292-289. Immortal snake god



『廃墟の都市』の一角に、僕らはロープを降ろして降下する。

 現在まで生き残った全開拓団員366名、アミューケルさんを除いた全ての戦士たちが武器を携え、前方を見据える。

 その先にあるのは、体長1000メードの巨大な蛇神。

 そして、街の通りを埋め尽くす、体長10メード級の大蛇の群れだ。

 ガシャッ

 そんな全員の前へ、竜騎士レイドル・クウォッカが進み出る。

 手には長剣。

 その柄には魔法石が埋め込まれ、2メード近い刀身にはタナトス魔法文字が刻まれている――あれは、タナトス魔法武具だ。

「初撃は、任せてもらうよ」

 彼は、そう笑った。

 その長剣を肩に担ぐように構える。

 ヒュオン

 魔法石が輝き、タナトス魔法文字が光を放った。

 刀身が光に包まれていく。

 その頭上に、彼の『竜』が飛来した。

『シュムリア竜騎隊』の8頭の竜たちの中で、最も大きく、最も強い竜の中の竜だ。

 その彼は、牙の生えた口を大きく開放する。

 鱗に包まれた喉が大きく膨らみ、口内に、赤い輝きが灯っていった。

『竜騎士』と『竜』の呼吸が重なる。

 レイドルさんは大きく踏み込み、

「竜炎・覇爪斬!」

 その肩に担いでいた光る長剣を、前方へと振り抜いた。

 キュボッ

 輝く剣閃が撃ち出され、同時に、頭上の『竜』が火炎息(ブレス)を吐き出した。

 2つの攻撃が交わり、炎の斬撃が飛翔する。

 キュドォオオン

 前方の通りを埋め尽くしていた大蛇たちが、その剣閃に引き裂かれ、業火によって焼き尽くされていく。

 ――道が拓けた。

「全軍突撃っ!」

 ロベルト将軍が手にした剣を突きだし、雄々しい声をあげる。

『おぉおおおおおっ!』

 雄叫びがそれに応え、王国騎士団、冒険者団の全員が走りだした。

 僕ら5人も、それに続く。

 石畳の通りは、竜の爪で抉られたような傷痕が何本も残り、黒く焦げた跡があった。そして、その上に大蛇たちの死体が倒れ、残り火が燻っている。

 僕らの靴底は、それを踏みしめ、前に進む。

『廃墟の都市』には、何万もの大蛇がいた。

 前方は一掃されても、すぐに通りの横道から、建物の上から、新たな大蛇たちが押し寄せてくる。

「おらぁああ!」
「やぁああ!」

 ガシュッ ザキュン

 冒険者たちが、王国騎士たちがそれを迎え撃つ。

「先に進め、キルト・アマンデス!」

 ロベルト将軍も、手にした剣で大蛇の1頭を仕留めながら、僕らに叫ぶ。

 キルトさんは頷いた。

 多くの戦士たちが防波堤となって確保してくれている道を、僕ら5人は走った。

(!)

 けれど、敵の数は圧倒的だ。

 前方の通りにも、再び大蛇たちが押し寄せてくる。

「くっ!」

 僕は走りながら、『妖精の剣』を構えた。

 と、その時、僕らの後方から眩い光が生まれた。

(え?)

 反射的に振り返った先には、直径30メードはある巨大な魔法陣が空中に浮かんでいる光景があった。

 その下には、美しい銀色の鎧の神殿騎士団50名。

 各々の左手には開かれた聖書が、右手には魔法の杖が握られていた。

 先頭のアーゼさんが、美しい声で言う。

「神武魔法・白霊砲……テェーッ!」

 頭上の巨大魔法陣が輝いた。

 そこから、極太の白い光がビームのように放射される。

 ガォオオオン 

 前方に集まっていた大蛇の群れが、白い光に焼かれて消滅した。

 10秒ほどの照射を終え、白い光と巨大魔法陣が消えていく。

 周囲には、白い光の粒子が舞っていた。

(凄い……っ) 

 これが神殿騎士団の実力!

 心震える僕へと、アーゼさんの喝が入る。

「さぁ、神狗様! 我らを振り向くことなく、急ぎ前へ! ただ前へとお進みください!」

 僕は「はい!」と頷いた。

 そして、止まりかけていた足を再び走らせる。

 多くの人たちが、僕ら5人を『蛇神人』の下へと届けるために、命懸けで戦ってくれていた。

 今度は、僕らがそれに応える番だ。

 前を走るキルトさん、イルティミナさん、ソルティス、ポーちゃんの背中を追いかけながら、僕はそう強く自分の心に刻んだ。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 ある建物の1つの屋上に、僕らは到達した。

 巨大な蛇の姿は、200メードほど前方に見えている。

「これ以上は近づくな」

 キルトさんはそう言った。

(え?)

「奴にとっては、この距離も一瞬で詰められる。この間合いが最適であろう。ここから仕掛けるぞ」

 彼女は、黄金の瞳で僕らを振り返り、そう続けた。

 僕らは頷く。

「イルナ、ソルはここから撃て。ポーは、ソルの護衛をしつつ、攻撃が可能ならば仕掛けよ」
「はい」
「わかったわ」
「ポーは、了承した」

 キルトさんの指示に、3人が頷く。

 そして、

「マール、そなたはわらわを連れて空を飛べ。あの『蛇神人』の頭部へと向かうぞ」

 と言われた。

 僕は驚き、確認した。

「……翼を展開していいの?」

 神と魔の問題や、僕らの正体は、他の開拓団員にも秘密だったはずだ。

 ここでは、見られる可能性が高い。

「構わん」

 キルトさんは頷いた。

「バレたらその時はその時じゃ。今は、出し惜しみをしている状況でもない」
「…………」

 本当にいいの?

 それでも心配する僕に、キルトさんは微笑んだ。

「そなた、出発前のロベルト将軍の言葉を聞いていたか?」
「え?」
「『我ら『第5次開拓団』がこの遠き大陸までやって来たのは、『神霊石』を手に入れ、神託にあった災いより人々を守るためだ』」

 キルトさんは、その言葉を繰り返した。

 この開拓団の目的は、『神霊石』を手に入れることだ。

 そして、その理由は、神託によって『災い』が起きようとしていることが予言され、それを回避するために必要なのが『神霊石』だという説明だった。

(…………)

 戸惑う僕に、キルトさんは言う。

「これはの、暗に『魔』の存在を示しておるのじゃ」
「!」
「無用な混乱を避けるため、『魔の勢力』の存在については隠されておる。しかし将来、隠しきれぬ状況が来るやもしれぬ。レクリア王女はそれに備え、人々の心の動揺を少しでも抑えるため、嘘の中に真実を垣間見せる策を取られておるのじゃ」

 そ、そうだったんだ……。

 イルティミナさんとソルティスも驚いたような、感心したような顔をしている。

 キルトさんは言う。

「ゆえに、もしもここでバレても、構わぬ。マールもポーも、その力を存分に発揮するが良い」
「うん」
「…………(コクッ)」

 そういうことなら――僕もポーちゃんも、頷いた。

 それを見届けると、豊かな銀髪をひるがえし、キルトさんは『蛇神人』の方を振り返った。

「作戦は単純じゃ」

 キルトさんの背中の遥か前方には、巨大な蛇の姿。

「ここからの攻撃で奴の注意を引き、その隙に、マールに運ばれたわらわが至近より攻撃を行う」
「…………」
「狙いは眼球じゃ」

 眼球?

「どれほどの巨体であっても、生物の弱点は変わらぬ。硬そうな外皮は避け、眼球より『鬼神剣・絶斬』を叩き込み、その先にある脳を破壊する」

 低い声には、強い覚悟があった。

 僕らは頷いた。

「そう何度もチャンスはあるまい。大蛇の足止めをしている連中も、長くは持たぬ。1撃で決めるぞ」

 キルトさんは、僕らを振り返った。

 頼もしい『金印の魔狩人』は、笑っていた。

「失敗は恐れるな。ただ前を向き、やるべきことに全力を尽くせ。結果は自ずとついてこよう」

 その笑みに、心が燃える。

「うん!」

 僕は大きく頷いた。

「はい」
「えぇ、がんばりましょ!」
「ポーは、全力を尽くすと誓う」

 3人も力強く答えている。

 キルトさんは、そんな僕らに黄金の瞳を細めて、それから満足そうに頷いた。

 ガシャッ

 手にした『雷の大剣』を『蛇神人』へと向け、

「――よし、始めるぞ!」

 戦いの開幕を宣言した。


 ◇◇◇◇◇◇◇


「神武具(コロ)、僕に翼を!」

 願いの声に応じて、僕の背中には、虹色に輝く金属の翼が形成された。

 キルトさんが背中側から、僕の首に両腕を回す。

「頼むぞ」
「うん」

 彼女の重さを感じながら頷き、僕は、金属の翼を大きく開いた。

 ヴォオン

 翼が輝き、僕らは上空へと飛翔する。

 眼下の建物の屋上にいるイルティミナさん、ソルティス、ポーちゃんの姿が一気に小さくなる。

 そして、その小人のイルティミナさんが白い槍を構えた。

 投擲体勢。

 直後、彼女はその槍を解き放つ。

 ヒュン

 白い閃光が200メード離れた巨大な蛇へと走った。

 ドパァン

 外皮の上で、爆発が起きた。

 けれど、濡れたような巨大な鱗たちに、大きな損傷は見られない。

(頑丈だ)

 生半可な攻撃では、奴には通用しなさそうだった。

 ドパァン ドパパァン

 イルティミナさんは、白い槍の砲撃を続ける。

 ソルティスも大杖を輝かせて、大量の『炎の蝶』を生みだし、『蛇神人』へとぶつけていた。

「ポオオ……」

 ポーちゃんも『神体モード』を発動する。

 龍の角と尻尾が生え、両手足や顔の一部が鱗に覆われた。

 その龍鱗の拳を握り締める。

 ヒュオッ ゴパァアン

 その拳を突きだし、目に見えない『神気』の砲弾を打ち放った。

 直撃した部位の鱗がひび割れる。

(凄い威力だ!)

 さすが『神龍』。

 もしかしたら、イルティミナさんの白い槍の砲撃より威力があるかもしれない。

 普通の魔物だったら、倒せていた。

 それほどの攻撃たち。

 でも、相手は体長1000メードはありそうな異常な化け物だった。

 それらを受けても、ダメージは見られない。

 そして、その攻撃に気づいて、その巨大な蛇は、3人の方へと巨体を動かしたんだ。

(!)

 200メードの距離があった。

 けれど、それがあっという間にゼロになるのを、僕は上空から目撃した。

 ゆったりした動きに見えるのに、その巨体ゆえに移動距離は、半端ない。

 30メードはある巨大な頭部が、イルティミナさんたちのいる建物めがけて突っ込んでいく。

 ズガァアアン

 建物が吹き飛び、土煙が舞い上がった。

「イルティミナさん!」

 僕は、思わず叫ぶ。

 キルトさんも「ぬぅ」と唸り、僕の首に回している腕に力がこもる。

(……あ)

 その時、土煙を抜けて、イルティミナさんたちが隣の建物の屋上へと移動する姿が見えた。

 ソルティスも、ポーちゃんに背負われていて、ちゃんと回避している。

(よ、よかった)

 安堵している間にも、地上の3人は再び『蛇神人』へと攻撃を仕掛ける。 

 ドパァン ドパパァン ゴバァン

 長い胴体に、爆発が起きる。

『蛇神人』は鬱陶しそうに身体をくねらせ、イルティミナさんたちを追いかける。

 ズズン メキメキ

 移動した箇所の建物が崩され、通りの石畳がめくれ上がる。

 あの巨体が移動するだけで、街の大破壊だ。

「よし。あの3人が囮となっている間に、あの頭部へと接近するぞ」
「うん!」

 キルトさんの言葉に頷き、僕は翼を羽ばたかせた。

 バフッ ヒュオオオッ

 風を切りながら、死角となりそう上空から接近していく。

 このまま近づいて、キルトさんを眼球の近くへ。

 そう思った時だ。

(!)

 巨体にある4つの眼球が、ギュルリとこちらに動いた。

 グワッ

 その頭部が持ち上がり、僕らへと近づいてくる。

(うわっ!?)

 300メードほどあった距離が一気に詰められた。

「かわせ!」

 キルトさんが叫び、体重を右側にかける。

 つられて僕は、大きく右へと旋回した。

 ビュゴォオオッ

 そのすぐ横を、蛇の巨体が真っ直ぐに突き抜けていった。

(なんて大きいんだ!)

 間近で見て、改めてその巨大さを実感する。

 同時に、凄まじい風圧が襲ってきて、必死に距離を取りながら体勢を立て直した。

「また来るぞ!」
「!」

 長い胴体をくねらせ、その頭部が再びこちらを向いていた。

 巨大な口が開き、鋭い牙が剥き出しになったまま、凄まじい勢いで接近してくる。

(うおわっ!?)

 ヴォオン

 翼を輝かせながら、必死に横に逃げる。

 辛うじて回避に成功した。

 でも、蛇の頭部は、更に身をくねらせて、こちらに照準を合わせてくる。

 完全にこちらにターゲットが移ってしまった。

(くそっ!)

 必死に翼を輝かせ、青い空に虹色の残光を輝かせながら逃げ回る。

「ちいっ」

 僕の背中に掴まるキルトさんも舌打ちした。

 このままじゃ、眼球を狙うどころじゃない。

 ソルティス、ポーちゃんも攻撃を仕掛けてくれているけれど、『蛇神人』は一向にこちら以外を狙わなかった。

 こっちが本命だと気づかれている?

 もしそうだとしたら、確かな知性がある。

(なんて厄介なんだ!)

 何とか逃げられ続けているけれど、いつまでも、このままではいられない。

 なんとかしなければ……!

 その時、遠い眼下にいるイルティミナさんが『白翼の槍』を頭上に掲げるのが見えた。

「――羽幻身・一閃の舞」

 その唇が動いた。

 同時に、槍の魔法石から光の羽根が溢れ、イルティミナさんによく似た、『光の巨人の女』の上半身を生み出した。

 その手には、『光の巨槍』がある。

『光の巨人の女』は、それを逆手に構えた。

 投擲体勢。

 それはイルティミナさんの構えにそっくりで、次の瞬間、『光の巨槍』は『蛇神人』めがけて撃ちだされた。

 ヒュボッ

 巨大な白い閃光が走った。

 ドパァアアン

 それは、今までで一番大きな爆発を生み出し、その頑丈な鱗を何枚も吹き飛ばして、『蛇神人』の肉へと食い込んでいた。

 紫色の血液が爆ぜるように溢れる。

『キョアアアッ!?』

『蛇神人』が甲高い悲鳴をあげた。

 僕らを追う動きが止まり、長い巨体が大きく仰け反ったまま停止している。

「今じゃ!」

 キルトさんの強い声。

 同時に、僕の首から彼女の腕が外れ、背中を軽く蹴られた感触があった。 

 気づいた時には、彼女は、長い銀髪をなびかせながら自由落下をしていた。

 その手には、『雷の大剣』がある。

 その黒い刀身に青い放電が始まり、それが刀身前方の空間へと集束していく。

「鬼神剣――」

 キルトさんの黄金の瞳が輝いた。

 落下するその小さな姿が、『蛇神人』の頭部の横を――眼球の横を通る。

 巨大な眼球と『金印の魔狩人』の瞳が見つめ合った。

 その刹那の瞬間に、

「――絶斬!」

 キルトさんは必殺の大剣を解き放った。

 放たれた三日月のような青い光は、キルトさんの全身を映し込む巨大な眼球へと吸い込まれていった。

 キルトさんは、そのまま落下していく。

 その上空で、『蛇神人』の眼球が真っ二つに切断された。

 いや、切断されたのは眼球だけじゃない。

 その頭蓋を斬り裂き、三日月のような光が後頭部から突き抜け、空へと消えていく。

 30メードはある巨大な頭部が、上下に分断されていた。

(――やった)

 大量の血液が溢れる。

 その奔流を避けながら、僕は大急ぎで、落下するキルトさんに追いつき、しっかりと抱きしめた。

 そのまま、再び上空へ。

 見下ろす先で、頭部の半分を失った『蛇神人』は動きを止めていた。

「凄い……凄いよ、キルトさん!」
「うむ」

 歓声を上げる僕に、キルトさんも笑った。

「上手くいって良かったの」

 そう一息。

 地上でも、イルティミナさんが大きく息を吐き、ソルティスが両手を上げて喜んでいるのがわかる。

 でも、

(……ポーちゃん?)

 彼女だけは、戦闘態勢を崩していなかった。

 いまだ『神体モード』のまま、動かなくなった『蛇神人』の巨体を見つめている。

 いったい、どうして?

 そう思った時、僕のポーチから、凄まじい白光が溢れた。

「!?」

 それは、探査石円盤だった。

『神霊石』に反応して光る魔法石は今、かつてないほどの輝きを放っていた。

 これは、いったい?

 キルトさんも『どうしたのか?』とその輝きを見つめ、そして気づいた。

「……なんじゃと?」

 え?

 キルトさんの視線は、『蛇神人』の方を向いていた。

 グチュルリ……ッ

 その損傷した頭部がめくれるようにして、下から無傷の頭部がせり上がっていた。

「……あ」

『脱皮』だ。

 その凄まじい再生力を発揮して、『蛇神人』は復活を果たしていた。

 ……って、

(そんな馬鹿な!?)

 愕然となる僕らの正面で、

『キュォオオオオン!』

 体長1000メードの巨大な蛇の化け物は、『廃墟の都市』中へと恐怖の咆哮を激しく響かせた。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 僕はキルトさんを抱いたまま、3人のいる地上へと降下した。

 ピラミッド型の建物の屋上にいた3人も、呆然と復活した『蛇神人』を見上げていた。

「嘘よ、ありえない」

 ソルティスが呟いた。

「あれだけの質量を、この一瞬でどうして再生できるの!? こんな馬鹿げた現象、ありえないわ!」

 泣きそうな顔で、大杖を抱きしめる。

 イルティミナさんもポーちゃんも何も言えない。

『鬼神剣・絶斬』を放った反動か、キルトさんは肩で呼吸をしていた。

 そんな中、彼女は、ゆっくりと息を吸い、

「しかし現実じゃ」

 と、いつもの鉄のような声で告げる。

 僕は、迷いながら問いかけた。

「もう1度、やってみる?」

 自信はなかった。

 でも、他に手が思いつかない。

「無駄よ」

 ソルティスが断じた。

「また復活するに決まってる」
「でも、無限に再生できるわけじゃないよね? なら、それまで繰り返せば……」

 希望の灯を消したくなくて、僕は必死に言葉を紡いだ。

 けど、

「無限かも、しれないわよ?」

 とソルティス。

 その声は酷く冷たくて、僕の背筋は凍りついた。

「あれを見なさいよ」

 少女の大杖が、前方の地面を示す。

 そこには、『蛇神人』の鱗の隙間から、新たに産み落とされた10メード級の大蛇たちが溢れ返っていた。

「あれだけの再生をして、なお、あれだけの分体を創れるのよ? 普通じゃないの」
「…………」
「魔素の供給がありえない。もう、どこかから、無限にエネルギーが湧いているとしか思えないわ」

 どこかって……。

「あ」

 僕らは気づいた。

「まさか、『神霊石』……?」

 ソルティスは、泣くのを堪えるような顔で頷いた。

「そのまさかでしょうね。じゃなきゃ、この現象の説明がつかないもの」
「…………」

『神霊石』は大量の『神気』を含有している。

 本来、大量の『神気』は生物にとっての毒になるのだけれど、極稀に、それに耐えうる生物もいるんだ。

 かつての『大迷宮』の『暴君の亀』のように、その生物は、通常ではあり得ない能力を得てしまう。

(あの……『蛇神人』も)

 大量の『神気』に耐え、それをエネルギーとして吸収できてしまうとしたら、どれだけの致命傷を与えても復活し、途切れることのない分体の放出を続けることができる。

 ソルティスは言った。

「奴を倒すには、『神霊石』を切り離すしかない。でも、それは奴の体内にあるのよ?」
「…………」
「もう……絶望だわ」

 そう泣き笑いに言って、その場にへたり込んだ。

 …………。

 僕らは、何も言えなかった。

 と、その時、

 ドバァアン

 後方で激しい爆発が起きた。

 振り返った先では、大量の大蛇たちと戦っている王国騎士団と冒険者団の姿があった。

『竜騎隊』の2頭の『竜』が炎を吐き、神殿騎士団たちが一糸乱れぬ連携で、また巨大な魔法陣を形成して、大蛇たちを薙ぎ払っていた。

 それでも、数が違った。

 少しずつ、少しずつ、大蛇の群れは、戦士たちを追い詰めていく。

「…………」

 彼らは、僕らを信じて、今も戦ってくれていた。

 ギュッ

 僕は、拳を握り締める。

「絶望的でも、やるしかないよ」

 そう呟いた。

 みんなが僕を見る。

「何か策があるのか、マール?」

 キルトさんが問う。

 ……策、と言えるほどのものではないかもしれない。

 でも、1つの方法が頭に浮かぶ。

(だけど、本当に成功するのか?)

 もしも失敗したら、僕は……。

 その恐怖が、決断の最後の1歩を鈍らせる。

 と、その時、

 ジャラララン

 澄んだ金属が弾けるような音が、上空から響いてきた。

 ハッと顔をあげれば、そこには、遥か高みから僕らを見下ろす『蛇神人』の巨大な蛇の頭部があった。

 その鱗が逆立ち、ギラギラと光を放つ。

(!?)

 なんだ、この『圧』は!?

 巨大な蛇の鼻先に、大きな魔法文字が幾つも浮かんだ。

 タナトス魔法文字ではない。

 トルーガ魔法文字だ。

 そこに光が集束していく。

「いかん!」

 その集まる魔力の高まりに、キルトさんが表情を強張らせて叫ぶ。

 次の瞬間、

 ガォオン

 赤黒い魔力の光線が、僕らめがけて撃ち出された。

「……あ」

 まずい。

 避けることもままならない『死』が近づいてくるのを、僕らは茫然と見つめるしかなかった。

 タンッ

 そんな中で、1人だけ、前に出る小さな姿があった。

「ポオオオオオッ!」

 眩い神気を放散しながら、金髪の幼女が絶叫する。

 その波動は僕らを包み込み、大いなる盾となって赤黒い魔力光と激突した。

 キュオオオオン

 甲高い衝突音。

 波動と光がぶつかり合い、世界が振動する。

(う、わぁああ!?)

 とても立っていられない。

 やがて、光が消える。

 顔をあげた僕らの目の前には、僕らのいるピラミッド型の建物の屋上以外の周囲全てが焼け落ち、クレーターとなった光景が広がっていた。

 その威力にゾッとする。

 ガクッ

 そして、僕らを守ってくれたポーちゃんは、床に膝をついた。

「ポーちゃん!」

 慌てて駆け寄る。

 彼女の鱗の見える肌は、汗でびっしょりだった。

「はっ、はっ」

 乱れた呼吸。

 血の気のない真っ白な顔色を見ても、彼女が酷く消耗しているのがわかった。

(ポーちゃん……)

 その背中に触れようと手を伸ばす。

 ガッ

 その手首を、逆にポーちゃんに掴まれた。

 え?

 弱っているとは思えない、強い力だ。

「恐れるな、神狗マール」

 水色の瞳が、僕の青い瞳を真っ直ぐに貫き、見つめてくる。

 その視線の強さに息を呑む。

「お前は、神界の英雄だ。400年前、悪魔さえも噛み殺した『ヤーコウルの神狗』だ。そのお前が何を恐れる?」
「…………」
「あのような蛇、何するものぞ。お前の敵ではない。――さぁ立て、神狗マール!」

 ドクンッ

 その覚悟の声に、胸が焼かれた。

 これまで彼女とずっと共にあったソルティスは、口元を押さえて「……ポー」と泣きそうに名を呼んだ。

 僕は、大きく頷いた。

(そうだ、恐れる必要なんてない)

 僕はただ、僕が成すべきことを成すだけだ。

 その時、イルティミナさんがハッと顔をあげた。

「いけない! 第2射、来ます!」
「!?」

 慌てて顔を跳ね上げれば、なんと、再び魔力光を放とうとしている『蛇神人』の姿があった。

(あの威力を連射できるのか!?)

 愕然となる僕ら。

 あのキルトさんでさえ、動けない。

 ガォオオン

 赤黒い魔力の光が、僕らめがけて降り注いできた。

 駄目だ!

 ポーちゃんも消耗していて、僕らにはもう防ぐ手立てはない。

 絶望が迫ったその時、

「こん畜生ぉおお!」

 突然、ソルティスが雄叫びをあげて、大杖を振り上げた。

 ヴォオン

 大杖の魔法石が強く輝き、僕らの周囲を赤い光が包み込む。

 光は、あの『神文字』でできていた。

 キュォオオオン

 驚く僕らの正面で、赤い光の結界が、赤黒い魔力光を受け止め、角度をずらして弾き返した。

 それは街を破壊し、そこに集まった大蛇たちも吹き飛ばす。

 魔力光が消えた。

 同時に、赤い光の盾も消えていく。

(今のは、まさか『神術』!?)

 大杖を振り上げていた少女は、バタンとあお向けに倒れた。

「ソルティス!」
「ソル!」

 僕らは慌てて駆け寄る。

 鼻から血を垂らしながら、少女は、汗まみれの美貌で不敵に笑った。

「やってやったわよ、レクトアリス……」

 誇らしげな一言。

 そして、ソルティスは気を失う。

「ソル……っ」

 イルティミナさんは、限界までがんばった妹を強く抱きしめる。

 …………。

 迷いなんて、消えた。

 ソルティスが、ポーちゃんが、みんながここまでがんばっているのに、僕だけが命を惜しんで動けないなんて、そんな情けないことはない。

 バサッ

 背中の翼を大きく広げ、僕は宙に浮かぶ。

「マール?」

 気づいたイルティミナさんが、僕を呼ぶ。

 僕は、声が震えないように注意しながら、言った。

「アイツが『神霊石』の加護で不死身になっているのなら、僕がそれを切り離してくる」
「え?」
「何じゃと?」

 イルティミナさん、キルトさんは茫然となった。

 僕は笑った。

「行ってくるね」

 そして、翼を輝かせて上空へ。

「マール!」

 イルティミナさんが慌てたように手を伸ばしてくる。

 けれど、それは辛うじて届かない。

 彼女の思いを背中に感じながら、僕は、青い空に虹色の残光を輝かせて、『蛇神人』へと接近していった。

 その鼻先から50メードほどの距離に到達する。

 ギュルリ

 巨大な4つの瞳が、僕を捉えた。

「…………」

 僕の青い瞳は、怯むことなくその眼光を受け止め、睨み返す。

(行くぞ、マール!)

 覚悟と共に、僕は体内にある大いなる力の蛇口を開く。

 ――神気開放。

 ギュオオオ……ッ

 マグマのような熱い力が全身に流れ、身体中から凄まじい力が湧いてくる。

 獣耳が生え、長い尻尾が生えた。

 同時に、そんな僕の全身を、虹色の光の粒子が包み込んでいく。

 それは『虹色の外骨格』を形成し、僕の小さな身体全てが覆われてしまった。

 ガチンッ

 狗の形をした兜が面覆いを落とす。

 僕の持つ最強にして最後の手札、『究極神体モード』だ。

 完全な『神武具』となったおかげで、金属の翼も同時展開でき、『妖精の剣』を『虹色の鉈剣』へと進化させることもできている。

(さぁ、来い!)

 兜の瞳を輝かせ、『蛇神人』に強い殺意を叩き込む。

 それを感じたのか、その巨体が動いた。

 巨大な口を開け、僕へと襲いかかってくる。

 応えるように、僕も、虹色の残光を灯しながら、そちらへと一気に飛翔した。

 大人の身長ほどもある牙。

 赤く血のような口蓋。

 それらが迫った次の瞬間、『竜』でさえ一飲みにした口は、避ける間もなく、僕の小さな姿を覆いつくす。

 バクンッ

(がっ!?)

 衝撃が走り、視界が真っ暗になる。

 ――喰われた。

 その事実が恐怖と共に脳裏に伝わり、凄まじい圧迫感が全身に襲いかかってくる。

 意識が明滅する。

 そのただ中で、

「マールっ!?」

 僕の耳に、地上にいるイルティミナさんの悲痛な叫びが、遠く聞こえたような気がした。