336-Extra Episode: Reincarnation Mar's Adventure 39



「鬼剣・雷光斬!」

 バヂィイン

 僕を背負ったまま、片手で振るった『雷の大剣』が、青い放電と共に『黒大猿』の1体を斬り倒した。

 少し離れた場所では、

「ポオ!」

 ズドン

 ポーちゃんが、ソルティスとトルキアを背後に庇いながら、光る拳で別の『黒大猿』を殴り飛ばしている。

 同じように、アメルダス陛下も剣を振るっていた。

 僕ら6人は今、20体ほどの『黒大猿』の群れに囲まれていた。

 奴らのボスである『猿王』は倒したけれど、このデメルタス山脈には、まだ20万以上の『黒大猿』がいるんだ。

 統率を失ったからといって、その脅威は消えたわけじゃないんだ。

(戦ってる場合じゃないのに……っ!)

 背後からは『黒い水』の脅威が迫っている。

 けれど、遭遇してしまった『黒大猿』たちにとっては、そんなの関係ないんだ。

「僕も、戦う……」

 力の入らないまま、けれど僕は、キルトさんの背中から降りようとした。

 グッ

 だけど、キルトさんの背負う手には、逆に力が入って、それを許さない。

「大人しくしておれ」
「でも」
「そなた1人背負ったぐらい戦えぬほど、この鬼姫は弱くはないぞ?」

 彼女は、そう笑った。

 そのまま、『黒大猿』の1体をまた、片手で倒していく。

(強い)

 さすが『金印の魔狩人』だ。

 でも、その殲滅速度は、やっぱり、いつもより遅くなっていた。

 そして、戦っている間にも、仲間の血の臭いと戦いの気配に呼び寄せられたのか、新しい『黒大猿』の群れが集まってきてしまう。

「ま、また来たわ!」

 ソルティスが叫ぶ。

 アメルダス陛下も「おのれ」と忌々しそうに呟いた。

 キルトさんが雄々しく言う。

「血路はわらわが開く! ポーは殿(しんがり)を務めよ! 全員離れるな、行くぞ!」
「うむ」
「わかったわ!」
「ハ、ハイ」
「ポーは了承した」

 そして、僕ら6人は、新たな『黒大猿』の群れへと突っ込んでいく。

 その時だった。

 キュバッ

 僕らの立ち向かおうとした『黒大猿』の1体が、突然、地面から生えてきた『黒い手』に貫かれたのだ。

『ギッ!?』

「なっ!?」

『黒大猿』の群れは愕然とし、キルトさんたちは、慌てて急停止する。

(追いつかれた!)

 僕は、心の中で舌打ちする。

 シュボッ

 キュバッ

 ボヒュッ

 更なる『黒い手』が生えてきて、魔物たちを次々と殺していく。

 その光景に、みんなが茫然となった。

(!)

 その時、僕は嫌な気配を感じた。

「キルトさん、下!」
「ぬっ!?」

 僕の声に反応して、キルトさんは素早く身を翻した。

 ヒュボッ

 その瞬間、今まで彼女が立っていた地面から、1本の『黒い手』が空へと伸びていく。

 危ない。

「みんな、地面に気をつけて!」

 僕は警告した。

『悪魔の欠片』である『黒い手』にとって、人も魔物も関係なかった。

 ――生ある存在は、全て滅ぼす。

 まるで、そう告げているかのように、次々と生えてくる『黒い手』は、僕らと『黒大猿』に襲いかかってきた。

 僕ら6人は、それを回避しながら下山しようとする。

 けれど、

『グギャア!』

 その『黒い手』は僕らの仕業と思ったのか、『黒大猿』たちは、こんな状況なのに僕らへと襲いかかってきた。

(そんな場合じゃないのに!)

「ぬう」
「ちょ……どきなさいよ!」

 キルトさんたちは、焦りながらも応戦する。

 その間にも、僕らの周囲では、次々と『黒い手』が生えていっていた。

(このままじゃ、逃げ場がなくなる……っ)

 僕は焦った。

 さすがのキルトさんの表情にも、焦燥が生まれている。

 そんな時だった。

 僕らの右側の森から、新しい気配を感じた。

(!)

 新手の『黒大猿』かと僕は絶望的になる。

 けれど、

『アララララァアア!』

 雄叫びをあげて森を抜けてきたのは、赤い模様の描かれた肉体の戦士たち――『トルーガ戦士団』だった。

 その先頭に立っているのは、

「パルドワン!」

 その姿を見つけて、アメルダス陛下が歓喜の声をあげた。

 英雄パルドワンの巨大な戦斧は、『黒大猿』たちの肉体を次々と斬り裂いていく。

 他のトルーガ戦士たちも、魔物たちと交戦する。

 ダンッ 

 パルドワンさんが跳躍した。

 着地をしたのは、キルトさんのすぐ後ろだった。

 トルーガとシュムリア、2つの国の『英雄』が背中合わせに武器を構えている。

 2人の間に言葉はなく、ただ笑った。

 キルトさんに背負われている僕は、ちょっと邪魔者かもしれない……。

 そして、2人は、同時に駆けた。

 2人の『英雄』を止められる『黒大猿』は存在せず、群れの包囲網は瓦解する。

「このまま抜けるぞ!」

 キルトさんが叫ぶ。

 みんなは頷いて、2人の作ってくれた脱出の道を走った。

 キュボッ

 ボキュッ

『黒い手』の襲撃は、その間も続いている。

『黒大猿』だけでなく、トルーガ戦士たちの何人もが、その犠牲になっていた。

(っっ)

 それでも、戦士たちは止まらない。

 きっと、アメルダス陛下を救うために集まった決死隊のような戦士団なんだ。

 陛下のためなら、命だって惜しまない。

 彼らは自らを盾として、『黒大猿』の襲撃から、『黒い手』の存在から、僕らを守ろうとしてくれていた。

『アラララァアア!』

 森の中に、戦士たちの咆哮が木霊する。

 彼らの犠牲に助けられながら、僕らは『黒大猿』の群れの襲撃から、無事に逃れることができたんだ。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 下山をしている中で、はぐれていた冒険者団の人たちとも合流した。

 そこで教えられたんだけど、団長であるキルトさんは、実は、戦いが乱戦になった時点で、冒険者たちには自由行動を命じたらしいんだ。

「わらわたち冒険者は、集団行動が苦手での」

 と、苦笑しながらキルトさん。

 冒険者は自由を愛し、個人を尊重するタイプが多いのだとか。

 元々、冒険者団は、王国騎士団と違って、急増の寄せ集め集団。

 戦い方も、組織よりも個人、あるいは少数でのパーティーごとの方が、本来の実力を発揮できるんだ。

 だからこその自由行動。

 そして、その方が討伐の効率が良く、また冒険者たちの生き残る確率が上がると、キルトさんが判断したからなんだって。

 そして今、

「東は無理だ。『黒大猿』が多すぎる!」
「西から回るぞ!」
「あの妙な『黒い手』は、西にも出ている。油断するな!」

 そんな声を交わしながら、僕らは森を走っていた。

 騒然としている。

『黒い手』の脅威は、すでに冒険者団や『トルーガ戦士団』にも伝わっているみたいだ。

(くそっ)

 背後を振り返れば、デメルタス山脈の山頂が見える。

 赤い空を背景に、そこには、まだ『黒死の花』が天へと咲いていた。

 そこから『黒い水』は流れ続けているんだろう。

 山頂付近の森が燃えている。

 けれど、『黒い水』は地面の下に沁み込んで、炎をかいくぐり、僕らを追ってきているようだった。

「出たぞ!」

 キルトさんの背で考えごとをしている僕の耳に、その叫びが聞こえた。

 ハッとして前を向く。

 そこには、地面から生えてくる無数の『黒い手』があった。

 冒険者の1人が、剣を振るう。

 パシャッ

 けれど、その手の正体は『水』だ。

 当然、剣はただすり抜けるだけで、その冒険者は、逆に『黒い手』に鎧ごと心臓を貫かれてしまった。

(あぁ……)

 他にも、冒険者が、トルーガ戦士が、『悪魔の力』によって無残に殺されていく。

 その光景が目に、そして心に焼きつく。

「『黒い手』に構うな! 今は、ただ麓を目指すのじゃ!」

 キルトさんが叫んだ。

 それからも、僕らは必死に下山した。

 下山をする中で、王国騎士団とも出会った。

 みんな、ボロボロだ。

 そして、下山の途中で、何度も『黒大猿』の群れに遭遇し、『黒い手』に襲われて、たくさんの人たちが亡くなった。

 やがて、3時間ほどがして、僕らはようやく『死の世界』であったデメルタス山脈の下山を終えた。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 日が沈み、夜が訪れた。

 デメルタス山脈の麓に集まった『トルーガ軍』の総数は、5万人を切っていた。 

 生き残ったのは、半数以下。

 そして、女帝アメルダスの号令の下、1000台の木造船の砲撃がデメルタス山脈へと行われ、再び森に火が放たれた。

『黒い手』の侵攻は、これでまた遅くなるだろう。

 山脈に集まっていた20万の『黒大猿』たちも、王を失い、散り散りになって、ここから逃げているようだった。

(…………) 

 そうして生まれた時間に、僕らは作戦会議を開いた。

 女帝アメルダス陛下を筆頭に、英雄パルドワン、トルーガの重鎮たち、そして、僕ら『第5次開拓団』の代表4人も会議に参加していた。

 あと、通訳のトルキアと、なぜか僕も。

 会議が始まり、アメルダス陛下は、開口一番に言った。

「状況は最悪だ」

 僕らは、何も言えない。

 彼女の短い言葉は、現状を正確に表していたから。

「あれは、かつての『黒の巨人』の力の一部だ。つまり、400年ぶりに『黒死の大地』が発生したのだと、わたくしは考える。対抗手段はないか?」

 女帝の視線が、皆を見回した。

 誰も答えない。

 陛下の表情が、険しくなる。

 やがて、ロベルト将軍が、重い口を開いた。

「ありません」

 と。

「自分たちも多くのことを試しました。剣での攻撃は無効。魔法での攻撃も、炎以外は、大きな効果はありませんでした」
「炎以外は?」

 アメルダス陛下は聞き返す。

 それに答えたのは、竜騎士であるレイドルさんだ。

「あの『黒い手』の正体は、水です。竜の炎で蒸発させ、消滅させることは可能でした」 

『おぉ……!』

 トルキアの通訳で、トルーガの人たちがざわつく。

 そこに希望が見えたのだ。

 けれど、ロベルト将軍は冷徹に、その希望を打ち砕いた。

「しかし、『黒い水』は絶え間なく増えており、新たな『黒い手』は際限なく現れます。また地面に沁み込んだ水に対しては、炎も効果を発揮しません」
「…………」
「…………」
「…………」

 誰もが表情を暗くした。

 そんな中でも、落ち着いたアーゼさんの声が、将軍さんに問いかけた。

「それでも、炎は効果があるのだろう?」
「あぁ」

 ロベルト将軍は頷いた。

「だが、あの『黒い水』を全て蒸発させるには、恐らく、デメルタス山脈全体を焼き尽くすほどの火力を用意せねばならない。そんなことが可能か?」

 僕は、山を振り返る。

 僕らの放った火は、森林火災を起こして、デメルタス山脈を燃やしている。

 かなりの熱量だ。

 多くの灰も、風に流されてここまで飛んできている。

 けれど、それでも山頂に咲いている『黒死の花』は変わらない。

(……火力が足りないんだ)

『黒い水』は無限に増えている感じだった。

 それを燃やし尽くし、1滴も残らず蒸発させるには、山の一部ではなく全体を一瞬で焼き尽くさなければならない。

 …………。

 そんなこと、不可能だ。

 少なくともそれは、人の為せることではない。

 集まった誰もが、それを理解していた。

「……ごめんなさい」

 僕は言った。

 みんなの視線が、僕へと向けられる。

 こみ上げる思いに、僕は泣きそうになりながら、謝罪した。

「ごめんなさい。僕が何も考えずに『神霊石』を抜いたから……。何の準備もしないまま、『悪魔の欠片』を蘇らせてしまったから……」

 その罪の恐ろしさに、僕は震えた。

 どう償ったらいいのかもわからない。

 けれど、

「マールのせいではない」

 キルトさんが、きっぱりと言った。

 レイドルさんも頷く。

「そうだよ。俺だって、『神霊石』が目の前にあったら、すぐ飛びついていたさ。今回は、たまたまマール君が手にしたってだけさ」

 と笑った。

 ロベルト将軍、アーゼさんも頷いた。

 そして、このトルーガの地を治める女帝陛下も、

「あの『輝きの石』が封印であったなど、誰もが知らなかったのだ。その無知が罪ならば、この場にいる全員が罪人だ」

 と言った。

「それに、わたくしたち『トルーガ帝国』の皇族は、いつか『猿王ムジャルナ』と決着をつけるつもりでいた。それを成した時には、必ず同じ災厄が起きていただろう。つまり今回の『黒死の大地』は、たまたま、わたくしの代に起きたというだけの話だ」

 それは凛々しくも気高い女帝の声だ。

 その言葉への反対意見などは、トルーガ側から出ることもない。

(陛下……)

 みんなの優しさが、心に染みる。

 僕は声もなく、深く頭を下げるしかなかった。

 それからも『黒死の大地』にどう対処するか、話し合いが行われたけれど、有効策は見つからなかった。

 最終的には、『帝都から大量の油を用意し、それで焼く』という案になった。

 だけど、

(それは、いつになるんだろう?)

 その準備をするのに、数週間。

 そして、その間にも『黒い水』は増殖し、大地に広がっていく。

 焼き尽くす範囲は、デメルタス山脈のみではなく、その周辺一帯の大地となってしまう。

 それはいったい、どれほどの規模か。

 そして、そんな広範囲の大地を焼くことなど、本当に実現可能なのか。

「だが、やるしかない」

 アメルダス陛下は、きっぱりと告げた。

 勝算は、かなり厳しい。

 それでもやらなければ、この暗黒大陸全土が、あの『黒い水』で覆われてしまうのだ。

(……うん)

 僕らは、覚悟を決めるしかなかった。

 そうして僕らは、このまま『トルーガ軍・拠点』を経由して、負傷兵を回収し、帝都レダへと帰還することに決まった。

 その話を聞いて、

(イルティミナさん、どうしてるかな?)

 彼女のことを思い出した。

 不謹慎かもしれないけれど、彼女に再会できるのが楽しみだった。

 たった1日なのに、まるで何日も会っていなかった気分だった。

 その優しい笑顔を思う。

(早く会いたいよ)

 そう心の底から思った時だった。

 ズガン ズガガァン

 僕らを収容する予定だったトルーガ木造船が、突然、吹き飛ばされ、夜空に舞った。

(……は?)

 唖然とする僕の目の前で、1本の『黒い手』が揺れている。

 森の炎を背景に、ユラユラ、ユラユラと。

 全員が呆けていた。

 そして、誰よりも先に我に返ったキルトさんが、叫んだ。

「『黒死』は、ここまで訪れたのじゃ! 皆、逃げよ! すぐにこの地を離れるのじゃ!」

 その声と同時だった。

 まるでキルトさんの声が合図であったかのように、大地から無数の『黒い手』が生えてきて、それは生き残った5万人の『トルーガ戦士』と僕ら『第5次開拓団』に、一斉に襲いかかってきた。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 僕らは、デメルタス山脈から遠ざかるように、必死に南を目指した。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 必死に走る。

 1000台のトルーガ木造船は、『黒い手』によって次々と破壊された。

 僕らは、自分たちの足で逃げるしかなかった。

 夜の荒野を急ぐ。

 けれど、荒野には燃やすものは何もなく、そのためか『黒い水』の大地を浸食する速度も増しているみたいだった。

 キュボッ

 ボヒュッ

 次々と現れる『黒い手』に、トルーガ戦士が、シュムリアの開拓団員が、為す術もなく殺されていった。

 金属ゴーレムの固い装甲さえ、簡単に貫かれている。

 まさに阿鼻叫喚。

 ここは、本物の地獄だった。

(……あぁ)

 海を渡る前に、『闇の子』が『暗黒大陸に行ったら、僕らが死ぬ』と警告していた意味が、今わかった。

『――奴には知性はなく、本能のみが支配している』

 ここにいるのは、そんな『悪魔の欠片』なのだ。

 生を許さず、死を振り撒く存在。

(……僕は自惚れていたのかな?)

 目の前の地獄を見ながら、そう思った。

 これまで、上手いこと『悪魔の欠片』を倒してこれたから、今回も大丈夫だと思ってしまったのか。

 でも、本当の『悪魔の欠片』は、僕が及びもつかない力を秘めていた。

 何もできない。

 ただ、一方的に殺されるだけ。

 次に自分が殺されないことを願いながら、必死に逃げることだけが、僕らに残された唯一の道だった。

 …………。

 どれだけ走ったのか、わからない。

 気がつけば、夜が明けていた。

 朝日に照らされるキルトさんも、ソルティスも、ポーちゃんも、トルキアも、みんな疲労困憊だ。

 言葉もなく、ただ足を動かす。

 ドタッ

 その時、トルキアが転んだ。

(あ……)

 慌てて助け起こすけど、彼女は、もう疲れ果てて、歩くこともできなくなっていた。

 その姿に、僕は泣きたくなった。

「ごめんね」

 トルキアが僕を見る。

「君に見せたかったのは、こんな外の世界じゃなかったのに。……ごめん、トルキア」

 彼女は驚いた顔をした。

 それから笑って、

「ウウン」

 首を横に振る。

「私ハ、マールニ、会エテヨカッタヨ」

 そう言ってくれた。

(……トルキア)

 動けなくなったトルキアは、キルトさんが背負ってくれた。

 そうして、再び歩きだそうとした時、

「ガ……ッ!」

 背中側から、鈍い悲鳴が聞こえた。

(え?)

 振り返ると、英雄パルドワンの右足が『黒い手』に貫かれている光景があった。

(……は?)

 倒れる『英雄』。

 たくさんの血が溢れ、陛下が「パルドワン!」と悲痛な声をあげている。

 キルトさんも蒼白になった。

 あの『英雄』と呼ばれる戦士が、ついに『悪魔の欠片』にやられてしまったのだ。

 その意味が、絶望となって僕らに降り注ぐ。

「ソル、回復を!」
「う、うん」

 キルトさんの指示で、慌てて向かおうとする少女。

 でも、その足が止まった。

 荒野の大地から、僕らの周囲に、何十本もの『黒い手』が生えてきたんだ。

「あ……」

 完全に囲まれていた。

 360度、どこにも逃げ場なんてない。

 その事実を全員が知った。

 …………。

 ここまで……かな。

 その諦めが心をよぎった時、僕は、なぜか笑ってしまった。

 ソルティスも同じ顔だった。

 キルトさんは唇を噛み締め、まだ抗うつもりのようだけれど、その方法が見つからないみたいだった。

 僕は、息を吐く。

 朝の風は、少し冷たくて、でも心地好かった。

 そんな僕へと、1本の『黒い手』が、ユラユラと揺れながら近づいてくる。

(…………)

 僕には、逃げる気もなかった。

 その時、ふと誰かに呼ばれた気がした。

(……?)

 なんとなく、南の方を見た。

 その遠い、荒れ果てた荒野の大地に、1人の女の人が立っていた。

(え?)

 ドクン

 その姿に、僕の心臓が跳ねた。

「イルティミナさん……?」

 思わず、その名を呟く。

 そこにいたのは、深緑色の長い髪を風になびかせ、白い槍を杖のようにして立っている、僕の大好きなあの人だった。