181-Passing ⑬




 茉莉は清聖女学院の広大な敷地内にある寮を出て、一人教室に向かった。
 早朝に目が覚め、その後、何故か部屋にじっとしていることが出来ず、登校することに決めたのだ。
 静香には先に行くね、とだけ伝え、緑豊かな学院敷地内を眺めながら校舎に向かう茉莉。
 茉莉はこの時、自分の中にフワフワするような、目の前の景色に現実感を覚えない、まるで夢を見ているような不思議な感覚に戸惑っていた。

(何かしら……最近の私、変だわ。今日は特に……祐人の夢を見てから)

 今朝、夢の中に現れた怪我を負った祐人は妙にリアリティーがあり、今も茉莉の胸をモヤモヤさせている。

(祐人……夢の中の祐人はすごくイライラしているようだった。自分にとって許せないことが重なって……何とかしようと考えているのに思うようにいかなくて……え?)

 ハッとしたように茉莉は歩みを止めて、胸の辺りに右手を添える。

「……祐人!? また祐人が……」

 茉莉の頭の中で一瞬、映像が弾けた。
 また、一瞬ではあったがその映像には祐人だけではない、様々な人の姿が見えた。
 その中には知っている顔もあった。
 瑞穂やマリオンも見えたのだ。しかもその二人の表情は驚愕と恐怖が混じりつつも、何かに立ち向かうような顔だった。
 そして……祐人の前に立ち、祐人に劣らぬ重傷を負いながらも鋭い眼光で棒のようなものを持った男性。
 その鋭い眼光は……茉莉にはとても悲しく、不器用な決意が込められているように……。

「つうっ!」

 茉莉は激しい頭痛にその場に片足をつく。数百メートルを全力疾走した後のように息も荒くなった。
 すると……背中で息をする茉莉の体を包むように僅かな光が出現する。茉莉は体を震わせて、あらぬ方向に潤んだ目を向けた。

「祐人……冷静になって。それ以上のすれ違いは……ダメ」



 祐人は今、怒りに打ち震えていた。
 目の前にいる止水が、瑞穂たちに攻撃を加えたことが許せない。
 瑞穂と明良が上手く防御してくれたからいいものの、一歩間違えれば瑞穂もマリオンも明良も死んでいたかもしれないものだった。
 祐人は倚白を握りしめ、歯ぎしりをし、止水に対する考えを改めていく。
 当初、止水は志平たちのために仕方なく闇夜之豹に従っていると思っていた。
 こうやって自分と死力を尽くして戦っているのにも、何か理由があるとも思っていた。
 だが……。

(こいつは……既に志平さんたちを捨てたのかもしれない。今はただ、金のために依頼をこなすだけの……死鳥としてここにいるのか。であれば……こいつは自分で言った通り、僕を退けた後、全員に攻撃を仕掛け、マリオンさんを攫っていくつもり……)

 全神経を止水に集中させている祐人の身体から禍々しいほどの殺気が漏れ出していく。
 その祐人の姿を見た止水は棍を握る右腕で口元を隠し……ニヤリと笑った。
 突如、止水から全力の仙氣が噴き出す。
 これを見た二人に走り寄る志平は顔を青ざめさせた。
 志平には分かるのだ。
 止水の捨て身の本気の攻撃が。
 もう祐人に止水を自分の前に連れてくる余裕も気持ちもなくなったことが。
 そして……次の一撃で決まってしまうことが。

「止めてくれぇぇ!」

 止水が、祐人が動く。
 互いに動くのは右腕一本。
 止水が全身全霊の棍を突き出す。そして強力な止水の仙氣を吸った黒塗りの棍は数倍の大きさに膨れ上がり、その先端は祐人の上半身ほどの大きさにまでなった。

「!」

 祐人は回避が間に合わず、神速の巨大な棍に祐人の身体が倚白ごと粉砕され、全身の骨という骨が砕け散る。
 志平は愕然とし、祐人が山林に吹き飛ばされるのを至近で確認してしまう。

「祐人ぉぉ!!」

 志平が愕然とし、止水に目を移すと止水は……笑みを零していた。

「え……?」

 その止水の笑みは……以前、お腹を空かした子供たちのために嵐の中、獣を捕りに出て行こうとしたときに見せた笑顔に似ていた。
 それでいて、満足気に優し気で安らかな笑みだ。
 その止水がこちらを見たような気がした。
 気のせいかもしれない。
 この戦いは一瞬のものだ。
 そんな時間はないはずだった。
 だがそれどころか、その止水が自分に話しかけてくる。

「志平、お前は自分が思っているよりも立派に成長した。もう一人前と言っていい。だから、子供たちを頼んだぞ。玉玲はまだまだ幼い、夜は一緒に寝てやってくれ。我が誇りの弟……志平」

 志平が目を大きく広げた。

「止水……何故、そんなことを……今……」

「そして、見事だ。堂杜祐人!」

 言葉を遮られ「え?」と志平が止水に目を向けると止水の背後に人影を見た。
 止水の背後に忽然と現れた祐人は強烈な殺気を内包した目で止水を見下ろし、倚白を振りかぶる。
 そして、倚白が止水の脳天に振り下ろされた。止水をこの世から消し去る倚白の刃が止水に迫る。
 祐人は冷たい目で止水の背を睨んだ。
 ……その時である。

“駄目!!”

 祐人は耳を疑った。

(え!? これは……茉莉ちゃんの声!?)

“祐人、その人をもっと見てあげて! いつもの祐人なら分かるはずよ。その人の想いが! その不器用で悲壮な決意が!”

「これは!?」

「ぬ!?」

 茉莉の声が聞こえたと思うと同時に凄まじい霊力を含んだ一陣の風が上空から祐人と止水を包みこむ。
 その強くも柔らかい風は止水と祐人を繋げていった。



「ここは……?」

 今、祐人の目の前に止水が立っている。
 周りには何もない。
 空も大地もない空間に、ただ祐人と止水は向かい合っていた。
 だが、不思議なことに不安は感じない。むしろ、気持ちが穏やかになっていくのを祐人は感じていた。
 止水も自分に何が起きたのか分からないように、呆然としている。
 祐人と止水は……状況が掴めないまま目を合わせた。

「「!」」

 祐人と止水は目を大きくする。
 何故ならば、その目を合わせた途端に……祐人の中に止水の心の断片が入ってくるように、止水の考えが、想いが伝わってくるのだ。

「し、止水……あんたは……」

 それと同じことが止水にも起きていた。

「これは、一体……? 堂杜祐人……それで志平と俺に強く拘ったのか……」

 祐人と止水は互いの目を見つめる。
 このような状態。これには二人にも覚えがある。
 それは達人同士が極限に集中力を高めて相対した時にのみ起きる〔ゾーン〕と呼ばれる存在だ。
 命を懸けて戦った者同士が僅か一瞬の間に、数々の会話をしていたり、聞いたはずはない相手の情報を知ってしまう現象。
 スポーツで起きるボールや人が止まって見える、こちらにボールが来ると分かっていた、というものや、囲碁や将棋、チェスなどのテーブルゲームで始める前から勝ち筋が見える等々、科学では説明のできない確信や自信を持つ現象の上位互換とも言える。
 それらの経験を二人はしたことはあったが、ここまでのものは初めてだった。

「燕止水……あんたは不器用すぎるよ。あんたは燕止水であるべきだ。死鳥なんかじゃない。鴻鵠の燕止水だよ! あんたはここで死んでは駄目だ!」

「堂杜祐人……お前はお節介が過ぎる。だが、そうなるだけのものがお前にもあったのだな。お前の背負うものは……重く、そして辛いな。それでいて、お前は俺と違い……」

「燕止水、僕を信じろ。志平さんと話をしてやってくれ。その後に決まったことなら、僕は何も口を挟まない。そして、協力だって惜しまない」

「そうだな……それもいいのかもしれん。だが、もう遅い。もうお前の振り下ろした刃は止められまい。気にするな……そのまま終わらせてくれ。俺の生は呪われていたんだ。そして、依頼と称しそれだけのこともしてきた。社会の暗部に身を置くしかなかった俺のこの呪いはいつまでも付きまとう。この呪いは俺だけのもの、志平たちにだけは触れさせはせんよ」

「まだ分からないのか……あんたの呪いはとっくに解けていたんだ! 燕の姓を名乗ったその時から!」

「……!」

「見ていろ! あんたを死なせて楽にはさせない。生きて荷物を持ちながら苦労してみせろ!」



 祐人は渾身の力で振り下ろした倚白の刃を見る。
 一度、放った刃を止めるのは容易なことではない。
 祐人は犬歯を見せながら、強引に自分の右腕に命令を下す。

「ぬああああああ!!」

 祐人の右腕が悲鳴を上げて、筋肉を繋ぐ数本の筋が断裂する音を上げた。
 これにまるで息を合わせるように、止水もなけなしの仙氣を振るい出来る限りの力で、祐人の倚白の軌道から逃れようと動く。
 倚白の刃は地面を叩き、大地を切り裂いた。
 志平は激しい衝撃風を受けながらも、足を止めずに二人に近寄る。

「止水! 祐人!」

 土煙の中、叫ぶ志平は二人の姿を必死に探した。
 やがて、視界が開けてくる。
 そこには……大地に倚白を突き刺す祐人とその横に倒れている止水がいた。

「ああ! 止水!」

 志平が涙目で倒れている止水の横で膝をついた。

「し、死なないで、止水! これからだってもっと教えてほしいことが……違う! 一緒にいてくれるだけで!」

志平の眼から大粒の涙がポタポタと地面に落とす。

「……泣くな、志平。大の男が泣くな。良い男が台無しだ、志平坊……と、思思なら言ったろうな」

「え!? 止水!」

 止水が無事であることが分かり、志平は目を大きく広げた。

「兄さん……止水兄さん! ふざけんなよ!」

 倚白を落とし、祐人は止水に近づき止水を見下ろす。

「あとは二人で話し合って決めなよ、燕(・)止水」

「……ああ、そうすることにしよう」

「じゃあ、僕はまだやることがあるから、行くよ」

 祐人のセリフに志平は驚く。

「え、どこに? 祐人」

「あの妖魔化していている連中を……倒す! あの術には見覚えがあるんだよ。先ほどの女呪術師の仕業だろうね。ちょうどいいから、そいつも叩きのめす。聞きたいこともあるしね。それで……今回のすべての依頼が完遂だ!」

 祐人の睨む先に、志平も目をやると……そこには体が異常に膨張し、化け物のように変形していく、捕らえたはずの闇夜之豹たちが蠢いていた。

「あああ、あれは!? うちの子たちが! た、助けないと!」

「志平さん、大丈夫。約束したでしょう? 安心した生活が手に入るまで僕が助けるって」

「何を言ってんだよ! そんなボロボロの状態で! あんな化け物に!」

 すると、祐人の横に体を震わし、祐人と同じくボロボロの止水が立ち上がる。

「……助成しよう。堂杜祐人」

「はーん!? 何を言ってるんだよ、止水! そんな体で……」

 二人の仙道使いは互いに目を合わすと……ニヤッと笑った。

「無理しないでいいよ、燕止水。あんたはここで志平さんと見ててくれ」

「お前こそ無理はするな。俺はただあそこにいる俺の……俺の弟と妹たちを救いに行くだけだ」

「ははは……じゃあ、頼もうかな、期待はしないけど」

「最初からそう言え、堂杜祐人。それと頼み方に礼を失しているな、改めろ。そんな奴に関わられたら、志平たちの教育に悪い」

「は! 悪かったね、今後は気をつけるよ!」

 そう言うや、二人は志平をその場に置き、戦闘が始まった瑞穂たちのところへ走り出す。

「ちょっ! この……大馬鹿野郎ども! お前らさっき、本気で殺し合ってたくせに! 仙道使いは糞ばっかだ!」

 祐人と止水はこの志平の悪態を背中に受けてもその速度は全く落ちなかった。



 この直前の清聖女学院。
 一悟が敷地内で大きな声を上げた。

「やっぱりな! 絶対に朝一で来ると思ってたわ! 何か細工しようとしても駄目だからな、嬌子さん」

 一悟が瑞穂とマリオン……いや、瑞穂とマリオンの姿をしたサリーと嬌子の前で腕を組み仁王立ちをしていた。

「えー、失礼ねぇ、一悟は~、ちょっと楽しみで早く来ただけなのに~。ちょっと色々と準備を……」

「私もですー。ちょっと学食がすごいって聞いたので、早く行きたかっただけですー」

「俺はもう騙されないから! それとこんな朝から学食はやってないよ、サリーさん!」

 一悟は前回の経験から、いち早く準備をして校舎に向かうこの道で待ち伏せをしていたのだ。正直、こんなことはしたくはなかったが、意外と律儀に友人の頼みを聞いてしまう性格というのもあったが主に自分のために頑張っていたりする。
 ブーブー言っている嬌子とサリーを連行し、二人を見張りながら歩く一悟は今後のことを考えて頭が痛くて仕方がなかった。

「まったく……それにしても、俺は違うクラスだから、どこまでフォローできるか……って、うん? あれは……白澤さん!」

 前方に調子が悪そうに道の真ん中で座り込んでいる茉莉に気づき、一悟は驚く。

「あららん? あの子は昨日見た……」

「はいー、調子悪そうですー」

 一悟たちは座り込む茉莉に走り寄り、肩に手をかけた。

「どうしたの、白澤さん!? うわ! すげー汗! やばいな、保健室はこの時間に開いているのか?」

 茉莉は明らかに辛そうで、息も荒い。
 一悟は一旦、寮に連れて行った方が良いかと考え、茉莉に肩を貸すように立ち上がらせようとした。

「ちょっと……この子。サリー」

「はいー、明らかに霊力を出してますー。しかも結構な量ですよー?」

「こんなところで覚醒したのかしら……? あまりに強い霊力に体が驚いているのね。一悟、待ちなさい」

「え? でも」

「いいから。とりあえず、あそこのベンチに寝かしてくれる? 私が診るわ」

「わ、分かった」

 一悟は苦し気な茉莉を抱き上げて、嬌子に言われた通りにベンチに運び、横たえる。
 茉莉は虚ろな瞳であらぬ方を見つめていた。
 嬌子は一悟と場所を代わり、茉莉の額に手を添える。一悟は嬌子のしようとしているこが分からず心配そうに嬌子の後ろから茉莉を見下ろしていた。
 マリオンの姿をしていた嬌子は元の姿に戻り、嬌子の長い髪がフワッと浮く。
 嬌子は目を閉じ、茉莉の中で暴れるように巡る霊力を落ち着かせていった。

「……これは驚いたわ。この子……白澤(はくたく)の血統なのね。しかも、こんなに色濃く白澤の力が出てくるなんて……もう、大分、その血も力も薄れているはずなのに」

「白澤? それって何なの? 嬌子さん」

「うーん、一悟には関係のないことよ。言っても分かりづらいだろうしね。まあそうね、簡単に言うと物事の本質を見抜く力が強い血筋の人たちよ」

「……それって、まさか、白澤さんも能力者ってこと? しかもその説明だと新しいタイプの戦争を超えられる人類みたいでかっこいいじゃん!」

「そうねぇ、そうとも言えるのかしらねぇ。まあ、白澤は元々、人間じゃ……」

「うおい! 嬌子さん! 俺にもないの!? なんかこう……覚醒して隠されたすげー力が出てくるとか!? 異性を惑わす、すんごいオーラをだすとか!?」

 何故か興奮しだす一悟。

「あんたは間違いなく一般人よ、安心しなさい」

「……」

「あ、意識が戻りそうですー」

 茉莉は徐々に呼吸も落ち着き、視線を嬌子たちに移す。

「あ……私……どうして、ハッ!」

 起き上がろうとした茉莉が突然、顔色を変える。

「また!? サリー、あなたも力を貸して! 私もいつものように力がふるえてないから」

「はいー!」

 茉莉の全身から大量の霊力が噴き出し、栗色の髪が浮きだした。そして遠くを見つめるように言葉を紡ぐ。その声は口から聞こえるようではなく、頭の中に直に響いてくるような威厳すらも感じる声であった。

『駄目!! 祐人、その人をもっと見てあげて! いつもの祐人なら分かるはずよ。その人の想いが! その不器用で悲壮な決意が!』

「大丈夫!? 白澤さん」

「一悟はさがってなさい!」

 嬌子の横に瑞穂の姿を解いたサリーが並び、茉莉の乱れる霊力を宥め、流れの道を示すように落ち着かせていった。
 茉莉から生じた突風を受け、目を細めていた一悟もようやく目を広げる。
 見れば茉莉は糸が切れるように眠っていた。

「ふうー、もう大丈夫よ、助かったわ、サリー。でもこの子……今、私たちを利用したわね。一体、何が見えて、何を伝えようとしたのかしら……」

「私も驚きましたー。私たちと祐人さんとの繋がりを使って、すごい霊力を送っていました。ただ、優しい霊力でしたー」

 二人は互いに目を合わせると、茉莉の霊力が飛んでいった方向に顔を向けた。

「まあ、悪いものではなかったし、大丈夫でしょう! それにしても……この子は要注意ね。黒髪と金髪の子も注意してたけど……」

「はいー、祐人さんに対する気持ちがあからさまに伝わってきました」

「ふふふ、サリー。今回の私たちとの遊び相手のメインは……」

「はいー、この子に決定ですー! ふふふ」

「「……ふふふ」」

 その微笑む嬌子とサリーの後ろでは、顔面蒼白でガタガタと体を震わす一悟がいたりするのであった。