119-Epilogue ①



 祐人は朝になり、母校である吉林高校に登校した。
 ちょっと、やつれた顔で足もまだ覚束ない様子。
 あれから、祐人は朝まで寝てしまい、起きて我に返ると学校のことを思い出す。慌てて、制服に着替えると、居間で全滅している仲間たちにため息をしつつ、家を飛び出した。

「昨夜はえらい目にあったよ……みんなには感謝してるけど。でも、あれだな~、これからは、少しずつだけどみんなには常識っていうやつを教えていかないと。そ、そうだ、今度、講義をしよう。僕らの常識なんて知るわけないんだから。特に嬌子さんとサリーさんには!」

 昨日の経験で嬌子とサリーの18禁コンビだけは、何とかしないと駄目なことが良く分かった祐人だった。
 祐人は学校に近づくにつれて、少々、緊張する。

(一週間も休んだけど……どうなってるだろう? 一悟は上手くやってくれたかな……?いや、過度な期待は出来ないな。相手があの美麗先生だもんな……)

「はあ~、気が重いな……しかも、また、みんな僕のこと忘れてるだろうし……。あ、待てよ? ということは美麗先生も僕のことを忘れてる可能性があるんだ。ということは……切り抜けられるかもしれない!? い、いや……あの人は、休みの記録をしっかり確認してるよ。この生徒誰だ? ぐらいで、すぐに冷静に問い詰められるだろうな……」

 いよいよ、校門を抜けると、重い足取りで歩く祐人の前方に……真っ白な男子生徒を発見する。

(真っ白? 何だ? うちの生徒か? しかし、あんな全身真っ白な……うん? 違う! 真っ白に見えるのか! って!!)

 その真っ白な生徒はもしや、と思い、祐人はその生徒に駆け寄り、顔を覗き込んだ。

「あ!! い、一悟! どうしたの!? な、何があったんだ? 一悟!」

「ああ?」

 生気ゼロの虚ろな瞳で一悟は顔をゆっくりと祐人に向ける。

「ちょっと、一悟! 何なの、その力を使い果たしたプロボクサーのような姿は!?」

 一悟は祐人を見つめると……徐々に目を大きく開け、真っ白に見えていた髪の毛も黒に戻っていく。

「のわ! お、お前は! どこの祐人だ!?」

 一悟は大きく飛び退き、警戒心マックスの態度で祐人を睨んだ。
 その今まで見たことのない親友の態度に祐人は深刻な顔になる。

(あ……そうか……一悟も僕のこと忘れてしまったのか……って、うん? 今、祐人って言ってなかった?)

「もう無理だかんな! もう、無理無理! 俺にはフォロー無理! 勘弁して!」

「ちょっと、一悟! どうしたんだよ! 何の話をしてるの!?」

「…………」

 一悟の動きが止まり、ジーと祐人の全身を舐めまわすように見つめる。

「……な、何?」

「お前……祐人か?」

「は? 祐人だよ! 何を言ってんの、一悟は」

「ふふふ……そうか、祐人か。お前は祐人なんだな……ふふふ」

「な、何だよ……見りゃ分かるでしょうが」

 一悟は顔に影を作りながら肩を震わし、気味の悪い笑みをし、祐人は怖くなってきた。

「ふふふ……ふはははは! じゃあ、遠慮はいらねーな! 危なく俺の青春が粉々に破壊されそうになった、この正義の怒りを受けろ、この馬鹿祐人!」

「うわー! な、何だよ! 何のことか分からないよ!」

 突然、飛びかかってきた一悟を交わす祐人。

「黙れー! お前には何も言う権利などない! 俺の正義の鉄拳を受けろ!」

「言ってる意味が分かんないよ! 何があったんだよ!」

 一悟は完全にビーストモードだ。聞く耳すら持ってくれない。

「ふしゅー! しかも、お前……あの力を使ったろ」

 祐人は一悟のその問いに……顔を強張らせた。
 一悟の今のこの意味不明の怒りには……そのことが関係しているのかも知れない。一悟は、以前に自分のことを忘れてしまったことを謝ってきたことがあるのだ。
 その時の祐人は、自分が勝手に使った力なのに、そのことで一悟を悩ませていたことを知り、自分自身の考えの狭さに思い知らされたことがある。

「あ……ごめ……」

「ずるいぞ! 祐人!」

「……は? あれ? ずるい? ずるいってあんた」

「お前だけ、忘れられやがって! 俺はなぁ……俺は……ううう。この俺の背負った十字架はなぁ! そんな簡単には解けねーんだよ! それも全部、お前の仲間のせいで! つまり! それはすべてお前のせいだ!」

「な、仲間? 仲間って……? え? まさか……うちの?」

 一悟の言う仲間とは……いや、考えるまでもなく……うちの嬌子さんたちのことかと祐人は直感した。

(ま、まさか、僕のいない間に学校に来てたのか? それは一体……何のために? いや、何をしたの? あの人たち?)

「そうだ……そのおかげで、俺はな……俺はなぁ! たったの一週間で……」

「……(ゴクリ)」

「BL愛好会のアイドルランキング、ぶっちぎりの1位だ! 隠れBL愛好家にもな!」

「ええーー!! 何があったのー!?」

「うるせー! お前は忘れられたからいいけどな! 俺のはな、完全に歴史に刻まれんだよ! この女好きを誇りにしていた……この俺の、この俺の歴史に傷をつけたお前は……」

「そんなの誇りにすんなよ……」

「ぶっ殺――――す!!」

「のわー! 目が! 目が危なくなってるよ! 一悟君! 落ち着いて!」

(うん、これは、今は逃げた方がいい。取りあえず、一悟が落ち着くまでは!)

 祐人は、そう決断すると三十六計逃げるに如かずだ。すぐさま体を翻し、校舎の方へ走ろうとしたその時……祐人の肩をガシッと掴まれる。

「へ?」

「……やっと、捕まえたわよ、祐人」

 そこには……地獄の公爵……いや、幼馴染の少女が、常人とは思えない殺気を放つ目をし、祐人の肩を握りつぶさんがばかりにしていた。剣道部の朝練の後なのだろう、剣道着を身に着けているその少女は、もう片方の手に竹刀も握られている。

「ままま、茉莉ちゃん!」

「よくも先週、逃げ回ってくれたわね……」

 その横をいつもの登校風景のように同じく剣道着姿の水戸静香が通り過ぎていく。

「おはよう! 袴田君、堂杜君、茉莉! ホームルームに遅れないようにね~。私は先に行ってるわ」

 と、行ってしまった。
 前門には虎、後門には狼に囲まれた祐人は、その静香の後ろ姿を額から汗を流しつつ見守るばかり。

「祐人……」

「えっと……茉莉ちゃん?」

 後ろからふしゅー、と一悟の荒い息が聞こえた。
 茉莉の目がカッと見開く。

「あんたぁぁはぁぁ! 何がしたいの!!」

「ひー! 落ち着いて! 茉莉ちゃん! 多分、誤解だから! それ誤解だから!」

「女子生徒を垂らしこんで(傲光)! 男のくせに男子生徒全般のアイドルになって(白、スーザン、サリー)! 校内に井戸を勝手に作って(玄)! 最後は……全校巻き込んで祐人争奪戦なんて(嬌子?)! しかも……私に……あんなことまでして……突然消えて」

 最後は顔を真っ赤にして、声が小さくなっていく茉莉。
 何のことだか、さっぱり分からない祐人だが……何故かそれぞれの出来事に誰が関わっているのか見えてしまうのが辛い。

(でも……最後のは何? 何をされたの? 茉莉ちゃん……)

「責任は取ってもらうから!」

「責任!? 責任って何!?」

「ああ、責任だ! 管理不行き届きのな!!」

 祐人は前後から、茉莉と一悟に肩を掴まれた。
 そして……抗うことの無意味さを感じ取った祐人は目を瞑る。

(あああ、さようなら、僕……)

 下駄箱のところにいた静香は、遠くの方から悲鳴のようなものが聞こえてきたが、早く着替えようと鼻歌を歌いながら更衣室に移動した。



 その後……一年D組のホームルームを終え、無表情の美麗に職員室に呼ばれた祐人は、今後、一ヵ月の間、全校舎のトイレ掃除、及び広大な敷地を持つ吉林高校の草むしりを静かに命じられた。

「何か言いたいことは?」

「……何にもありません」

「よろしい……。今後、休まなくてはならない時は、必ず事前に連絡するように」

「身命に変えましても、そうします……」

 深々とお辞儀をした祐人はボロボロの姿で職員室を後にしたのだった……。
 廊下に出た涙目の祐人はこの時、誓った。
 なるべく早く自宅で講義を開こうと。
 その講義の科目は言うまでもなく「世間の常識」である。
 そして……今後のことも考え、今、家にはいないが、30近くいるらしい、自分の友人たちを全員参加させようと……心の奥底から誓ったのだった。

 祐人を見送った美麗は嘆息して、デスクワーク仕事に戻る。
 その美麗から見て後ろの方に職員室に設置されたテレビでは、ミレマーでのクーデター新政権の発足が大々的に報道されていた。
 また、マットウは国連の場で、ミレマーの民主化を宣言し、自身は軍を退役して政治家に転身することを伝えている。
 二年以内に新憲法の制定、五年以内の普通選挙を目指すことを発表し、各国へのミレマーへの投資と援助を求めていた。
 その報道番組では日本もミレマーの市場開放に好感し、積極的に援助と投資を促し、両国の関係向上に努めると日本政府の見解も伝えている。
 今回のミレマーの騒動では、クーデター時の内戦で数々の化け物が目撃されていると噂がたち、全世界のバラエティー番組にも取り上げられたことから、結構な長い間ミレマー特集は組まれた。
 だが、大方は迷信がまだ色濃く残っている発展途上国のオカルトバラエティとして扱われ、それ以上大きな反響は世間では起きていない。その反響はその後のネット上を熱くさせ、オカルトファンたちを長い間、喜ばせることにはなったのだが。



 首都ネーピーのマットウたちが現在、常駐している旧元帥府の一室。
 そこにグアランの直属だった若者たちが少ない休憩時間で一息ついていた。
 彼らはグアランの愛弟子として、カリグダの部隊が襲ってきた時に、グアランと共にネーピーを脱出しニイナの丘では共に死線を潜り抜けた仲間でもある。
 そのうちの一人であるササンは、皆から一人離れ、趣味である油絵を作成していた。
 そのササンの背後にコーヒーを片手に、互いに修羅場を潜った同僚でもあり戦友でもあるマウンサンがその油絵を覗き込む。

「へー、大したものだな、ササン」

「うーん、本当はもっと時間を割きたいんだけど……今は大事な時だから仕方ないね」

「ふふふ、それこそ、グアラン閣下に文句を言おうか。閣下も自分の文句を言いながら仕事をする時が来るって言ってたからな」

「……確かに、そうだ」

 二人は師である亡きグアランを思い起こし、静かに笑う。だが、その2人の笑みには隠しきれない敬愛と尊敬の念が込められていた。そして、それを言う権利がある自分たちに誇りも持っている。

「ああ、これはまさか……ニイナの丘じゃないか」

「ああ……そうだ。俺たちの命は、あの激戦で拾った命だからな。おかげでもう、何も怖くはない。それでか分からないが……どうしても思い出してしまうんだ。あの丘での戦いを。いや、忘れないためかな……これをどうしても記憶の鮮明なうちに描いておきたいのさ」

「そうか……。これがマットウ将軍に、これがグアラン閣下だな。うん? これは……誰だ?」

「え?」

 マウンサンがその絵画に描かれている数々の兵士の中に一人の少年らしき姿をした人物に指をさした。しかも何故か、その少年らしき人物の手には場違いに刀のようなものが握られている。
 その少年は兵たちの前面に立ち、まるで皆を鼓舞しているようにも見えなくもない。
 マウンサンの指摘にササンは自分の描いた絵にも関わらず首を傾げてしまった。

「いや……あれ? 分からんな。いつの間に描いたんだろう? 昨日、珍しく時間がとれて夢中で描いていた時に、描いたんだと思うが……何だ、この人物は?」

「おいおい、自分で描いてたんだろう?」

「……ああ、確かに、そうなんだが」

 ササンとマウンサンはしばし、その未完成の絵を見つめる。
 すると……マウンサンが声をあげた。

「いいんじゃないかな? いや、俺には絵心はないんだが……」

「……?」

「何故か……この人物はここに欠かせないような印象を受けるんだ。そう、何というか、俺たちを勝利に導き、勇気を与えた守り神、または英雄といったような感じだ……」

「……そうだな。何故か俺にも、これは絶対になくてはならないように思える。自分で描いておきながら言うのも変なんだが、この絵の象徴とも言えるかもしれないぐらいに……」

 二人は同時に頷き、ニイナの丘での兵士たちが描かれたその絵を見つめていると、背後の同僚から声が掛かった。

「さあ、休憩は終わりだ。仕事は無限にあるぞ、喜べ、みんな!」

 その掛け声に応じ、そこにいるミレマーの若者たちは、苦笑い気味に立ち上がり、仕事に戻っていった。
 だが、それぞれの目には、これからのミレマーを支えるという、その決意が込められている。

 そして、誰もいなくなったその部屋には……、

 ササンの描くニイナ(むすばれた)の丘が描かれた油絵だけが、その場に残されたのだった。