221-219. Ruins of nostalgia



 僕とイルティミナさんは、遺跡の内部に侵入した。

 太陽の光は遮られ、視界は、彼女の白い槍にかけられたランタンの灯りだけが確保してくれる。

(……どこかの廊下かな?)

 僕らが入った場所は、左右に道が続いている場所だった。

 どうやら廊下の壁に亀裂ができていて、僕らは、そこから遺跡の建物内に入った感じだ。

「右から行ってみましょうか?」
「うん」
「もしよければ、マール。光鳥の魔法もお願いして良いですか? 光源は2種類あった方が良いでしょうから」
「あ、うん。わかった」

 頷いた僕は、『妖精の剣』を空中に走らせた。

 腕輪の魔法石が輝き、

「僕らに輝きを。――ライトゥム・バードゥ!」

 ピィィン

 そこから、光の鳥が3羽、飛び出してくる。

 僕とイルティミナさんの頭上に1羽ずつ、そして、少し離れた前方に1羽だ。

「これでいい?」
「はい」

 イルティミナさんは微笑んで、頷いてくれる。

 それから彼女は表情を改めて、

「では、参りましょう」

 僕らは、遺跡の中を歩き始めた。


 ◇◇◇◇◇◇◇ 


 廊下は、左側になだらかな曲線を描いていた。

 おかげで、廊下の先10メードぐらいは見えるけれど、それ以上先までは見通せない。

(……空気が淀んでるね)

 臭いもカビた様な感じ。

 コツ コツ

 暗闇を、ランタンと光鳥の光だけが照らし、そこに僕らの足音だけが響いている。

 5分ぐらいして、イルティミナさんは呟いた。

「この廊下は、もしかしたら円を描いているかもしれませんね」
「円?」
「はい。どうやら高低差がありません。このまま歩き続けると、私たちの入ってきた入り口の亀裂に戻ってしまいそうです」
「そうなの?」

 思わず、後ろを振り返ってしまう。

「まぁ、その時はその時でしょう。今は、進みましょう」
「うん」

 そうして僕らは、曲がり続ける廊下を歩いていく。

 と、

「あ、扉だ」

 廊下の左側に、木製の扉を見つけた。

 僕らは扉に近づく。

「手は出さないでくださいね。ノブを回した途端、鍵穴から毒針や毒液が出る罠もありますから」
「う、うん」

(そんなのもあるんだ?)

 イルティミナさんは慎重に近づいて、いらない布を鍵穴付近に押し当てる。

 それからノブを回した。

 ガチッ

「罠はありませんが、鍵がかかっていますね」

 ありゃ。

 どうしよう、と思ったら、イルティミナさんは短剣を取り出した。

 それを扉と壁の隙間に押し込んで、

 キンッ

 上から下に降ろした。

(わ? 鍵を切断したよ)

 僕の視線に気づいて、

「『真宝家』ならピッキングできるのでしょうけれど、私にその技術はありませんから」

 と苦笑した。

(そっか)

 意外と強引だけど、それなら仕方ないかなと思った。

 イルティミナさんの白い手は、扉のノブを握る。

「中に魔物がいるかもしれませんので、ご注意を」
「うん」

 僕は気を引き締めて、『妖精の剣』の柄に手を当てておく。

 イルティミナさんは頷き、

「開けます」

 扉をゆっくりと開いていった。


 ◇◇◇◇◇◇◇ 


 中に魔物はいなかった。

 僕らは、その空間へと入っていく。

 ランタンと光鳥の光に照らされるそこは、直径30メードほどの円形の空間だった。

 風化した机や椅子が、たくさん並んでいる。

 天井を見上げると、空があった。

(え……空?)

 一瞬、混乱したけれど、よく見たら、円形の天井一面に『青空の映像』が映されていたんだ。

 白く流れる雲に、煌めく太陽。

 ホログラムなのかな?

 古くて劣化しているせいか、時々、映像が乱れている。

「これは……凄い魔法技術ですね」

 イルティミナさんも天井を見上げて、感心したような声を漏らしている。

 僕も魅入られながら、「うん」と頷いた。

 それから、改めて周囲を見る。

 空間内には、椅子や机がたくさん並び、中央には壇上のような高くなっている場所がある。

 机の上には、古そうな本があったりした。

(……タナトス文字だ)

 内容はわからないけれど、その文字の形は間違いなく、古代タナトス魔法王朝の魔法文字だった。

 つまり、

「この遺跡は、タナトス時代の物なんだね」
「そのようですね」

 イルティミナさんも頷いた。

 コツ コツ

 彼女は、ゆっくりと歩きながら、白い槍の石突部分で椅子や机を動かしたりして、何か目新しいものがないかを確認する。

「ここは、タナトス時代の集会所か……あるいは学校か」
「学校?」
「なんとなく、教室のイメージではありませんか?」

 そう言われてみれば……。

 僕は、本を手に取る。

(じゃあ、これは教科書とか?)

 …………。

 僕はもう一度、この空間内を見回した。

 400年以上前、この場所には、大勢の人たちが集まっていたんだろうか?

 それは、僕みたいな子供たちかもしれない。 

 もしかしたら、大人なのかもしれない。

 今はもう生きていない400年前の人たちの生活の名残りが、ここにこうして残されているのかと思うと、なんだか不思議な気持ちになった。

 カタンッ ゴトッ 

 イルティミナさんと僕は、しばらく探索を続けた。

「目ぼしい物はありませんね」
「……うん」
「かなり傷みはありますが、ここにある本を少しだけ回収しておきましょうか」
「売るの?」
「もちろんです」

 イルティミナさんは、はっきり頷いて、

「それが遺跡探索の醍醐味ですよ?」

 と笑った。

 僕は苦笑する。

 意外と現実主義なお姉さん。

 でも、古代の遺物が、誰の目にも触れられず、ここで風化していくよりはいいのかな? とも思った。

 そうして僕らは、なるべく傷みの少ない本を選んで回収する。

 布で1冊ずつ丁寧にくるんでから、重ねて袋にしまい、それをリュックに入れる。

「では、次の場所に行ってみましょうか」
「うん」

 僕とイルティミナさんは頷き合い、その円形の空間をあとにした。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 それから、いくつかの部屋を見つけたけれど、目ぼしいものは何もなかった。

 魔物もいない。

「地中に埋もれていたので、魔物が侵入しなかったのかもしれませんね」

 とは、イルティミナさんの見解。

(そっか)

 ナタリアさんが土砂崩れを目撃してから、僕らが来るまでの間に、この中に入ったのは蝙蝠ぐらいだったってことかな。

「だからって、もちろん油断してはいけませんよ?」
「うん」

 僕は、生真面目な顔で頷いた。

 イルティミナさんは微笑み、「いい子です」と頭を撫でてくれる。……えへへ。

 そんな風にして歩いていくと、

(あ、階段)

 地下へと続く段差たちを発見した。

「行ってみる?」

 僕は訊ねた。

 今回の遺跡は、浅層だけの予定だ。

 イルティミナさんは頷く。

「まだ時間もあります。思ったより複雑な構造でもないので、もう少し進んでみましょう」

(うん)

 よかった。

 まだ、ソルティスへのプレゼントになりそうな品物を見つけてないから、ちょっと安心した。

 息を吐く僕に、イルティミナさんは優しく笑う。

「さぁ、行きましょう」
「うん」

 僕らは頷き合い、暗がりへと続く階段に足をかけた。

 コツン コツン

 1段1段、降りていく。

 降りながら、僕は、ふと思ったことを、イルティミナさんに訊ねてみた。

「ねぇ、シュムリア王国にも学校ってあるの?」
「え?」

 驚いた顔をするイルティミナさん。

 けれど、すぐに納得したように頷いて、

「そういえば、マールも学校に行ったことがなかったですね」

 と優しく微笑んだ。

 それから、

「はい、シュムリア王国にも学校はありますよ」

 と教えてくれる。

(そうなんだ)

「ただ学校に行けるのは、裕福な家の子供ばかりですね」
「そうなの?」

 今度は、僕が驚いた。

 イルティミナさんは頷いた。

「はい。5歳から14歳ぐらいまで国営学校に通えますが、それにもお金がかかります。貧しい者たちにとっては、子供は貴重な労働力です。学ぶよりも、家のためにお金を稼がねばなりません」
「…………」
「また商家などでは、読み書き計算は、親が子に教えられます。国営学校では、文化や歴史なども学べますが、それが商売にどれだけ役立つかを考えると、学校に通わせないという家は多いでしょう。なので、学校に行ける子供というのは限られてきますね」

(ふ~ん、そうなんだ?)

 なるほどね。
 こっちの異世界では、というかシュムリア王国では、義務教育はないんだ。

 僕は、そう教えてくれたお姉さんの顔を見つめる。

「それじゃあ、イルティミナさんも?」
「はい、私も通ったことはありませんよ」

 そう答えた。

「ご存じの通り、私は『魔血の隠れ里』の出身ですから」
「あ……」
「それにキルトに拾われ、シュムリアに来てからも、生きるためにすぐ冒険者になりましたからね」

 そっか。

 そうだった。

 ちょっと、迂闊な質問をしてしまった自分を反省してしまう。

(馬鹿だね、僕は……)

 うなだれる僕に気づいて、イルティミナさんは微笑むと、『大丈夫ですよ』というように優しく頭を撫でてくれる。

「さ、階段も終わりですよ。気を引き締めていきましょう」
「あ、うん」

 言われた通り、階段も終わった。

 降りた先も、また円形の通路が左右に伸びている。

 僕らは、それをまた右側へと歩いていった。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 地下1階も、上の階と同じような構造だった。

 ただ、通路の壁が崩れて、外の土砂が流れ込んでいる場所も見受けられた。

「あまり音を立てずに行きましょう」
「うん」

 そこでは、更なる崩壊を招かないよう、足音を忍ばせて移動する。

 そうして、見つけた扉。

 またイルティミナさんが鍵を切断して、中へと入っていく。

(おや?)

 そこは、今までの円形の教室とは少し違う空間だった。

 空間は、正方形になっていて、それぞれの壁には、空や山などの美しい風景の映像が流れていた。

 壁は故障している部分もあるのか、一部は真っ黒だったりする。

 そして、それぞれの壁に扉が造られていた。

 僕らが入ってきたのは、その1つだ。

 空間の中央には、壊れた銅像。

 銅像の周りは、空になった噴水跡になっていて、そばには横長のベンチが何台か備わり、その内の2、3台が倒れたり、壊れたりしている。

「中庭……かな?」

 僕は呟いた。

 イルティミナさんも「そうかもしれませんね」と頷いた。

 彼女は、1台のベンチに近づいた。

 パッ パッ

 白い手で、埃を払う。

 それからこちらを振り返って、

「マール。少し早いですが、ここでお昼休憩と致しましょう」

 と笑ったんだ。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 気づいていなかったんだけど、探索は3時間もしていたらしい。

 だから、もうお昼前。

(遺跡って真っ暗だから、時間感覚がおかしくなるんだよね)

 そう言ったら、イルティミナさんは笑って頷いた。

「そうですね。なので、探索をし過ぎてしまう初心者の冒険者もおります。気づいた時には疲労状態で、運が悪いと、そこで魔物に襲われて全滅してしまいます」
「…………」
「だからこそ遺跡などでは、こまめな休息を。特に、体内時計には注意しなければいけませんね」

 なるほど~。

(体内時計って、大事なんだね)

 また1つ勉強になりました。

 そしてベンチに腰かけると、イルティミナさんはリュックの中から何かを取り出した。

「今日はお弁当を作ってきました」
「え?」

 お弁当!?

「ふふっ、せっかくの2人きりの時間ですからね」

 と、頬を赤らめ、はにかむイルティミナさん。

 布を解くと、中から木製のお弁当箱が3つ出てくる。

 パカッ

 蓋を開けると、1つはサンドイッチ、もう1つはから揚げとサラダ類、もう1つは果物のデザートが入っていた。

 おぉ!

「どれも美味しそう……」

 色彩も綺麗で、食欲をそそります。

 青い瞳をキラキラと輝かせる僕に、イルティミナさんも嬉しそうだった。

「ふふっ、さぁ、召し上がれ」
「うん、ありがとう、イルティミナさん! いただきま~す!」

 僕は手を合わせてから、お弁当に手を伸ばした。

 パクッ モグモグ

 うん、美味しい~!

 さすが、イルティミナさん。

「すっごく美味しいよ!」
「それはよかった」

 彼女は、柔らかくはにかんで、自分もサンドイッチを1つ頬張る。

 モグモグ

 そして、その味に納得したように「ん」と頷いている。

 古代の学校の中庭で食べるお昼。

 真っ暗な遺跡の中だけど、光鳥やランタンの灯りに照らされての2人きりの食事は、まるでピクニックの気分だ。

(なんか、幸せ……)

 お腹は満足、心もポカポカだ。

 イルティミナさんも、美味しく食べる僕のことを深い慈しみの眼差しで見つめながら、僕の頬に付いたパン屑を、白い指で摘まんで食べてくれたりする。

 えへへ、本当の恋人みたい……。

 もしかしたら400年前の子供たちも、僕ら2人のように、ここでお昼を食べたりしたのかな?

 そう考えたら、なんだか不思議な感じ。

 そうして僕とイルティミナさんは、奇妙で優しい空間でのお昼を楽しんだんだ――。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 食後は、お茶の時間。

 イルティミナさんは、なんと水筒を2つ用意していて、水以外にもハーブ茶を淹れてきてくれてたんだ。

 ほんと、至れり尽くせり。

(本当に、ここは地中の遺跡なのかな~?)

 うっかりすれば、忘れてしまいそうになる。

 コップの近くで息を吸って、ハーブの香りを堪能する。

(うん、いい香りだ)

 ソルティスの誕生日のおかげで、こんな不思議なデートをイルティミナさんとできるなんて、彼女には本当に感謝だよ。

 と、その時、

「昔は、このハーブ茶をソルティスにもよく淹れてあげました」

 自分の手にしたコップを見ながら、ふとイルティミナさんが呟いた。

 僕は、その横顔を見る。

「そうなの?」
「はい。王都の中にも自生しているハーブなので、冒険者の仕事が休みの時は、あの子と一緒に採りに行って」

 ふ~ん?

 イルティミナさんは懐かしそうに語る。

「あの頃は、私も駆け出しの冒険者で、とても貧しい暮らしでした」
「…………」
「もちろん、あの子を学校に通わせることもできなくて、クエストで家を空けることも多かった。あの子には、とても寂しい思いをさせていました」

 イルティミナさんとソルティスの過去……か。

「2人は昔、どんな生活だったの?」

 興味本位で聞いてみた。

 彼女は優しく笑って、

「当時は、今の家ではなく、小さな部屋を借りて暮らしていました」
「…………」
「今でこそ活動的に思えますが、あの頃のソルティスは、とても内向的な子供で、家の外に出ることも滅多にありませんでした。私もそうですが、故郷の村を滅ぼされたばかりだったので、他人を信用できなかったんです」

 …………。

 僕の視線に気づいて、彼女は『今は大丈夫ですよ』という風に微笑んだ。

 それから、

「あの暗くて狭い部屋で、あの子は一日中、何を考えていたのでしょうね?」

 と呟きをこぼす。

 それは、少しだけ苦しそうな姉としての顔と声だった。

 小さなソルティス。

 今の僕を蹴飛ばしたりする彼女からは想像できない、大人しくて、臆病な幼い彼女の姿……。

「私もクエストがあるので、家に帰れるのは月に数日だけでした」
「……うん」
「だから、よくなけなしのお金で本を買ってお土産にしていました」
「本?」
「はい。妹が1人でいる寂しさを感じないように、なるべく長く楽しめるものは何かと考えた時に、その時の私に思いついたのは、本ぐらいだったんです」

 イルティミナさんは、恥ずかしそうに小さく笑う。

(ふ~ん?)

 誰もいない部屋で、1人本を読む幼女か。

 ……なんとなく、その後のソルティスの博識ぶりの理由が垣間見えた気がする。

「ソルもわがままを言わずに、とても良い子でしたよ」
「そうなんだ?」
「えぇ……ただ唯一、わがままを口にしたのは、3年前、『冒険者になりたい』と言ったことでしょうか」
「……へぇ」

 冒険者になりたい――それが幼いソルティスの初めてのわがまま。

 イルティミナさんは、自分の下腹部に触れる。

「私は妊娠ができない」

 …………。

「その事実を知ったのが、ちょうど3年前です」
「…………」
「当時は、私も冒険者としてそれなりに稼げるようになっていました。けれど、いつかは両親のような家庭を持ちたいと思っていたんです。……だから、それを知った時は、私も荒れてしまって、あの子に八つ当たりをしてしまったこともありました」
「……うん」
「でも、あの子は、一度も怒らなかった」

 イルティミナさんは、真紅の瞳を伏せる。

「クエスト中も、私は、集中力が散漫で死にかけることがありました。そのようなことから、あの子なりに何かを感じたのでしょう。ある日、クエストから帰ったら『冒険者になりたい』と言われました」
「…………」
「その頃の私は、本気にしていませんでしたが、あの子は連日、私に訴えました」

 その情景が、目に浮かぶ。

(きっと、姉のために必死だったんだね)

 世界が怖くて、怖くて堪らないはずなのに、それでも大好きな姉のために勇気を振り絞ったんだ。

「やがて、私も根負けしました」
「……うん」
「ソルと冒険をし始めた時は、とても大変でした。私は1人での戦い方しか知らなかったし、精神的にも不安定でしたから。ソルも危険な目に何度もあって、何度も泣きそうになりながら、けれど必死に堪えていましたね」

 姉妹の奮闘する姿を夢想する。

(…………)

 なんか、『がんばれ』って応援したくなった。

「そんな私たちを見かねたのか、3ヶ月もしない内に、キルトがやって来ました」

 きっと僕みたいに、応援したくなった1人だ。

「恩人だからか、あの子も、キルトだけには懐いていました。彼女が来てくれて、とても安心したようでしたね」
「そっか」

 僕は頷いた。

「それからは、あの子も冒険者として急速に成長しました」
「うん」
「私は変わらず、精神的に不安定でしたけれど……それでも、あの子の成長は嬉しかった」

 そう言ったイルティミナさんは、本当に優しい姉の顔だった。

 コクッ

 彼女は、ハーブ茶を一口すする。

 イルティミナさんにとっては、懐かしい味なんだろう。

 長く息を吐いて、

「でも、あの子が一番変わったのは、マールに出会ってからかもしれません」

 その真紅の瞳は、真っ直ぐ僕を見つめた。

「僕?」

 突然、自分のことが出されて驚く。

 イルティミナさんは頷いた。

「ソルは、いつも私たちに守られる存在でした」
「…………」
「けれど、マールに出会ったことで、あの子は初めて、自分と対等な相手を、あるいは守るべき存在を知りました。それは、きっと、とても大切なこと」

 その少女の姉は、穏やかに笑った。

「あの子のマールに向ける表情は、どれも私たちの知らないものばかりです」
「……そう?」
「えぇ。あんなに遠慮なく、感情を表に出しているのは珍しい。きっと貴方だからですよ」
「…………」

 う、う~ん?

(そうなのかな?)

 僕には自覚はない。

 けれど、前にキルトさんが、ソルティスは姉に感謝をしながら、同時に姉に負い目を感じて生きてきた……と言っていた。

 そして、だから僕に出会えて良かったんだろう、とも。

 まるで、今のイルティミナさんと似たような言葉だった。

「でも、僕……ソルティスのために、何かをした記憶ないんだけど」

 僕は困惑しながら、そう言った。

「…………。ふふっ」

 イルティミナさんは口元を押さえて、なぜか笑う。

「だから、良いのですよ」
「???」
「マールはそのままで。どうか、そのままでいてください」

 ……うん。

 よくわからないまま、頷いた。

 イルティミナさんは笑みを深くして、コップの中のハーブ茶を一気に飲み干した。

「さぁ、休憩はここまで」

 と言った。

(あ、うん)

 ゴクゴクッ

 僕も慌てて、自分のコップを飲み干す。

 お弁当箱や水筒を片付けて、僕ら2人は、また探索をするために立ち上がった。

 イルティミナさんは遺跡の中を見回して、

「あの子のプレゼントとなるような物が、何か見つかると良いですね」

 と呟いた。

「うん」

 僕は、強く頷く。

 よくわからないけれど、僕にとってソルティスは、やっぱり大切な仲間だった。

(あの子のために、がんばろう!)

 パンパン

 頬を叩いて、気合を入れ直す。

 そんな僕に、イルティミナさんは驚き、それからクスッと笑った。

「では、参りましょうか」
「うん!」

 僕らは顔を見合わせて笑い合い、そうして遺跡の探索を再開した。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 あれから、また3時間ぐらい探索した。

 でも、目ぼしいものは何もなくて、一応確保したのは、タナトス文字の本が数冊のみ。

(プレゼントとしては、微妙だね……)

 できれば、もう1階層地下まで行きたいけれど、

「そろそろ夕方になりますね。帰りの獣車のことを考えると、これ以上は厳しいでしょう」
「……うん」

 イルティミナさんの言葉に、僕はうなだれるように頷いた。

「マール……」

 しょんぼりする僕に、イルティミナさんは困った顔をする。

 わかってる。

 約束は約束だもんね。

 僕は、自分の感情を抑え込んで、顔をあげた。

 その時、

(ん?)

 通路の先に、もう1つ扉があるのを見つけた。

「イルティミナさん。最後にあそこだけ、駄目?」 
「……そうですね」

 少し考えて、

「わかりました。では、あそこを最後として今日の探索を終えましょう」

 と言ってくれた。

「ありがとう、イルティミナさん」
「いいえ」

 柔らかく髪を揺らして、彼女は首を振る。

「私も、妹のために何かを見つけたい気持ちは、マールと同じですから」

 と笑った。

(うん!)

 僕らは笑い合って、その扉へと向かった。

 キンッ

 イルティミナさんの短剣が鍵を切断して、中へと入る。

「…………」
「…………」

 そこは他よりも小さな部屋だった。

 しっかりした作りの机と椅子、それから空の本棚などが並んでいる。

 奥には、翼を生やした獅子の像があった。

(学長室……みたいな?)

 そんなイメージだ。

 でも、机の引き出しの中や本棚は、空っぽだ。

 ガサゴソ

 しばらく室内を物色したけれど、

「……特に何もありませんね」
「……うん」

 残念ながら、最後の部屋にも何もなかった。

 がっかり……。

 肩を落とす僕を慰めるように、イルティミナさんがそばに寄り添い、その小さな肩に温かな手を置いてくれる。

「残念ですが、ここまでにしましょう」
「…………」

 すぐに返事はできなかった。

 顔をあげる。

 目の前にあるのは、翼を生やした獅子の像だ。

(これ……持って帰れないかな?)

 2メードぐらいの立派な像だ。

 ちょっと欠けたりしているけれど、彫刻も細かくて、それなりに高価そうだった。

 でも、無理か。

(さすがに重すぎるよね)

 僕は、その獅子像を見つめる。

「?」

 その時、獅子の瞳の部分が、キラキラと輝いていることに気がついた。

 …………。

「イルティミナさん」

 僕は、先輩冒険者を呼んだ。

「はい」
「あの獅子の眼って、宝石かな?」
「え?」

 小さく驚き、イルティミナさんも改めて『翼を生やした獅子』の像を見つめる。

「これは……」

 近づいて、彼女は真紅の瞳を見開いた。

「まさか……オリハルコンでしょうか」

(オリハルコン!?)

 前世でも聞いたことがある未知の金属名だ。

「私の『白翼の槍』や、キルトの『雷の大剣』にも使われている古代の希少金属ですね」

 な、なんと!

 僕は、イルティミナさんの美貌を見上げた。

「じ、じゃあ、これ、もしかして……?」
「はい」

 彼女は頷いた。

「ソルへのプレゼントとして、充分すぎる品だと思いますよ」

 や、やったぁ!

 思わず、拳を握ってガッツポーズしちゃったよ。

 イルティミナさんも、嬉しそうに頷いている。

「さすが、マールですね。貴方の諦めない気持ちが、これを発見したのです。まさか本当に宝を見つけてしまうとは、このイルティミナ、本当に恐れ入りました」
「えへへ……」

 ちょっと照れ臭い。

 それから僕は『マールの牙・弐号』を抜いて、剣先で、獅子のオリハルコンの眼をくり抜くことにした。 

 カリカリ……ッ ポロッ

(取れた!)

 小さな手のひらに、美しい宝石のような球体が転がる。

 キラキラと飴色の光沢を放っていて、小さな見た目に反して、かなり重い。

(これがオリハルコン……)

 そう思って、見つめていた時だ。

「! マール!」

 グイッ

 突然、イルティミナさんが僕の肩を強く引っ張った。

(え?)

 ヒュッ

 驚く僕の頬を、何かが掠めて通り過ぎた。

 頬が熱い。

 触れると、指先が赤くなっている。

 ――血だ。

「え?」

 顔をあげる。

 すぐ目の前で、目玉をくり抜かれた獅子の像が動きだしていた。

 額に、タナトス魔法文字が浮かんでいる。

(え? え? 何これ!?)

 混乱する僕を背中に隠して、イルティミナさんが白い槍を構えて前に出る。

「恐らく、盗難防止用の機構なのでしょう」
「え?」
「要するに、この獅子の像は、そのオリハルコン球を守る番人だったのです」

 なんと……!

(そんなことがあるんだ?)

 ただの像だと思ったのに、さすがタナトス魔法文明! 想像以上の魔法技術だよ。

 盗んだのは、ごめんなさい。

 でも、もう持ち主はいないんだし、許してくれないかな?

 ズンッ  

 体長2メードの獅子の像は、鋭い爪の生えた前足をこちらへと踏み出してくる。

 許してくれなさそう……。

(仕方ないね)

 僕は『妖精の剣』を抜こうと、剣の柄に手をかけた。

 と、

「必要ありませんよ、マール」

 その手を、イルティミナさんの白い手が押さえた。

(え?)

 見上げる僕に、

「今、貴方と一緒にいるのは、いったい誰ですか?」

 と、その女の人は美しく笑った。

 その正体は、

「――金印の魔狩人イルティミナ・ウォン」

 僕は、心を震わせながら答えた。

 彼女は、嬉しそうに頷く。

 そして、

「さぁ、マールは下がっていてください」

 そう言いながら、白い槍をヒュンと一回転させて、獅子像の方へと無造作に歩きだす。

『ゴガァアア!』

 威嚇するように獅子像が吠えた。

 でも、

「クスッ」

 美しい金印の魔狩人は、小さく微笑む。

 そして、

 キュボン

 気づいた時には、槍の先端が獅子の頭部に突き刺さっていた。

(速っ!?)

 まるで見えなかった。

 ボヒュッ

 槍を引き抜く動作の間に、白い閃光が走り、獅子の首と両前足が胴体が斬り離される。

「これで、おしまいです」

 ゴンッ

 槍の石突部分が胴体に突き刺さる。

 そこから放射状にひび割れが広がり、翼を生やした獅子像は、粉々に砕けて床に散らばった。

 5秒にも満たない戦闘時間。

(……強すぎる) 

 彼女にとっては、この遺跡の中を歩くことなんて、本当にただのハイキングと一緒だったんだ。

 呆然とする僕を、彼女は振り返った。

 深緑色の長い髪が、艶やかに舞って、

「さぁ、帰りましょうか」

 にっこりと優しい笑顔が眩しかった。

 ――こうして半日だけの探索は終わり、僕らは、ソルティスへの誕生日プレゼントを無事に入手することができたんだ。