115-Episode 114: When the wise man ceases to be a wise man



 俺はため息をついた。
 ガレルスは倒され、もはや積極的に俺に危害を加えようとする敵はいなくなった。

 ガレルス隊の冒険者や救国騎士団の団員たちも、聖女ソフィアや真紅のルーシィの圧倒的な力を見ている。
 彼らもあえて俺たちと戦うつもりはないようだった。

 こういう事態を見越して、クレオンはソフィアとルーシィを攻略に参加させなかったんだと思う。

 ただ、クレオンやカレリアたち救国騎士団の主力は、玉座の間で魔王復活の儀式を行っている。

 俺は魔力吸収装置に目を向けた。
 ガレルスが取り落したものだ。
 早速それを回収すると、俺はフローラのもとへと向かった。

 フローラとアルテを魔王復活の生贄となった状態から解放しないといけない。

 この手の魔装具の類似品は一度扱ったこともある。

 フローラはぐったりとしていて、もしリサが回復魔法をかけ続けていなければ、すでに死んでいたと思う。
 フローラの足下にひざまずいているリサにうなずくと、俺はフローラにつけられた魔力吸収装置の解除をはじめた。

 フローラは目を覚まさなかったけれど、薄く胸を上下させて呼吸はしていて、生きていることはわかった。

 ソフィアが駆け寄ってきて、リサと回復魔法をかける役を交代する。

 リサは聖女に憧れているといっていたし、ソフィアが近くにくると「聖女さまだぁ」とつぶやいて顔を輝かせていた。

 リサも優秀な白魔道士だけれど、聖女の回復魔法はリサの遥かに上をいく。
 ただ、それほど強力な回復魔法をかけたても、フローラが助かるかどうかはわからなかった。

 しばらくしてフローラの魔力吸収装置の解除は終わった。

 次はアルテだ。
 アルテはずたぼろになった黒い魔導服を着て、うつろな瞳で天井を眺めている。

 ただ、魔力吸収装置の負担は一定の周期で高まるようで、いまはそれほど苦しみが強くないんだろう。
 それに、フローラほどは消耗していない。

 アルテは弱々しい声で、俺に問いかける。

「……どうして……先輩はあたしのことを助けるんですか?」

「フローラに頼まれたからね」

「……フローラは……っ!」

 傷が痛むのか、魔力吸収装置の苦痛のせいか、アルテは顔をしかめた。

「無理して喋らないほうが良いよ」

「あたしは……ずっとソロン先輩のことが嫌いでした」

「改めて言われなくても知っているよ」

「なんでこんな人のことを聖女様は……それにフローラは好きなんだろうってずっと不思議に思っていたんです。でも……助けてくれたことにはお礼を言います」

 俺は意外に思って、まじまじとアルテの黒い瞳を見つめた。

「なんですか……?」

「いや、アルテが素直に礼を言うなんて、らしくないなと思って」

「あの……バカにしてるんですか?」

「べつに」

 俺は微笑し、アルテは不服そうに頬を膨らませ、俺を睨んだ。

 まだ魔力吸収装置の解除はできていないけど、助かったと思ったのか、アルテは少し元気を取り戻したようだった。

 これを機会にアルテも少しは考えを改めてくれると良いのだけれど。

 アルテは俺に完全に身を委ね、解除装置の解除を任せていた。
 そして、アルテがつぶやく。

「あたしは……もう救国騎士団の副団長ではいられないですよね」

「だろうね」

 ここから話がどう転んでも、クレオンとアルテのあいだで和解が成立するはずもない。
 アルテはうなずいた。

「だから、あたしは……」

 アルテが目を伏せて、なにかを言いかけた。
 あとちょっとで魔力吸収装置が外れる。

 その瞬間、アルテの胸に打ち込まれた魔力吸収装置がふたたび激しい光を放ち始めた。
 しかもその光の色はこれまでと違う、鈍い青色だった。

 アルテが黒い瞳を大きく見開き、その表情が絶望に染まる。

「しまった……!」

 かなり急いで魔力吸収装置の解除を進めたはずだけれど、あと一歩のところで間に合わなかった。

 魔王復活が最終段階に入ったんだろう。
 これまで以上の速さで、魔力吸収装置がアルテから魔力を奪おうとしている。

 アルテは救いを求めるように俺にすがりついた。

「いやだ……助けて、ソロン先輩! もう痛いのはいやっ……きゃあああああ!」

 アルテの絶叫とともに、魔力の強い波動がアルテの身体から生じる。
 そしてアルテの身体がまばゆい黄金の光に包まれる。

 背後からルーシィが上ずった声で叫ぶ。

「ソロン! 離れないとあなたも巻き込まれるわ……!」

 たしかにこのままここで魔力吸収装置の解除を続ければ、アルテの魔力の暴走に巻き込まれる。
 けれど、アルテは瞳に恐怖の色を浮かべ、俺を見つめていた。

 俺は覚悟を決めた。
 あと少しで魔力吸収装置は解除できるはずだ。

 アルテから放たれる光の範囲が広がり、その暴走する魔力のせいで俺の肌に焼けるような痛みが走る。

 アルテは叫ぶ気力もなくなったのか、顔を真っ赤にしながら、荒い息遣いで呼吸するだけとなっていた。

 早くしないとアルテの体力が限界を迎える。

 ようやく解除の最後の段階に来た。
 俺は痛みを我慢しながら手を伸ばし、アルテの胸に刺さった透明な杭を抜いた。

 それと同時に光と魔力の奔流が止まり、アルテは糸が切れた人形のようにがくっとうなだれ、ぴくりとも動かなくなった。

「アルテ!」

 俺はアルテに呼びかけたが、アルテが目を覚ます様子はなかった。

 そのとき、玉座の間の扉が開いた。
 救国騎士団の白い制服を着た面々が、その部屋から現れる。

 そこにはもちろんクレオンもいた。

「諸君! 魔王の復活、そしてその制御に成功した。あとはこの遺跡の財宝を手に入れて引き上げよう。 ……僕らは英雄だ!」

 冒険者たちはみんなはっとした顔をした。

 多くの冒険者にとってここに来た目的は二つ。

 一つはネクロポリス攻略成功という栄誉と箔を手に入れること。
 もう一つは、古代遺跡の莫大な財宝を手に入れることだった。

 ほとんどの冒険者は一斉に財宝の回収へと向かい、散り散りになった。

 クレオンがこちらにやってきて、動かず横たわるアルテとフローラを蔑むような目で眺めた。

「もうこの女たちは終わりだな。死ななかったのは運がいいが、きっと死んでしまったほうが良かったと後悔するだろう。魔術師としてのすべてを失ったんだから」

「そうしたのはクレオンだ」

「君が怒ることか? アルテたちは多くの魔王の子孫の少女たちを犠牲にして、悪逆非道を働いてきたんだ。自業自得だ」

「けれど、この二人は仮にも侯爵令嬢だ。こんなことをして平気だとは……」

「ああ、それなら問題ない。今頃、この二人の侯爵家も国家反逆罪で告発されている」

 ソフィアが「帝国教会だってこんなやり方を許さないよ」とつぶやくと、クレオンはにっこりと微笑んだ。

「フローラもそんなようなことを言っていたな。だが、僕の後ろには教会の総大司教ヘスティア聖下がついている。フローラに俺を倒す名分を与えた司教たちも、いずれ失脚するだろう」

 結局、アルテとフローラを守るものは何もないということだった。

 俺はクレオンを睨んだ。
 クレオンはあいかわらず微笑んでいたが、目が笑っていなかった。

「もうこの女たちは用済みだ。すべての魔力は回収したし、二度と魔術は使えないだろう。力を求めた結果、すべての力を失ったんだから皮肉なものだ」

「アルテとフローラをどうする?」

「反逆者として奴隷身分に落ちるのは確定だし、その場合は僕ら騎士団が身柄を預かることになるな」

「それはそうだろうけど、そのあとどうするかを聞きたいんだよ」

「なるほど。……まあ、名門貴族の娘で、これだけの美少女、しかも天才魔術師として有名だったわけだからな。どれほど高い値段でも、買おうとする連中がいるだろう。見世物にして競売にかければ、多少なりとも騎士団の財源として役立つはずだ」

「クレオン……!」

「ああ、それとも今回の功績に報いて、ガレルスあたりにくれてやってもいいかもな。あいつなら喜ぶに違いない」

 俺はぞっとした。

 もしガレルスがアルテとフローラを奴隷にすれば。
 どんなふうに扱うか、想像もしたくない、

 もしここでアルテとフローラを助けようと思えば、方法は一つしかなかった。

「俺がアルテとフローラを買うよ」

 もちろん、俺が二人を本当に奴隷として扱うわけじゃない。

 かつて悪魔のペルセを助けたときのように、奴隷身分から逃れられない以上、形式的に「俺の物」ということにする必要がある。

 クレオンは真顔になった。

「その言葉を待っていた。君が二人を奴隷にするというなら、相応の代価を払ってもらう」

 クレオンの言い値で二人を購入せざるを得なかった。
 気が遠くなるような金額で、俺の豊富な財産からしても、かなりの痛手ではあった。

 交渉が成立すると、クレオンはその場から立ち去ろうとした。

 クレオンには大勢の救国騎士団の幹部が味方しているし、いま戦うのは得策じゃない。
 ただ、いつかは決着をつけないといけないかもしれない。

 俺はクレオンに声をかけた。

「シアの復活を止めるつもりはない?」 

「ない。……僕にとってシアはかけがえのない存在だった。シアは、弱かった僕のことを何よりも大切だと言ってくれた。だから、僕も、たとえどんな犠牲を払ってでも、シアは甦らせる」

 クレオンはもう振り返らなかった。
 後に残された俺たちは、しばらく黙った。

 やがて、フィリアが口を開いた。

「……わたしたちは勝ったんだよね」

 俺はうなずき、ぎこちなく微笑んだ。

「この遺跡で、フィリア様をお守りすることが、俺の目的でしたから」

 そういう意味では俺たちは間違いなく勝利を収めたと言える。
 攻略隊はかなりの犠牲を払ったけれど、少なくともフィリアは傷一つ負わなかった。

 フィリアは嬉しそうに微笑むと、ぴょんと飛び跳ねるように俺に近づき、そして抱きついた。

「わ、わ、フィリア様!?」

「ありがとう! ソロン!」

「み、みんな見てますから」

「やめたほうがいい?」

 俺が答える前に、ソフィアとルーシィとリサが「やめたほうがいい!」とほぼ同時に焦った様子で言って、絶妙な感じでハモっていた。

 俺はちょっと困ったけれど、微笑してフィリアの頭を撫でた。

「さあ、俺たちの屋敷へ帰りましょう」

 そして、俺はフィリアの肩を叩いてゆっくり離すと、アルテとフローラに目を移した。
 二人はいまだ起き上がる様子はなかった。

 クレオンによれば、二人はもう二度と魔法が使えない身体になったという。

 魔王復活のために莫大な魔力を奪われ、しかも無理やり奪ったのだから、魔力経路もぼろぼろにされているだろう。

 治療にあたっているソフィアに、俺は二人は大丈夫そう?と聞くと、ソフィアは首を横に振った。

「死んではいないよ。でも……フローラさんのほうは二度と目を覚まさないかもしれない」

 ソフィアの見立てによれば、フローラは脳にまで損傷が及んでいるらしい。
 起きて普通に会話できるまで回復する可能性は、二割程度ということだった。

 俺は暗い気持ちになった。
 フローラはずっと俺のことを好きだったと、生贄になる直前に言ってくれた。

「気づかなくてごめん」

 と俺はひとりごとをつぶやいた。
 なんとかフローラを助けてあげたい。

 そのとき、「ううっ」とうめき声が聞こえた。
 見ると、アルテが苦しそうな顔をしながら、起き上がっていた。

 アルテのきれいな黒髪がふわりと揺れる。

「あたし……助かったんですか? でもどうして真っ暗なんですか?」

 俺とソフィアは顔を見合わせた。
 周りでは冒険者たちが財宝を探すために篝火をたくさん焚いているし、周りはかなり明るかった。

 もしかすると。

「それに右手が……左足もうまく動かない」

 最後の魔力吸収がアルテの身体に後遺症を残したんだろう。

 失明し、右手・左足も使えなくなり、すべての魔力を失った。
 そして、心に大きな傷を負い、貴族から奴隷へと身を落とした。

 それがいまのアルテだった。
 俺はしばらく事情を伏せておくことを決めた。

 さっきまでアルテは生贄にされ、暴力を振るわれて、かなり追い詰められていた。

 なのに、ここでさらにすべてを話せば、アルテの心が耐えられるかどうか。

 けど、アルテは立ち上がろうとして、それができず前のめりに倒れそうになった。
 俺は慌てて抱きとめた。

「ソロン先輩?」

「えーと、うん、そうだよ」

 不可抗力とはいえ、俺が正面からアルテを抱きしめている格好になる。
 アルテが嫌がるだろうな、と思ったが、意外にもアルテは抵抗しようとしなかった。

 アルテの身体はとても軽く、そして暖かった。
 こうしていると、アルテは十代後半の普通の少女にしか思えない。

 いや。
 いまのアルテはただの少女だった。

 力を追い求め、力ある者が正義と言っていた少女は、すべてを失った。

 魔術は使えなくなり、普通の人間としての生活も送れない身体になり、俺の奴隷になった。
 もうアルテは女賢者ではないのだ。

 俺はアルテにささやきかけた。

「ゆっくり休んでよ。何も心配しなくていいから」

「……先輩が守ってくれるの?」

「ああ」

 安心したようにアルテは柔らかく微笑むと、全体重を俺に預けたまま、気を失った。





 聖騎士クレオンは、ネクロポリスから引き上げた後、救国騎士団本部の執務室にこもって思案にふけっていた。

 もう深夜二時を過ぎている。

 復活させた魔王は文字通り彼の手の中にあった。

 小瓶につめられた金色の小人。

 それが魔王アカ・マナフの本体だった
 魔王復活の計画は成功した。

 すべては順調だ。

 ただ、ソロンは潰しておく必要がある。
 きっと彼はクレオンの前に立ちはだかり、シアの蘇生のための大きな障害となるだろう。

 元女賢者のアルテはソロンの屋敷を強襲したが、あえなく失敗した。
 今回も守護戦士ガレルスがソロンを暴力的に排除しようとしたがうまくいかなかった。

 結局、力で倒そうという短絡的な発想が駄目なのだ。
 クレオンはそう思う。

 聖女ソフィアや皇女フィリアたちがソロンの側にいるかぎり、容易にソロンを打倒することはできないだろう。

 だから、別の手を使う必要がある。
 まずはソロンの財産を奪い尽くし、彼を破産させることだ。

 すでにアルテたちのためにソロンはかなりの出費をしたが、それはソロンの資産のごく一部にすぎない。

 だが、ソロンの奴隷である商人ペルセを使えば、ソロンを破産させることは可能だった。
 ペルセはソロンに忠実で、彼を裏切ることなど考えもしないだろう。そして、ソロンもペルセのことを信頼している。

 だからこそ、ペルセには利用価値があるのだ。
 ペルセは自分でも気づかないうちに、クレオンの策略に乗せられて、ソロンの破滅を手助けすることになる。

 そして、もう一つ、クレオンは強力な武器を持っていた。
 クレオンは一枚の書類を棚から取り出した。

 それは帝国の秘密警察・皇帝官房第三部からの報告書だった。

 そこに書かれているのは、帝立魔法学校の教授の一人が、政府に批判的な考えを密かに持っているということだった。

 彼女は革命派の秘密結社・自由同盟に加わっている。そして、敵国アレマニア・ファーレン共和国からの資金援助を受けていた。

 重要なのは、その教授がソロンと極めて親しいということだった。

 叛逆者は真紅のルーシィ。
 ソロンの師匠だ。

 これはソロンを追い詰める材料となる。

 うまくやれば、ソフィアやフィリアといった利用価値のある人材を手に入れることもできるだろう。

 クレオンは微笑むと、「待っててくれ、シア」とつぶやいた。