143-Mari's destination ③




 茉莉と祐人は校舎の屋上に着いた。
 一悟はまだ来ていない。
 祐人は大きく息を吸うと屋上の中心の方まで歩き、毒腕によって破損した床のすぐ傍に立ち振り返った。
 茉莉は左腕を右手で掴み、うつむいていた。

「茉莉ちゃん……」

「うん」

「単刀直入に聞くね……今日のお昼休み、ここで起きたことを見た?」

 祐人は視線だけ破損した床に移した。

「……うん」

「そっか……」

 茉莉はまだうつむいている。
 祐人はその茉莉の態度を見て、何とも言えぬ寂寥感を感じた。
 この話し合いは、別に茉莉を責めるものではないのだ。
 何故なら、別に茉莉は悪いことをしたわけではない。
 そして、それは祐人も一緒だ。こそこそ隠れて悪いことをしていたわけではない。
 祐人は自分の家の特殊性から、たとえ仲が良い間柄でも言うことが出来ない事情を持っていただけだ。
 祐人は茉莉を見つめて、言葉を探す。
 そして、茉莉もその祐人を力なく見つめ返していた。

「……」

「……」

 すると意外にも茉莉は祐人よりも先に口を開く。

「祐人……」

「うん?」

 茉莉からの問いかけに祐人は茉莉に顔を向けた。
 この時、茉莉はその祐人を真剣に見つめ、以前に吉林高校近くの公園で祐人が一悟に語った、祐人は能力者なる者で、また、その力を極限に振るうときに副作用のようなものがある、という内容が反芻される。

「公園の時の話は……本当だったのね?」

 祐人は一瞬、目を見開くがすぐに元に戻し、体の正面に茉莉を置く。

「……うん」

「じゃあ、あの時に言っていた周囲の人に忘れられてしまうことがあるっていうのも?」

「うん……本当だよ」

「……」

 茉莉は再び目を落とした。どうしても聞いておきたかったことが今、確認できた。
 そして、茉莉は胸中に、これまでの祐人との交流に思いを馳せる。
 茉莉は、祐人は周りの人たちとの繋がりが、どうしてこうも薄いのかと疑問に思ったことは実は何度もあった。唯一の祐人の同性の友人と言っていい一悟でさえ、祐人と中学三年の時に、突然距離を置いた。人との付き合いが上手い静香も中学二年の時、同じクラスだった祐人のことを忘れていた。
 今日、茉莉が知らなかった、祐人の常人とはかけ離れた力を見せられ、茉莉は今まで、祐人に対して感じていた違和感が、すべて……繋がる。

 そして、それと同時に今の茉莉にはこれらを忘れさせるほどに込み上げてくる、ある思いがあった。それはこの昼休みに祐人の自分の知らない、もう一つの姿を見せつけられ、このことに気づいた時か ら生まれたものが、心の中にこびりついて離れることがない。
 それは……

 祐人は孤独ではなかったのか?

 もう、今の茉莉は自分のことなんてどうでも良かった。今、自分が感じている不安も疎外感も喪失感もどうでもいい。
 たとえ、祐人が今の自分をどのように思っていたとしても……。
 茉莉の瞳が潤み、大粒の涙が茉莉の頬に流れるのを見て、祐人が驚く。

「え!? ま、茉莉ちゃん、ちょっと!」

 茉莉は驚く祐人を見つめながらも、今までの自分のその鈍感さに、嫌気がさしていた。
 茉莉は今、自分を責めることでしか、その場所に立っていられなくなっている。

「祐人……ごめんなさい、気づいてあげられなくて。祐人、ごめんなさい、祐人の話を信じてあげられなくて。私は祐人に、祐人に……何も……してあげれなかった」

「な、何を言ってるの茉莉ちゃん! 茉莉ちゃんが泣くことなんて何もないよ!」

 祐人が茉莉の両肩に手をかけるが、茉莉は力なく揺れているだけ。
 確かに祐人を一度も忘れたことのない茉莉にとって、祐人が人の意識の中から存在が消えるという常識外のことを受け入れるのには他の人よりも困難があったと言えた。それは祐人の近くで祐人の存在を強く感じていた茉莉であるが故のものでもある。
 だが、それよりも、祐人の周囲の反応に気づかなくもなかったが、深く考えなかったということに関しては茉莉らしからぬことだったかもしれない。
 普段は人間関係において視野の広い茉莉だが、祐人のことになると、一元的にものを見ることが多々あった。つまり、茉莉は茉莉と祐人だけの関係を見てしまう癖があるのだ。
 この少女にとってらしくないのは、むしろ、その祐人のときにだけ顔を出す、この自分の癖に気づいていなかった、ということの方かもしれない。
 茉莉は滲む視界の中、祐人を見た。
 祐人がこちらを不安そうに心配するような顔で自分を見ているのが分かる。だが、今の心の弱った茉莉には、その祐人の優しさが誰にでも見せる気配りのようなものに見える。
 そして、それは自分に向けられるものとしては、当然のものだとも……思ってしまう。
 祐人はこうやって誰にでも優しいのだ。
 だが、その祐人が茉莉にとっては意外な反応を見せた。
 祐人が大きく溜め息をついたのだ。

「あのね、茉莉ちゃん、取りあえず、ここに茉莉ちゃんを呼んだ要件を話すね」

 祐人は茉莉の肩から手を放し、自分の頭を掻く。

「今日、見たことは誰にも言わないようにして欲しいんだ。まあ、いきなりそんなこと言われても何かの冗談だと思って、誰も信用しないかもしれないけどね」

「え?」

 祐人の言葉とその言いように茉莉は顔を上げた。口止めに関しては当然だと思うが……祐人に言いようが、どうにも皮肉っぽい。それは明らかに以前、自分が祐人の言うことを信じなかったことを揶揄しているようだった。
 そして、その祐人が意地の悪い顔をして自分を見ているのを確認して、それに間違いはないだろうと思う。茉莉の知る祐人としては珍しい表情だ。

「分かってる……絶対、誰にも言わないわ」

「うん、お願いするよ。こんなこと周りに言ったとしても、茉莉ちゃんも中二病とか言われたりするかもしれないけどね」

 この発言で祐人がこのことに根に持っていると分かる。
 余程、頭にきていたのだろうとも。
 茉莉は申し訳なさそうに眉をハの字に寄せると、涙を拭いた。

「ご、ごめんなさい……祐人。私……」

「茉莉ちゃんってさ、いつも僕にだけはやたら厳しくて、いちいち、説教してきてさ」

 この突然の祐人の思いがけない話に茉莉は顔をさらに暗くして、目を落とす。

「一回、道場で勝ちを譲っただけで、数ヵ月無視してさ。何度も謝ってんのに、ちっとも許してくれなかったり」

 茉莉は目を大きくし顔を上げた。

「そ、それは祐人が! 私より……強いのに……。……ごめんなさい」

「僕のこと振ったくせに、そのあとも普通にしていて、こっちが気を使ったよ。正直、放っておいて欲しい時もあったのに」

「そ、そんな……」

「あとさ、周りには気が利くとか、お淑やかとか言われてるくせに……そんなの僕は見たことがないんだけど? どこが!? って周りに言ってやりたかったよ。いつも僕には変わらず、うるさいのに」

「え?」

 そこまで言う?

「夜遅くに僕に相談もしないで、勝手に引っ越し祝いとか言って押しかけてきて」

「あ、あの時は……祐人だって泣いて喜んでたじゃない……」

 茉莉は思わず言い返してしまうが、今はそんな立場ではないと弱々しく尻すぼみになる。

「中学の時に僕が一悟に貸そうとした秘蔵の本を取り上げてさ! それと先日の一悟の秘蔵の本(巨乳特集)を借りたくらいで怒って」

「そ! それは祐人があんないかがわしい本を学校に持ってくるから!」

 さすがにイラッとする茉莉。

「あ、そう言えば、最近、牛乳をたくさん飲んでるみたいだけど、あれで胸が大きくなるのは嘘だから」

「な!」

 茉莉が顔を真っ赤にし、愕然とするように後退る。
 どこから……それを? と思うが、静香の顔が脳裏に過ぎった茉莉。

「茉莉ちゃん、勉強できるのに、そんなことも知らないの? 大体、そんなんで胸が大きくなるわけないでしょうが。まあ……残念だったね」

 チラッと祐人が茉莉のある部分に目を移した。

「ななな!」

 茉莉は祐人の視線から逃れるように胸を抱く。

「い、今だって、そんなに小さくないわよ!」

「プッ」

 祐人の馬鹿にしたような態度に、茉莉は床に目を落としつつも段々とワナワナし、こめかみの血管を浮き上がらせた。
 だが、そんな様子にも意に返さぬように祐人は続ける。

「それで今度は、僕が本当に能力者だって分かったら勝手に落ち込んで泣いたり? ほんと面倒くさい」

「……(プチン!)」

 茉莉の中で何かの糸が切れたような音が鳴り響いた。
 確かに、自分の今までの祐人への態度はなかったと考えるが、この扱いはないのではないかと思う。
 特に胸のことは。

(だって、祐人は大きい方が好きなのかと思って……違う! 私も女性として気にしていただけなのに!)

 茉莉の顔が徐々に上を向いた。

「い、言いたいことは……それだけのようね……祐人」

「……え? ひ!」

 ギンッと茉莉の目が祐人を射貫く。
 肩が跳ねあがる祐人。
 茉莉が鋭い眼差しで祐人ににじり寄ってくるのが分かり、今度は祐人が後退った。

「わわわ、私だって、至らないところはあるわよ。祐人に迷惑をかけていたことも、分かってるわ。で、でも、それは全部、私なりに……祐人のことを考えて! 私は祐人といつかって……」

「でもさ……」

 茉莉はさらに言葉を発しようとしたが、出来なかった。
 何故なら、目の前の祐人が茉莉を見つめ、その表情は落ち着いたような大人ような顔で……微笑んでいたのだ。この表情は……以前にも見たことがあるが、あの時よりも……暖かい、というか、他人事のようにした微笑ではなかった。

「茉莉ちゃんは僕のことを……覚えていてくれた。今、話したことも、全部、伝わるもん。僕と茉莉ちゃんの間に起きたことは一度だって無かったことになっていない」

「!」

 茉莉の目が大きく広がる。
 今、祐人が……屈託のない笑顔の祐人が茉莉の目の前にいた。
 それは自分が以前から知っている告白を受けた時の祐人ではなく、その祐人に何かが加わって、強く、逞しく、それでいて包容力のある姿になった異性としての祐人。
 そして……その茉莉の広がる視界のすべてが祐人で埋められていく。

「茉莉ちゃん……僕はね、茉莉ちゃんに感謝をしていたんだよ? 茉莉ちゃんのおかげで僕の日常は、最後の段階で一度も……孤独にはならなかったんだから……」

 茉莉と祐人の間に緩やかな風が流れ、茉莉の栗色の髪がフワッと持ち上げられた。
 茉莉の胸の鼓動が速くなり、その茉莉の整った顔が朱に染め上げられていく。

「だからね、茉莉ちゃん……もう謝らないでね? それと泣くのも禁止。僕はもう、茉莉ちゃんからいっぱい貰っているんだよ、それは日常っていう掛け替えのない時間を」

 祐人の言葉に茉莉の時間が止まった。
 茉莉の心に今までの祐人との思い出があふれ出てくる。

(私は……何も分かっていなかったのね。祐人はこんなにも……変わっていた。私の知らない間に……ううん、私だけが見ていなかったのね、今の祐人を。それに……やっぱり、祐人は昔から祐人だった)

 茉莉の夢にまで見た祐人が、今、そこにいた。
 いや、茉莉の考えてきた理想の祐人とは少し違う。自信に満ち溢れ、力強い態度ではない。だが、そんな表面的な事ではないのだ。
 確かに以前にはない祐人を感じる。でも、祐人はどこまで行っても祐人だ。出会った時から知る祐人のままだ。
 その祐人に惹かれて、その祐人に意識が集中していたにも関わらず、自分のこだわる形に祐人を当てはめようとしたのは自分だった。
 今、祐人のすべてが輝いて見えるのは、自分自身が変わった……いや、自分の心に素直に従うことが出来るようになっただけ。
 茉莉は衝動的に祐人の胸に飛び込んだ。

「祐人!」

「うわ! な、茉莉ちゃん!」

 茉莉は真っ赤な顔で祐人を見上げる。
 こんなにも幼馴染の顔が近くになったことのない祐人は驚き、狼狽えつつ、飛び込んできた茉莉を見返す。
 祐人は下から見上げる茉莉の潤んだ瞳にドキッと心臓が跳ねてしまった。

「祐人……私、祐人のこと……祐人のことが!」

 祐人は茉莉の意外な行動に動くことが出来ない。
 茉莉は意を決したように、口を開こうとする。
 が……その時、屋上のドアがバン! と開いた。



 この祐人と茉莉との話し合いの数分前、一悟は祐人との約束で屋上に向かって急いでいた。すれ違うお嬢様を驚かせて「あ、ごめんね!」と謝りながらも、階段を駆け上がる。

「やべー! 俺としたことがお嬢さま方との話が楽しくて遅れちまった! 今頃、説明下手の祐人が狼狽えてるかもしれねー! って、うん? なんだ?」

 一悟は屋上の扉まですぐのところで、その屋上の扉に押し合いながら張り付いている団体が目に入った。
 何やら小声で言い合っている。

「瑞穂さん、あまり押さないで下さい」
「しょうがないじゃない、マリオン。よく見えないのよ……ってニイナさん、ずるい!」
「そんなこと言っても……」
「むう、茉莉……泣き止んだ」
「なんで花蓮さんがいるのよ!」
「……ただの好奇心」
「邪魔よ!」
「みんな人のこと言えない」

 一悟は目の前で押し合いへし合いの少女たちの面々を残念そうに見つめる。

「……」

 一悟は、なんだかなぁ、と思いながらその一団の後ろからドアの隙間に目線を合わせる。

「で、どんな感じ? マリオンさん」

「わ、袴田さん! いえ、何とも……」

「どれどれ……」

 一悟は祐人たちの姿を確認しながら、その会話に耳を傾けた。

「へー、あんな白澤さんは珍しいなあ。相当、へこんでるな、ありゃ。おお、祐人が白澤さんに文句言ってるわ、こりゃまた、珍しい」

 一悟の反応にマリオンは顔を向ける。

「袴田さん、あの2人って、どんな関係なんですか? その……幼馴染とは聞いてますけど……」

「気になります? マリオンさん」

「あ! いえ……立ち入った話ならいいんですが」

「いや、まあ、見たまんまと言えば、見たままですけどね。傍から見てると、優秀で頭でっかちの女の子とお人好しで無欲な男が思ったより仲良くなった絵、って感じでしたね」

「そうなんですか……でも、それだけですか?」

 マリオンの不安そうな顔を見て、一悟は苦笑い。

「ははは、こりゃ……祐人もいつの間に。うん、後で、締め上げよう……いや、殺そう」

「あ、え? そういう意味じゃ……」

 一悟はマリオンが耳を赤くしているのを面白そうに観察すると、ドアの隙間から見える祐人と茉莉に目を向けた。

「まあ、付き合いが長い分、そりゃ色々ありましたよ。青春っぽいのも。ただ……俺の感覚だけど、今の祐人から見れば白澤さんは貴重な友人って感じだと思うよ?」

 マリオンは一悟の話に一瞬ホッとするようにしつつも、真剣な顔で聞き入りながら目を落とす。

「そうですか……昔からの祐人さんを知ってるんですよね……白澤さんは」

「うん? マリオンさん、俺の持論だけど男女の付き合いに時間なんて関係ないよ。そんなこと言ったら、全部、最初にというか、より古くから出会った恋人同士が総取りじゃね? でも世の中のたくさんいるカップルはそんなことないでしょう?」

「え? あ、そうですよね!」

「そう、男女の間で大事なのは……」

「だ、大事なのは?」

 マリオンはググッと一悟の耳を近づける。
 そして……実は一悟の話を聞いている瑞穂とニイナの耳がピクッと動いた。
 花蓮は祐人と茉莉に集中し、一悟の話には興味はなさそう、

「距離だよ! その二人の距離」

「距離……心の距離ですね……? なるほどです! 隠し事もなく何でも話せたりですね! そうですよね! いくら長く一緒にいても、心が通わなければ意味ないですよね、それなら確かに時間は関係ないです」

 マリオンは輝くような笑顔を見せ、胸の前に両手を握りしめた。そして、一悟からの貴重な話に心から感謝する。マリオンも同世代の男性の友人はほぼいないため、一悟の男側からの意見を聞けて本当に良かったと思った。
 だが、一悟は感動に打ち震えているマリオンを不思議な生き物を見るような目を向ける。

「は? なに言ってんの? マリオンさん」

「え!? 違うんですか!?」

 同じく、良い話を聞いたと思っていた瑞穂とニイナも愕然としている。
 前を向きながら。

「はあー、まったくマリオンさんは……。ここで言う距離っていうのは……」

「それは物理的な距離……」

 花蓮が、当たり前のこと、とでも言わんばかりに前を向きながら口を挟む。

「お? その通り! 具体的にはお互いの身体の距離! よく分かってるじゃん! そこの子! ……って誰?」

「ななな! ぶぶ、物理的? か、身体の……?」

 マリオンは一瞬、花蓮と一悟の言っている意味が理解できなかったが、すぐに顔を真っ赤に染め上げた。そして……自分の身体を無意識に抱きしめてしまう。
 すると一悟はまるでスイッチが入ったように熱く語りだした。

「心の距離なんていう、そんな不確かな測れないもんなんぞ気にしてられるか! どこまで自分がその女の子に近づくのを許されるかのみ! カップルとそうでない男女の物理的な距離を見よ! じゃあ、聞くがマリオンさん、どうでもいい男があなたの近くに寄って来たらどう?」

「そ、それは困ります」

「でしょう! じゃあ、マリオンさんはその物理的に非常に近い距離に誰なら入れる!?」

「ふえーー! そ、そんなこと……」

 一悟の眼力が怖いマリオンは涙目。

「フッ……今、頭に浮かんだその異性が、マリオンさんと距離が近くなれる奴なんですよ! そいつが近づいてきた時、マリオンさんは近づいてくることを断らない」

「……!」

 フルフルしているマリオン。
 何故か、その前で耳を赤くしている瑞穂とニイナ。

「男はこの距離を詰めるために、日々、努力していると言っても過言ではない。1センチでも近づくことを許されるようにと!」

 カッと目に力が更に籠る一悟。
 その時、フッと花蓮が不敵な笑みをこぼす。

「そして、これを女は利用することある……」

「「!」」

 瑞穂とニイナが花蓮に驚きの目を向ける。

「そう……たまにその距離をわざと見間違えさせる、手ごわい女の子もいる。ただ、これが駆け引きというやつです。男はこれに騙される奴が多いが、その距離に入っていい女の子と入ってはいけない女の子を見極めなくちゃならない!」

 マリオンは考えたこともない知識が入って来て驚きの連続。
 瑞穂とニイナの耳が小刻みに動いている。

「これらの厳しい条件を潜り抜け、最終的に男女が目指すのは……」

 一悟の最終的という言葉にマリオンがゴクリと喉を鳴らした。

「……ゼロ距離」

「ゼゼゼ、ゼロ!!」

 頭から大量の湯気が出し、マリオンはその場に力なくペタンとお尻を床につけてしまう。
 その前では瑞穂は首から上が真っ赤にし、ニイナは両手で顔を覆っている。
 すると最前列の中央を占めている花蓮は肩を竦めて、嘆息した。

「しかし、女が密かにOKしているのに……その距離に入って来ないヘタレな男も多い」

「いるな! そういう草食どころか、どれが食べれる草かも知らずに草原をウロウロしている奴が! まったく嘆かわしい限りだよ」

「「「!」」」

「そういう時……行き詰った時……女も自ら出陣しなくてはならない時もある」

 花蓮の言う内容にマリオンの目がこれでもかというくらいに大きい。
 一悟は、うんうん、と頷き腕を組む。

「そう……基本は男がその距離を詰めなくてはならない。だが、女の子の方からだって動く時もあるんだよな。まあ、女の子に……そこまでさせるには、男はどれだけの研鑽を積まなくてはならないか……と俺は常々考えているよ。それを経験できれば男として一人前……」

「あ、茉莉が……胸に飛び込んだ」

 花蓮の抑揚のない報告。

「は?」
「え?」
「うん?」
「今、その子、何て言った?」

 一瞬の静寂。

「はーーーーん!? 何だとぉぉ!!」

 一悟の発声と同時に全員がドアの隙間に集まる。
 勢いよく4人が花蓮の後ろと横から一点に集まったことで、全員の態勢が不安定になった。

「ちょっと、なんなのよ! 何であんな雰囲気なの!?」
「あ、あれはまずいです! あの白澤さんの表情は!」
「いつの間に!?」

「茉莉は……告白態勢に移行。そして、ゼロ距離の合わせ技」

 花蓮の実況。

「な! ととと、止めないと! マリオン!」
「そ、そんなこと、言われても、どうやって止めるんですか? 止める理由が!?」
「こ、これが日本流ゼロ距離……」

 極度に慌てふためく少女たちの傍らで、この祐人と茉莉の状況を確認し、最も怒りを露わにしたのは……一悟だった。
 一悟は身体をプルプルさせて、腹の底から絞り出すような声を出す。

「ふざけんなぁ! 祐人ごときがぁぁ! あいつが男として一人前になるのは100万年早い! いや、俺より先なのが許せん!」

「お前、本音出てる……」

 花蓮のツッコミなど知ったことかと、一悟がドアの隙間に最後尾からへばりつこうとし、その一悟の強引な移動に全員が巻き込まれる。
 結果、バンッと音を立ててドアが開く。

「させるかぁぁ! 祐人!」
「ああ! ちょっと! 袴田さん!」
「い、痛いわよ!」
「きゃ!」
「惜しい……もう少し見たかったのに」

 倒れるように出てきたのはニイナ、瑞穂、マリオン、花蓮、そして一悟だった……。
 突然、飛び込んできた面々に硬直する茉莉と祐人。
 だが、茉莉はハッ我に返り、祐人から離れる。
 そして、その面々の中からすぐさま態勢を立て直し、一歩前に出てきた一悟は言った。

「この食べられる草も分からず、ただ草をむしっている、この『草むしりの人』が!! この俺を飛び越していくのだけは許さん!!」

「何の話!?」

 さらに一悟と共に出てきた少女たちも立ち上がり、全員、大きく頷いた。

「何の同意!?」

 祐人の疑問に答えるものは誰もいなかった。
 そして、その祐人の後ろでは、あまりの恥ずかしさに頭を抱えつつ目を回し、自我が崩壊しかかった茉莉がいたのだった……。