ、どうしよう?

(我慢できなくなりそう……)

 キルトさんが、僕に代わるように言った。

「それ以上、ポーやエルを侮辱する言葉は許さぬぞ」
「ん?」
「これ以上、重ねるならば、停戦と共闘の約定は破棄させてもらおう」

 ギシッ

『雷の大剣』の柄を手にして、いつでも抜ける構えで告げる。

 ――本気だ。

 キルトさんから、本気の『圧』が放たれている。

 2人の『金印』の獣人も、もはや咄嗟に動けぬほどの圧力だった。

 けれど、

「わかったよ」

 その中で、『闇の子』は平然と笑った。

「悪かったね、『悪魔の欠片』である性(さが)かな? ついつい人の心の傷に触れたくて仕方なくなるんだ」

(……嫌な性だね)

 一応の謝罪に、キルトさんも矛を収める。

 それでも油断はできない。

 レヌさんも言っていた。

『闇の子』には心を許してはいけないって。

 僕ら6人のきつい視線に、奴は苦笑する。

 それから大きく息を吐いて、

「さて、それじゃあ、そろそろ『悪魔討伐』を始めようか」

 そう明るい口調で言った。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 そして『闇の子』は、黒い小さな手を突きだした。

 キィィン

 そこに、紫色の小さな球体が生まれる。

(!?)

 凄まじい圧力。

「くっ……なんという魔力じゃ」

 キルトさんの驚愕の声。

 直径1センチほどの球体は、紫の放電を起こしている。

(あれは、闇のオーラ!)

 すなわち悪魔の魔力、それが恐ろしい勢いで凝縮されている。

「よっ」

 奴は、軽い声を発した。

 パシュッ

 瞬間、紫の光球は、細長い残光を『線』のように残しながら『聖神樹』へと撃ちだされた。

 ドパァアアン

 直撃。

 凄まじい爆発が起きて、紫の炎が舞い散る。

「ぬうっ!」
「くっ」
「うわぁああ!?」
「きゃああ!?」
「……おぉぉ」
「…………」

 爆風が僕らを吹き飛ばそうとして、イルティミナさんが慌てて僕とソルティスを、コロンチュードさんがポーちゃんを掴んで、飛ばされないようにしてくれる。

 その爆炎の向こうで、

 ゴン ガガァン

 美しい結晶が砕けていた。

 数十メードもある枝が落ち、美しい虹色の幹が砕けて、大地へと降り注ぐ。

 足場が壊れ、線路やトロッコが押し潰された。

 やがて、爆炎が消えた先にあったのは、幹の部分が大きく抉れた『聖神樹』だった。

 そこだけ、3分の2ぐらいの太さになっている。

(なんて威力だ!)

 あの巨大な結晶を、これほどに破壊するなんて!

 改めて、目の前にいる『闇の子』という存在に、脅威を抱かずにはいられない。

 そして、

「さぁ、出てくるよ」

 闇の声が、愉快そうに告げた。

 ビシッ ビキキッ 

 薄くなった結晶の向こう側で、黒く巨大な何かが蠢いた。

 結晶が、虹色の輝きを強くする。

 ヒィイイイン

 内側にいる悪魔を外に出すまいと、『神々の封印』が力を発揮しているようだった。

 ズズン ズズン

 地響きが響く。

 封印の中で、神々の力によって悪魔が苦しめられているんだ。

 400年間で消耗した悪魔。

 このままでは死んでしまうとわかっていても、外への渇望は止まらない。

 ズズン ズズン

 虹色に輝く結晶の中で、悪魔は暴れる。

 ビキッ ビキキッ

 その表面に生まれたひび割れが、大きく、広くなっていく。

 僕らは固唾を飲んだ。

 それは、10~20秒ほどの時間。

 けれど僕らには、もっと長い時間に感じられた。

 そして次の瞬間、

 バキィイイン

 ひび割れた表面が砕けて、黒い『何か』が飛び出した。

 指(・)だ。

 歪な爪の生えた巨大な節くれだった指が1本だけ、封印の外に突き出ていた。

 ブルブルと震えている。

 断末魔の震えだ。

 封印の輝きが強くなり、突きだされた指が根元から溶けるように千切れた。

 ――封印の外へ。

『悪魔の指』は落ちた。

 生まれてしまった。

 予想通りに。

 あれが……あの『悪魔の欠片』が『闇の子』へと変化する。

 僕らは、それを倒すんだ。

(――よし、行くぞ)

 覚悟は決まっていた。

 僕らは、その『闇の子』が本領を発揮する前に、討伐してしまおうとする。

 その時だ。

 ズルン

 もう1本、ひび割れた隙間から、震える指が飛び出した。

(え……?)

 その異形の指は、先ほどと同じように根元が溶けるようにして、落ちた。

 ――封印の外へ、また。

(え? え?)

 僕は茫然とした。

 ズズゥン

 直後、封印の中にいた悪魔の本体が絶命したのか、溢れるような禍々しい圧力が消えていった。

 結晶の奥に巨影は見える。

 けど、もう動かない。

 悪魔は死んだ。

 だけど、地面には『悪魔の指』が2本、転がっている。

 そこから、恐ろしい魔力が溢れている。

 グニャリ

 指が歪んだ。

『闇の子』への変態が始まっている。

 それが2つとも。

 僕らは、その現実を受け止め切れなかった。

「これは予想外だ。……参ったね」

 あの『闇の子』の声にも、余裕の響きがなくなっていた。

 ついに生まれた『悪魔の欠片』。

『第4の闇の子』というヴェガ国に現れたその脅威は、けれど僕らの予想を超えて、なんと2(・)体(・)も出現してしまっていた――。