147-Episode 146 Senri no Michi



 俺とフィリアは屋敷の書斎へと移動した。
 そこが俺がフィリアに魔法を教える場所だからだ。

「今日はどんなことを勉強するの?」

 フィリアが目をきらきらとさせて言う。
 俺はぽんと机の上にガラス瓶を置いた。

「今日はこれを使います」

「これって、魔法の道具かなにか?」

「いいえ。ただのガラス瓶です」

 不思議そうな顔をしたフィリアに俺は微笑んだ。

「このガラス瓶を強化していただこうと思いまして」

「それが支援魔法の練習ってこと?」

「はい。そのとおりです。まずは試しに俺がやってみましょうか」

 俺は杖を手に持った。
 今日は魔法剣は使わない。

 フィリアに実演してみせるという意味では、杖のほうが良さそうだ。
 俺はとんとんと杖でガラス瓶を叩く。
 そして、「強化」と短くつぶやいた。

 おもむろにガラス瓶を床に落とす。
 フィリアがびくっと身構えるが、ガラス瓶は割れなかった。

 ちょっと驚いた顔で、フィリアがガラス瓶を拾う。

「割れないんだ……」

「そのための強化魔法ですから。このまえフィリア様に教えた支援魔法は一番原始的なもので、ともかく相手を強くしようと念じるものでした。でも、そういうざっくりした魔法では、魔力の変換効率がよくありません」

「だから、もっと強化する部分を細かく選ぶってこと?」

「そのとおりです! 剣撃の強さ、魔法攻撃の威力、動きの速さ、敵の魔法への耐性……といった相手の能力を細かく指定して、支援魔法をかけていただきたいんです」

「でも、ルーシィの魔導書の魔法は、すべての能力を上げるんでしょう?」

「たしかにそうですが、それでも漠然と相手の全体に支援魔法をかけるというより、強化すべき点を意識してかけたほうが効率は高まるものなんです。そうしないと、いくらフィリア様の魔力量が多くても、うまく活用することはできません」

 ルーシィの魔法は莫大な魔力量が求められるし、そもそもの魔術の構成が複雑で、簡単には使えない。
 これまでのようにフィリアの魔力量を頼りに、力任せに発動するというわけにはいかないのだ。

「ふうん」

 フィリアはつんつんとガラス瓶をつついていた。

 そういうわけで、今回は支援魔法の練習としてこのガラス瓶の強化を行うというわけだ。

 魔法をかける対象の材質、属性、魔法との相性を見極め、そして、「ガラスを割れにくくする」という点をうまくピンポイントで強化できるようにする。

 ルーシィの魔導書に挑戦する前に、中級の支援魔法を使えるようにするわけだ。

 フィリアは魔王の子孫として魔力の量こそ膨大だけれど、魔術の技術的な面では初心者だし、なにより細かいことが苦手そうだ。
 はたしてうまくいくかどうか。

「ではフィリア様、杖を構えてみてください」

「こう?」

 フィリアはリンゴの木の杖を左手にまっすぐに持ち、微笑んだ。
 なんとなくだけれど、雰囲気がだいぶ魔術師っぽくなってきた気がする。

 俺はもう一つ別のガラス瓶を机の上に置き、そしてフィリアに指し示してみせた。

「では杖を瓶に当ててみてください。そうすると、かすかに自分と対象が通じ合うような感覚があると思います」

 フィリアは杖を瓶にそっと当て、「こうかな?」とつぶやいた。
 そして、目をつぶって耳を傾けるような仕草をする。

 しばらくして、フィリアは首を横に振った。

「うーん。ぜんぜん……わからない」

「まあ、慣れがいりますからね」 

 それからフィリアは熱心に同じ動作を何度か繰り返してみていたが、うまくいかないようだった。
 フィリアの集中力もそろそろ限界だろう。

 最初から上手にできるものでもないし、まずはいったん次の段階へと移ってしまおう。
 俺がそう言うと、フィリアは顔を明るくした。
 たぶん、飽きてきていたんだろう。

「次は何をするの?」

「さっき読み取ってもらった情報をもとに早速、強化の魔法をかけていただきます」

「読み取ったこと……」

「ガラス瓶でも人間でも、万物には一定の性質があります。強い部分、弱い部分、美しい部分、おかしな部分……といろいろな面があるはずです」

「物の性質……って、たとえば、ガラス瓶だったら、壊れやすい、とか、そういうこと?」

「さすがフィリア様。おっしゃるとおりです。フィリア様の魔法でこのガラスの脆さという性質を、硬さに変化させるということです。では、やってみましょう」

 フィリアはうなずき、杖を構えた。

「強化!」

 フィリアが綺麗に澄んだ声で呪文を唱えると、ガラス瓶は青い光に包まれた。
 これで一応、魔法はかかっているはずだ。

 あとは壊れやすいという属性に的を絞って魔法をかけられているかどうか、というところが問題だ。
 それを俺が確かめる必要がある。
 俺がそう言う前に、フィリアは嬉しそうにガラス瓶を取り上げた。

「うまくいった……よね?」

 そしてフィリアは、俺の真似をしてガラス瓶を床に落とした。
 俺は思わず「あっ」と叫んだ。

 止める間もなかった。
 ガラス瓶は床に叩きつけられ、甲高い音を上げて砕け散った。

 魔法がうまくかかっていなかったのだ。
 フィリアが「きゃっ!」と小さく悲鳴を上げる。

 しかも強化魔法によって過剰な魔力が注がれたのか、ガラス瓶の破片は赤く輝いていた。
 割れたことによって、魔力が放出されそうになっている。

「フィリア様!」

 俺はとっさにフィリアの手を引き、抱き寄せた。
 次の瞬間、ガラス瓶の欠片が弾け飛んで俺たちの側に向かってきた。

 赤赤としたガラスの破片が刺されば、俺もフィリアも危ない。
 俺は杖を振って魔法障壁を張り、飛んでくるガラスの破片を防いだ。

 ほっと胸をなでおろす。
 なんとか間に合ったみたいだ。

 フィリアは呆然としていた。

「失敗……しちゃったの?」

「そういうこともありますよ」

「ごめんなさい。わたしが大丈夫と思ってガラス瓶を床に落としたせいで、ソロンを危ない目に合わせちゃった……」

「あれぐらい、なんてことありませんよ。それに、魔法の練習中に危険なことが起きるのはよくあることですし、そういうときこそ、師匠が弟子を守るんですから」

「うん……」

 うなずきつつも、フィリアは元気がなかった。
 失敗したことを気に病んでいるだろう。

 前に魔力が暴走したときを除けば、フィリアは要領よく初級魔法を習得してきた。
 フィリアはかなり飲み込みの良い方で、これまで挫折知らずだったわけだ。

 でも、中級魔法ともなれば、そう上手くはいかなくなるかもしれない。
 俺は身を屈め、落ち込むフィリアの目をのぞき込んだ。

 フィリアがびくっと身を震わせ、俺の目を見つめ返す。
 俺はくしゃくしゃっとフィリアの銀色の髪を撫でた。。

「そ、ソロン?」

「焦りは禁物です。ゆっくり着実にいきましょう」

「でも、わたしが早く魔法を習得しないとルーシィを助けることができないもの」

「千里の道も一歩から、ですよ。目の前のことをコツコツできるようにしていけば、すぐにルーシィ先生の魔法だって使えるようになります」

「……うん。そうだよね。ありがとう。わたし、頑張るね」

 フィリアは小さくうなずいた。