166-160 Unexpected event




 前世を含めて約四十年間で全てを投げ出したいとそう思ったことは何度もあった。
 それでも諦めずにコツコツ積み重ねていけば、いつか必ず終わりがくる。
 そしてまた次の何かが始める。

 魔物のとの戦闘でも最初に出てくる狼の魔物に、俺は何度も噛まれたのだが、装備とエリアバリアのおかげで、牙が生身の肉体まで届くことはなく、全くの無傷だった。
 師匠が怒鳴っていることは何となくだが、ジトッとした空気感に包まれている気がして分かったりもした。

 牙狼の迷宮だから狼が出るのは分かっていたが、最初のうちは直線的な動きが多かったけど、徐々に壁を蹴ったり、連携したりして攻撃にバリエーションが出てきた。
 変化をつけた攻撃を受けるので、苦戦を強いられることになり、俺は徐々に強いストレスを感じるようになってきた。
 でも、そうなると必ず女性陣の誰かが俺の手をしっかりと握ってくれて、その都度何とか落ち着きを取り戻していた。
 たまに安心感からか、眠ってしまうこともあったが、師匠から咎められることもなく、この過酷な状態でも精神を保ち続けることが出来ていた。

 修行を開始して二十二回目の食事を食べ終えた後、魔力、気配の察知スキルと同時に危険察知のスキルレベルも上がり、微かにだけど一メートル以内のものが判別出来るようになった気がして、この過酷な特訓の成果を実感し始めた。
 それから棚ぼたで威圧耐性まで習得してしまったが、これは本当におまけだった。
 集中していないと、迷宮にかき消されてしまう程の薄い気配と魔力が、徐々に俺へと近づいてくることが分かり、間合い入ったところでその存在感を感じて斬ることでスキルのレベルが上がり出来るようになっていたのだ。

 俺は少しずつ成長しているのだろうか?
 そうだといいな。
 そんな感覚になってきたころで、気がついたらたぶん師匠に腕を引かれて、馬車を出せの合図を受けた。
 きっとこの迷宮は卒業ということなのだろう。
 いつも通りに隠者の鍵で馬を出そうとすると、一際大きな存在のフォレノワールがぼんやりとだが、形になりつつあることに気がついた。
 そして甘噛みされるともやもやしていた気持ちや心に溜まったストレスが消えていく気がした。

 俺は強烈な痛みと共にまた眠ることになった。
 身体に感じる振動で目が覚めると、前回同様ミドルヒールで回復する。

 きっと迷宮巡りなのだろうと考えて、次の迷宮に着くまで瞑想を続けるのだった。
 いつか皆の気配や魔力が色で分かるようになればと思いながら、訓練を開始する前に食事をする。

 誘導されて迷宮に入る時に、嗅覚、味覚、触覚だけは失わないように祈るのだった。
 そしてその祈りは通じたけど、近づいてくる魔物を斬った時の臭いで、ゴブリンを斬ったと認識出来た。
 俺は少し混乱していた。
 ゴブリンが棍棒や錆びた剣等で襲ってくるぐらいなら別に構わないのだが、実際は矢を正確に放ってきたり、魔法を放ってきたりと多彩で、実はとんでもなく危険な魔物なのだ。
 まぁ魔法や存在は察知スキルがあるから、何とか感じられるかも知れないが、武器をこちらが認識できる訳ではないので、危険過ぎるというのが俺の印象だった。

 集中力を高め、気配と魔力の違和感を探しながら、攻撃に備える。
 手から汗が出ているのが分かる程、緊張感が高まっている。
 念のために持った盾が、こんなに頼もしく思えるとは思わなかったが、即死だけは逃れるために集中していくのだった。

 しかしここで一つ気がついたことがあった。
 蟻や狼達が食料としてみている感じだったのに対して、ゴブリンは少し殺気というか、憎悪をぶつけてきている気がした。
 それが何故なのかは分からなかったけど、これに気がつけたことが、俺の助けになることは間違いなかった。

 薄っすらと感じる魔力と気配に攻撃してくるだけ、憎悪が増すことを踏まえて戦闘をすると、攻撃は受けるものの、必要以上に怯えることがないのだと気がつけた。
 迷宮を進むにつれて魔素の濃度が上がり、魔力察知で魔物を確認することが難しくなっていき、魔物の数が増えることで、気配混ざってしまい、全てを把握して対応することが難しくなっていく。
 それでも何とか危険察知のおかげで、致命傷を避けることが出来る。
 チリチリした感覚が俺の命綱になっていた。

 食事の際に俺は自分が入らないようにして、皆にエリアハイヒールを発動させた。
 何故かと言われれば難しいが、何となく師匠とライオネルを覗いた皆の気配が弱まっているように感じたからだ。
 魔法をかけたからと言って、皆の表情が分かるわけでもないし、声が聞こえるわけでもないので、完全な自己満足ではあったのだが……。

 熟練度は一回相手を感じた瞬間に一上昇し、戦闘を終える頃までに明確に相手が分かれば三以上の上昇を見せる。
 そのため自然と上がりやすいスキルだということが分かってきた。

 今まではそれをどう使えばいいか分からなかったので、スキルを発現しなかったと推測出来る。
 発現させるまでがとでも難しいスキルだったのだろう。
 視覚と聴覚がなくなったことで、危険察知に気配察知と魔力察知を統合して高めていくことで、いずれこれが俺の武器へと変わるのだろう。
 そう考えると、良く漫画や小説で使われている心眼はこれを極めていくと辿りつくのかもしれないな。
 俺は漠然とそんなことを考えるのだった。


 順調に進んできたが、全てが予定通りいくことなどありえない。
 それは俺や師匠だって同じだ。
 そもそも俺は特別な人間ではないのだから。

 それは順調に攻略が進み、気配察知と魔力察知のレベルがⅢになり、俺の間合いが二メートルまで伸びた四十六食目を食べた直後だった。
 ゴブリン達と比べると全くの別ものの気配や魔力を持つ者の感覚に戸惑いながら、俺はエリアバリアを味方全員に発動すると、自分にも発動して戦闘順に入った。
 この時俺の頭にはエクストラヒールを使うことが頭になく、ただ目の前の塊を取り除くことだけを考えて、幻想剣に魔力を注ぎ、身体全体にも魔力を循環させていた。

 俺はこの時、絶対に死なないと極限まで集中力を高め、魔物から発される気配と魔力と憎悪と合わさった殺気を読み取り、倒すことを決め、初めて自分から仕掛けようとしたが思い留まる。
 現在の地形がどうなっているのかも分からずに行くのは流石に無謀だと思ったのだ。
 それが分かったのか、魔物があざ笑っているのか、殺気が消えた。
 そしてあざ笑った後にいきなり殺気が強くなり、危険な感じがした俺は、盾を構えて中腰になった途端、今までに無いほどのチリチリとした感じを受けた。

 次の瞬間、二つの気が駆け出していた。
 師匠とライオネルだろう。

 察知のレベルが上がったことで、二人に気がつくことが出来た。
 きっと今までも数を減らして、危ない魔物は排除していたのだろう。
 あの二人に任せておけば安心だと思うが、今までと同じく気がつかなかった訳ではないので、混ざってみることにした。

 地形の問題は、迷宮なのだから魔力があるところは地面があるという結論に辿り着き、俺は駆け出した。
 俺が駆け出したことが予想外だったのか、殺気がこちらに照準を絞ったかのように膨らみ、チリチリ感が強くなった瞬間、俺は地面を蹴って空中へと跳躍し退避した。

 チリチリとした危険を教えるサインが一瞬途切れたことが分かると、空中の幻想剣をしまって聖龍の槍を取り出して投擲した。
 当たったかどうかは分からないが、殺気が散ったのは間違いなかった。
 左右から師匠とライオネルが交差する。 
 それをイメージしているだけなのに、心臓の鼓動が躍動しているように高鳴っているのを感じながら、俺は着地と同時に再び幻想剣を取り出すと、魔力と気配の固まりへ向けて、体勢を低くして駆け寄る。

 チリチリとした感覚がした瞬間、俺は固まりがある前方へ向け、全力の魔力を注いだ幻想剣で斬りつけた。
 振り切ったと同時に、黒い固まりが弾けるのを見た気がした。
 ただ次の瞬間、俺の身体中に激しい痛みが走り、意識が飛びそうになるのを感じたが、このままでは不味いと何とかハイヒールを唱えるが痛みが引かず、逆に痛みが増していく。
 今までこんなことが無かったのにと思いながら、調子に乗った罰なのかもも知れない。
 回復できないとすれば、呪いかも知れない。 
 しかし徐々に意識が薄れていくその時だった。
 誰かが俺を抱きしめた。
 気がつけばエクストラヒール、ディスペル、リカバーを無詠唱で同時発動していた。

 光に包まれる中で、困った顔で笑う天使が見えた気がしたが、徐々に光が収まっていくと天使は消えていた。
 その代わりに皆の心配している顔や声が聞こえてきた。
 師匠は泣きそうな顔をして、一番心配そうに俺を抱きしめていた。
 生きていることに安心した俺は、襲ってきた睡魔に抵抗することなく、意識を手放すのだった。