111-Hypocritical and drunken inferior ⑩



 祐人は倚白を上段に構えると、気合と共に一気に振り下ろす。

「ヒ! ヒヒ…………ヒ!?」

 背後の祐人に気付いているのか、気付いていないのか、ミズガルドは薄笑いを浮かべ、相も変わらずあらぬ方向を見ているが、そのミズガルドも体の中心を何かが通り抜けていくのを感じたようだった。
 祐人は振り下ろした倚白を握りしめ、ミズガルドの巨体を背後から睨む。

「おまえが召喚した妖魔の大群を操ってたんだろう? 最初からおかしいとは思っていたんだ。僕と召喚主が戦っている最中にもこいつの出す映像の中では妖魔たちはミレマーを襲っていたからね。でも、おまえを倒せば、これでミレマー中に送り込んでいた妖魔の大群の統制はとれないな!」

 祐人がそう言っている間にも……ミズガルドの頭から倚白を振り下ろした地面まで亀裂が浮かび上がる。

「ヒ……ヒ? ズレル? ズズズレ……レ!」

 ミズガルドの体の中心線から、血が吹き上がる。
 そして、ミズガルドはその巨体をフルーツにナイフを入れたように左右に割れ、鈍い音と軽い地揺れを伴いながら体中にある不気味な眼球から投影されていた映像ごと地面に転がった。
 祐人は無表情に構えを解き、倚白を左手首辺りから落ちてきた白金の鞘に納める。

「ククク……」

「!」

 祐人は、まるで嘲笑するような、その喉から鳴らすような声に気付き、ハッとその声の主の方向に顔を向けた。
 そこには……絶命寸前だったはずのロキアルムが、地面に転がっている。
 そのロキアルムは上半身だけの体になり果てていたはずだが、祐人の目からは先程よりその顔に生気を感じ、片眉を上げた。

「フハハハハハハ!」

 ロキアルムが高笑いを始める。
 祐人はその下半身のないロキアルムが高揚したように笑う不可思議な光景から全身に怖気が走った。
 祐人の中に警戒感が高まり、咄嗟に倚白を再び、抜き放つ、その時……。
 祐人の一刀により二つに割れたミズガルドの断面のから流れていた大量の血がまるで一匹の生き物のように纏まり、その血液でできた数匹の蛇は祐人の死角から襲い掛かる。

「ハッ! クッ!」

 祐人は意表を突かれたが、ミズガルドの体から湧き出たその赤黒い蛇の気配を感じ、その場から横に躱しながら受け身をとった。だが、その血の蛇の半数は祐人を追いかけるように軌道を変える。
 さらにこれを躱そうと祐人は、後方に飛び退くと、寸前に祐人のいたところの地面を、その血の蛇が深くえぐり、小さなクレーターがいくつも出現した。
 この息をもつかさぬ奇襲の躱しざま、右肩と左大腿部を衣服ごと切り裂かれた祐人は、すぐさま倚白を構え直し次発の攻撃に備えつつ、今、目の前で起きている事態が掴めずにいた。
 その祐人の目に異様な光景が入ってくる。
 先程、突如、ミズガルドの体から襲ってきた血の蛇だが、その数はミズガルドから出てきた蛇たちの半数程度だ。
 残りの半数の血の蛇はというと……最初に躱した祐人を追わずそのまま直進し、なんとミズガルドの主人だったはずのロキアルムの体に突き刺さっていた。
 ロキアルムの下腹部辺りに、ハンカチ程度の大きさの羊皮紙が広げられており、血の蛇たちはまさに羊皮紙に描かれた魔法陣の中央に突き刺さり、そのまま、その下にいるロキアルムにまで深く到達していた。

「ククク……フハハハ……ハッハッハーーーーーー!!」

 ロキアルムが再び、悦に入ったような高笑いをしながら、その血の蛇に貫かれた上半身だけのロキアルムは……起き上がる。
 いや、起き上がるというより、祐人の一閃で下半身と離れた腹部に突き刺さった血の蛇に持ち上げられたようだった。
 祐人はその生気の蘇ったロキアルムの暗い眼光を受ける。

「これは……!」

 祐人は目を見開いた。
 そして、そのミズガルドから伸びた血の蛇から、ロキアルムへ何かが供給されているのが分かる。
 ロキアルムはその持ち上げられた上半身だけの姿のまま、憎悪と余裕の顔で祐人を見下ろした。

「ククク、愚かな小僧……手順を誤ったな。お前は当初から仲間とミレマーの状況を気にしていた。いつかはこうするとは思っていた。お前の攻撃で我がミズガルドに手を下す隙は見せられん状態だった。だから、我はお前自身がミズガルドに手をかけるのを待っていたのだ」

 ロキアルムの言いようにも祐人はすぐに動揺と表情を消し、倚白と共にロキアルムに飛びかかる。祐人にとって、ロキアルムの変化など関係はない。
 祐人の神速の打ち込みが、ロキアルムの胸部に走る。
 その祐人の愛剣倚白は上半身しかないロキアルムの右腕から深々と入り、そのまま胸を通り抜け、ロキアルムの左肩の辺りから再びその刀身を現した。
 しかし……

「愚か……」

 ロキアルムは祐人に切り飛ばされたはずの右腕は、まるで液体を切ったように直ぐに繋がり、飛び込んで刀を横に薙いだためにできた祐人のがら空きの喉元を掴んだ。

「がは!」

 祐人の顔が歪む。
 祐人に再び横一文字に切り捨てられたはずのロキアルムの体は既に切られる前に戻り、祐人の喉元を掴んだ右手一本で祐人の体全体を持ち上げた。そして、祐人の倚白を持つ右腕にも触手のように伸びた血の蛇が凄まじい締め付けで纏わりつく。

「ククク、どんな気分だ? 召喚士の姿を捉えていれば何とかなると思っていたのだろう? 小僧。召喚士ならば敵の接近を許せば何もできないと思ったか? 愚か! 何たる無知! 貴様のような劣等なクズが……我のような最上位の召喚士を測れるわけがあるまい!」

 ロキアルムの指が祐人の喉に、そして右腕に絡みつく蛇がめり込む。

「グウ!」

 祐人の一瞬見せた苦悶の表情にロキアルムは楽し気に片側の唇を吊り上げる。
 祐人は左手でロキアルムの自分の喉に伸ばした腕を掴み、ロキアルムを睨んだ。

「ほう、まだ目は死んでいないか。さすがは道士といったところか。まさか、こんなところで仙道使いに会おうとは思わなかったぞ! それで、お前がこの実力でランクDになったのも頷けるな。堕落した機関ではお前を正当に評価できまい!」

 ロキアルムの膂力が増し、ロキアルムの腕を掴む祐人の左手が震える。

「だが、やはり貴様はただの未熟なクズだったわけだ。あそこに転がる我が愛弟子ニーズベックの骸を見て、何も思わなかったのか? 貴様が刃を向けたミズガルドを、ただの妖魔を操るアンテナと考えたのが誤りだったな」

 ロキアルムは、視線を一瞬、干からびたミイラのように横たわるニーズベックに移し、祐人にその目を向けた。そして、ニヤリとする。

(こ、こいつは、まさか……自分の弟子を道具に……)

 祐人の眉間の皺が苦しみだけではない理由で深みを増した。

「我はこうなるのと分かっていた。何故だか分かるか? 分からんだろうな、貴様のように能力者としての誇りも目的もなく、戦いに情をはさみ、下らぬ無能な者どもに心を動かされるようなガキではな。いいか? お前が我との戦いの最中に我の動きを詳細に観察していたように、我もお前の感情の動きからお前の性情を把握していたのだ! 我から見えた、お前を戦いに赴かせた心情は何とも陳腐で無価値! 吐き気すら催したぞ!」

 ロキアルムは吐き捨てるように言い放ち、憎々し気に歯を噛みしめた。そして、祐人によって肉塊となったミズガルドに顎を軽く向けた。

「アレは我が今まで集めた魔力の貯蔵庫でもあったのだ。百年もの長い年月に溜めた膨大な魔力のな。そして、いつか私に取り込まれる時を待つように、その魔力を我に適合しやすい魔力に変性させながらな。お前は気付いていただろう? 我の体の血肉は、もう人のものではないと。我はこれまで何度も召喚した魔の者の体を移植し続け、長大な寿命とどのような魔力量にも耐えられる器を、この時のためだけに、この完璧な体を手に入れたのだ!」

 ロキアルムの体が赤黒いオーラを纏いだす。

「本来、これが発動するときは、この小国ミレマーを生贄にしたショーの後、この世界に対する宣戦布告をする時だった! まだ、計画ではこのタイミングではなかったが、これも無念にも散っていた幾多の能力者たちの亡霊たちが、このような形で急がせたと思えば合点がいく……。お前はまさに自分自身でそのパンドラの箱を開けたのだ! この世界の終わりの始まりを!」

「……!」

 祐人にロキアルムの体に、ミズガルドから湧き出る魔力が取り込まれていくのが見える。
 その魔力がロキアルムに取り込まれるほど、ロキアルムの祐人の喉を締め上げる力が増していった。ロキアルムの体からあふれ出る魔力の片鱗がより強く、より濃密になっていく。そして、ミズガルドの体はロキアルムに魔力を吸われていき、その二つに割れた巨体は小さく萎んでいった。
 ミズガルドの巨体が皮だけになり、地面にへばりつくとミズガルドから出てきた血の蛇たちは、完全にミズガルドから離れ、その主人をロキアルムに移行する。

「フハハハハ! お前が我々、その優秀さにも関わらず虐げられてきた我々能力者たちとこの欺瞞に満ちた世界、そして、その片棒を担ぐ世界能力者機関との戦端を開いたのだ! さあ、見ろぉ! 我が地獄から召喚する魔獣の姿を! 世界を震撼させる魔神にも匹敵した力を! これで世界中に隠れた我が同胞たちが、再び立ち上がる。世界の表も裏も巻き込んだ世界大戦の幕開けだ! その聖戦の始まりを見ながら、下らぬ情に流され、我らの崇高な理想を邪魔立てしたことを呪いつつ死ぬがよい! 小僧!」

 ロキアルムが叫ぶとロキアルムの下半身から生えた無数の蛇たちが、広範囲に鋭く伸び、この広大な地下空間の天井、壁、地面と各所を突き刺した。

「!」

 祐人は呼吸もままならない状態で、その様子を見せつけられる。
 それらロキアルムから放たれ、突き刺さった蛇たちの地点を中心に積層型の巨大な魔法陣が浮かび上がった。それは、一人の召喚士が召喚をするにはあまりに巨大で、相当量の魔力を必要とするものであると分かる。
 積層型の魔法陣が鈍い光を強めていき、中央にすべての光を拒否する暗黒の塊が出現する。それは明らかにこの現世に人為的な次元の穴を作り出していた。
 ロキアルムから血の蛇を通し、膨大な魔力が積層型魔法陣へ急速に供給される。それに伴い、ロキアルムは苦し気な表情を見せつつも、醜悪な笑みをこぼす。

「ぬあああ! 来い! 地獄の番犬ガルム! 本来の力を携え、この世界に鉄槌を下せ! すべてを破壊しろ! すべてだ! このすべての秩序をその顎で喰いちぎれ!」

 積層型魔法陣の中央の闇が大きく膨れ上がった。
 この瞬間、祐人は目を見開く。
 少しずつだが祐人が臍下丹田に練っていた仙氣が結実したのだ。
 祐人は左手をロキアルムの腕から離すと、その手のひらをロキアルムの胸に力なくあてた。
 その刹那、ロキアルムの全身に凄まじい衝撃がはじける。

「何!?」

 祐人の仙氣によるゼロ距離の発頸をまともに受け、ロキアルムは顔を歪めた。
 ロキアルムの体は水面が激しく揺れるように、振動を起こし、祐人の喉元を掴む右手と祐人の右腕に絡まる血の蛇と祐人との間にほんの僅かな隙間を作り出す。
 祐人は両足を上方に蹴り上げ、体を縦に回転させると、ロキアルムの顔面に叩きつけつつ、ようやくロキアルムの拘束から脱出し、後方に飛び退いた。
 祐人は赤く腫れる喉元を摩りつつ、大きく呼吸を整える。

「ふん! 小賢しい小僧が……。だが、もう遅い! もう、ガルムの召喚は止められん!」

 祐人は眼光鋭く、ロキアルムを睨んだ。
 ロキアルムは先程よりも顔色を明らかに悪くさせている。それだけの魔力を使い切ったのだろうと祐人にも分かった。そして、それはリスクを負うが、ロキアルムにとってそのリスクがリスクにならない状況を作ったという、勝者の表情も見せている。
 この時、暗黒の塊から魔獣の片足が這出た。
 ただそれだけのことで、この広大かつ頑丈な地下空間が揺れ、天井から小石や岸壁の欠片が降りそそいでくる。
 祐人は、この状況に驚愕の相を見せた。
 その姿を現そうとしている魔獣の片足だけでも、到底ありえない量の魔力を噴き出しているのだ。

(こ、この魔獣は……強大過ぎる! こいつが出てきたらミレマーは!?)

 ロキアルムは力を使い果たしたように、何とか下半身から伸びる血の蛇で体を支えているが、祐人の表情の変化に、口を吊り上げる。

「ククク! いい表情だ、小僧! 我の行く道の前に通りがかった蟻のようだな! これが我が100年もの間、求め続けたこの場所の魔力場の結晶だ。おっと、私を殺しても無駄だ、もう誰にも止められはせん。私に近づけばこのガルムを首都ネーピーに転移させる。我をこのタイミングで殺せば、それこそコントロールを失ったガルムは何をするか分からんぞ。この魔獣ガルムは我が今、送った魔力量だけでも数日は動けるはずだ」

「な!」

 祐人は言葉を失った。
 ロキアルムの言う真偽は分からないが、この魔神レベルの魔獣が数日も暴れまわることができるとしたら……。
 祐人は怒りでギリッと奥歯を噛む。

「お前は狂っている! お前は何をしているのか、分かっているのか!?」

「我は狂ってなどおらぬ! 狂っているのはこの世界だ! 今日、この日のために我は生きながらえてきた! 下らぬ無能者どもの命など知ったことか! それら低劣な命、魂などは、すべては我の計画の糧にすぎん! 我の計画のためにその無価値な魂を散らせ!」

「糧だと……」

 祐人の雰囲気が変わる。
 祐人から表情が消えた。

 ついにガルムの口先が魔法陣中央の暗黒の中から、徐々に現れだす。

「そうだ! 我らの崇高な目的の糧になるためにその命を捧げるのだ! この愚かな国を見ろ! 下らぬ政治体制に下らぬ支配者を生み出しただけだ。愚民はどこまでいっても愚民。であれば、少しでも我の役に立て! 我らの理想のために、その命を使ってな!」

 表情のない祐人の眼光が鋭さを増し、倚白を握る右腕が震えだす。

「役に立てだと……」

 ロキアルムは己に酔ったように叫び、祐人を横目に嬉し気に壁際へ移動をした。
 すると、その岩壁の一角が開き、中に祭壇のようなものが築かれた部屋が現れる。

「ククク、感じぬか? この場の無限にも思われる魔力の吹溜まりが。この魔力で我は無限にガルムを使役できる。ハーハッハー! 小僧、喜べ、お前が我らの最初の生贄だ! これでお前も我の記憶の中に残るだろう! お前の命が我らの理想世界を築く、最初の糧になったということでな。我の中で生き続けよ、愚かな劣等能力者よ! すぐに他の奴らも後を追わせてやる」

 祐人の目がギンと開いた。
 ロキアルムの吐き出す言葉が、祐人の脳裏に魔界で討ち果たした災厄の魔神の声に変わっていく。

“こいつらは……私の中で生きているんだよ……”

 ロキアルムの醜悪な笑みに……かつて魔界で出会った戦友たちの顔が重なる。
 皆、一様に笑い、そして果てていった戦友たち……。

 そして……、

 魔界で出会った藍色の髪の少女、リーゼロッテの生気のない顔が……浮かび、

 祐人の心が闇に浸食されていく……。



 ロキアルムは、祐人の変化を絶望と捉え、祐人に体を向けながら用は済んだというように下半身から伸びた複数の血の蛇を、まるで軟体動物のように動かし、スライドするように隠し部屋に入って行く。その姿は見ようによっては力を使い果たし、弱弱しくも見えた。
 ロキアルムが隠し部屋に入ると、開いた岩戸が閉まり、祐人の姿は完全に見えなくなった。ロキアルムは何とか祭壇の前まで体を引きづるように移動すると、ロキアルムのいる床が青白く光り、魔法陣が現れる。

(これで終わる……そして始まる)

 ロキアルムは魔力を取り込む装置にもなっている魔法陣の上に陣取り、息をついた。
 そして、この魔力場から得られる魔力を吸い始める。
 この小部屋の脇には、棚があり、そこに大小のガラスの瓶に液体が詰まった状態で並べられていた。そして、その瓶の中には得体の知れない肉の塊が大きな目を開けてギョロッとロキアルムを視線だけで追いかける。

(まずは第2、第3のミズガルドの作成を急がねばな……)

 ロキアルムがそう考えたところで、この隠し部屋の岩戸の外から大地を揺るがさんばかりの魔獣ガルムの咆哮が響き渡ってきた。
 ロキアルムはまだ青白い顔色のまま、ニヤリと笑う。

「行け、ガルム! その力を使い、我がスルトの剣の道を! 我ら能力者の築く新世界を切り開け! ハーッハッハー!」

 ロキアルムの高笑いが肌寒い小部屋に響き渡り、ミズガルドの幼生たちが目をギョロギョロと忙しなく動かした。



 マットウの拠点であるミンラでは、敵妖魔の大群をほぼ撃退し、兵たちは意気揚々と互いの健闘を称え合っている。
 そこにミンラ防衛の立役者である、瑞穂とマリオンがミンラ防衛の作戦本部が置かれているマットウ邸の庭に帰還してきた。
 瑞穂とマリオンが姿を現すとそこにいる兵たちは歓声を上げて、この二人の少女を迎え入れた。
 瑞穂とマリオンは兵たちの声援には応えるが、その表情は緩めていない。

「瑞穂さん、祐人さんは……」

「恐らく……いえ、間違いなく敵の召喚士と戦闘になっているわね」

「……」

 瑞穂は正面を睨みマリオンは俯き気味にマットウ邸の広い中庭にある作戦本部に向かい歩いていく。

「敵の召喚が止まっているのが、その証拠だと思うわ……」

「そうですね……。その……瑞穂さん、大丈夫でしょうか? 祐人さんは」

「マリオン、大丈夫よ。それにそれは、私たちが一番分かっているでしょう? 取りあえず情報が欲しいわ、マットウ将軍のところに行きましょう!」

「はい!」

 瑞穂の励ますような、その言葉は、瑞穂自身にも向けられているようにも聞こえ、マリオンはハッとするように顔を上げて、返事をした。
 前方に簡易に建てられた作戦本部が見えてくる。作戦本部の周りは慌ただしく兵たちが走り回っており、作戦本部は引っ切り無しに人が出入りしていた。
 瑞穂とマリオンはその外から見ても、慌ただしいのが分かる作戦本部周辺を見て、何か戦況に動きがあるように見え、無意識に足を速める。
 その本部周辺にはニイナの姿も見えた。
 ニイナはその細い体で食料の入った大きな箱を数箱重ねて担ぎ、兵士たちや避難してきたミンラの市民たちに配っていった。また、親とはぐれ泣いている子供を見つけると、ニイナは率先して話かけていく
 瑞穂はニイナが今、自分のできることを必死にこなしている姿を見て、笑みをこぼした。
 その時だった……
 瑞穂とマリオンの腹の奥底……体の中心に響き渡る、おぞましい悪寒の塊のような魔力の狂風が吹き抜けていく。

「ク!」

「な! これは!」

 瑞穂とマリオンは顔を歪め、思わずお腹の辺りを抑えた。その邪悪とさえ思えるその強大な魔力の波はミンラの町全体をも飲み込み、過ぎ去っていく。
 能力者であるが故に、強い影響を受けた瑞穂とマリオンだったが、中には勘の鋭い一般兵も辺りを見回すようにすると、首を傾げて、また己の仕事に戻っていった。
 特にマリオンはこの魔力に身に覚えがあった。

「こ、これは! まさか……ワンコ?」

 マリオンが思わず、口走り、顔を青ざめさせていく。

「っつ……え? マリオン、これが何か分かるの!? この感じ……この魔力……これはとんでもない奴だわ!」

「瑞穂さん! この魔力は以前に襲撃してきた巨大な魔獣のものに酷似しています。しかも、あの時とは比べ物にならないほど強く……」

「え!? それは!」

 これはミンラに来る途中に襲撃してきた巨躯の4本足の魔獣のものと、マリオンは確信した。そして、これはあの時のものとは比肩しようがないほど強大になっている。
 また、今の桁外れの魔力の咆哮は明らかに北の方角から……まさしく祐人の向かったグルワ山から来たものだと瑞穂とマリオンは直感した。
 瑞穂とマリオンは互いに目を合わせる。
 今、二人の浮かんだ考えは一致していた。
 今から、グルワ山に向かっても間に合うかどうかなんて分からない。
 そして、たとえ間に合い、祐人に加勢したとしても役に立つのかどうかも。
 瑞穂は体を翻す。
 しかし……その腕をマリオンが掴んだ。
 瑞穂がマリオンの行動に驚く。

「何故!? マリオン! 祐人に少しでも加勢がある方が!」

「瑞穂さん! 私も想いは一緒です! でも、祐人さんは私たちにマットウ将軍とこのミンラを任せて行きました。私たちはここで待つべきです。祐人さんを信じましょう!」

 瑞穂はカッとなりマリオンに反論をしようとするが、それができなかった。
 何故なら、あの普段、柔和でおっとりしているマリオンが涙を流していたからだ。
 しかも、その涙は……寂しさや悲しさから来るものではないと瑞穂にはすぐに分かる。
 それは、すでに瑞穂も涙を目に浮かべていたのだ。
 おそらく、そのマリオンの涙は自分と同じ涙。

「マリオン……」

「……はい」

「私は悔しい……自分の不甲斐なさが! 自分の弱さが憎い! あいつと同じ場所にいられない自分が!」

 瑞穂の腕からマリオンは手を離す。

「瑞穂さん、私もです。だから……私は、今、決めました。私は絶対に強くなります! そして、私はあの人がどこに行ったとしても、その帰る場所を守りたい……いえ、守ります!」

 瑞穂とマリオンは唇を噛み、涙も拭わず、ミンラの北の空を決意の顔で見つめた。
 そして……あの強力な魔力の波動が再びミンラの上空を駆け抜けていく。

「ク! また!」

「!」

 瑞穂は自分の右腕を左手で握りしめ、マリオンは、胸のロザリオを握った。

 その直後……

 瑞穂とマリオンは感じ取った。
 突然、形容のしがたい喪失感のようなものが、瑞穂とマリオンを襲う。
 そして、その喪失感は突然、湧き上がってきたかと思うと、さらに持続して喪失感の上に喪失感を上塗りしていく。
 瑞穂とマリオンは瞬時にあのグルワ山に向かった、少年の姿を思い浮かべた。
 だが、その少年の姿は思い浮かべても、思い浮かべても薄れていく。
 この時、ニイナが瑞穂とマリオンの視界に入った。ニイナは不安げな硬い表情で固まったように棒立ちになり、自分の胸を掴み、辺りを何度も見回している。

「み、瑞穂さん……これは……」

「ええ……」

 瑞穂とマリオンは自然に互いの手を強く握った。
 この喪失感を完成させてはならないと必死に抗うために。そして、北の空を切なそうに瑞穂は見つめる。

「使ったのね、祐人……」




「あの力を……。また他人のために……」