174 Chapter 173
「何か動きがあればいいんだけどね」
「ああ、そうだな」
一ヶ月ぶりに王都への道を歩くロナとアルディスが世間話のように言葉を交わす。
空は快晴。
暖かな日差しが降り注ぎ、もう少し日が高くなれば汗ばむほどの陽気に包まれるだろう。
こちらの世界へ戻ってきたアルディスは『休息』と言いつつ一日の大半を寝て過ごしていたが、いくらダラダラと過ごしていてもお腹はすいてしまうものである。
お腹がすけば食事が必要になるし、食事をすれば食料の備蓄は減っていく。
当然の結果として食料品の買い出しに赴(おもむ)くことは避けられない。
ネーレの口から「明後日には小麦粉が切れるであろう」と通告を受ければ、仕方なく重い腰を上げるしかなかった。
「もともとそんなに都合良くいくとは思ってない。今は手がかりが得られただけでも十分だ」
アルディスとロナの話題は公爵邸の近くに開いていた、向こうの世界へ戻る道――あるいは扉というべきか――である。
ミネルヴァたちと一緒に向こうの世界へ飛ばされてから、こちらの世界で一年後に再び扉がつながり、その結果アルディスたちは戻ってくることが出来た。
前回はアルディスたちが向こうの扉を無理やり開いた形で繋がったが、すでに向こうの世界における入り口が消滅したであろう今、おそらく再び扉が開くことはないだろう。
公爵が林の中に監視を置き定期的に変化を見守るという話だったが、アルディスとしてもあの扉についてはほとんど期待していない。
そんなに扉がホイホイと簡単に開くものなら、アルディスも向こうの世界からこちらへ戻ってくる時にあれほど躊躇(ためら)ったりはしなかっただろう。
だがこれでアルディスは都合三度も世界を渡ったことになるのだ。
ならば四度目の機会が訪れてもおかしくはない。
「うん。あの『呪具(じゅぐ)』とかいうやつを見つければ、また向こうに戻れるだろうしね」
ロナの言葉にアルディスが首肯(しゅこう)する。
ミネルヴァを狙って仕掛けられた呪具の存在。
それはアルディスにとってある意味朗報だった。
手に入れる手段も使用方法も定かではないが、少なくとも呪具があればこちらの世界とあちらの世界をつなぐ扉を開くことができる。
今回のようにまわりの人間を巻き込まずその効果だけを利用すれば、アルディスひとり向こうの世界へ戻ることも出来るだろう。
「もっとも、あの呪具もわからない事が多すぎるがな」
「わからないことって、例えば?」
「あの時公爵邸にいなかった俺がどうしてロナやミネルヴァと同じように向こうの世界へ連れて行かれたのか、とか」
アルディスの話に合点(がてん)がいったのか、「あぁ、確かにそうかもね」とロナが返す。
「ま、ある程度の推測くらいは出来るけど」
「推測?」
続いてロナの口から飛び出た言葉に思わずアルディスは視線を向ける。
「うん。もともとアルの話だと、エリオンの術でこっちに飛ばされたんだよね?」
「ああ、エリオンにそのつもりはなかったんだろうが、術が不完全だったのか、それとも発動に失敗したのか……」
「で、気が付いたらこっちにいた、と。しかも子供の姿で弱くなって」
そのあたりの事情はこの一ヶ月の間にロナへ説明済みである。
「でも向こうにいたときのアルは姿も力も以前と同じだったよね?」
向こうの世界で意識を取りもどしたときのアルディスは、かつての姿と力を確かに取りもどしていた。
しかしながら、そのふたつもこちらの世界へ戻ると同時に再び失ってしまった。
「それがどうかしたのか?」
「うーんと、つまりね。エリオンの妙な術のせいでアル自身が向こうとこっちに分裂しちゃってるんじゃないの、ってこと」
「分裂?」
「分身、といってもいいかもね。実際そういう現象が起こりうるのかどうかはわからないけど、そう考えるとアルが弱くなってるのも身体が若返ってるのもなんとなく腑(ふ)に落ちるんだよね。向こうのアルとこっちのアルと、ふたつあわせて本来のアルなんじゃないの?」
思いもよらないロナの推測にアルディスは戸惑った。
「そうだとして、それと今回俺が巻き込まれたことに何の関係があるんだよ」
「これも推測なんだけど、もともとふたつに分身してること自体が異常な状態だったわけでしょ? その状態で隔絶(かくぜつ)していたふたつの世界が一時的にとはいえ繋がった。となればお互いに引き合ったとしてもおかしくないと思うよ。おまけにミネルヴァが持ってた剣にはアルの魔力がたっぷり込められてたわけじゃないか。あの剣が向こうのアルとこっちのアルをつなぐ橋渡しのような役割を持った、っていう風に考えるのは――ちょっと強引かなあ? ……でも僕が向こうの世界へ戻る時に道を開いても今までアルには何の影響もなかった事を考えると、あの剣の存在が何らかの影響を及ぼしたっていう可能性は捨てきれないでしょ?」
アルディスは束(つか)の間(ま)、考え込む。
ロナの推論にはいろいろ無理に思われる点もあるが、だからといって絶対にありえないと言いきる根拠もなかった。
とはいえ判断材料が不揃いな今、いくら考えたところで正解がわかるわけでもない。
そうアルディスは結論付けて考察を中断する。
「まあ、その推論が正しいにせよ間違っているにせよ、あの呪具を探すことに変わりはない。それに――」
「それに?」
「焦る必要がないとわかっただけでも収穫だった」
「……そだね」
こちらの世界における一年の月日が向こうの世界では一日にしかならない。
たとえアルディスがこちらの世界で十年間の時間を費やしたとしても、向こうに戻ればたったの十日である。
少なくとも『向こうへ戻ったときすでに仇は死んだ後だった』ということにはならないだろう。
もちろんアルディスの本心から言えば、今すぐにでも仲間の仇(かたき)を討ちに行きたい。
だがアルディスはこちらの世界へ戻ることを選んだ。
あと十年、いや五年。
フィリアとリアナが独り立ちするまではこの世界に残ることを決めた。
だからその選択自体に後悔はない。
「考えようによっては好都合だ。あの女にとって数日の時間が俺にとって数年分の時間になると思えば、力をつけるにはちょうどいい。どのみち今の俺じゃあの女には……」
たとえ元通りの力を取りもどしたとしても、今のアルディスでは女将軍に勝てる見込みなどなかった。
ならば思いがけず手に入れた時間を使って勝つための方法を、――少なくとも互角に戦えるだけの力を手に入れるべきだろう。
「それはそうとアル。ずっとついて来てるあれ、放っておいていいの?」
沈黙したアルディスに向けて思い出したかのようにロナが訊ねてきた。
思考を止めたアルディスは魔力探査に先ほどからずっと引っかかっているひとつの反応へ意識を傾ける。
その魔力反応はアルディスたちが王都に近づき、死角で外壁を捉えたあたりから探査範囲に入ってきた。
大きさから考えるにおそらく人間。
付かず離れず一定の距離を保ちながらこちらの様子をうかがっているようだった。
通常ならば察知できるような距離ではないが、アルディスもロナも普通の存在であるわけがない。
周辺に他の人間や獣の反応がない以上、その人物が何か目的を持ってこちらを監視していることは明白であろう。
「仕掛けてくる気配もないし、森に入ってこないなら別に構わん。こっちじゃ俺は一年もの間行方知れずだったはずなんだけどなあ。どこのどいつか知らないが、執念深いこった」
良くも悪くもアルディスは王都で名が知れている。
帝国との戦争で大暴れして以来、王都に姿を現すと必ず観察あるいは監視するような人物の存在を感じていたため、いちいち反応するのも億劫(おっくう)になっていたアルディスである。
加えて現状を考えれば、公爵の指示による監視という可能性も考えられるのだ。
こちらへ危害を加えてくるのでなければ強引に追い払うわけにもいかないだろう。
「そりゃあ、アルが気にしないって言うなら別にいいんだけど……。この先フィリアとリアナが王都までついてくるようになったら、ずっと監視され続けるのはまずいんじゃないの?」
そんなロナの問いかけにアルディスは思わず顔をしかめる。
実のところ、今回王都へ向かおうとしたアルディスに双子がついてこようとしたからだった。
「あのふたりを王都へ連れて行くのはまだ早い」
「ねえアル。過保護って言葉、知ってるよね?」
ロナが言わんとするところを察してアルディスは口を噤(つぐ)む。
「あの子たちだっていつかは人里で暮らさなきゃいけないんだよ。いいかげんそろそろ人との関わりを持たせるべきじゃないかな?」
「……わかってる」
なおも容赦(ようしゃ)なく攻め込んでくるロナにしぶしぶとアルディスは言葉を返す。
出会った頃はアルディスを含めて目にする人間全てを怖れ、怯えていた双子が自分から人であふれる王都へついていくと言いだしたのだ。
それはつまりふたりの成長を意味するし、同時に心の傷が癒えつつあることの証明でもある。
「ふたりが魔術を会得したのも、それを見越してのことだろうし。キリルのおかげで話し方もきちんと直ってたじゃないか。大事にしすぎるのはあの子たちの為にならないと思うんだけどなあ」
「……ああ」
アルディスと連絡が取れなかったこの一年間も、キリルはずっと双子の指導を続けてくれていたらしい。
その甲斐あって双子の言葉遣いはしっかりと矯正(きょうせい)され、年相応の一般常識も身につけていた。
それ自体は何ら問題がないし、むしろ喜ばしいことである。
予想外だったのはふたりが魔術を使うようになっていたことだ。
どうやらこの一年、ネーレが手ほどきをしていたらしい。
余計なことをして、と内心を顔に出してしまったアルディスへネーレはこう言い放った。
『不服なのはわかるが、致し方あるまい。我が主が戻ってくるとわかっておれば今まで通りでも良かろうが、その保証はどこにもなかったのだ。今はまだキリルがおるから良いが、あやつとていつまでも王都におるわけではないのだぞ? そうなったら誰が食料や日用品を調達してくるというのかね?』
どうやらアルディスがいない間は、キリルが家庭教師のついでに生活必需品の買い出しを請け負ってくれていたらしい。
しかしネーレの言う通りキリルとていつまでも王都にいるわけではない。
数年もすれば学園を卒業し、おそらくは故郷のレイティンへ帰って行くだろう。
そうなったとき、ネーレひとりでは狩りへ出るにせよ王都へ赴くにしろ双子を家へ残さざるを得ない。
最低限身を守る手段が必要なのはアルディスにも理解できた。
理解はできたが納得はできない、そんな心情だった。
「そんなに心配しなくても、あの調子ならすぐに自分の身くらい守れるようになるよ。ふたりとも今、えーと……十三歳だったよね? 十三歳であれだけ魔術使えれば、こっちの世界なら結構すごいんじゃない?」
ロナの言う通りだろう。
この一ヶ月、アルディスも双子が魔術の練習をする場に立ち会っていた。
ふたりが使っていたのはキリルが学園で学んでいるような『詠唱ありきの魔法』ではなく、アルディスやネーレと同じように『魔法――魔力の法則――に基(もと)づいた魔術』である。
詠唱も必要とせず、既存の型に縛られないそれはこの世界において異端であり、同時に相当なアドバンテージともなる業(わざ)であった。
もちろんアルディスやネーレの域に達するはずもないが、ふたりがかりなら双剣獣(そうけんじゅう)を倒せる程度には戦い慣れしていることを双子はこの一ヶ月で証明していた。
その実力はすでにマリウレス学園に在籍する生徒たちの大部分を上回っているだろう。
双子が自衛に必要な力を得ることは決して悪いことではない。
フィリアとリアナの成長を喜ぶ気持ちはもちろんある。
だが一方でその結果がもたらす未来を予見して、アルディスは悩みの種を新たに抱えることとなった。