143-Episode 142: The presence that Lucy needs
私が風邪で寝込んだのは、ソロンが私の弟子になってしばらく経ってのことだった。
魔法学校の教員用の寮で、私は一人で生活していた。
私は貴族だけれど、寮はそれほど広くないし、たいていのことは一人でできたから、使用人を雇ってもいなかった。
けれど、このときばかりは困った。
学校での講義はすべて休講にして、ひたすら部屋で寝ていたのに、なかなか良くならない。
熱は上がるし、身体はひどくだるかった。
寝込んでから三日目になって、ますます体調は悪くなり、強い悪寒に襲われた。
ぼんやりとした意識のなかで、誰も私のお見舞いには来てくれないないんだろうなと思った。
私は誰とも親しくしていなかったんだから、当然だ。
リルラ先生がいた頃なら、すぐにでも先生が飛んできたと思う。
先生はいつも私のことを心配してくれていたから。
でも、今の私にはリルラ先生はいない。
私は一人の少年の顔を思い浮かべた。
ソロンならもしかしたら、私のことを心配してくれているかもしれないと思ったけど。
でも、それは私の期待しすぎかもしれない。
私は照れ隠しでいつもソロンには冷たく当たっていたし、弟子が師匠のことを心配する義務だってない。
それでも、私はソロンに来てほしかった。
そのとき、部屋の扉がノックされた。
「あの……ルーシィ先生? いらっしゃいますか?」
ソロンの声だ。
私はベッドから飛び起きた。
そしてすぐに私は扉を開けた。
そこには心配そうな顔のソロンがいた。
「ソロン……」
「もう三日もお休みされているから、心配になって来たんです。体調もかなり悪いと連絡がありましたし」
「遅い……」
「え?」
「どうしてもっと早く来てくれなかったの!?」
「寝込んでいるときに部屋に来たら、かえって迷惑かなと思ったんです。それに……先生は女性ですし」
ソロンは顔を赤くしていた。
そういえば、私は寝間着姿だった。
胸元がはだけているのに気づいて、私は慌てて服を直した。
「す、すみません……」
「べ、べつにソロンが悪いわけじゃないから気にしないで」
そんなことを気にされて、ソロンがここから立ち去ってしまうほうが私には心配だった。
ソロンは私に小さな籠を差し出した。
そこには飲み物や食べ物が詰められていた。
「差し入れです」
「……ありがとう」
ソロンは心配してくれてなかったわけじゃなくて、遠慮していたみたいだった。
迷惑になるなんて、そんなこと気にしなくていいのに。
私はかごを受け取ろうとして、ふらついた。
近くの瓶に足をとられる。
「きゃあっ!」
次の瞬間には、私はソロンに抱きとめられていた。
ソロンの感触に私は顔を赤らめた。
見上げると、ソロンが私の目をのぞき込んでいた。
「熱……かなり高いみたいですね」
「ソロンは……わたしのこと、心配してくれているんだよね? それはどうして?」
「ルーシィ先生が俺の師匠だからに決まってます」
「わたしがいなくなったら、困る?」
「もちろんですよ」
ソロンはどうしてそんな当たり前のことを聞くのか、と不思議そうな顔をした。
わたしは嬉しくなった。
ソロンにとって、私は必要な存在なんだ。
私がリルラ先生を必要としたように、ソロンも私のことを必要としてくれている。
ソロンは何かを言いたそうにしていたけど、ためらっているみたいだった。
私は思い切って、ソロンにお願いをしてみることにした。
「……ねえ、ソロン。私の看病をしてくれると嬉しいな」
「いいんですか? その……俺が部屋に上がっても」
「あなたは私の弟子だもの。気にする必要は、ないと思う」
しゃべりながら、私は息が苦しくなっていくのを感じた。
今の身体の調子では、ちょっと話すだけでも体力が切れてしまいそうだ。
自分ではベッドに戻ることもできないかもしれない。
気づいたら、ソロンが私を抱き上げて、そしてベッドに連れて行ってくれた。
寝かしつけられた私の上に、ソロンは優しく毛布をかけてくれた。
そして、「ゆっくり休んでください」と耳元でささやいた。
そのまま私は意識を失った。
それから数日間、ソロンは私の部屋で寝起きして、私の看病をしてくれた。
ソロンは手慣れた感じだった。
もともとソロンは貴族屋敷の使用人で、こういうことには慣れているようだった。病弱なソフィアの看病もたびたびしていると聞いたときは、嫉妬してしまったけれど。
ソロンの看病は的確で、私が体力をなるべく使わずに済むように工夫してくれて、私でも食べれそうなものを作ってくれた。
弱っている私のお願いを、ソロンは何でも聞いてくれた。
苦い薬を飲みたくない、と私が駄々をこねると、甘いものと一緒にして、飲みやすくしてくれた。
身体の汗を拭いて欲しい、というと、ソロンは恥ずかしそうにしながらも、私の身体をタオルで拭いてくれた。
私はただの無力な少女で、ソロンに甘え続けるだけの存在になっていた。
天才の師匠と平凡な弟子のはずなのに、これでは完全に立場が逆転している。
でも、それが私には心地よかった。
いつも私は天才として特別な存在扱いをされていて、みんな私を尊敬するか疎んじるかのどちらかだった。
私もプライドが高くて、周囲を遠ざけていた。
リルラ先生だけがありのままの私を受け止めてくれていたけど、でも先生はもういない。
けれど、今の私にはソロンがいる。
ソロンは私を一人の普通の少女として扱ってくれた。
数日経ってもう熱は下がったけれど、私はまだソロンに部屋にいてもらっていた。
「ソロン……ご飯、食べさせてほしいな」
私が言うと、ソロンは恥ずかしそうに顔を赤くして、大麦の粥をスプーンで私の口元まで運んでくれた。
同じやり取りを何度もしたのに、ソロンは相変わらず照れていた。
そんなソロンの様子を見て、私はソロンのことを可愛いなと思った。
「ソロンって意外と照れ屋さん?」
「照れるようなことを先生がさせるからです」
くすくすと私が笑うと、ソロンは肩をすくめた。
「そういう先生こそ、俺はもっと冷たい人だと思っていましたけど、弟子になってから印象ががらっと変わりました。よく笑うようになりましたし」
そう言われればそうかもしれない。
ソロンの前では、なぜか笑顔でいられる。
ソロンは立ち上がった。
「もうそろそろ俺がついていなくても大丈夫そうですね」
私は慌てた。
もう少し、ソロンと一緒にいたい。
私はソロンを睨んでみた。
「なにそれ? 私の部屋にいるのが嫌ってこと?」
「そういうわけじゃないんですよ。でも、他の生徒になんて言われるか心配で……」
ダメだ。
さっきみたいな言い方じゃ、ソロンはここにいてくれない。
もっと素直に、言う必要がある。
私は恥ずかしくなって、小声になった。
「嫌じゃないなら、もう少し一緒にいてほしいな」
ソロンは驚いたように目を見開き、そして微笑んでうなずいてくれた。
それ以来、私とソロンの距離は縮まった。
私は教師でソロンは生徒だから、さすがにソロンとずっと同じ部屋で暮らすことはできない。
でも、学校ではソロンが弟子としてすぐそばにいてくれて、私はとても嬉しかった。
私は自分のなかのソロンの存在が大きくなっていくのを感じた。
たぶん、私はソロンのことが好きなんだ。
でも、二つの問題があった。
、
一つは私とソロンは教師と生徒で、魔法学校の規則から、恋愛関係になれば問題になるということ。
もう一つは、ソフィアの存在だった。
かつて弟子にしたいと思った少女を、私は別の意味で意識することになった。
ソロンにとって、ソフィアは大事な存在で、ソフィアもソロンに懐いていた。
そして、ソフィアは私のことを警戒していたようだし、私もソフィアに嫉妬した。
私とソフィアのどっちが大事かなんてこと、ソロンは考えないとは思う。
でも、きっとソフィアと私を天秤にかければ、ソロンはソフィアを選ぶだろう。
私にとってリルラ先生は世界のすべてだったけれど、ソロンにとって私はそこまでの存在になれていない。
ソロンは商売上手で、魔法学校の生徒をしながら、ちょっとした財産を作っていた。
賭け事も得意で、貴族との賭けに勝ち、ひどいめにあっていた奴隷の子を解放してあげていたりもした。
魔法を使うことしかできない私とは大違いだった。
リルラ先生と同じように、ソロンは広い世界を知っている。
だから、リルラ先生みたいに、ソロンも私の前からいなくなってしまうかもしれない。
その予感は現実のものとなった。