455-With dill hade
ニギットの体が閃光の如く、加速する。
ラオス、レドリアーノ、ハイネ、三人の魔眼にも映らず、聖海護剣ベイラメンテすら反応できぬほどの速度で、その剣閃が走った。
「……っ……が……」
三人の勇者は、がっくりと膝をつく。
一瞬の間に、心臓を一突きにされていた。
<四属結界封滅陣(デ・イジェリメント)>の中では、勇者たちは絶えず回復魔法にて癒やされ続けるが、傷が治る気配はない。
枯焉砂漠ではなにもかもが終焉へ向かう。
その秩序が、治癒を妨げ、彼らを終わりへと導いているのだ。
最早、動けぬと悟ったか、ニギットはアルクランイスカ城へ視線を向けた。
レドリアーノたちより先に、ガイラディーテとの魔法線がつながっているそちらを叩くべきと判断したのだろう。
「全隊、<獄炎殲滅砲(ジオ・グレイズ)>発射準備。我が剣にて、あの城の結界に穴を穿つ。そこへ撃ち込め」
ニギットが、魔剣に膨大な魔力を込める。
「させるなぁっ!! <獄炎殲滅砲(ジオ・グレイズ)>発射準備っっっ!!」
エリオの号令にて、アルクランイスカの後方、防衛線を敷くすべての魔王城に魔法陣が描かれ、そこにぬっと漆黒の太陽が出現する。
ニギット、デビドラ、ルーシェの部隊に照準が合わせられた。
「一斉掃射――」
エリオが砲撃命令を出そうとしたそのとき、がぐんと魔王城が沈んだ。
辺り一帯に巨大な砂地獄ができており、建てられた城という城が、砂に飲まれ、崩れ落ちていく。
「なんだ、これはっ……!? 報告せよっ。なにが起きているっ!?」
「砂漠が広がり、足場がすべて砂に! の、飲み込まれていますっ!」
「<創造建築(アイビス)>で杭を延ばせっ! 固い地盤があるはずだっ!」
「りょ、了解っ!」
崩れ落ちる魔王城は、エリオの指示のもと、<創造建築(アイビス)>で下部から杭を伸ばし、砂地獄に飲まれるのに抵抗する。
だが、次の瞬間、その杭がへし折られた。
「――あがけどもあがけども」
そいつは砂地獄の底から、現れた。
すぐ近くにあった魔王城の杭に、ターバンの神は指を突き立て、ぐしゃりと砕く。
「このアナヘムの眼前では矮小なる砂の一粒」
「……てっ、敵の神がっ……! エールドメード殿からの情報によれば、恐らく、終焉神アナヘムですっ! こちらへ接近してきますっ!」
現れたアナヘムは、砂地を蹴った。
矢の如く飛んだ奴は、建ち並ぶ魔王城の土手っ腹を次々と貫いては、瞬く間にそれを崩壊させていった。
「ぼ、防衛線……突破されました……!!」
「一撃で防衛線をぶち破っただと……ばっ……化け物かっ……!?」
「も、戻ってきます!」
「なにっ!?」
再び地面を蹴って戻ってきたアナヘムは今度は魔王城をぶん殴って、隣にぶち当てる。勢いよく倒れた魔王城が、新たな魔王城を倒し、その城が、その隣の城を倒す。
ドミノ倒しのように、次々と防衛線の魔王城は崩落していった。
「……か、神の軍勢が、接近……ほ、包囲されています……数、凡そ八〇〇〇……!」
「このままではっ……!?」
「敵の魔法砲撃を確認っ! だめですっ! アルクランイスカがっ……!?」
ニギットたちの部隊により<獄炎殲滅砲(ジオ・グレイズ)>が一斉に発射され、勇者学院の城アルクランイスカが黒く炎上していた。
結界に穴を穿たれ、護りをなくした城は、みるみる外壁が剥がれ落ち、崩れていく。
「第二射。全隊、<獄炎殲滅砲(ジオ・グレイズ)>発射準――」
ニギットが命令を下そうとしたそのとき、光の砲弾が彼を撃ち抜いた。
されど、その反魔法は貫けず、ニギットは無傷だ。
彼が振り向いた視線の先には、聖剣を杖によろよろと体を起こす三人の勇者がいた。
「……おら。まだ終わってねえぜ……」
ラオスが言う。
勇者学院の生徒たち、その想いを一つにした<聖域(アスク)>が、彼ら三人を包んでいた。
それにより、すでに死にかけの体をかろうじて動かしているのだ。
『……一瞬で構いません。動きを止めてください、ハイネ。アレを使います……』
<思念通信(リークス)>にてレドリアーノが言う。
『ラオス、あなたは城の中へ』
『馬鹿言うんじゃねえよ、ここまで来て逃げられるか』
『馬鹿言ってるのはどっちさ? ぼくたちのうち誰かが残ってなきゃ、ガイラディーテからの想いを<聖域(アスク)>にできない』
ハイネが言い、大聖土剣ゼレオを砂漠に突き刺す。
『早く行きなよっ!!』
聖剣の魔力が地中に伝わり、みるみる砂の地面が固まっていく。
その一帯が土の大地と化した。
ニギットは身構え、魔眼(め)を凝らす。次の瞬間、地面がまるでくり抜かれたようにひっくり返り、ニギットの体を宙に投げ出した。
樹冠天球の影響で<飛行(フレス)>が使えないのはあちらも同じ。続いてハイネは二つの聖剣を大地に突き刺した。
地中に伸び、四四本の刃に分裂したゼーレとゼレオが大地を突き破り、一斉にニギットに襲いかかる。貫かれれば聖痕ができる。魔族にはより強力な効果を発揮するだろう。
だが、踏ん張りの利かない宙にいながらも、その悉くをニギットは魔剣で捌き、ゼーレとゼレオの刃を切断していく。
レドリアーノとラオスは、最後の力を振り絞り、地面を蹴った。
ラオスはアルクランイスカ城へ。
レドリアーノはニギットへ向かって、突撃する。
「<聖海守護結界(ベーストレート)>!」
レドリアーノが全身に魔法結界を纏う。
「<聖海守護障壁(レガ・インドレア)>!」
更に彼は、魔法障壁を重ねがけした。
「<聖海守護呪壁(リアード・アンゼムラ)>!」
その上、魔法障壁に魔を阻む聖なる呪いを重ねがけする。
四四本の刃をすべて切断してのけ、ニギットが地面に着地する。
そこを狙い、レドリアーノはベイラメンテを突き出した。
「遅い」
ニギットは首を捻ってその突きを避け、反対にレドリアーノの腹部に魔剣を突き刺していた。
しかし、彼は笑った。
「……護りたま……え、聖海護剣……古より生命を守護せし、ベイラメンテ。汝の力、汝の意志を、ここに見せよ……!!」
聖剣の力を全開放し、重ねがけした魔法障壁の力を数十倍に増幅させる。そうして、自らだけではなく、ニギットごとその障壁で包み込んだ。
レドリアーノの左胸に魔法陣が描かれていた。
「ラオス、ハイネ。あなた方は本当に、どうしようもない悪友でした」
ニギットはレドリアーノの右手を斬り落とす。
しかし、ベイラメンテが勇気に呼応するように、その剣先がひとりでにレドリアーノの心臓へ向けられた。
「最高の……」
ベイラメンテが魔法陣の中心を穿つ。
レドリアーノの体から、膨大な光が溢れ出す。根源が持つ幾世代もの未来の可能性を、その魔力を、今この場ですべて解き放つ。
「……<根源光滅爆(ガヴエル)>……」
根源爆発の光が、結界の内部に膨れあがり、そして――すうっと消え去っていった。
レドリアーノはそのまま力を使い果たしたかのように前のめりに倒れる。
彼の根源は消えていない。
<根源光滅爆(ガヴエル)>は発動しなかったのだ。
「……な、ぜ…………」
「残念だったな。枯焉砂漠において、終わりは終焉神アナヘムの手の平の上。滅び時さえ、貴様らの自由にはならない」
ニギットは魔剣を振り、結界を切り裂く。
魔力を使い果たしたレドリアーノを無視して、彼は、城へ逃げ込もうとするラオスを追いかけた。
「行かせると思っ……」
<聖域熾光砲(テオ・トライアス)>を右手に集中し、ニギットの前に立ちはだかったハイネはそれを撃つことなく、斬り伏せられる。
「……く……そ…………」
ハイネが倒れた。
「……ちっきしょうっ……!!」
戦ったところで万に一つも勝ち目はない。
ラオスは脇目も振らず、全力でアルクランイスカ城に向かって駆け抜けていく。
だが、僅か一秒でニギットは彼に並んだ。
「さらばだ、勇者よ」
その魔剣がラオスの肩に振り下ろされ、鮮血が勢いよく溢れ出す。
ラオスの足が地面にめり込み、彼は踏みとどまった。
二千年前の魔族の中でも有数の力を持ったニギットの一振り、瀕死に近いその体で耐えきれるわけもない。
だが、聞こえていた。
彼の耳には。確かに、その声が。
『がんばれ』
ガイラディーテの民が、
『がんばれ、勇者学院』
いや、アゼシオン中の人間の声が、
『がんばれ、ラオス、ハイネ、レドリアーノ』
<聖刻十八星(レイアカネッツ)>がつないだ魔法線を通して、この場に届けられている。
『……世界を、救ってくれ……!』
『俺たちの勇者!!』
ラオスの体に<聖域(アスク)>が集う。
アゼシオン中の人間の想いが、今一つに重なり、膨大な魔力に変わっていた。
「……来ると思ってたぜ……絶対なぁっ……!!」
ニギットは一度魔剣を引き、ラオスの心臓めがけ、それを突き出した。
疾風のようなその刺突に貫かれながらも、彼は<聖域(アスク)>を凝縮した左手でつかむ。
ラオスの体からは血が溢れ出るが、光がそれを止血する。
「あがくな。いかに魔力を得ようと、貴様の腕では勝ち目はない」
「一対一ならな」
その言葉に、ニギットはぴくりと眉を動かした。
「わかるぜ……あんたも、同じ気持ちなんだろう……?」
ニギットの体から、光が漏れ、それがラオスの魔力に変わっていた。
二人の心が、<聖域(アスク)>にて、確かにつながっている。
「ほらな……おかしいじゃねえか。二千年前の魔族が、俺らを瞬殺できねえはずがねえ……! そうだろう? あんたも一緒に戦ってくれてた。見せてくれよ、あんたの想いをっ! 俺たちは敵じゃねえっ!! 力を貸してくれっ!!」
ラオスは思いきり魔剣を押し返す。
すると、ニギットの腕の力がその瞬間ふっと弱くなった。
「……今、だ……!」
ニギットが叫ぶ。
彼の体は動かない。
否、止めているのだ。
「ディルヘイドを守ってくれっ!! 勇者よっ……!!」
<聖域(アスク)>の光を聖剣ガリュフォードに集中させ、ラオスは思いきり突き出した。
「<聖域熾光砲(テオ・トライアス)>ッッッ!!」
洪水のような光の砲弾がニギットの体を飲み込み、そして消し去っていく。
滅び去る寸前、彼は穏やかな笑みを見せた。
「…………はぁ…………く…………はぁ…………」
がっくりとラオスは膝をつく。
魔力は供給されていても、瀕死だった彼の体力はもう殆ど残されていない。
「まだだ、まだ……」
よろよろと這うようにしながら、ラオスはアルクランイスカ城へ近づいていき、そして触れた。
彼が魔力を送れば、その立体魔法陣が起動する。
アゼシオン中から集めた<聖域(アスク)>の魔力がみるみるそこへ注ぎ込まれた。
天地をつなぐほどの光の柱が、その城から立ち上った。
かろうじて残った意識で、歯を食いしばり、彼は最後の魔法を使う。
「<聖域勇者城結界(テオ・アルクランイスカ)>」
光の傘が広がった。
ミッドヘイズ一帯を包み込むような、輝く聖域。
それらは負傷した兵の傷を癒やす。
枯焉砂漠の秩序を、愛と優しさの<聖域(アスク)>が上回ったのである。
しかし、それも束の間。
レドリアーノの目算通り、アゼシオン中の想いをかき集めても、その結界を構築できたのは一秒ほど、<聖域勇者城結界(テオ・アルクランイスカ)>は次第に小さくなり、やがて完全に消えた。
魔力はまだまだ残っているが、それほどの<聖域(アスク)>を制御したのは初めてだろう。
強大すぎる力を、ラオスではそれ以上扱うことができないのだ。
全精力を使い果たしたとばかりに、<聖域勇者城結界(テオ・アルクランイスカ)>の発動直後、彼はその場に倒れ、意識を失っていた。
「あがけどもあがけども、終焉から逃れた命はただの一つとて存在しない」
魔王城をすべて粉砕したアナヘムが、魔皇エリオの眼前に立っていた。
守りの要である城を失ったエリオの前には、彼の腹心であろう部下たちが、盾になるように魔剣を構えている。
「エリオ様、ここは我らに任せ、後退を」
「勇者学院は結界を成功させました。必ず助け、が――」
そう声を発した魔族の兵の心臓に、アナヘムの手刀が突き刺さっていた。
「助けなど来ぬ。見るがよい。世界を四つに割ったあの日蝕を。世界の意思は、ディルヘイドの崩壊と不適合者の滅びを願った。あらゆる国に、それは伝達されたのだ。世界そのものと戦う愚か者など存在せん」
アナヘムが魔族の兵を軒並み倒し、エリオに向かって放り捨てる。
「せいぜいが、身の丈を知らぬ人間ばかりぞ」
終焉神は鞘から枯焉刀グゼラミを抜いた。
「やれ、ペルペドロ」
奴は枯焉刀を天に掲げる。
ミッドヘイズ部隊を包囲した神の軍勢が、規律正しく攻撃態勢に移った。
術兵神が魔法陣を描き、弓兵神が神弓に矢を番える。
剣兵神、槍兵神は突撃の構えを取った。
八〇〇〇もの神の軍勢に襲いかかられれば、今のミッドヘイズ部隊では、瞬く間に殲滅されるだろう。
「これがうぬらの終わり。世界から孤立無援となり、終焉に没せ、ディルヘイドの魔族どもよ」
エリオが、アナヘムめがけ、砲撃用の魔法陣を描く。
だが、それよりも早く、奴はエリオに接近した。
エリオは青ざめた表情で、その刃を見つめることしかできなかった。
根源を滅ぼす枯焉刀グゼラミが、容赦なく振り下ろされる。それが攻撃の合図とばかりに、神の軍勢が神々しい魔力を放った。
ドッゴオオオオオォォォンッと派手な音が鳴り響く。
弾き飛ばされたように空を舞ったのは、弓兵神と術兵神。神の軍勢の包囲に大穴を空けるように、その一角に巨大な大樹が生えていた。
それは雲を突き破るほど高く高く伸びている。
見れば大樹には入り口がある。まるで建物のようにも見えた。
そんな噂がどこかにあった。
それは大精霊の森にある、古い大樹。
雲をつくほど巨大な大樹の内側は、学舎になっている。
その大樹は意思を持ち、中に入れば色んなことを教えてくれる。
絵が下手で、たまに癇癪を起こす、おじいちゃん。
彼の名は、教育の大樹エニユニエン。
「孤立無援なんかじゃない」
声が響いた。
「終わりなんかじゃないよ」
慈愛に満ちた、優しい声が。
エニユニエンの大樹の周辺に霧が漂う。
そこから現れたのは、八つ首の水竜リニヨン、悪戯好きの妖精ティティ、目に見えぬ隠狼ジェンヌル、小槌を持った雷の精ギガデアス、治癒蛍セネテロ。
そして、噂と伝承で生まれた無数の精霊たちだった。
彼らを率いているのは、翡翠色のドレスを纏った女性。
背には結晶のような六枚の羽。清んだ湖のような髪と琥珀に輝く瞳。
「ティティ、リニヨン、ギガデアス、セネテロ、ジェンヌル。みんな、行くよ」
すべての精霊の母、大精霊レノである。
彼女の言葉に従い、精霊たちが、神の軍勢に向かい、一斉に進撃した。
「アハルトヘルンはディルヘイドとともにある。わたしとわたしの娘を救ってくれた魔王の国を――わたしの大好きな人が生まれ育ったこの場所を、決して傷つけさせはしない」
彼らは、その不可思議な力を次々と発揮し、神々を翻弄していく。
多数が少数に優る秩序を有する神の軍勢だが、噂と伝承で生まれた精霊の総数は果てしない。
アハルトヘルンの精霊すべてが、ディルヘイドのため、ここに集ったのだ。
「……小癪な……」
精霊たちの援軍と、目の前の人物を見て、アナヘムは眉をひそめる。
振り下ろしたグゼラミが、右腕ごと斬り飛ばされていた。
終焉神の前に立ちはだかったのは、魔王の右腕シン・レグリア。
彼はその手に、流崩剣アルトコルアスタを携えていた。
「……シン殿……」
エリオが、声を漏らす。
「遅くなりました。後は私が」
表情を崩さず、殺気を込めた魔眼(め)でシンはアナヘムを睨んだ。
「終焉神アナヘム。いいえ、その神体を操っているのはエクエスでしたか」
一歩、シンは隙のない歩法で間合いを詰める。
底知れぬ力を感じとったか、アナヘムは飛び退き、落ちたグゼラミを拾った。
「たかが世界の意思如きが、我が君の領土に土足で足を踏み入れたこと。その身をもって後悔させてさしあげましょう」