175 Chapter 174
そんな会話を交わしつつアルディスとロナは王都に到着すると、いつも宿泊に利用している『せせらぎ亭』へと足を運んだ。
「いらっしゃ――ああーっ! アルディスさんじゃないですか! 一年以上もずっとどこに行ってたんです!?」
正面の扉を開けて入るなり、せせらぎ亭の看板娘メリルがアルディスの顔を見て叫んだ。
「悪いな。ちょっとトラブルに巻き込まれて戻るに戻れなかったんだ」
隅の方にある空いた席へ歩きながら、アルディスがメリルにかいつまんだ事情を話す。
さすがに呪具(じゅぐ)やあちらの世界について説明するわけにはいかないので、話すのはあくまでも表向きの内容だ。
「少しやっかいな組織と揉めてな。おまけに貴族様が絡んできたもんだからほとぼりが冷めるまで王都に戻ってこられなかったんだ。連絡ひとつよこさなかったのはすまなかったと思ってる」
「そうだったんですか……」
七割方嘘にまみれた説明だとは知らず、メリルの顔にアルディスを気づかうような色が浮かぶ。
アルディスが空いたテーブルのイスへ腰掛けると、当たり前のように足もとへロナがうずくまった。
「あ、でも荷物の方は……」
思い出したかのようにメリルが申し訳なさそうな顔で口ごもる。
「ああ、処分したんだろ? どうせ大した物はなかったから別に構わんさ」
「ごめんね、一応ルールだから」
さすがに一年以上も音信不通の客が残した荷物をいつまでも保管しておくわけはないだろう。
もともと短期間の宿泊しかしていなかったアルディスにとって、ちょっとした着替えや旅の日用品程度を処分されてもどうということはない。
「あ、でもお詫びに今日は食事おごってあげるよ! ちょうど今日は新しい料理を作ってみたところだから!」
その言葉を受けてロナの耳がビクリと跳ねるように動いた。
「いや、それには及ばん。いつも通り親父さんの料理を出してくれれば――」
「遠慮しないで、今日のは自信作なんだから! ちゃんとロナの分も持ってくるからね」
丁重に断ろうとしたアルディスの言葉を遮って、メリルは厨房へと足早に姿を消していった。
「アル……」
「俺はちゃんと断ろうとしたぞ」
恨めしそうな目を向けてくる相棒に弁解するアルディス。
一部の宿泊客から『せせらぎ亭の最終兵器』とまで呼ばれるメリルの創作料理はその手強さで知られている。
想像を絶する威力で宿泊客の胃袋を内側から攻めてくるその料理さえなければ、せせらぎ亭はとっくの昔に一流宿の名声を得ていたことだろう。
なまじ宿の主人であるメリルの父親が料理上手なものだから、手頃な料金と相まって新規で居着く傭兵や探索者は多い。
だが客が増えてそろそろ部屋がいっぱいになったかというタイミングで、狙い澄ましたかのようにメリルの料理当番がやって来る。
当然その創作料理によってテーブルに突っ伏す者は数知れず、結果的にまた空き部屋ができて新しい客を迎え入れるという繰り返しだ。
メリルに料理をさせなければいい話なのだが、どうやら宿の主人もひとり娘には甘いらしい。
周囲を窺ったアルディスの目に映るのはイスへ座ったまま放心状態の若い男ふたり。
月に二度の割合で差し出されるメリルの料理に、今日もまた沈められた犠牲者の姿であった。
「まあ、おごってくれるってんならありがたくご馳走になるべきだろう?」
「ありがたく?」
「……」
本気でそう思っているのか? と言わんばかりの視線を向けてくるロナから目をそらし、アルディスは無言を貫く。
そうこうしているうちにメリルが厨房からトレイにのせた料理を持ってきた。
「遠慮しないでどんどん食べてね!」
テーブルの上に置かれたのは底の深い一枚の皿。
その中にはシチューのような見た目のごった煮が満たされていた。
大きめにカットされた根菜類と鳥肉がクリーム色の液体に浸っている。
見た目はいたって普通のそれを、アルディスはスプーンで掬って口へと運ぶ。
途端に口へ広がる酸味。
同時に込み上がる嘔吐感。
ピクリと動いたアルディスの表情に気付いたのか、メリルが料理の説明をしはじめる。
「あー、やっぱりちょっと匂いが気になる? でも発酵(はっこう)した食べ物ってそういうものだから気にしないで大丈夫よ。発酵させることで旨味が引き出されるって話だし」
確かに発酵食品というものが世の中に存在するのはアルディスも知っている。
だがはたしてこれを発酵と呼んで良いものだろうか?
身体が訴えるのは腐った野菜を口にした時のような拒絶感。
良く言って『腐敗直前ギリギリ一歩手前の何か』だろう。
これは発酵ではない、とアルディスはのどまで出かかった言葉をごった煮と共に飲み込む。
メリルが席を離れていったところでロナが文句を口にした。
「ねえアル。これ腐ってない?」
「……きわどいところでセーフ、って感じだな。食えないことも……、ない」
「僕、美味しいものが食べたかったのになあ……」
「文句を言うな。ネデュロの肉よりはマシだろうが」
「あれと比べるのは卑怯だよ……」
他のテーブルへ聞こえないよう小さな声で愚痴(ぐち)をこぼしながら、ロナは粛々(しゅくしゅく)と発酵ごった煮を平らげる。
「この店大丈夫なの? そのうち食中毒とか出して潰れるんじゃない?」
「そのへんは親父さんがしっかりしてるから大丈夫じゃないか。大事になりそうだったらメリルを止めてくれるだろうさ」
「その前にメリルが料理するのを止めてほしいもんだけどね……」
ようやく皿を空にしたアルディスたちのもとへ、再びメリルがやって来た。
「さっすがアルディスさん! 私の料理ちゃんと全部食べてくれるのってアルディスさんだけなんだよね。おかわり持ってこようか?」
「いや、おかわりはいい。あまり腹は減っていないんだ。だから本当におかわりはいい」
「そう? で、おいしかった? お店のメニューに加えてもいいと思う?」
「む……、俺の意見なんかより親父さんに聞いてみた方がいいんじゃないか? 料理に関しては向こうの方がプロなんだからな」
「えーっ、だってお父さんに意見聞いても『むぅ……』とか『うーむ』としか言わないんだもん」
そこはしっかりダメ出ししておけよ、とアルディスは心の中で宿の主人を非難する。
「まあいいや。どうせこれから忙しくなる時期だし、新メニュー開発もしばらくはお休みだもんね」
「忙しくなる?」
「うん、だってもうすぐ芙蓉杯(ロータスカップ)があるもの! 新しいお客さんをガッチリ囲い込まなきゃ!」
「芙蓉杯(ロータスカップ)? なんだそれ?」
「え? 知らないの、アルディスさん?」
聞いたことのない言葉に疑問をぶつけるアルディス。
それに対してまさかという顔を浮かべるメリル。
「毎年やってるでしょ? 去年はさすがに中止されたけど」
「なんだ千剣の、芙蓉杯(ロータスカップ)見たことねえのか?」
メリルとの会話が聞こえていたのだろう。
ひとつ空のテーブルを挟んだ向こうに座っていた傭兵が声をかけてきた。
「まあ、この時期王都にいなけりゃ知らないのも無理はねえ。あちこち飛び回ってる傭兵や探索者の中にはそういう人間もいるだろうけどよ」
言われてアルディスは思い起こす。
トリアから王都に移ってきてずいぶんと経つが、確かに毎年この時期はなんだかんだと王都を離れていた。
たまたまと言われればそれまでの話である。
「で、芙蓉杯(ロータスカップ)ってのは何をやるんだ?」
「芙蓉杯(ロータスカップ)っていうのは国軍が主催する武技大会のことよ。国中から集められた武芸者がトーナメント方式で戦って一番強い人を決めるの。兵隊さんたちや傭兵さんたち、探索者さんたちも有名な人がたくさん出場するからすごいのよ。アルディスさんも今年は絶対見に行った方がいいよ!」
「ふーん……、武技大会ねえ」
「まあ表向きはそうかもしれないがな」
「どういうことだ?」
意味ありげな傭兵の言葉にアルディスは問いを投げる。
「どうせ実態はオルギン侯爵の名声を高める為の出来レースだって、知ってるやつは知ってるさ」
「オルギン侯爵?」
アルディスがその名を聞きとがめる。
なぜならそれが、ミネルヴァ襲撃の黒幕としてニレステリア公爵の口から聞かされていた貴族の名だったからだ。
「大会の主催者は一応国軍ってことになってるけどな、実際の仕切りは軍部の重鎮であるオルギン侯爵がやってるって話だ。王国中から武芸者が集まるって言ったって、誰でも自由に参加できるわけじゃない。傭兵や探索者が出場するには大会主催者からの推薦が必要だからな。実質的な主催者である侯爵に都合の悪い人間は当然出られるわけがない。軍から出場するのも侯爵の息がかかった派閥の人間だけらしいぜ」
「でもそれってただの噂なんでしょう?」
一般論としてメリルが言葉を返すが、傭兵は簡単にそれを否定する。
「ただの噂とも言えないなあ。実際、毎年優勝するのは国軍やオルギン侯爵の子飼(こが)いばっかりだ。確かに優勝するやつも実力はあるんだろうが、世の中にはもっと凄腕の傭兵や探索者がたくさんいる。でもそいつらは決して芙蓉杯(ロータスカップ)に出場してくることはないんだからな」
今度はアルディスが疑問を口にする。
「単に興味がないだけじゃないか? 誰も彼もが名を上げたいと思っているわけじゃないだろう」
事実、以前までのアルディスがそうだったのだ。
世の中すべての傭兵や探索者が有名になりたいと思っているわけではない。
事情があって名を知られたくない者もいるはずだ。
「そりゃそうだ。優勝したところで得られるのは名声と、賞金だってたったの金貨五十枚ぽっち」
一般の人間にとって金貨五十枚は大金だが、一流の傭兵にとっては手に届かないという金額でもない。
テッドたちならば仕事の内容にもよるが一度の依頼で稼ぐ事ができる額だろう。
「そんなわけで出場の門が狭くても大して不満の声はあがらないし、強いやつが出場してこないもんだから毎回オルギン侯爵の息がかかった人間が優勝するし、上位入賞者もほとんどが侯爵の派閥に属する兵士たちだ。代々軍部の重鎮を輩出する家柄の侯爵にしてみれば、そうやって面目(めんもく)を保つ必要があるんだろうけど、見てる方は興醒(きょうざ)めもいいところだっての。しょせん侯爵の子飼い同士が内輪(うちわ)で一番を決めてるだけだからな」
「ということはだ――」
アルディスが人の悪そうな表情を浮かべる。
「侯爵とまったく関係のない人間が優勝すれば、その面目も丸つぶれってことか?」
「そりゃそうだろうが……、優勝できそうな人間はそもそも出場できないからな。誰を出場者に推薦するかは主催する国軍が決めるんだし、その国軍は侯爵の派閥で占められてるんだ。わざわざ自分たちを脅かす可能性がある人間を参加させたりはしないだろ?」
それを聞いてアルディスは決心した。
「面白そうだ。俺も出場してみよう」
別に今さらこれ以上の名声は必要ない。
当然金貨五十枚程度の賞金が欲しいわけでもない。
しかしオルギン侯爵が絡むとなれば話は別だ。
先の襲撃によりミネルヴァは一年もの間行方がわからなかった。
そのため対外的には病で伏せっていたとされ、人目に触れることがなかったのだ。
結果的に后候補を集めた王家主催の園遊会も欠席することとなり、当然候補からは外されてしまった。
この一年間で后候補はふたりにまで絞られ、残ったふたりのうちひとりがミネルヴァ襲撃の黒幕であるオルギン侯爵の三女である。
要するにオルギン侯爵は最有力候補であったニレステリア公爵令嬢を策謀によってまんまと蹴落とすことに成功したわけだ。
公爵曰く「それなりの反撃はした」らしいが、軍部に大きな影響力を持つ相手だけに明確な証拠がなければ断罪もできない。
当然公爵側としては歯がゆい事だろう。
ミネルヴァは一年以上も伏せっていたことでその評判もかんばしくない。
どこからか呪具の話が漏れたのか、伏せっているのは呪いによるものだと噂されており、このままではまともな嫁ぎ先も見つけられそうになかった。
もちろんアルディスとしても面白くはない。
それほど長い期間ではないが、教え子として面倒を見てきたミネルヴァである。
すでに懐へ入れた存在にこうまで明確な悪意を向け、あまつさえ実力行使をしてくるならば、それはつまりアルディスにとっても敵といえる。
もちろん侯爵という高位の貴族、しかも軍に大きな勢力を持つ相手を真っ向からつぶそうなどと浅はかな考えはないが、合法的に相手へ痛手を与えられるのならば遠慮する必要などない。
侯爵子飼いの腕自慢たちが、世間から魔術師と見られているアルディスに魔法なしの剣技だけで叩き伏せられる。
軍へ大きな影響力を持ち、その首領を自認する侯爵にとってそれがどれほど誇りを傷つけられることか。
ようするにアルディスは件の意趣(いしゅ)返しに、芙蓉杯(ロータスカップ)で暴れて侯爵へ恥を掻かせてしまえと考えたのだ。
「え……、いやアルディスさん。武技大会って魔法は使えないのよ? いくらアルディスさんが強いって言っても、魔法なしで本職の兵隊さんや剣士さん相手は無理でしょ」
「メリルの言う通りだ。あくまでも武器を使った戦いの優劣を競うトーナメントだから、お得意の剣魔術は使えないぞ。魔術師のお前がしゃしゃり出たところで恥をかくだけだからやめておけ」
三大強魔(ごうま)の討伐、そして戦場での活躍によりアルディスは凄腕の傭兵として国中で名を知られている。
だがそれはあくまでも魔(・)術(・)師(・)と(・)し(・)て(・)だった。
千剣の魔術師という異名がついていることからもわかる通り、アルディスを魔術師だと思っている人間はなお多い。
メリルたちが思いとどまらせようとするのも当然だろう。
「そもそも出たいからって簡単に出られるもんじゃないんだ。さっきも言ったように主催者からの推薦が必要なんだぞ。一介の傭兵が出場します、って言ったところで相手にされるわけがないだろ」
「まあ、その辺はあてがある」
相手が権力を盾に身を守ろうとするならば、こちらも権力を矛にすればいいだけの話だ。
幸いアルディスにはニレステリア公爵というツテがある。
いくらオルギン侯爵が大会を取り仕切っているからといっても、すべてを思い通りにする事などできないはずだ。
公爵ほどの力があれば、推薦という形でアルディスを大会にねじ込むことはできるだろう。
「暴れてやるさ、魔術抜きで」
心配そうなメリルをよそに、アルディスは不遜(ふそん)に言い放った。