176 Chapter 175
「芙蓉杯(ロータスカップ)への出場を希望していると聞いたが?」
領主、そして公職者としての役目を果たさなければならないニレステリア公爵にとって、公爵邸というのはまさにただのねぐらでしかない。
たまたま仕事の合間に立ち寄ったところ、娘の指南役である傭兵から妙な嘆願があった。
近々開催される国軍主催の芙蓉杯(ロータスカップ)へ出場したいというものである。
「ええ、公爵閣下のお力添えをいただけないかと」
「どうしてまた芙蓉杯(ロータスカップ)へ? 今さら名声など必要としないだろうに」
公爵にとってアルディスとムーアは一年間行方不明だった娘を無事連れ帰ってくれた恩人である。
最初はアルディスたちこそが犯人の一味であるという疑いも持っていたが、ミネルヴァからの聞き取りとその後の調査結果により彼らが潔白であることは確認済みである。
今となっては純粋にひとりの父親として感謝を抱いていた。
そんなアルディスからの願いとあらば、よほど過ぎた要求でもない限り無下な対応をするつもりはなかった。
だが突然芙蓉杯(ロータスカップ)に出場したいというアルディスの言葉は、公爵にとって予想外のことでもある。
真意を測りかねたとして不思議はない。
「オルギン侯爵の派閥にとって、ここ一番の晴れ舞台と耳にしましたので」
しかしその疑問もすぐに氷解する。
オルギン侯爵の名をアルディスが口にしたことで、芙蓉杯(ロータスカップ)とアルディスのふたつがつながった。
「……そういうことか」
アルディスが言わんとするところを察して公爵は納得の表情を浮かべた。
オルギン侯爵は愛娘であるミネルヴァを襲った一味の黒幕である。
もちろん公爵は様々なルートを使って報復を行ったが、確たる証拠がないため正面切って告発することはできない。
腹立ちは収まらないものの、かといってこれ以上事を荒立てるわけにもいかない。
幸いミネルヴァは無傷で帰ってきたのだから、この件については矛を収めるしかないだろう。
そう考えていた矢先の申し出である。
オルギン侯爵にとって、芙蓉杯(ロータスカップ)は自らの権威と派閥の力を見せつける格好の場だ。
事実、一昨年までの芙蓉杯(ロータスカップ)はオルギン侯爵派の独壇場といっても良かった。
そこへ派閥外、ましてや彼が目の敵とするニレステリア公爵の息がかかった者が出場し、好成績を収めればどうだろうか。
しかも出場するのはその名が王都中に轟いているとはいえ『魔術師』に過ぎない。
おそらくオルギン侯爵の面目は丸つぶれだろう。
だが、それはアルディスが芙蓉杯(ロータスカップ)で勝ち進めることができれば、の話である。
「君の気持ちはありがたい。狙いもわかる。だが芙蓉杯(ロータスカップ)は武技大会だぞ? 魔法はもちろんのこと魔術も使用を禁止されている」
「存じております」
公爵の確認にアルディスは平然として言葉を返す。
「ならば悪いことは言わん。確かに君は剣の方も扱えるようだが、出場者は国軍選(え)りすぐりの実力者ばかりだ。戦う相手は王国随一の武人たち、しかも国内の傭兵や探索者からも名のある強者(つわもの)が集められている」
「それも存じております」
「であるなら――」
「存じておりますが」
不敬にも一介の傭兵が貴族の言葉を遮(さえぎ)る。
側に控える使用人の眉がピクリと歪むが、それを公爵は手で制した。
「――それがどうかしましたか?」
続いてアルディスの口から紡(つむ)ぎ出されるのは傲慢とも言える問いかけ。
「その武人や強者とやらは『三大強魔(さんだいごうま)』をひとりで討伐できるほどの腕前なのでしょうか?」
しばし無言が支配した執務室を、再び動かすのは公爵の声。
「無論できんだろう。だが君とて剣魔術を駆使したからこそ勝てた相手ではないのかね?」
「『鈴寄り』程度なら剣だけで勝てますよ」
どうということもなさそうに言い放つアルディスに公爵は言葉を失う。
しかしそこは魑魅魍魎(ちみもうりょう)渦巻く貴族社会の住民。
その驚愕を一切顔には出さず、ただポツリとつぶやいた。
「『鈴寄り』程度……か」
ナグラス王国が国を挙げて討伐隊を出し、結局諦めざるを得なかった強大な魔物。
それを『程度』と言い切るのは実力に裏打ちされた自信かそれともただの驕(おご)りか。
「わかった。そこまで言うのなら芙蓉杯(ロータスカップ)の出場権、何とかしてみよう」
公爵は他者へ悟られぬよう深く息を吐き出すと、アルディスの嘆願を聞き届ける。
もちろん釘を刺すことも忘れない。
「だが私の口利きで出場するのだから一回戦や二回戦で敗退してもらっては困る。それは承知の上だろうね?」
公爵の名を使って出場するからには、無様な結果など許せるわけもないのだ。
「ご心配でしたら腕前をお確かめになりますか? 公爵家に仕える護衛の中から腕に覚えのある者を十名ほど集めていただければ……」
平然とした表情でアルディスは提起してきた。
無論実力を見せてくれるというのなら公爵に異はない。
少なくとも公爵邸の腕利きと互角以上の戦いができるのであれば、芙蓉杯(ロータスカップ)でもそれなりに勝ち進むことができるだろう。
公爵としても安心して推薦できるというものだった。
「十人抜きでも見せてくれるのかね?」
「十名同時に相手して勝って見せましょう」
挑みかけるように訊ねた公爵に、目の前の少年は涼しい顔で言い放った。
さっそく公爵はアルディスの実力を確かめるために使用人へ手配を命じた。
普段ミネルヴァがアルディスから指導を受けている鍛錬場に向かい、同時に護衛の中から腕に覚えのある者を集める。
「なんか面白そうなもの見せてくれるって?」
どこからか話を聞きつけてきたのだろう。
今は公爵邸に居候(いそうろう)中のムーアがやって来て、他人事のようにアルディスへ声をかけていた。
「面白くなるかどうかは相手次第だがな」
「お、ジェイクにカイン、あっちはエンドリか。こりゃまたそうそうたるメンバーを集めたもんだな」
集まってきた護衛たちを見てムーアが何人かの名を列挙すると、一応という感じでアルディスが訊ねた。
「強いのか?」
「強いぞ。まあお前から見れば話にもならんだろうが」
「あんたなら何人同時に相手できる?」
「何人同時、と来たか。うーん……。三人……くらいならなんとか勝ち負け半々といったところだろう。ふたりなら十中八九勝てる。だが四人相手だとちと辛いな。負けないようにするので精一杯だ。こんな開けた場所じゃなく、建物の中とか林の中とか、壁を背にして戦える場所なら四人相手でも勝ちの目がかろうじて見えるくらいか」
集まった護衛はいずれも腕に覚えのある元傭兵や元兵士たちだ。
彼らを同時にふたり、三人と相手できるというだけでも大したものである。
国軍においてその腕前が十指に入ると言われたのも伊達(だて)ではない。
だが逆に言えばムーアほどの力量を持っていても四人同時にすれば勝てないという相手である。
彼らを相手にして、たとえ一対一であっても十人抜きができる者など王国中を探してもそうはいないだろう。
ムーアの答えにアルディスはただ「そうか」と返事をしながら、使用人から手渡された刃引きの剣を手になじませようと素振りをしている。
「そんな話を振ってくるってことは、勝ち抜き戦じゃなくて何人か同時に相手するつもりなのか?」
「めんどうだから十人同時だ」
「え!? それはいくらなんでも……」
思いもよらぬアルディスの答えに、ムーアは目を丸くする。
だがすぐに表情を改めると、今度は苦々しそうな顔で言った。
「……いや、お前なら平然とやってのけそうだな」
準備が整ったことを使用人のひとりが伝えてきたため、公爵は審判役に指名された使用人へ合図を送る。
「それではこれより剣術試技(しぎ)を行います。両者前へ」
審判役の声に従って、これから戦う十一人が公爵の見守る中、鍛錬場の中央へと集まった。
一方のアルディスは平然とした表情、もう一方の護衛たちは見るからに不満そうな表情を見せている。
それは仕方がないだろう。
彼らとて公爵に仕える前はそれぞれが自らの腕を頼みに生きる傭兵や探索者、そして兵士だったのだ。
いくら公爵の命とはいえ十対一の戦いを、しかも相手が剣だけで戦うと宣言した魔術師であれば気分を害するのは当たり前だ。
この上さらに護衛たちを憤慨させる展開が待っているとは彼らも予想していないだろう。
「十対一の勝ち抜き戦とします。両者それで異存はありませんね?」
当然勝ち抜き戦だと考えていた審判役の言葉にアルディスが異を唱える。
「いちいちひとりずつ戦わなくてもいいだろ。十人一度にかかってきて構わん」
「なっ……!」
護衛たちが気色(けしき)ばむ。
侮辱(ぶじょく)と感じたのかもしれない。
事前に本人からその意向を聞かされていた公爵が、アルディスへ念を押す。
「いいのか? 吐いた言葉は元に戻らんぞ?」
「問題ありません。なんでしたらグレイスタ大隊長を加えて十一人でもいいくらいですよ」
それに対するアルディスの答えはこれまた公爵の予想を超えていた。
十対一どころか、そこにムーアを加えて十一対一の戦いでも構わないと言うのだ。
公爵が無言でムーアに顔を向け、どうする? という視線を送った。
対するムーアの答えは簡潔だ。
「意味がありません」
公爵にとってはそれだけで十分だったが、周囲の人間に理解させるためあえて問いかける。
「どういう意味かね?」
「小官が加わったところで結果は変わらない、という意味です」
「結果というのは?」
「アルディスの勝ちです」
ムーアの答えを聞いて表情を変えたのは周囲の使用人と対戦相手の護衛たちである。
まさか、とその顔には書いてあった。
「ふむ」
その剣技、グランに響きわたる。
かつてそう称されたほどの実力者ムーアが、間接的にとはいえ自分が勝てない相手だと認めたに等しい。
アルディスがそれだけの評価をムーアから受けているということだった。
「まあ良い。その十人を相手に――しかも同時に戦えるのであれば芙蓉杯(ロータスカップ)出場の資格は十分にあるだろう。進めよ」
公爵が審判役の使用人へ指示を出す。
これだけの情報を与えたのだから、護衛たちも相手をたかが魔術師などと侮(あなど)ることはないだろう。
このうえ相手を甘く見るような者は公爵家の禄(ろく)を食(は)む資格もない。
同時にアルディスは本気の護衛たち十人と戦う事になる。
双方共に油断も出し惜しみも許されないこの状況。
力量を計るにはちょうど良い、と公爵は心の中だけで笑みを浮かべる。
「はっ。それでは試技をはじめます。両者ともによろしいですね?」
審判役がアルディスと護衛たちの双方に声をかけ、右手を真っ直ぐ天に伸ばす。
「開始!」
その手が振り下ろされた瞬間、十一人の足が動き出した。