56-056-I am now



 雑木林の中を、歩いていく。

(ちょっと懐かしいな……)

 アルドリア大森林で、イルティミナさんと2人きりだった時間を思い出す。

 木々の隙間から落ちる木漏れ日。
 青い植物の匂い。
 サワサワとした葉擦れの音。

 あの森の世界と、とてもよく似ている場所だった。

 でも、ここは戦場だ。
 僕はもう、ただの子供ではなく、1人の冒険者として、ここに立っている。

 小人鬼(ゴブリン)たちを殺すために、いるんだ。

(気を引き締めろ、マール)

 心の中で、自分に警告する。

 先を歩くイルティミナさんのあとを追いかけながら、周囲を警戒する。
 自分たち以外に、動く姿はまだ見かけてない。

(ん……?)

 水の匂いだ。

「どうしました、マール?」

 鼻をヒクヒクさせる僕に、イルティミナさんが気づく。

「近くに、水場があるみたい」
「ほう?」
「多分、あっち」

 そちらに向かう。

 やがて、サラサラと水の流れる音が聞こえてくる。
 川だ。

 それほど大きくない。

 イルティミナさんは、下流の方向を見た。
 僕は聞く。

「これ、クレント村に流れてた小川かな?」
「でしょうね」

 彼女の真紅の瞳は、上流へ。

「このまま、上流へ向かいましょう」
「うん」
「ちなみに、マール。どうしてか、わかりますか?」

 え?
 突然のクイズだ。

 彼女に見つめられた僕は、必死に考える。

「えっと……魔物も生き物だから、水は必要で、その痕跡があるかもしれないから?」
「正解です」

 イルティミナさん、とても感心した顔だ。

(やった)

 よかった、正解して。 
 彼女は笑い、僕の頭を撫でる。

「マールは、私が思った以上に、優秀なのですね。さすがに驚きました」
「あ、ありがと」
「フフッ……では、行きましょう」

 僕らは、川沿いに歩きだす。

 水辺の土は柔らかく、足跡が残りやすい。岩場ならば、不自然な濡れた跡がないか、また近くの草木の枝が折れていないか、そういうのを探すのだと、先輩冒険者のイルティミナさんは教えてくれる。

「ゴブリンは、知能があるので、同じ水場を利用することも多いです。そうすると、川から伸びる獣道ができます」
「ふんふん?」
「それが見つかれば、ゴブリンたちの巣へと辿り着くのも容易いのですが――」

 不意に、イルティミナさんが言葉を切って、立ち止まった。

(わ?)

 背中にぶつかりそうになった僕は、慌てて、足を踏ん張る。
 その目の前で、彼女はしゃがんだ。

「マール」
「ん?」

 白い指が、砂地の地面に触れている。
 そこには、小さな凹みがあった。

「あ……これ、もしかして?」
「足跡です」

 注意しなければわからない、小さな足跡だった。

 それは、川から草木の茂る林の奥へと続いている。
 イルティミナさんは、そちらへ向かった。僕も追いかける。

「獣道ですね」

 本当にあった。
 草木が折れ曲がった跡が、道のように、奥の方まで続いている。

(この先に、ゴブリンが……)

 ゴクッ

 唾を飲んだ。
 イルティミナさんは、空を見る。

「ふむ……」

 少し、美貌をしかめた。

「こちらは、風上ですね。近づけば、私たちの臭いに、気づかれるかもしれません」
「えっと……風下に回り込む?」

 数秒考えて、彼女は、美しい髪を揺らしながら、頭を振った。

「いえ、このまま行きましょう」
「いいの?」
「奴らは、20以上の集団です。2人の人間に気づいても、巣を捨ててまで、逃げはしないでしょう。むしろ、人数を集めて、待ち構えてくれるはずです。林の中にバラバラにいられるのを探すよりは、よほどいい」

 な、なるほど。

「でも、大丈夫かな?」
「たかが、ゴブリンですよ」

 その声には、油断も過信もない。
 単なる事実――それを告げているだけの表情だった。

(……頼もしいなぁ)

 そして、凄腕の『銀印の魔狩人』は、立ち上がる。

「さぁ、ここからが本番です。マール、行きますよ?」
「はい」

 僕は、覚悟を決めて、頷いた。
 その顔を見て、イルティミナさんは、満足そうに笑う。

 ――そして僕らは、魔物たちの待ち構える獣道の奥へと入っていった。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 15~20分ぐらい歩いた頃、妙な臭いがした。

(……何か腐ってる?)

 そんな臭い。
 イルティミナさんと顔を見合わせ、草木を分けながら、ゆっくりと進んでいく。 

 そこは、空き地だった。

 木々がなく、草の地面だけが広がっている。
 その中央に、大きな角の生えた牡鹿が1頭、倒れていた。

(死んでる……)

 全身に、かじられた跡があった。
 内臓が引き出され、その臭いに誘われて、ハエが飛んでいる。 

 僕らは、鹿の死体に近づき、イルティミナさんがしゃがんで確認する。

「この歯型……間違いなく、ゴブリンの仕業ですね」
「じゃあ、ここが巣なの?」

 怖気を我慢しながら、聞く。
 イルティミナさんは、ゆっくりと立ち上がる。

「もしくは、食事場でしょうね。死骸は、まだ温かい。きっと近くにいますので、気をつけ――」

 ヒュッ

 突然、イルティミナさんの手にある白い槍が、僕の頭上を一閃した。

(え?)

 ガキンッ

 驚くのと同時に、空中で火花が散った。
 何かが弾け、そして地面に転がったのは、拳大の石だ。

 ヒュッ ヒュッ

(うわっ!?)

 草の陰から、木の上から、無数の石が飛んでくる。

「マール!」

 イルティミナさんは僕を背中に庇い、白い槍が回転して、それらを次々と弾き返していく。

 次の瞬間、草木を散らし、奴らが飛び出した。

『グギャア!』
『キキィ!』
『ギャア、ギャア! グギギ!』

(小人鬼(ゴブリン)!)

 身長は、子供の僕と同じぐらい。
 赤褐色の肌は、シワやシミが多く、人の顔が潰れたような醜い顔をしている。でも、その身体や手には、殺した人たちから奪ったのか、血錆のついた鎧や剣、盾や太い木のこん棒などが装備されていた。

 彼らは、ガンガンと剣で盾を打ち鳴らし、叫び声を上げながら近づいてくる。
 鼓膜が痺れ、腹の底まで振動が伝わる。

(うわ、うわ、こんなにたくさん!?)

 20体以上のゴブリンが、僕らを完全に包囲する。
 その集団による威圧感は、軽く絶望さえ感じさせるものだった。

「マール、呑まれてはいけません」

 はっ。
 前に立つイルティミナさんの静かな声に、僕は、我に返った。

 銀印の魔狩人は、笑った。

「この小さな魔物たちが、赤牙竜より強く見えますか?」
「…………」

 そうだ。
 こんな奴ら、邪虎と同じじゃないか。

(ガドの恐ろしさは、こんなもんじゃなかった!)

「そうです。恐れる必要はありません。――さぁ、貴方も、己の牙を抜きなさい!」

 うん!
 僕は腰ベルトの後ろから、『マールの牙』を引き抜いた。

 陽光に、ギラリと刀身が煌めく。

『ギャブ!?』
『グギギィ……』

 ゴブリンたちが、警戒して、少し下がった。

(そうだ。向こうも、怖いんだ……負けるもんか!)

 僕は、近くのゴブリンに斬りかかろうと、1歩前に出る――途端、横から別のゴブリンが飛びかかってきた。え?

(まずい!?)

 錆びた剣が、僕の脇腹に刺さると思った。

 でも、その刃が届く寸前、

 バキィン

 回転する白い槍が、ソイツを弾き飛ばした。

(……あ)

 弾かれたゴブリンは、空中を回転しながら、近くの木にベシャッとぶつかり、地面に落ちた。紫の血が広がり、ピクピクと手足が痙攣する。

 他のゴブリンたちは、呆気に取られた。

 僕を守ったイルティミナさんが、いつもの口調で言う。

「マール、多数の敵との戦い方を指南します」
「え?」
「大事なのは、まず死角を作らないこと」

 そういうと、彼女は、僕の背中側に、互いの背中を向け合うようにして立った。

「1人の時は、木や壁などを背にして戦いなさい。2人ならば、背中合わせです」
「う、うん」

『グギャア!』

 叫んだ別のゴブリンが、僕に突っ込んでくる。
 慌てて、僕は避けようとして、

 ヒュボッ バキュッ

 その僕の耳をかすめて、白い槍が突き抜け、石突がゴブリンの顔面へと突き刺さった。
 黄色い眼球を潰し、一気に脳まで貫く。

 倒れるゴブリン。
 呆然とする僕。

「ただし、背中合わせの場合は、敵の攻撃をかわしてはいけません。背後の味方が、襲われてしまいます。必ず、受ける、弾く、いなすをしてください」
「…………」
「返事は?」
「は、はい!」
「よろしい。背中合わせの場合は、2人の距離が近すぎてもいけません。動きが制限されてしまいます。なので、敵が間に入れぬようにしつつ、少し距離を放しておきましょう」

 イルティミナさんは、大股で1歩、前に出た。

 ゴブリンたちは、恐れたように1歩、下がる。

『グッギャア!』
『ギャオ!』
『クギィ!』

 意を決した勇敢な3体が、同時に、イルティミナさんに襲いかかる。

「こういう場合は、一番、端の敵からです」

 振り下ろされた棍棒を弾き、イルティミナさんは、右に身体を揺らす。
 そのまま、一番右側のゴブリンの足を、槍で払った。

『ギ?』

 残った2体にぶつかり、3体まとめて、転倒する。

 ドスッ ドスッ ドスッ

 白い槍が、倒れたゴブリンたちの心臓を、順番に貫いた。

(…………)

 イルティミナさんは、ヒュンと槍を振るって、刃から魔物の血を落とす。

「1人ならば、なるべく動き回って、1対1の状況を作りましょう。狭い通路などがあれば、利用してください。障害物なども活用するのです」
「う、うん」

 解説しながら、すでに5体のゴブリンを倒した。

 ――恐ろしいほどに強い。

 数はまだ、ゴブリンたちの方が上回っている。
 けれど、今の戦いを見て、彼らの戦意が崩れていくのを感じる。

「では、実践です。マール、やってみなさい」

 ポンッ

(え?) 

 背中が押された。
 僕は、前にたたらを踏んで、顔を上げた目の前に、同じように驚いているゴブリンの顔があった。

(う、わぁあ!?)

 反射的に、『マールの牙』を振るう。
 向こうは、慌てて盾を構えた。

 ガギィン

 火花が散る。
 衝撃で、手が痺れた。
 盾で受けたゴブリンも、反動で地面にひっくり返っている。

『グギャア!』

 左にいたゴブリンが、錆びた短剣を振り被って、怒ったように襲いかかってくる。
 よけるのは、間に合わない。

(そうだ、左なら!)

 左腕で振り払う。

 ギャリィイン

『白銀の手甲』が火花を散らして、ゴブリンの短剣を弾く。いや、それどころか、弾いた衝撃で、錆びた短剣は根元から折れていた。

 驚くゴブリンの首に、僕は『マールの牙』を刺す。

 ドシュッ

 刺さった。
 すぐに抜く。紫の血が噴き出し、ゴブリンは慌てて首を押さえ、けれど、そのまま仰向けに倒れて動かなくなった。

(こ、殺した)

 興奮しているのに、心が冷える。

 ――僕は、ゴブリンを殺したんだ。

「マール、動きなさい!」
「!」

 イルティミナさんの警告で、慌てて下がる。

 ブォン

 すぐ目の前に、別のゴブリンの錆びた斧が振り下ろされた。地面に刺さり、土が弾け飛ぶ。
 危ない。
 イルティミナさんの声がなければ、やられていた。

(1対1……死角は作らない!)

 タタタッ

 僕は、近くの木を背にする。
 さぁ、来い!
 と思ったのに、ゴブリンたちは、遠巻きにして石を投げてくる。ちょっと!?

 ガン カンッ

『白銀の手甲』で弾く。
 その持ち上げた左腕で作ってしまった死角から、ゴブリンが飛びかかってくる。

「うわっ!?」

 ドカッ

 飛び蹴りを食らって、僕は、仰向けにひっくり返った。
 馬乗りになったゴブリンが、醜い笑いを浮かべながら、持っていた錆びた剣を逆手にして、突き刺そうとする。慌てて首を捻る。

 ドスッ

 地面に剣が刺さった。

 もう一度、剣を振り上げたゴブリンの首に、白い閃光が走った。
 その醜い頭が、コロンと落ちる。

 その向こうに、白い槍を振り抜いた体勢の彼女が立っていた。

「大丈夫ですか、マール?」
「う、うん」

 ゴブリンの死体を、蹴ってどかすイルティミナさん。
 彼女の白い手に掴まれて、僕の身体は、簡単に引き起こされる。

「今日は、ここまでにしましょう」
「え?」
「マールは、よくがんばりました。1体、倒せましたものね。――あとは、私に任せてください」

 優しく笑うイルティミナさん。
 その手にある白い槍が高く掲げられる。

 カシャカシャン

 美しい翼飾りが大きく開き、中央にある魔法石は、紅い輝きを増した。
 彼女の真紅の瞳も、同じように光っている。

 美しい声が、魔法の言葉を紡ぐ。

「――羽幻身(うげんしん)・白の舞」

 バササッ

 魔法石から、たくさんの光の羽根が溢れだす。
 それが集束すると3人の美しい『光の女』たちが生まれ、地上に降り立った。

 イルティミナさんによく似た、槍を持った美しいシルエットの『光の女』たち――彼女たちは、ゆっくりとゴブリンの群れに歩いていく。 

『グギャ?』
『ギャギャオオ!』

 ゴブリンたちは戸惑い、すぐに襲い掛かる。

 ヒュボッ

 3人の光の女が、槍を一閃した。
 ゴブリンの身体が、その光の線に合わせて、ずれた。

 ずれた身体は、地面に落ちる。
 残された身体からは、紫の血が噴き出した。

『ギギャ!?』
『ギヒ……ギィヒィィ!』

 生き残ったゴブリンたちは、悲鳴をあげて、逃亡を始める。
 でも、光の女たちは、素早く追いかけて、ゴブリンたちを次々に殺戮し始める。

 ザシュッ ズバッ ボヒュッ ザキュン

 紫の血が、世界に荒れ狂う。

「…………」

 ――10数秒だった。
 たったそれだけの時間で、その場にいた15体以上のゴブリンは、全滅した。

 静寂が落ちる空き地の中は、鉄のような血の臭いに満ちている。

 3人の光の女たちは、役目を終えると、光の羽根になってキラキラと舞いながら、空に消えていった。その輝きに照らされながら、銀印の魔狩人は、美しく笑っている。

「まぁ、こんなものでしょう」
「…………」
「いかがでしたか、マール? 初めての討伐クエストの感想は?」

 感想って……。
 僕は、泣きそうになりながら、答えた。

「……何も、できなかった」
「はい」

 イルティミナさんは、頷いた。

「無力な自分を知ったなら、それでいいのです。知らずに、無謀に挑んで死んでしまった冒険者を、私は何人も知っています。だからマール、貴方は、これから足りないものを、しっかりと手にしていきましょうね?」
「……うん」

 白い手のひらが、僕の頭を撫でる。

「大丈夫。――貴方は、強くなりますよ、マール」

 雑木林に風が吹く。
 僕は、唇を噛みしめて、青い空を見上げた。

 ファンタジー世界の王道、ゴブリン退治。
 もっと、できると思ってた。

 でも現実は違った。
 ゴブリンたちは、とても強くて、僕は、とても弱かった。

(……うん、これが『今の僕』なんだね?)

 それを受け入れ、大きく息を吐く。

 こうして、僕の冒険者としての初仕事は、ほろ苦い味で終わったんだ――。