157-155 ・One blow of God Spear!



 全体の大きさから比べれば、それは小指の先ほどのサイズだった。

 だというのに、その禍々しさは凝縮されたように濃厚で、見ている僕らの背筋を、直接、冷たい指で撫でられているような感覚がした。

 正直に恐ろしかった。

(……新しい『悪魔の欠片』……)

 震える僕は、青い空にポツンと浮かんだそれを凝視する。

 体長1メードほどの触手だ。

 ピンク色のミミズのような形態がグニグニと蠢き、白い粘液を撒き散らしながら、更に無数の細い触手を生やして、その形を変えていく。

 細い触手が絡み合う。

「……あ」

 それが徐々に、『人』の形になっていくのがわかった。

 細い触手が絡み合う手足。

 粘液に光らせ、歪に形成される顔には、けれど、まだ眼球はなく、闇のような空洞が開いている。

 全身が粘土細工みたいに妖しく蠢いているのが、より悍ましい。

 ブルル……ッ

 剣を握る手が震えているのに、ようやく気づいた。

(馬鹿、気持ちで押されるな、マール!)

 泣きたい気持ちで僕は、自分を叱咤する。

 ――奴を倒す。

 僕は、再び翼を広げて、『第3の闇の子』に襲いかかろうとした。

 その瞬間、

 バシュゥゥゥ

 白い煙を吹いて、僕の獣耳が消滅した。

「っっっ」

 外骨格のような全身鎧が、ズシンと重くなり、思わず膝をつく。

(もう3分経ってたのか!)

 身体から力が抜けていく。

 同時に、今まであった自分への信頼も消滅していく。

 今の僕では、『闇の子』に太刀打ちできない――そんな確信があった。

 どうする?

 もう1度、無理矢理、『神気』を流す?

(……でも、精神世界では、それで失敗したんだよ?)

 あの時も、まともに戦える状態じゃなかった。今回だって、同じ轍を踏む気がする。

 どうしよう?

 どうしたらいいの?

 答えの出ない恐怖に、そのまま飲み込まれそうになった時、

「マール、無事か!」

 背後から、あの頼もしい声がした。

(!)

 振り返ったそこには、こちらに駆けてくる『金印の魔狩人』の姿があった。

 その後ろには、イルティミナさん、ソルティス、ラプトとレクトアリスの姿も見えている。

「……キルトさん、みんな」

 思わず、泣きたくなった。

 キルトさんは、僕の奇妙な全身鎧の姿に、一瞬、驚いた顔をする。けれど、その表情はすぐに消えて、『神体モード』が切れてフラフラの僕の身体を、倒れないように抱きかかえてくれた。

「大丈夫か?」
「……うん」

 僕は頷く。

 でも、どうしてここに? 4人も戦っていたはずじゃ?

「わらわたちと戦っていた連中は、『封印の岩』から出てきたアレを見た瞬間、引いていった。奴らの目的が達成したのかもしれぬ」
「…………」
「『あとは貴様らに任せる』と言い残していったわ」

 苦々しそうに言う。

 僕はうつむいた。

「……ごめんなさい」

 小さな声で謝った。

「む?」
「僕が失敗したんだ。倒せたと思った。勝ったと思ったんだ。……でも、彼女の覚悟を甘く見てた。あの行動を防げなかったんだ……っ」

 泣くような思いで告白する。

 あの時、問答無用でとどめを刺してしまうべきだったんだ。

(僕の甘さが……この世界の危機を招いたんだ)

 上空に浮かぶ、破滅の種。

 それはすぐに芽吹いて、世界に更なる破滅を引き起こしていくだろう。

(……僕の……せいだ)

 ゴンッ

 落ち込む脳天に、キルトさんの拳が落ちた。……って、痛い!

 驚き、顔を上げる。

「阿呆」

 キルトさんは、金色の瞳に強い光を宿して、見つめる僕に言った。

「反省も後悔もあとにせい。まだ終わってはおらんぞ。全ては、やるべきことをやってからにするが良い」
「…………」

 呆然と見つめ返す。

 見れば、後ろにいるイルティミナさんたちも、大きく頷いている。

「そうですよ、マール」
「自惚れてんじゃないわよ、馬鹿たれ」
「ワイらもいるんや」
「そうよ、貴方は1人じゃないんだから」

 そう口々に言ってくれる。

(……みんな)

 その優しさが心に沁みる。

「うん!」

 唇を引き結び、僕は大きく頷いて、立ち上がった。

 キルトさんも微笑む。

 けれど、その表情はすぐに消えて、『金印の魔狩人』の顔になると、青空に浮かんでいる『第3の闇の子』を睨みつけた。

 僕らもそちらを見る。

 ――まだ、この世界は終わっていない。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 戦う意思は、取り戻した。

 けれど、実際にあの上空にいる『第3の闇の子』と、どうやって戦えばいいのだろう?

 キルトさんは、信頼する『銀印の魔狩人』へ視線を送る。

「イルナ、いけるか?」
「もちろんです」

 遠距離攻撃の得意な『銀印の魔狩人』は、頼もしく頷くと僕らの前に出た。 

 カシャン

『白翼の槍』の翼飾りが大きく開き、紅い魔法石が輝きを増していく。

 同時に、イルティミナさんの真紅の瞳も、強い魔力の光を宿していく。

 白い手が槍をクルリと回転させ、逆手に握る。

 落ち着き、集中した美貌。

 いつものように、彼女は軽く前に倒れるように動きだすと、そのまま大きく足を踏み込んで、

「シィッ!」

 ヒュボッ

 白い槍が、凄まじい速度で投げられた。

 純白の閃光。

 それが大気を裂き、青い空を横切って、500メード上空に浮かぶ『第3の闇の子』へと正確に飛んでいく。

 ギュルッ

 触手でできた頭部が気づき、こちらを見た。

 粘液で濡れた、無数の触手が絡まった腕が、迫る閃光へと突き出される。

 バヂィイイン

(!)

『第3の闇の子』の触手の手の先に、紫色の闇のオーラが集約すると、その前方に黒い障壁のようなものが生み出されていた。

 それが純白の槍を受け止めている。

「ぬ……っ」

 キルトさんが唸る。

 イルティミナさんが、舌打ちしそうな様子で真紅の瞳を細めた。

『黒の障壁』は、槍のぶつかった部分に何度も波紋を広げながら、大きく歪み、けれど、決して破れない。

 やがて、威力を全て受け止めたのか、障壁にぶつかっていた槍は前進する力を失って、ヒュウウと空から落ちていく。途中で、軌道を変えて、イルティミナさんの手へと戻っていく。

(……あのイルティミナさんの攻撃でも駄目か)

 がっくりと落ち込む。

 けれど、『第3の闇の子』の行動は、それで終わりではなかった。

 ジュルリ ギュルル

 その触手の集まった歪な頭部に、口を開けたような丸い穴ができた。

(!?)

 怖気が走る。

 キルトさんとイルティミナさんが表情を強張らせ、ソルティスは怪訝に眉をひそめた。

 同時に、

「レクトアリス!」
「えぇ!」

 切羽詰まった表情の2人が、僕らの前へと飛び出した。

 レクトアリスが胸の前で両手を合わせると、直径10メードほどの赤い魔法陣の描かれた光の丸い盾が、5重に形成される。その後ろで、ラプトが決死の表情で、両手を突き出した。

 次の瞬間、『第3の闇の子』の空洞の口から、黒い光の筋が撃ち出された。

 ピッ

 世界に、細い髪の毛のような黒い線が引かれた感じ。

 それは、レクトアリスの創りだした5重の魔法の盾を容易く突き破り、ラプトの重ねられた両手のひらに激突する。

 ラプトが吹っ飛んだ。

 同時に、角度が変わった黒い光線は、背後の樹海にぶつかった。

 ドゴゴゴォオオン

 黒い光線の当たった樹海部分が、上空へと吹き飛ばされた。

 木々が舞い上がり、破壊された大地が破裂する。

 奥にあった柱のような巨大な岩山が、黒い光線に切り裂かれて、斜めにずれて落ち、大地に土煙を巻き上げさせる。

(な……っ!?)

 なんて威力だ。

 唖然とする僕。

「ラプト!」

 キルトさんの叫びにハッとする。

 見れば、ラプトの手のひらは、真っ赤に焼けていて、皮膚がドロドロに溶けていた。

「だ、大丈夫や……つう~っ!」

 顔をしかめつつも、気丈に言う。

 自動再生機能が働いて、彼の手は、白い煙と共にすぐに修復されていく。 

 僕らは、ホッと息を吐く。

 でも、安心はできない。

 イルティミナさんの攻撃を防いだ防御力、『神牙羅』2人がかりでようやく防いだ攻撃力、どちらも恐ろしいほどの能力だ。 

 ――強敵だ。

 恐怖と共に、改めて思い知る。

(でも、どうする?)

 どうやって、あんな化け物を倒せばいいのだろう?

 空を飛んで接近しようとしても、途中で撃ち落とされる気がする。運良く接近できても、そこでの攻撃も、あの黒い障壁で防がれそうだ。

 と、ラプトが、不意に言った。

「今がチャンスや」

 え?

「300年前と比べて、ずいぶん弱い攻撃やわ。あの『悪魔の欠片』は、『神の封印』を破った直後で、まだ弱っとるんや。仕留めるなら、今の内しかない」

 強い口調で、そう言い切る。

(弱ってる……?)

 あれだけの力を発揮してるのに?

 その事実に愕然とする。

 でも、それが本当なら、これ以上の強さを取り戻す前に、あの『第3の闇の子』は必ず倒さないといけない。

 今すぐに、だ。

(何か、何か手段はないの!?)

 僕は悔しげに、青い空に浮かんでいる触手でできた人型を睨みつける。

 と、

「マール。そなたの『神武具』による強化は、イルナの『白翼の槍』にも行うことが可能か?」

 突然、キルトさんが僕に質問した。

 え……?

 僕は戸惑い、『神武具』の融合した『妖精の剣』――『虹色の鉈剣』を見つめる。

 正直な印象を答えた。

「えっと……多分、できると思う」
「そうか」

 彼女は頷いた。

 僕ら5人の視線を受けて、最強の『金印の魔狩人』は、自身の見解を口にする。

「前にケラ砂漠で、『闇の子』に攻撃を当てた時の手応えを覚えておる。恐らく、その肉体強度は、その辺の魔物とそう変わらぬ」

 キルトさんの言葉に、ラプトとレクトアリスが唖然とした。

「マジか……自分、『闇の子』に攻撃を当てたんか?」
「……貴方、本当に人間?」

 かなり失礼な驚きの言葉。

 キルトさんは、軽く苦笑する。
 けれど、すぐに表情を改めて、『第3の闇の子』を冷徹に見つめた。

「奴も同じに思える。その術式による能力は、確かに脅威であるが、しかし、その防御を打ち破り、攻撃を当てることさえできれば――」
「…………」
「――我らの勝ちじゃ」

 …………。

 僕らは一瞬、その断言に沈黙してしまった。

 見えなかった勝利への道筋が、突然、か細くも見えてしまった感覚だった。

「わかった、やろう」

 僕は、はっきりと応じる。

 みんなも、大きく頷いた。

 でも、イルティミナさんは1人だけ、自身の手にする白い槍を見つめたまま、難しい顔をしていた。

「1つだけ、懸念が」
「む?」
「『神武具』による強化は構いませんが、その重量級となった武器を、私は精密に扱える気がしません。はっきり言えば、あの距離の対象に命中させるのは、私の筋力では不可能に思えます」

 え……?

 膨らみかけた希望のしぼむ言葉。

 キルトさんも想定外だったのか、「そうなのか?」と渋い表情になった。

「すみません」

 申し訳なさそうなイルティミナさん。

「……イルナ姉」
「むぅ」

 ソルティスは、慰めるように姉に触れ、キルトさんはまた考え込む。

(…………)

 僕は迷い、でも、思い切って言ってみた。

「なら、僕が投げるよ」
「え?」
「何?」

 みんなが僕を見た。

 僕は言った。

「僕の着ている『神武具』の鎧は、僕の筋力を、何倍にも強化してくれる。投げる瞬間だけ、『神気』を開放すれば、僕ならできると思うんだ」

 ゴンッ

 生物のような形状の虹色の外骨格――その胸を、僕の拳は軽く叩く。

 キルトさんは、そんな僕の全身を下から上へと眺め、

「当てられるのか?」
「僕は、ずっとイルティミナさんの槍を投げる姿を見てきたんだ。きっと、その動きを真似できると思う」

 彼女の問いに、僕ははっきり答えた。

「マール……」

 嬉しかったのか、イルティミナさんは感極まったように、僕を見つめて、瞳を潤ませている。

 ソルティスが、リーダーである女性を見た。

 パンッ

「あいわかった」

 膝を叩き、キルトさんは覚悟を決めたように頷いた。

「攻撃は、マールに任せる。皆、良いな?」
「はい」
「わかったわ」
「おう!」
「了解よ」

 皆、頷いてくれた。

(ありがとう、信じてくれて)

 嬉しくて、ただ重圧が少しだけ怖かったけど。

 キルトさんは僕らを見回しながら、言う。

「ラプト、レクトアリス。そなたらは、マールが攻撃するまで、あやつの攻撃からマールを絶対に守れ」
「もちろんや」
「えぇ」

 2人は頷く。

「ソル、そなたは、攻撃直後のマールに備えよ。大迷宮の時のように、限界を超えたマールの心臓がまた止まる可能性もある。すぐに蘇生できるようにの」
「そうね、わかったわ」

 嫌な予想に、ソルティスは一瞬、顔をしかめ、すぐに力強く頷いてくれた。

「イルナは、マールのそばにおれ。そなたの存在は、それだけで、こやつの力になる」
「はい」

 頷いたイルティミナさんは、僕の隣に来る。

 ギュッ

 鎧に包まれた手を握ってくれた。

(あったかい……)

 神経に作用する『神武具』の鎧だからか、その温もりと感触が、しっかりと伝わってきた。

 あぁ、それだけで心に力が沸いてくるよ。

 僕らは見つめ合う。

 小さく笑って、頷き合った。

 最後にキルトさんは、そんな僕のことを見つめて、

「すまぬな、マール。そなたにばかり、無理させる」

 どこか悔しそうに謝った。

 ちょっと驚いた。

 そして僕は笑って、首を横に振った。

「ううん」

 いつも僕らのことを守るために、無理ばかりしてくれる人が何を言っているのか。

 僕の笑顔に何かを感じたのか、彼女も笑った。

 僕の肩に、手を置く。

「頼むぞ、マール」
「うん」

 力強い黄金の瞳に、僕は覚悟を込めて、大きく頷きを返した。

 さぁ、始めよう。

「マール、お願いします」

 イルティミナさんが、愛用の魔法の槍を、僕へと差し出してくる。

 僕は両手で、それを丁寧に受け取った。

(…………)

 美しい純白の槍。

 アルドリア大森林でイルティミナさんと出会ってから、ずっと僕らを守るために戦い続けてくれている槍。

「……力を、貸してね」

 小さく囁いた。

 それに応えるように、中央の紅い魔法石が、陽光にキラリと輝きを散らした。


 ◇◇◇◇◇◇◇


「ほれ、マール」
「あとは任せるわ」

 2人の『神牙羅』が直径3センチの虹色の球体を、僕へと差し出してくる。

「うん」

 それを左手で受け取り、鎧に包まれた五指でしっかりと握る。

(『神武具(コロ)』……お願い!)

 願いを込めて、心に念じる。

 ヴォォオオオオン

 指の隙間から眩い光が溢れ出し、2つの球体は砕けると、虹色の光の粒子となって渦を巻き、右手に握る『白翼の槍』へと付着していく。

 先端の刃が、3メードほどの虹色の刃へと延伸した。

 美しい翼飾りは、左右に4対、計8枚に増加する。

 柄の部分には、螺旋の模様が加わってより強度を増し、更に後方へと2メードほど伸びていた。

(凄い……)

 生み出されたのは、全長7メードの『虹色の巨槍』だった。

 思わず、その美しさに見惚れる。

「おぉ」
「でっか……」

 みんなも、感嘆の声を漏らしている。

 と、次の瞬間、

(!)

 ズシン

 巨槍の強烈な重量が右手にかかって、僕はそのまま引き摺られ、危うく倒れそうになった。

「くっ」

 慌てて、両手で掴み、両足を踏ん張る。

(こ、これは……まずいかも)

 少し焦った。

 槍を投げるためには、その前に、まず構えなければならない。でも、この重量では、その構えること自体が困難に思えた。

(どうする?)

 我慢して構える時点から、『神気』を使うことも考える。

 でも、僕の肉体が、投擲まで持つか不安だった。

 その時、

 グンッ

 突然、その重さが軽くなった。

「私も手伝いましょう」

 後ろからの美しい声にハッと振り返れば、そこには、僕の背中側から腕を伸ばし、槍に白い手を添えて微笑むイルティミナさんの姿があった。

「この槍と『魔血の契約』を交わしたのは、私です。その力を発揮するにも、投げる直前まで、私が触れていなければいけませんしね」 
「……うんっ」

 力を貸して、一緒に投げてくれると言う彼女。

(あぁ……もう、それだけで百人力だよ!)

 思わず、歓喜の笑顔。

 そんな僕のおでこに、イルティミナさんも額をコツンと当てる。

「共にがんばりましょう、マール」
「うん!」

 僕は、大きく頷いた。

 キルトさんも、そんな僕ら2人を見つめて、満足そうに頷く。

「よし、始めるぞ」
「はい!」

 僕は頷き、呼吸を整える。

 ガシュン

 首の後ろに畳まれていた兜部分が元に戻って、僕の頭部を包み込む。

 金属でできた狗(いぬ)の顔。

 飛び出た耳の部分が、ガキンッと音を立てて、まるで角のように後方へと動く。

 ヴォン

(さぁ、思い出せ)

 今までに何度も見てきた『銀印の魔狩人』の白き槍を投げる勇ましい姿を。

 あの美しく、強靭で、無駄のない動きを。

 脳裏に生まれる姿を、強くイメージして、自分の肉体へと落とし込む。

 ジャリッ

 大地を踏みしめ、『虹色の巨槍』を構える。

 恐ろしいほどの重量が右手にかかっている。

 でも、ふらつくことはない。

 イルティミナさんが、僕と一緒に、この巨大な槍を支えてくれている。

 僕の背後に身を重ね、けれど、僕の動きを決して妨害しない位置と力配分で、共に槍を構えていた。

 まるで2人で1つの身体になった気分。 

「見事じゃ」

 その姿に、思わず、キルトさんの口から感嘆の声が漏れた。

『金印の魔狩人』の目から見ても、完璧な『イルティミナさんの構え』ができていたんだろう。

 キルトさんは、満足そうに頷く。
 そして、

「ソル」
「大丈夫、用意してるわ」

 キルトさんの声に、大杖の魔法石を緑色の回復光に輝かせる魔法使いの少女が答えた。

 僕らは、上空へと視線を送る。

 そこには、粘液にぬめった触手を蠢かせ、徐々に、完全な人の姿を取ろうとしている『悪魔の欠片』の姿があった。

 ――女だ。

 そのフォルムは、女性らしい丸みと凹凸を帯びていた。

 このまま時間が過ぎれば、この世には、あの恐ろしい『闇の女』が誕生するのだろう。

(その前に、必ず倒してみせる!)

 1撃だ。

 きっと、2度目のチャンスはない。

 この1撃で、絶対に仕留めるんだ!

 ギリリィン

 手足を包む外骨格のような鎧が、まるで筋肉を膨張させるように、金属音を響かせ、装甲を軋ませながら捻じれる。

 さぁ、あとは『神気』を開放して、撃ち出すのみ。

(――行くぞ)

 そして、体内の蛇口を開こうとした――その寸前、

 ジュルリ

 遥か上空に浮いていた『第3の闇の子』の頭部が、唐突にこちらを向いた。

 その口部分にある空洞。

 奥に闇が集束する。

「いかん!」

 キルトさんの鋭い声。

 同時に、ラプトとレクトアリスの2人が、槍を構える僕とイルティミナさんの前方へと飛び出した。

 ピッ

 黒い光線が発射される。

 レクトアリスが胸の前で両手を合わせ、5重の赤い光の魔法の盾を創りだし、ラプトが小さな両手を重ねて前に突き出す。

 パキィン

 5枚の魔法の盾が貫通され、ラプトが吹き飛ぶ。

 ラプトの身体はレクトアリスに激突し、2人は、もんどり打って地面の上を転がった。

 ドゴゴゴォオオン 

 弾かれた黒い光線は、再び、遠くの樹海の大地を破壊する。

 吹き荒れる爆風。

 倒れたままのラプトが、それに負けない大声で叫んだ。

「今や、マール!」

 両手を焼かれて、なお叫ぶ熱い思いに、僕の心も燃え上がる。

「――神気開放!」

 ドンッ

 兜の耳に沿うように、獣耳が生え、臀部にある鎧の尻尾の内部にも、僕のフサフサした尻尾が侵入する。

 溢れる力。

 同時に、自分の身体がギシッと歪むのを感じた。

 限界を超えた力の発動。

 肉体が悲鳴を上げている。

 それが弾けて崩壊するまでの数秒で、僕は、あの『悪魔の欠片』を滅ぼさなければならない!

(よく狙って――)

『神武具』による映像は、500メード遠方の『第3の闇の子』の姿を明確に捉えている。

 あとは、そこに投げるだけ。

 弓を引くように、『虹色の巨槍』を大きく振り被った。

 イルティミナさんの手が共に動き、照準をより精密にするためにサポートしてくれる。左手は、ずっと僕の肩に触れてくれている。

 その安心感から、僕は、思い切り槍を投げようとして、

 ギュルルッ

(……あ)

『第3の闇の子』の口が、再び開いていた。

 第2射目。

 僕らの投擲よりも速く、向こうの発射体勢が整っていた。

 ――間に合わない。

 コンマ秒以下の世界で、僕はそれを悟った。

 ピッ

 敗北という名の破滅が、『闇色の糸』のように僕らへと伸びてくる。

 僕は、何もできずにそれを見続け、

「――鬼神剣・絶斬!」

 次の瞬間、その黒い光線に、青白い雷光の斬撃がぶつかる光景を目にしていた。

 僕らの横で。

 あの『金印の魔狩人』が最大奥義を解き放っていた。

 ゴギャアン

 雷光の三日月が崩壊する。

 けれど、黒い光線も角度が逸らされて、僕らの頭上を越え、背後の大地を吹き飛ばしていった。

 背後からぶつかる風圧。

「マール!」

 イルティミナさんの声。

 ほぼ反射的に、僕の身体は動いていた。

 前に倒れるように大きく踏み込み、腰を回転させ、その力を胸、肩、腕、肘、手首へと伝え、自然と外れるように指を開放する。

 フォン

 全長7メードの『虹色の巨槍』。

 それは、まるで重さを感じることもなく、8翼を広げながら、『第3の闇の子』へと飛翔した。

 ジュルン

 細い触手の絡まった両手が、こちらに突き出される。

 黒い障壁が、空中に生まれた。

『虹色の巨槍』はそれにぶつかり、虹色の残光を散らして、容易くそれを貫いた。

 ポヒュッ

 奥にいた人型に命中した。

 一瞬で、消し飛んだ。

 虹色の輝く槍が触れた瞬間、その光で溶かされるように全身が引き千切れ、燃え散るように消えてしまったのだ。

 ドパァアアン

 衝突音は、遅れて聞こえた。

 そして、『虹色の巨槍』は勢い余って、その後方にあった『封印の岩』へと直撃する。

 バゴォオオオオン

 岩石が弾けた。

 衝撃で、全長700メードはある卵型の巨大岩の浮き島が傾き、土煙を吹きながら地上へと落ちてくる。

 ドン ドドォオン

 地震のように地面が揺れた。

 地上にいた鳥たちが一斉に飛び立ち、コキュード地区の樹海の上に、鎖に繋がれた巨岩が横たわっていた。

「…………」

 やった……のかな?

 思った以上の破壊力に、自分でも戸惑う。

 それほどに、完全な『神武具』と『タナトス魔法武具』の融合、それによる『究極神体モード』での攻撃は、凄まじいものだった。

 と――強い痛みが起きた。

「……がっ!?」

 バシュウウウッ 

『神武具』の外骨格が光の粒子となって剥がれ落ち、中から、獣耳と尻尾を失った僕がこぼれ出る。

「マール!」

 倒れる僕の身体を、イルティミナさんが慌てて支えた。

(息が、できない……っ)

 悶える。

 すぐにソルティスが駆け寄って来る。

「今、治すわ。大丈夫だから、ふんばりなさいよ、マール!」
「……っっ」

 必死な少女の声。

 イルティミナさんに抱かれたまま、ソルティスの回復魔法が当てられる。

 ケハッ

 口から、喉に詰まっていたらしい血の塊が出た。

(……あ、ぐ)

 手足が痺れているけれど、10秒ほどで、息が少しずつできるようになった。

 みんなが僕を覗き込んでいる。

 僕は、小さく笑った。

 それを見て、みんなも安心したようだった。

 ソルティスに治療を続けてもらいながら、僕は、問いかけるようにキルトさんを見る。

 彼女は、頷いた。

「ようやった」

 労いの言葉。

 その意味が、僕の中に浸透していく。

(あぁ……勝てたんだ)

 よかった。

 その安堵だけが、心の中に満ちていく。

 イルティミナさんが僕を背中側から抱きながら、顔を寄せ、頬を合わせてくる。彼女の柔らかくて、綺麗な緑色の髪が、僕の首をくすぐった。

「よくがんばりましたね、マール」
「……うん」

 大好きな人のお褒めの言葉。

 うん、それだけで、何もかもが報われた気がするよ。

 僕は笑って、大きく息を吐いた。

 空には、何もない。

『封印の岩』も、『第3の闇の子』の姿もなくなり、ただ、どこまでも青い空だけが広がっている。

 太陽がとても綺麗だ。

 その美しさが眩しくて、まぶたを閉じる。

 ――僕らのコキュード地区での戦いは、こうして無事に、幕を下ろしたのであった。